どうしたらあなたは言葉が聞こえますか?

 俺が最後に声を呼びかけられたのは数ヶ月前のことだ。


「ねえ、ルンルン。これは何?」


 ルンルンとは俺の愛称である。本名の累から変化してとられている。


 また、彼女の方は利香であり、愛称はリリーだ。まあ、恥ずかしくて滅多に呼ぶことはないが。


「それはドナーカードというんだ。本当は臓器提供意思カードなんだけど、その方が呼びやすいだろ?」


 それは大学で今日配られたばっかのものである。


 同じ学科の人が集まるセミナーで、厚生労働省の役員の人がやってきて、臓器提供についての話をしたのだ。


 もちろん利香も同じ学科なので参加はしていたはずなのだが、どうにもお昼後の時間の授業だったため、夢の中に入ってしまったらしい。


 そして今日の授業はこれで終わりなので、こうして飲食店に立ち寄っては先ほどのことをあれこれと聞かれているのだ。


「へえ、そんなものなのか。書いた方が良いのかな?」


「親と相談くらいはしておけ」


「よし、分かった。じゃあ今日帰ったら話してみる」


 おう、と返事をあげる。


 まあ、いつかは書きそうなものだし、俺も帰ったら少し相談くらいはしてみるか。


「ねーねー、それでさ」


「なんだ?」


 切り替わりが早いというか、おしゃべりな奴というか、せわしないな。


「明日秩父の方に行ってみない?」


「それはあれか?」


 俺は車の免許を去年取得した。それ以来あまり乗ることはなかったが、彼女と付き合い始めてから少し乗る回数は増えている。


「そう、この作品の聖地巡礼だよ。丁度他にもいいイベントが開催されるみたいだしどうかなって思うんだけど」


 ニコニコ笑顔で利香は携帯の画面を見せつけてくる。


 正直近すぎて全く文字は読めないのだが、椅子の背もたれのせいであいにくこれ以上下がることも許されない。

 それほど彼女は、机の上に身を乗り出していた。


 まあ、これで分かると思うが、俺と利香が付き合い始めたのはアニメ好きという共通点があるからだ。


 しかも好きなジャンルもほぼ同じで、相性は抜群であり、運命で結ばれるかのように俺たちが意気投合したのはとても早かった。


「いいよ。明日どうせ暇だしな」


「やったあー」


 利香はぴょんと跳びはねて喜んだ。店員や他の客の視線が痛いが、見なかったことにしよう。


 ◇


 そんなわけで、俺たちはいったん別れて帰路についた。


「なあ、母さん。これなんだけどさ」


 料理をしていた母に大学で配られたものを見せる。


「あら、ドナーカードじゃない。どうしたの?」


「これどう思う?」


 大学でもらったことは省く。


「そうねえ、あなたの好きにすればいいんじゃない?」


「はっ?」


 思わず声に出てしまう。仕方ない。相談したのに投げ捨てられたのだ。


「いや、だってそれはもしもの時あなたの体をどうするのか決めるものでしょ。だったら累自身で決めればいいじゃない。あなたの体は私のものでもないんだし」


「そっか」


 まあ、いわゆる不干渉というものだ。放任主義ともいうかもしれないが、まだ家でお世話されているのでそこまでは言わないでおく。


 自分のことは自分で決めろ。母はそう言いたいのだろう。

 ならば俺の意思は一つだ。


 俺は自分の部屋へ上がった。


 家での会話などこの程度である。年齢的にもそうなのであろうけど、俺は好きなことがたくさんあるのだ。


 まず携帯片手にゲーム画面を開く。そして明日のことを調べるためにパソコンの電源も入れる。

 部屋の電気はつけ忘れてしまったが、まあ問題ないだろう。


 カチャカチャとキーボードを打ち鳴らす音が部屋に響く。


 ふむふむ。なるほど、明日はこの間まで放送されていた魔法少女系統のアニメのイベントが開催されるのか。


「っと、電話か」


 じりじりとスリープモードにしていた携帯が動き出す。


「もしも…」


『ねー、ルンルン。ドナーカードだけどさ…』


 せめてもしもし、までは言わせて欲しかった。なので仕返し。


「俺は提供することにしたよ。親は反対しないし、それで他の人が救えるなら良いかと思ってな」


 言葉を遮られてふてくされた鳴き声が携帯から聞こえてくる。うひひ、成功だ。


『私も一応提供することにしたよ。けど、』


 意思ははっきりさせないといけないのに、けど?


『もしそう機会が訪れたらルンルンに真っ先にあげるように書いといたよ』


「お前は馬鹿か」


 冷静に突っ込んだ。


『馬鹿じゃないもん、天才だもん』


 お決まりの言葉が返ってくる。そして二人してニヤける。

 まあ、嬉しいけど。さすがにそれは無いと思うのが俺としての本音だった。


『それでさ、明日のことなんだけど』


「ああ、今調べてる。だからもう少し待っててくれ」


 こうして俺たちの前日は会話をしながら日程を決めるので終わってしまった。


 ◇


「いやー、すごかったね」


「ああ、人が意外にも多かった」


 グッズという名のお土産を大量に抱えて、男女ペアで歩く姿はいかにも爆発しろ

というような目線を真に受けながら、一日を終えることとなった。


 秩父の方に出向いて、まずは販売されているグッズを二人で買い占める。そしてイベントステージを仲良く鑑賞し、エリアをくまなく散策。

 その後は、昨日決めたルートで十カ所くらいの聖地を巡って記念撮影をし(同じく回っているだろうぼっちの男性に撮るようお願いしたら、かなり睨まれた)、最後は評価の高く値段が一般的なレストランで食事を取った。


 とても充実した一日であり、とても幸せな一日であったと言えよう。


「もうさ、エリスちゃんとかかわいすぎでしょ」


「俺はカリナ押しだけどな」


「えー、何でよ。エリスちゃんの方が絶対かわいいって。だって、あの三話で見せ

たお願いするときのポーズなんかもう、あどけなさの表情とかがバッチリメイクされててやばかったじゃない。私なんかイチコロだよ」


「確かにあのシーンは俺もすごいと思ったけど、やっぱりカリナのツインテと見た目に反したお嬢様気風のギャップはたまらないんだよなあ」


 車の前に辿り着き、ドアを開けて荷物を詰め込む。

 そして自分たちも乗り込んだところでドアをガチャリと閉める。


 至って和やかな雰囲気だった。


「それじゃ発進するぞ」


「ルンルン、行きまーす!」


 俺の代わりに利香がお決まりゼリフを放つ。


 ブオンと音を立てて車は暗闇を照らして進み出したのだった。

 ハンドルを握るのは今日二回目だ。

 だが、感覚としては久々の運転だったこともあり、ゆっくり走行する。

 これ、すっごく大事。

 

 そんな調子ではあるが渋滞はなかったので、車も話も順調に進む。

 極めてのんびりしていたと言えよう。


 やがて話は盛り上がりながら高速道路に乗る。


「ねえねえ、ルンルン」


「今度は何だ?」


「今日、すっごく楽しかったよ。これ以上にないくらい幸せって感じ」


「そうだな。俺も楽しかった」


 割と唐突に話の内容は変わったりするが、嫌いではない。


「私この幸せ誰かに与えたいな」


 もちろんアニメが好きであることの幸せだろう。砕けば、アニメを見ることで得られる幸福感を広めたいとでも言うべきか。


「お前子供と話すのが好きだから、そいつらに分け与えれば良いんじゃね?」


 子供を洗脳する。訳ではないが、きっかけを作らせて飲み込ませることは出来るだろう。まあ実際にはやらないだろうから、ただの悪ノリだ。


「よーし、帰ったら今日録画してた新作アニメ見るぞ!」


 また話が変わる。


「そうだな。確か今期のおすすめは」


「断然、魔法少女プリティーヴィーだね!」


「また魔法少女かよ。俺的にはマジックアンドステイトとか奨めるけどな」


「あー、それは普通に面白そうだから良いの」


 お互いが奨めるアニメはやはり好みに合致してるので、結局見ることになりそうだろう。しかし、俺が奨めたのはみんなどうせ見るだろうから、おすすめには入らないらしい。

 むふふーと、すねたような嘘っぽい顔をする。


 俺はそんな顔もかわいいと思う。


 だが、その顔もすぐに消え去った。

 突如、彼女の顔が真剣に硬くなったのだ。


「んっ、ルンルンあれ」


 利香が何かに気がついたのか、目を細めながら後ろを振り向く。


 もちろん自分は運転してるので、後ろに振り返ることは出来ない。なのでせめてもにバックミラーを上目遣いで見る。


 そこには強い光を放つ二つのライトが映っていた。

 どうせ車の光なのでそこは難しく考える必要は無い。


 だが、問題は別にあった。

 それが段々と大きくなり、こちらに近づいてくるのだ。


 同時にエンジンがうなりを上げるような音も聞こえてくる。


(まさか居眠り運転か?)


 心なしか、車体はゆらゆらとバックミラーの中で動いている。


 つまるところ、猛スピードで後ろの車がこの車の後を追いかけているのだ。それも空いている走行車線に移ろうともせず。

 このままではぶつかる。そんな予感が走った。


 累は避けようと、追い越し車線に入ることにしようとする。

 ハンドルを握りしめ、右に傾け始める。

 しかし運が悪いのか、その前に一つ前の車が先に横に動いてしまう。

 ぶつかると咄嗟に判断し、傾けたハンドルを戻す。


 だが、後ろの車は更に近くまで寄っていた。


 まずい。


 そう思ったときには遅かった。


 パリーンとガラスの砕ける音が聞こえた。


 衝撃でグッズが前まで飛んでくるのが見えた。


 確認できたのはたったそれだけだった。


 そして、血反吐を吐きながら累は意識を閉ざす。


 ◇


 ピー、ピー、ピー。


 まず見えたのは白い天井だった。


 よく暇になったときにシミの数を数えるあれだ。


「累?累!」


 叫びとも言える驚きと喜びに溢れた声が耳に響いた。

 そして振り向いた先に目に飛び込んできたのは、涙を流し始めている母の姿だった。


「母…さ…」


 呼吸を援助するための道具が取り付けられていて、まともにしゃべれない。

 それを見かねたのか、母は近くまでやってくると、頭をなでる。


 何故ここにいるのか記憶を探り出す。


 確か、あのとき。


「利香は…?」


 思い出したときには脳が覚醒し始めた。全身が奮い立つように体が身震いする。

 嫌な予感がして、目を見開くが当然のごとく彼女がそこに立っているということはない。



 母から話を聞いた。


 事故に遭ったとき、相手方の運転手は居眠り運転だったこと。

 そして突き飛ばされた俺の車はさらに前をゆく車と玉突きを起こして、止まったこと。

 車体は前後共に潰れ、車の形状は保っていなかったこと。

 そこから俺たちは救出され、病院に運ばれたこと。

 俺は肺が潰れて呼吸困難となり、意識不明になったこと。


 そして利香は脳死になったこと。


 じゃあ、何故俺は目覚めることが出来たのか。


 それも母から話を聞いた。

 聞いた途端、俺は乾いた目で泣いた。


 悔しくて、悲しくて、どうしようもなかった。

 だから、母を追い出して、一人で布団の中にうずくまった。

 そして潜ってからは声を上げて泣いた。


 誰かに邪魔されることなく、男らしくもないみっともなさを携えて。



 故に放心状態になった。鬱とも言うかもしれない。


 機能は急激に回復したことで、呼吸器を取り外すことは出来た。


 しかし、いかなる食事も喉を通さず、ベッドから動かなかった。


 両親はそれをすごく心配したが、どうしようもないことだと、無理に何かを言おうとはしなかった。


 もちろん、何かを言われてたかもしれない。だが、耳すら遠く感じた俺にとってはどうでも良いことばかりだっただろう。


 だが、数日経ったある日、俺はベッドを抜け出した。


 ◇

 

 俺は見た。


 それは出来心だったかもしれないし、幻覚だったかもしれない。

 いや夢だったのだろう。


 利香がこちらを見ながら常に笑っていたのだ。


 俺は迷わず追いかけた。

 病衣のまま外に出ても気にしない。見失いたくはなかった。


 魔法少女っぽい服装であったり、途中で何故か制服に切り替わったりと、おかしな感じではあったが、そのおかげで彼女だと疑いは持たなくなった。


 病院に入る際に犬をもふもふしていたので、一緒になってもふもふすると、その犬は手から離れて逃げ出してしまった。


 病院に再び入った。


 彼女の後を追うと、ある子供の患者の前にやってきた。


 リボンでデコレーションされたメスをステッキ代わりにしてくるくると回し、何か呪文らしき言葉を唱えていた。


 彼女はそれ以外にもよく口をパクパクさせていたのだが、俺には何も聞こえなかった。


 とても悲しいことである。


 子供は振り向かなかったが、彼女はすぐに移動し始めてしまった。


 あわてて後を追いかけ、足取り軽やかに今度は別の階にそそくさと動いた。


 今度の子供はチューブに繋がれて眠っていた。


 彼女は待たしても同じようにステッキを振ると、微笑みをかける。


 そして待たずして急ぎ足で次から次へと移動をし始める。

 やはり、せわしないところは彼女のままなんだと実感できる面だ。


 お次はどの子供の前へ行くのかと思った。


 だが、辿り着いた場所で彼女は立ち止まってこちらを振り向いた。


 どうやら悲しそうな顔を見る限り、入ってきてはほしくないようだった。


 俺は部屋番号を確認した。


 ◇

 

 再び天井を見つめる。

 だが今度はシミを数える真似はしない。

 勢い良く体を起こすのだ。


 近くにあった車椅子に乗って全力でダッシュ。


 エレベーターのボタンをやってくるまで連続で押し続け、開いた瞬間に飛び乗る。


「待っててくれ!」


 他に乗っている人物はいなかったので思うように叫んだ。


 ウィーンとのどかな音を響かせてドアが開く。

 脇に避ける人を押しのけるように飛び出し、俺は目的に部屋へと向かった。


 無我夢中だったため、時間はそんなにかからなかっただろう。

 記憶もこれくらいしか覚えていないほど曖昧だ。


 中には人がいた。


 何度か会ったことがある、彼女の両親や、大学で彼女と仲がよかった友達だ。

 俺を見るなり驚かれたが、気にせずに迷わず前に向かう。


「累君、大丈夫なのかい?」


 心配している様子だったが、俺は頷くだけで返した。彼女の親も理解してくれたのか、安堵の表情で迎え入れた。


 利香の遺体は綺麗だった。縫われた跡があるが、見た目的にはほとんど変わっていない。利香そのものだ。

 おそらく詰め物をされたのだろう。


 俺はなまった体を無理矢理立ち上がらせ、もっと近くで見ようと寄り添った。


 涙をどうしようもなく流し、それでも顔をしっかりと見つめる。


「ゆっくり眠れよ」


 言葉が思いつかなかった。もう少し良い言葉が合ったのだろうが、ポンコツな頭から出てくるのはそれだけだったのだ。


 だが、十分だった。


 泣き崩れて、その場にしゃがみ込む。


 俺は彼女の手を握って、わーわーと泣き叫んだ。

 もう俺の言葉は届かない。聞こえてすらいないだろう。それが悔しくて、出来るならもう少し語り合いたかったのだ。


 彼女も答えることはない。


 しかし。


 利香は口を閉ざしてはいるが、まるで幸せだったとでも言っているような表情えおしているのだった。


 ◇


 俺は生きている。


 利香から受け取った肺で呼吸をして。

 もう彼女の顔を拝むことは出来ないけれど、俺の中でくっついて生きている。

 手が届きそうで届かない。そんな短い距離に彼女はいる。


 おそらく彼女は俺以外の数人の子供達もすくった。

 それが数人でも、どれだけ多くの人を救えるのか俺は知っている。


 だから、俺は伝えなければならない。

 大理石で作られた墓の前で、俺は記憶から目を閉ざした。

 感謝の言葉くらいは心を込めて言いたかったのだ。


 百合の花を添えて、手を合わせる。


「俺たちもみんな幸せになったよ」

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