第二話 子さらい

 僕がまだ小学生の頃のことだ。

 同じクラスの、I君という男子が消えた。

 突然学校に来なくなった。最初は病欠かと思ったが、次の日も、また次の日も姿を見せないので、「いったいどうしたんだろう」と生徒達の間で騒ぎになった。

 事故に遭ったとか、転校したという話も聞かない。それなら先生が何か言うはずだが、特にこれと言った通達はない。

「今日はI君は休みですね」

「今日も休みですね」

 そんな出欠確認を何日か繰り返し、一週間もすると何も言わなくなった。まったく得体の知れない話だった。

 子供特有の無邪気な悪意から、「I君は死んだ」という噂も流れた。だがそれだって、学校から何の報せもないのはおかしい。

 結局――僕達は何も真相を知らされないまま、I君の存在を忘れていった。

 後から思えば、夜逃げだったのかもしれない。何か家庭内で深刻な事情があって、家族揃って行方を晦ませたのだ。先生もそれを小学生に説明するのは難しいと感じ、誤魔化した――。

 なるほど、これなら筋が通りそうだ。……が、実はこれも違っていた。それが分かったのは、今から数年前の同窓会でのことだ。

 I君が現れたのだ。まったく何食わぬ顔で、ひょっこりと。

 僕達は驚いて、大人になったI君を取り囲んだ。そこでI君から、当時の事情を聞くことができた。

 I君はあの時、失踪者として、家族から捜索願が出されていたそうだ。つまり夜逃げではなく、純粋に行方不明だったわけだ。ただ――奇妙なことに、I君はそんな自分の説明に納得していなかった。

「でもさ、あの時俺、行方不明ってことになってたけど……。変なんだよ。俺ずっと家にいたから」

 I君は、自分はずっと家にいて、普通に暮らしていたのだと言った。学校にも通っていたと言う。なのにある日、学校から帰ったところを警察に取り囲まれ、「保護」されたのだそうだ。

「親父もお袋も泣きながら抱きついてきてさ、意味分かんなかったよ。俺、毎日普通に顔合わせてたんだよ?」

 ただ――その「保護」よりも一年ほど前に、I君は妙な体験をしていたと言う。

「そういえば……変なおっさんが家に来てさ、俺を連れ出したんだよ。夜中、だった気がする」

 不思議なことに、その辺のI君の記憶は曖昧だった。ただ「変なおっさん」に夜中に家から連れ出され、近所を少しうろうろして、それからまた家に帰されたそうだ。その時I君は、「大事な会合だ」とか「男の子だから」とか、よく分からないことを言われたらしい。

 その「変なおっさん」は、いったいなぜI君を連れ出したのか。家族がいる家に夜中にやってきて、どうやって連れ出せたのか。そもそも、その「変なおっさん」は何者だったのか……。

 分からないことだらけだった。ただ、その「変なおっさん」がI君を連れ出した夜は、きっと、I君が学校に来なくなったあの日の前夜だったに違いない――。僕達の誰もが、I君の話を聞きながら、そう感じていた。

 ちなみにI君は、今は普通に会社員として暮らしていると言って、家族の写真を見せてくれた。奥さんと、幼い男の子が一人写っていた。

 幸せそうに見えた。だから、誰もそれ以上は、込み入った話を聞こうとはしなくなった。

 ただ――本当はもっと根掘り葉掘り聞くべきだったのかもしれない。なぜ保護された後、学校に戻ってこなかったのか。なぜ先生は黙っていたのか。

 それに……I君は今回の同窓会の招待状を、誰からどうやって受け取ったのか。

 もう少し詳しく探っていれば、その後の「事件」も起こらなかったかもしれない。


 数日後、I君が逮捕されたとの報せが入った。容疑は誘拐未遂だった。

 何でも、同窓会で会った旧友の子供を、家から連れ出そうとしたらしい。夜中に、家に忍び込んで。

 幸いすぐ両親に見つかったため、その場で取り押さえられ、子供は無事だった。I君は警察の取り調べに対して、「会合が」とか「男の子だから」とか、よく分からないことを言い続けたそうだ。

 ともあれ未遂ということもあって、この事件は示談で済まされた。

 今、I君は自分の子供をさらって、去年から行方不明になっている。

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