須磨

 身から出た錆とはいえ、朧月夜の尚侍との情事が露見してからというもの、光源氏には冷たい視線、あからさまな侮蔑が浴びせられるようになった。君主に差し上げられる予定の女性に手を付けたのみならず、差し上げられた後でも密会していたのだ。(ちなみに藤壺の女御とも密会していたので、初犯ではないのだが、ばれたのはこれが初だった。)かばってくれる帝はいない。今の帝は、光源氏の腹違いの兄である。その母親は「こんなきれいな子は早く死ぬんだよ。」といつも光源氏のあらを探し、いじめたくていじめたくてたまらなかった弘徽殿の女御である。光源氏をいじめる気でいる人間が権力者の地位についているのに、盾になるはずの左大臣は政治の逆風を見て、役職を下りてしまった。今は雌伏の時と見たのである。そして、光源氏が自分で乗り切るのに任せた。息子たちもまだ大臣ではない。中流の地位ながら戦っているが、それも傍観して特に何もしなかった。いつまでも続くわけではない。次の帝は藤壺の女御の息子(実は帝ではなく光源氏の息子)が帝位につくのだから、それまでの辛抱だった。今しか見えない人間が、光源氏を見捨てて弘徽殿の女御につくのだ。光源氏の天下がいずれ来ることは、左大臣には自明のことだった。彼は娘亡きあとも光源氏をないがしろにはしなかった。忘れ形見の息子も、将来一族を背負って立つ人間として、大事に育てていた。夕霧は左大臣家の息子であり、光源氏はただの生物学上の父親である。


 そこにこの不始末である。この逆風下で乗り切れるわけがなかった。いつもは「気づかないふり」で乗り切るのだが、逆風下で不始末を起こしたので無理だった。なぜこうなると分かっていてあの朧月夜の尚侍に手を出したのか、光源氏は分からなくなっていた。たしかに美人で性格も上々だが、たぶん、藤壺の女御をあからさまに足蹴にしていた弘徽殿の女御のことが本当に気に食わなくて、こけにしてやりたかったのだ。それにしても馬鹿な真似をしたものだ。


 あれこれ考えた末、光源氏は自分で謹慎することにした。すでに流罪になっていたら流罪にできない。都から遠く離れて、自分で自分を流罪にするのだ。その時思い出したのは、明石である。「身分の高い方と結婚しなければ娘は身投げさせる」と広言する父親が大事に育てている姫君のいる場所だ。かつて聞いた話が、漠然といつも頭にあった。教養のある女性のいないところに行くのは味気なさすぎるが、かといって人の往来の繁き所では誰も謹慎とは思わないだろう。文化人にとって、話の合う都人もみやびやかな建物も物資もない鄙びた田舎で暮らすことは、耐えがたいことなのだ。面白い姫君でもいるのでなければ。


「須磨に向かうことにする。昔は栄えていたらしいが、今は海女の家もまばらだそうだ。それに都からそれほど離れてはいない。便りを聞くことができる。」

 光源氏は腹心の部下たちに伝えた。一番の腹心の惟光は、すでに受領の職を得て国に下っていたので、そのほかの部下たちである。惟光は、光源氏の影響力が衰える前に、うまく職をつかんでいた。そして光源氏に取ったらよんどころない事情により、一番頼れる部下が近くにいないということでもある。


 決めてすぐに行けるものではない。その時彼は「大将」の職に就いていたが、これはいつでも返上できる。藤壺の女御の息子が帝位につけば、これくらいの職など簡単に手に入る。もちろんもろもろの事情により帝位につかない場合だって考えられるが、まるで復帰のあてがないというわけではない。光源氏の首はまだ十分につながっている。部下もまだ離れてはいない。陥れられて正式の処分が下されるような事態を避けるために都を離れるのだ。

 彼が一番気にしているのは、紫の上のことだった。

 たった一日か二日、よその家で過ごしただけでも紫の上のことが気にかかって仕方がない。今日会えばまた明日も会いたいと思う。紫の上も光源氏が来ないと、寂しそうにしている。ましてや何日何年と、決まっている謹慎ではない。「また会う日までさようなら」と言ったところで、人の一生は分からない。その間に死ぬかもしれないのだ。

 「こっそり一緒に連れて行こうか」と思う端から、「いや、何もないところにかわいい方を連れて行って、不自由な思いをさせることになれば、かえって悩みの種になってしまう」と思い返す。紫の上はどんなところでも一緒に行きたかったので、連れて行ってもらえそうにないと思うと、恨めしそうにしていた。そして、光源氏のいないときには朝でも夜でも泣いてばかりいた。光源氏はこの人のことが一番心配でたまらなかった。


 ほかにもかりそめの関係を持って、もう訪れることはないが、光源氏の庇護のもとにある姫君たちが何人かいて、その人たちのことも気にかけてやらなければならない。彼の庇護がなければすぐに零落する姫君たちだ。美人やとりえのある者はそんな状態に耐えきれず、結婚していくが、おとなしくほかの男性を求めることも思いつかない、評判がないのでほかに言い寄る者もなく、強いて結婚させる保護者もない姫君たちだけがいつまでも光源氏を頼りにして細々と暮らしている。


 情熱的な愛人たちも忘れてはならない。この人たちにはどうしても手紙を書かなければならない。


 息子にも会わなければならない。大事なのは息子の祖父である元左大臣だ。引退したとはいえ、光源氏側についていることを公言し、転向していない。都のあらゆる情報を教えてくれる大事なキーマンだ。必要なことは、この人や息子たちからも教えてもらえるだろう。挨拶を忘れるわけにはいかない。

 そして一番大事なこと。光源氏の所有する土地の管理だ。毎年上りの貢物が差し出される。

 


 光源氏は4月20日(旧暦3月20日)を出発の日と決めた。お供は7,8人。(一般的な感覚からしたら多いが、光源氏にとっては質素そのものである。)人には知らせない。ただごく近しい人たちだけに手紙を送る。


 大事な左大臣家には、光源氏は直接挨拶に伺った。この逆風下でも光源氏派でいることをやめていない彼は、政治的に最も大事な支援者である。おろそかにしてはならない。

 彼はぼろぼろの牛車で目立たないように左大臣邸に入った。


 時世が変われば権勢を誇った左大臣家も潮が引くように人が離れていく。

 もともと給料はあってないようなもの、人の尊厳を踏みにじられる宮仕え、女房仕えにおいて、家族が政治的に優遇されるというメリットがなくなったら、いる意味がないのである。

 しかし目端の利くものはこのようなときにも忠義を尽くすものほど、また隆盛になったときに優遇されることがわかっていたし、行き場のないものもまたそのままとどまっていた。

 少なくなった乳母、女房たちは、珍しい光源氏の訪れに、物陰から感涙している。

 光源氏はずいぶん会っていないのにまだ父親のことを忘れていない(夕霧の記憶力がいいのか、光源氏の印象が強いのか、女房たちが忘れる暇もないほど光源氏の噂をしているのか)幼い夕霧を膝の上にのせて別れを惜しんだ。


 左大臣は元葵の部屋にまで自ら出向いた。

「このような時世になり、こんな時こそ源氏の君のために力を尽くしたいものを、病を得て情けない…。それにしても世間の手の平を反すの早いこと早いこと…。情けない…。」

 とずるずると泣く。光源氏はこんな時にも光り輝くようにきれいである。

「これもわたくしの前世からの因縁でございます。

 ささいなことで世間から後ろ指をさされて官職を奪われて、普通に暮らすことさえ許されなくなるのは、大陸でもあることだと聞いております。

 これはうわさなのですが、まだわたくしにご沙汰がないのは流刑に処すため、謀反罪にしようという御上のご意思があるためだそうです。ただわたくしは潔白でございますので、この心もいつか分かっていただけるだろうと思っているのですが、今は普通に暮らすことさえ許されません。この上更なる恥を受けるより、世を捨てようと存じます。

 つきましては何よりもお心にかけてくださった叔父上にご挨拶をしなければと存じまして。」

 左大臣と源氏の君は桐壺院の時世のころのことを懐かしく語り合った。寄る年波と凋落ですっかり涙もろくなった左大臣は涙が止まる暇もなく、源氏の君もときどきそっと袖で涙をぬぐった。

夕霧は二人にまとわりついている。

 いつ来ても左大臣の頭から死んだ娘が離れていることはなく、話題に上らないということもない。この日もそうだった。

「しかし葵も若くして死んでよかったのかもしれません。こんな目に合わずにすんで。

 夕霧も残していってくれたのですしな。夕霧が源氏の君に会わないで大きくなってしまうことだけが心残りでございますじゃ。」

 そして彼にも原因が「お前が朧月夜の尚侍に手を出したりするからだ。」とわかっているので、涼しい美しさに圧倒されながらもちくっと言わずにはいられなかった。

「古の人はこのくらいの罪で罰せられはしませんでした。罪がなくて罰せられることは大陸でもございます。

 しかしそういうことも咎める点があって初めてなるのですからな。

 もちろん世の中さえこうでなければこんなことにはならないのですがな。」


 頭の中将(今は三位の中将。名前がないので「頭の中将」と呼びます)も出てきて酒宴になった。そこで源氏の君はかつて添い寝を申し付けていた愛人(身分が低いので光源氏にとっては人ではなくて半分奴隷のようなものだが)の中納言の君がまだ下り坂の左大臣家につかえており、光源氏の姿を見てはさめざめと泣いているので待っていたのだということがわかった。彼はそんな心を無駄にはしない。酒宴が終わると早速呼び寄せて中納言の君が喜びそうな言葉を夜もすがらささやいてやり、すぐには出ていかないように気を付けた。


 明け方、まだ月の残るうちに源氏の君は左大臣家を出た。妻戸からは中納言の君が見送っている。私はよく思うのだが、光源氏がもし現代にいたら、現代女性はこのような浮気者を切り捨てることを考えるのではないかと思うのだが、この時代の女性は違うようだ。経済的に依存するしかない時代の女性、服従しか選択肢のない女性にとって、同じ依存するのでも優しい言葉と美しい男性はそれほどうれしいものだったのかもしれない。

 彼は暗い庭の少し残った桜の風情を楽しんでしばらくたたずんでいたが、独り言のようにつぶやいた。

「また逢おうというのも思えば難しい。葵の生きていたころはいつでも会えると思ってもっと親しくできたはずの歳月を、めったに逢うことなく過ごしてしまったな。」

 中納言の君が泣くのが聞こえる。

 宰相の乳母が大宮様(左大臣の妻、光源氏の血のつながった叔母)の手紙を届けてきた。


「お会いしたかったのですが夜だからと遠慮しているうちに、いつもと違ってまだ暗いうちにお帰りになるもので。夕霧が起きたら悲しみますのに。」

「鳥辺山の煙に似ているかと、明石の須磨に塩を焼く煙を見に行くのです。」

 光源氏はそっとつぶやいた。聞いた大宮様は「源氏の君は(少なくとも言葉の上では)葵のことをお忘れになったわけではないのだ」と感動するだろう。

「全く暁の別れがこれほど気のもめるものだとは知らなかったよ。どうだね?」

「これほど気のもめる暁の別れはまれでございます。」

 宰相の乳母はぐしゃぐしゃに涙にぬれながら言った。


 月の光を浴びてより輝きを増した光源氏が帰っていくのを、屋敷の者たちは戸口という戸口から顔をのぞかせて涙にくれて見送った。

「明石まで行かれたら葵へのお心も隔てられてしまうだろう。ああ、源氏の君がもう都にいらっしゃらないとは。」

 返事を聞いた大宮はひたすら泣いた。


 光源氏は二条邸に帰った。今は何よりも若紫が気にかかるのである。


 二条邸の凋落は、左大臣邸よりも少し大きかった。

 侍所には人気がない。これは光源氏にお供をするつもりで珍しいお留守の間に大事な人との別れを惜しんでいるとも考えられるし、主が凋落したので気が抜けているとも考えられる。

 客もいない。かつては牛車や馬車が引きも切らず訪れていたが、今は源氏の君をおとなうだけでにらまれるので面倒がって誰も来ない。人目を避けてぼろぼろの牛車で来るという方法もあるのに、ばれたら怖いのである。

 女房達は極度の不安から、そこここにかたまって、必死に何かを話し合っている。今後の身の振り方を相談しているのであろう。残るのか出ていくのか。

 食事の部屋は隅に塵が積もって、座る畳はあちらこちらひっくり返されている。

(世の中は嫌なものだな。)

 光源氏はしみじみ感じた。彼が整理の行き届かない汚い部屋に暮らすのがいやであることくらい、女房達は知っているはずだが、光源氏が出ていくと決まった今はなんと信じられないことに掃除に手抜きをするのだ。

(私がいるうちからこれでは、いなくなったらどうなるのだろう。)


 朝早くから光源氏はさっそく若紫の西の対に出向いた。

 若紫は格子も上げない真っ暗な部屋の中に引きこもっている。縁側には小さな女の童たちが宿直をしていて、起きだしているところである。

(この子たちも大きくなって引き取り手がありそうになれば出ていくのだろう。)

 暗い気持ちになりながら若紫の部屋に行くと、若紫は沈み込んでいた。

「昨夜はどうしても行かなければならないところに挨拶に行ったら、思いもかけないことが起こって遅くなってしまったのだよ。引きこもっていたら皆から白状者だと思われてしまいまうから、こんな時でも出かけないわけにいかない。」

 光源氏はほかの女性の話を決してしない。

「あなた様が出て行かれること以上に思いもかけないことってあるでしょうか?」

別れを告げに女性のところを順に回っているが、これほど落ち込んでいる女性はほかにいなかった。

(無理もない。お父上の親王は、もともと疎遠だった。奥方のご意向を気になさって、ここに来てくださることもない。若紫も人の目を気にして手紙を出すこともない。

 奥方様は「幸せになったと思ったらすぐに幸せが逃げてしまう。かわいそうに。愛する人に次々別れる運命なのね」とおっしゃったそうだし、若紫は避けている。

 ほかに頼れるものもない。

 若紫は天涯孤独の身の上だ。私がいなくなったら、頼る相手はいないのだ。)

 光源氏の胸に憐みがわきおこった。

「許されるのがあまりに長くなるようなら、岩屋で暮らすことになったとしてもあなたを呼ぶよ。

 しかし今はよくない。謹慎するものは日の光月の光を見ることも、心のどかに暮らすことも許されないのだ。だから愛する人を連れていくなどことを悪くするだけだ。こんな狂った世の中で、風当たりがますますきつくなってしまうだろう。

 私は潔白だが、こうなる運命なのだ。」

 もちろん、謀反は潔白かもしれないが断じて前世の因縁ではなく、今世の行いのせいであるのは確かである。光源氏は日が高くなるまで若紫のそばにいた。


 頭の中将と帥の宮がお別れに来ていると聞き、光源氏は起き上がって直衣を着た。

 位も職も返上したので、無紋の直衣である。

 彼は鏡をのぞき、カジュアルな直衣を着たやや疲れた感じの自分が変わらず美しく高貴であることを確認した。

「やれやれ。ずいぶんやつれたな。やせてしまった。」

 言いながら彼は歌を詠んだ。

「たとえわが身がさすらっても壁にかける鏡のように、私の心はあなたのそばでいつも心にかけている。

(身はかくて さすらへぬとも 君があたり 去らぬ鏡の かけは離れじ)」

「別れても鏡の中のお姿だけでもとどまってくださるのなら、鏡を見れば慰めになります。

(わかれても 影だにとまる ものならば 鏡を見ても 慰めてまし)」

 若紫も歌で返した。柱の陰で源氏の着替える様子を見ながら泣いている。その美しさ、かわいらしさはほかの女性と比べ物にならない。

 来客は夕方に帰った。


 その夜はぜひ花散里の家に行かねばならなかった。光源氏の威光がなくなってから、花散里と元女御の姉妹も寂しい暮らしになっているのである。光源氏がいなくなればますます屋敷はさびれるだろう。その心細さもあるのか、花散里は何通も手紙を送ってきて最後にお会いしたいと頼んでいる。しかし若紫のそばを離れなければならないことが面倒である。ぐずぐずしながら夜も更けてから向かった光源氏は、まず花散里の姉の元女御に歓迎された。

「私のことも別れを告げなければならない一人に入れてくださるとは。」

 感涙する元女御と月のさしこむ寂しい庭を眺めつつしばらくおしゃべりするうちに夜もますます更けてしまうが、おとなしい花散里は「こんなに遅くなってはもう来てもらえないかもしれない」とじりじりしながら待っている。

 光源氏は忘れていなかった。おとなしい女性の部屋に、そっと入り込んだ。花散里はすぐにいざり出て、月の光の中に姿を現した。

 夜が明けるまで光源氏は花散里のもとにいて、泣きぬれて本当に顔の濡れている花散里を慰めながら、鶏の声に追われるように明るくなり始めた京の街を二条邸へと帰る。謹慎中のはずだが、彼は忍び歩きに慣れているのである。ばれなければいいのだ。暗ければわからない。


 さてここからが本番である。旅の準備をしなければならない。

 まず光源氏は屋敷を去らなかった忠義者の中から、人を選んで屋敷のことを任せる役職をすべて決めた。さらにお供として連れていくものも選ぶ。豪華な服と調度品は持って行かない。漢籍(漢詩などの本)の入った箱と、琴を一つ持っていく。須磨では都人として豪奢な暮らしの水準を保つ、ということはしないつもりである。

 さらに荘園(大事な収入源である)、屋敷や土地の権利書、税金を納めるための倉町、納殿、一切合切を若紫の管理下に置き、実際の管理はしっかり者の少納言(若紫の乳母)にこまごまと言って聞かせ、これにやはり信頼のおける執事をつけて、二人で当たらせることにした。若紫はまだ18歳で、世間も知らないし、賢いが補佐が必要である。少納言も執事も信頼できたので、勝手なことはしないだろう。それにそもそも、光源氏の威光が薄れた今、律儀に税金を納めてくれるのは、根っからの忠義者の一部の荘園だけで、それもほかの庇護者に頼らざるを得ないであろうから、減収は必至だった。

 もちろん行く予定の須磨の周辺の荘園の証書は手元に置いた。須磨は側近の良清の一族がその一帯の受領なので、もちろん良清一族から彼に上納されている荘園も多い。経済的にも政治的にも全く安定した場所である。貴族は自分の支配下にある場所にしか行かない。

 光源氏につかえている(お手付き女房の中務や中将も含まれる)女房や下人たちは、上も下も一切合切まとめて若紫の西の対に移らせた。特にお手付き女房たちは、「お姿を拝見できてこそ心も慰められたのに、いらっしゃらないとなったらいる意味がない」と思っているようなので、こちらから言って聞かせる。

「命があればまたこの屋敷に帰ってくることもある。待とうと思うものは西の対に移れ。」

 夕霧の乳母たちや心細い花散里の家にも、暮らしに困らないように手配を忘れなかった。生活の面倒も見てくれるところが、光源氏との恋愛で、女性が一番うれしいところだ。


 一番名残惜しく、逢いたいと思うのは朧月夜の尚侍である。反省などしていない光源氏は、無理をおして手紙を送った。いや、自分のために光源氏が何もかも失って須磨に落ちて行ってしまう今こそ、朧月夜の尚侍の恋情もピークを迎えているはずである。今こそ送らなければならない。


「逢う手段もなく涙の川に沈んだことが流れていく始まりでした。

(あふ瀬なき 涙の川に 沈みしや ながるるみをの はじめなりなむ)

 と思うばかりです。この罪は逃れがたく。」


 また見つかると今以上に大変なことになるので、詳しくは書かない。もちろん名前も書かない。女房の中納言あての手紙を装った。

 朧月夜の尚侍も大変な状況だった。一族の期待を二回も裏切った罪は重く、たとえ公式に罰せられなくても、彼女も四面楚歌の自宅謹慎の日々を送っていた。評判が悪くなったのは光源氏だけではなく彼女もである。これで帝との間に皇子でもいればこれほど風当たりは強くないのだが、彼女に子供はいなかった。光源氏の子供かもしれないという疑いが浮上する今、それは幸運かもしれなかった。

 きつい監視の目をかいくぐり、涙を流しながら返事を書く。


「また逢う日も待たずに消えてしまいそうです。涙川に浮かぶ泡のように。

(涙川 うかぶ水泡(みなわ)も消えぬべし 流れてのちの 瀬も待たずして)」


 気の毒に。色っぽさに恵まれ、頭の良さにも恵まれ、家柄にも恵まれ、決して甘やかされたのではない名門のストイックな教育を受けて教養にも立居振る舞いにも恵まれ、父右大臣の愛情にも恵まれてきた彼女は、春の宴の日にたまたま光源氏に釣り上げられてそれをそのまま受け入れたばかりに、その日からただ一途に光源氏を恋い慕ったばかりに、不幸な人生を送って苦しみぬいているのだった。


(見事な筆跡だ。すばらしい。この乱れがちなところがまた味がある。)

 本物の苦しみは光源氏を感動させた。

(もう一度逢いたいな。)

 反省のはの字もない彼はその可能性を探ったが、さすがに光源氏を不倶戴天の敵とみなす人々の巣窟のど真ん中に、今は四六時中見張られている朧月夜に逢おうとするのは無理だとあきらめた。


 翌日は父桐壺院のお墓参りで北山に向かう予定である。その前にまだ夜の明けていない月の暁に、光源氏は藤壺の入道を訪れた。

 今は僧門に入った藤壺は、以前よりも近しく、しかし顔を見せるほど近しくはなく、薄い御簾を隔てて直接話をしてくれる。

 話題は一番二人の気にかかること、残される冷泉皇子のことである。


 そうしていても優しく美しい気配が、御簾の向こうから感じられて、光源氏は何度か自分の思いのたけを訴えようかと考えた。しかし僧籍に入った女性に、嫌がられるだけだろうと自制した。

「このような目に合う罪は一つだけ心当たりがございます。私の身が死ぬとしても惜しくはございませんが、ただ皇子の御代だけが事無くすぎてもらえたらよいのです。」

「…。」

 藤壺にも身に覚えがある。光源氏の子供なのに桐壺の子供のふりをして皇子に立てた息子がいる。なので彼女は何も言えなかった。

 光源氏はすっと涙を流したが、口説くのはやめても依然その泣き方が色っぽすぎる。恋情を消そうとまでは思っていないのだ。

「ところで父の墓に参ろうと存じますが、何かご伝言がありますか。」

「…。」

 藤壺はすぐに返事ができなかった。

「添った方はこの世になく、この世にある方は悲しい境遇にあり、このような結末をみるとは、世を捨てたかいもなく、泣きながら暮らしております。

(見しはなく あるは悲しき 世のはてを 背きしかいも なくなくぞふる)」

 それ以上は言葉をつづけられないようだった。

 自分に対する恋しさを収めようとしてくださっているのかもしれないと、光源氏は座っていた。


 月のあるうちに藤壺の屋敷を出てお墓参りに向かう。

 5,6人のお供が付き従い、光源氏は馬の軽装だった。

 いつもの頼れる惟光は光源氏が立場をなくす前に受領の職をもらって任地に赴き、蓄財に専念しているはずである。しかし例えば蔵人のような首を切れる職はもれなく削られ、光源氏派の随身たちは、宮廷から追放されて、めでたくふたたび「手を出してはいけない女性に手を出して零落した光源氏」のお供をする栄誉に浴していた。ちなみに復帰のめどは未定である。承知の上で付き従っている者たちばかりなので誰も不服は言わないが、全員が悲しげである

「加茂の神社だ。」

 その一人、蔵人を首になり、もらえるはずだった従五位上ももらえず、そのまま宮中を出されてしまった右近の尉が馬を降りて下の御社を涙目で眺めた。彼は葵祭に出たのだ。その時は評判だった。

「引き連れて 葵かざしし そのかみを 思へばつらし 賀茂のみづがき

(連れだって 葵を髪にさした その昔を 思うとつらい 賀茂の御垣)」

 口に出せない思いを、思わずぽろりと歌にして口にした。

(確かに右近の尉はひときわ華やかだったな。)

 光源氏も歌を口ずさんだ。

「浮世には今はお別れします。残していく評判はただすの森の神にお任せいたします。

(浮世をば 今ぞ別るる とどまらむ 名をばただすの 神に任せて)」

 凛とした光源氏の姿に、若者は単純に尊敬を取り戻すのだった。


 草が生い茂る父の墓に詣でると、光源氏は父桐壺院の姿を思い出し、いろいろなことを涙ながらに訴えて、夕方肌寒くなるまで森の木立の中で過ごした。


 最後に挨拶するべきは実は実の息子である冷泉皇子である。

 宮中にいて、藤壺の使っている女房を訪ねて行って、桜の花と手紙、こまごまというべきことを伝えた。

 

「今夜都を離れます。最後にお会いできなかったことが何にもまして残念でございます。

 いつかまた春の都の花を見ようと存じます。時世を失った卑しい身分でありながら

(いつかまた 春の都の 花を見む 時失へる 山がつにして)」

 冷泉皇子は感慨深く散りかけた桜の枝を見ている。

「お返事はいかがいたしましょう。」

「ちょっとの間会わないだけでも恋しいのに、遠くに行ったらどうしたらいいのか、と伝えよ。」

 皇子は考えた末に言った。


「頼りないお返事だ。お手紙はないのか。」

「それ以上のことはおっしゃいませんでした。大変心細そうでいらっしゃいました。」

 光源氏はそれを聞いて、初めてわが子を見捨てていくことになってしまうことを後悔した。朧月夜の尚侍に手を出さなければこんなことにはならなかった。余計なことさえしなければ、わが身も皇子も何の物思いもなく過ごしていけたというのに。自分の心ひとつでこの運命は変えられていたような気がした。全くその通りである。

 またお帰りになる時を心待ちにしておりますと言って泣く女房としばらく話したのち、退出した。

 御殿で話しかけるものは一人もいない。

 光源氏の姿が美しかろうと、哀れを誘おうと、過去に恩顧を受けていようと、話しかければにらまれるのである。


 光源氏は出発の間際まで若紫としみじみと語り合って、夜更けに二条邸を出た。光源氏は旅支度なので、狩装束の狩衣である。

「月が出てるな。ちょっと端のほうまで出て見送ってほしい。言いたいことがたくさんできるだろうな。一日二日離れていてさえ心もとない気持ちがするのだ。」

 光源氏は御簾を上げて、縁側に寄るように促した。泣いて沈んでいる若紫は、ためらいがちに月光の当たる場所へいざり出た。やはり美しい。


「生きている間に分かれるとも知らないで命の限り愛するとよく約束したものだ。」

「命に代えて少しの間お引き留めできるのでしたら、この命は惜しくはありません。」

(本心だろうなあ。)

 光源氏の哀れみは募った。自分のいない間、若紫はどのように生きていくのだろうか。しかし明るくなれば人目についてしまうので、振り切って光源氏は旅立つのだった。


 若紫の面影に胸がふさがれる心地がしながら船に乗る。振り向くと来た山はもう遠くにかすみ、遠くに来たという気がした。櫂が水をかく音すら耐え難いのだった。



 須磨に着く。光源氏の住みかとして準備されたのは山奥のひなびた屋敷である。

「在原行平どのが『わくらばに 問う人あれば 須磨の浦に 藻塩垂れつつ わぶと答えよ(たまたま 私の消息を尋ねる人があれば 須磨の浦に 藻塩を垂れながら(=涙を落としながら)辛い暮らしをしていると答えてくれ)』と詠んだ屋敷はこの近くでございます。」

 説明を聞きながら光源氏は近隣の屋敷を眺めた。茅ぶき。葦ぶき。見慣れない小屋である。

「わたり廊下に似ているな。」

「お任せください。近くの荘園の者たちを召し出し、改装させます。」

 冷や汗を浮かべた良清は執事と協力し、近隣の荘園の責任者たちを呼び出して、熱心に話し合っていた。

「大丈夫だ。珍しいのだ。」

 光源氏は進んでどこに植木を植えるか、遣水を流す道筋はこうだと、指図をし、たちまち仮の宿を光源氏の水準にふさわしい落ち着きどころに変えた。結局「ひなびた生活」も、源氏の君の我慢できる程度でなければならないのである。

 受領は右大臣一派ににらまれてはいけないが、さりとて光源氏の引きがあって受領に慣れたので、ぜいたくな食料品、着物の類をこっそりと絶え間なく届けた。

 これで衣食住には不自由しない。光源氏の基準から言えば最低限のレベルだが、不自由はない。一番困るのは話せる相手がいないことだった。


 暮らしが落ち着いてくると、光源氏はさっそく文通を開始した。

 長雨に降り込められたつれづれ、まず送るのは、藤壺と若紫である。もちろんついでにほかの女性方にも送りたい。切手を貼ってポストに投函という制度がないので、お供を一人送るのだ。まとめて持たせるべきである。



「松(=待つ)島の海女(=尼)はいかがお過ごしですか?須磨の私は塩垂れて(=泣いて)います。」

 受け取った尼の藤壺は心がかき乱されるのを感じた。少しでも愛情を見せれば、それをもとに人が冷泉の素性を疑うかもしれない、と恐ろしくて、愛情を表に出さないだけで、たった一晩の逢瀬で身ごもった彼女は、本当は光源氏を愛していた。手紙も普段はすげなくするが、今は手紙がうれしく、いつもほどそっけなくできない。

「しおたるる ことをやくにて 松島に 年ふるあまも 嘆きをぞ積む

(塩垂れて藻塩を焼くことにしている松島の年取った海女=泣くことを仕事にして待っている年取った尼は嘆きを積み上げるばかりです)」



 朧月夜の尚侍にも女房の中納言あてに装って手紙を送る。

「つれづれにつけて過去のことが思い出されます。

 

懲りずにあなたの面影が見たいのですが、あなたはどうですか。

(こりずまの 浦のみるめの ゆかしきを 塩焼く海女は いかが思はむ)」


「浦で塩を焼く海女にさえ隠さなければならない恋ですので、思いの火が募ってもこの煙の行く先はないのです。

(浦にたく あまだにつつむ 恋なれば くゆるけぶりよ 行く方ぞなき)」

中納言の返事の中に、尚侍の歌が交じっている。同封されている中納言の手紙には朧月夜の尚侍がどれほど悩み苦しんでいるかがつらつらと書かれている。

(気の毒に。)

 原因男はしみじみかわいそうに思った。

 朧月夜の尚侍は自宅で自主謹慎させられていたが、右大臣家の威光であちらこちらをだまらせ、ちゃんとした宮仕えでなく、あくまでも「尚侍」という役職なのだから罪ではないということになり、7月、再び宮中に上がることになった。帝は悪い噂をものともせず、朧月夜の尚侍を寵愛し、時には光源氏の名前を出して軽く恨んだりもするが、帝も光源氏の兄であり、似ていなくはないのだし、何よりも浮気の後でまだ愛情が続いているというにもかかわらず、朧月夜の心から光源氏が離れきることはない。ついつい光源氏を思い出してしまうたびに、彼女は申し訳なく思っていた。

 実はそれが顔に出ていたので、帝のライバル心を刺激して、寵愛はやまなかった。



 花散里も忘れてはならない。

 彼女と姉の元麗景殿の女御は手紙を山ほど書いて使者に託していた。光源氏も寂しく心細いのは同じなので、その手紙は慰める。


「荒れまさる 軒のしのぶを 眺めつつ しげくも露の かかる袖かな

(荒れてゆく軒のしのぶ草を眺めながら忍んでおります。頻繁に雨が落ちる袖(=涙にぬれる)です。)」

 光源氏はこれを読み、これは歌だけではなく、本当に家の屋根が雨漏りしているのだろうと思った。「梅雨のせいで垣根もところどころ壊れておりました」と使者が報告したからである。彼は返事の代わりに、近くの荘園の者に花散里姉妹のお屋敷を修理するように言いつけた。



 手紙といえばぜひ返事がほしいのは、字のうまい六条の御息所である。彼は伊勢まで使いを走らせた。ところが返事を待つ前に、御息所の方から便りが来た。御息所の忠実な部下が、伊勢から、うわさで聞いただけの居所を頼りにして、あちこちで尋ね回って届けに来たのである。こまごまと愛情深く書かれた手紙は、中国製の白い紙を四五枚つなげて、巻物にしている。光源氏が自分というよりも自分の字をむしろ愛していることを知る彼女は、物思いをそのまま書きつづりながらも特に美しい配置を心がけて書き、「墨付きまで美しい」と光源氏を喜ばせた。


「まこととは思えないご住所をうかがって、夢かと思いました。眠れない夜を過ごし、闇から抜けきれぬ私の気の迷いかと。それでも長くお暮しになることはないと存じますが、罪深い私だけは、またお会いできるのははるか先のことでございましょう。


浮き芽刈る(憂き目) 伊勢をのあまを 思いやれ しおたるという 須磨の浦にて

(浮き芽を刈る伊勢の海女、憂き目にあっている伊勢の女を思いやってください。泣いているとおっしゃるその須磨の浦から)」

 さらにながながと御息所の情念がつづられ、最後に歌が添えられている。


「伊勢島や 潮干の潟に あさりても いうかいなきは わが身なりけり

(伊勢島の 潮の引いた浅瀬で アサリを漁っても 貝がなく 思うかいもないのは わが身です)」


 今までとは異なり、御息所の年上コンプレックスはでてこなかった。ただ光源氏を思うもの狂おしい情念だけが手紙の中から伝わってくる。そんな風になりふり構わなくなった御息所を、光源氏は改めて愛しいと思った。須磨に移ったというだけで、使者に何か月も居場所を探させ、手紙を届けさせようとまで思う女性は彼女しかいない。今やその情念は前面に押し出されている。


(昔は愛していた時もあったのに、ちょっとした間違い(=正妻を取り殺した)というだけで少しの間疎ましく思って、あの人も離れてしまったのだ。)

 光源氏は今さらながら御息所の愛情を貴重なものだと感じた。この気の利いた手紙のサプライズも彼女ならではのことだ。

 使者さえいとおしく思えるので、二三日滞在させ、本来なら直接言葉を交わせるほどの身分ではないが、若くてなかなか雰囲気のある侍で、近くに寄らせ、御息所の暮らしぶりを語らせた。御簾越しとはいえ、本来なら縁側にも上がれず、庭で主人の用をひたすら待つばかりの侍が、ほのかに光源氏の姿を拝めたので、使いは感激して涙を落としている。


 もちろん使者には返事を持たせて返す。

「このように世を捨てる身分だとわかっておりましたら、同じことなら伊勢にあなたを追っていきましたものを。」

「伊勢人の 波の上こぐ 小舟にも 憂目はからで のらましものを

(伊勢人が 波の上でこぐ 小さな船にも 浮き芽(=憂目)を刈るのではなく 一緒に乗りたいものでした)」

「海女が積む投げ木…嘆きを積み上げた中で泣きながら いつまで須磨であなたを思えばよいのでしょうか。いつお逢いできるともわからないので物思いが余計に深まります。」

 と、結婚とかそういう話は一切しない大人の恋愛に発展したのでさらに楽しめるようになって返事も細やかに長くなる。

 光源氏はどの女性もおろそかにはしない。彼にはいつでも凝った甘いささやきを返す用意がある。

 左大臣家の夕霧にも、夕霧の乳母にも手紙を忘れなかったが、こちらは左大臣家がついているのでそれほど心配はしていない。


 もっとも気にかかり、もっともしげしげ手紙をやり取りするのは、若紫である。

 光源氏が行ってしまってから、若紫は起き上がれなくなった。光源氏が使っていた調度品、いつも弾いていた琴、脱ぎ捨てていった衣の移り香。そんなものを手元においては果てもなく恋しがっているので、仕える人々は不安を抱いていた。もはや光源氏がこの世にいないかのようで、心細さが増すばかりである。

 心配した乳母の少納言は二か所で僧侶に祈祷を依頼した。一つは光源氏が早く戻ってこられるように、もう一つは若紫が早く心を鎮めて以前の夫婦に戻れるようにである。

 

それでも若紫は須磨用の夜具と着物を調えた。

無位無官なので平織の紋なしの生地で簡略服の直衣(上着)と指貫(ズボン)を縫い上げるが、今まで仕立ててきた衣は紋付のものばかりなので、若紫はもう光源氏は戻ってこないのではないかと不安に感じた。

行く前に「鏡のようにいつもあなたを心にかける」と言っていた鏡を肌身離さず持ってみるが不安がやまない。いつも背もたれにしていた柱を見るだけで胸が苦しい。物の道理がわかっている世慣れた年齢の人ですら、光源氏の不在を寂しいと感じているのに、ましてや若紫は幼いころから毎日のようにともに過ごし、父ともなり母ともなって育ててくれた人なのである。恋しいのも無理なかった。

もしものことがあったときは言うまでもないとして、忘れ草が生えてくるのではないか(=若紫のことを忘れる)、近いというけどいつまでと決まったお別れでもなし、と、若紫の物思いは光源氏の帰る日までたぶん続くのだ。


若紫の返事はこまごまと書きしたためられ、最後に歌が添えられていた。

「浦人の 塩くむ袖に 比べみよ 波路隔つる 夜の衣を

(海岸の民の 塩を汲む袖と 袖を比べてみてくださいどちらが濡れているか 海に隔てられている 私の夜の衣を)」

 若紫の仕立てた直衣・指貫がある。

 

 平安時代、妻が最も手腕が問われるのは夫の着物である。

 平安時代の女性は引きこもっているが、それは縫物をしているためもある。着物は洗うのにも分解して縫い直す手間がいるし、仕立てるにも白布を染めるところから始まる。もちろん仕立て方も美しくなければならない。光源氏はお金があるので、着物は何度も着て古くなれば新しくするが、そうでない身分の者の妻は生地をなるべく傷めないような洗い張りができなければならない。下着も縫わなければならない。自分でできなければできる女房を探して雇わなければならないのである。

 若紫の用意した着物は布地の染め方も、仕立ての丁寧さも、きれいで美しかった。

(何をさせても文句のつけようがない。今はほかの女性もいないし、二人きりで心置きなく過ごせるというのに。)

 光源氏は何日も若紫を呼び寄せようか迷ったが、「女性を呼び寄せたら謹慎にならない」という当然のことに思い当って思い直した。人里離れていても、光源氏のあらはすぐに右大臣一派に伝わるだろう。忘れられるまで読経に励んだ。


 光源氏が須磨に来た桜の季節から、時は移って8月(旧暦7月)、帝は朧月夜の尚侍を隣に侍らせて管弦の遊びを行っていた。光源氏の演奏がないことは演奏会の質を大きく落としていた。

「あの人のいないのが寂しいね。そう思っている人は多いだろう。光が消えたようだ。ね?」

 朧月夜の尚侍は努めて平静を装っている。

「父上のご遺言に背いてしまった。子として大きな罪を犯しているのだろうな。」

 朱雀帝が涙を浮かべるので、朧月夜の尚侍はこらえきれず自分も泣いた。

「私は長く生きていたいと思っていない。だけど君は僕が死んだところで、須磨に行った光源氏の方を恋しく思うほど僕のことを思ってくれない。僕は光源氏よりも下に思われているんだ。そうだろう?悔しいことだ。」

 朧月夜の顔をのぞきこみながら、いつもと違って本心からのお言葉のようなので朧月夜は朱雀帝にそんな悩みを抱かせた自分が申し訳なくて、ほろほろと涙をこぼした。

「ほら。僕のための涙かな?また彼のことを考えているね?僕がこの態度だから、しばらく帰ってこられないと思って。

 君に皇子ができないことが寂しいのだ。いっそのこと父のご遺言通り冷泉を養子にしたいのだけれど、できなくてね。」

 朱雀帝には光源氏にはない誠実さという長所があるのに、若い朧月夜はその値打ちがわからない。そして、帝といっても彼は操り人形で、決して楽しい人生ではない。


 そのころ須磨には秋風が吹いていた。在原行平が「関吹き越ゆる」といった浦波を光源氏は夜とても間近で聞くことができた。秋も都の秋とは全く趣が異なる。

 仕えるものも多くない夜、一人目を覚まして「遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聞き 香炉峰の雪はすだれを掲げて見る」という白氏文集の実践で、枕をそばだてて四方から聞こえる嵐の音に耳を傾けると、波が自分のところまで来るような気がする。泣いているつもりはないのに、枕は涙でびしょぬれである。気を取り直して琴をかき鳴らしてみるが、嵐のものすごみが増す。

「恋しくてならないから、泣いているような浦波の音も、恋しい人のいる方角から吹いているのだろうな。

(恋わびて なく音にまがう 浦波は 思ふ方より 風や吹くらむ)」

 琴をやめて朗々と歌を詠んでみると、身近で仕える者たちは起きだしてその歌をほめちぎり、自分も耐え切れずにこっそり泣いて鼻をかんだりするのだった。


(本当は私のことをどう思っているのだろうな。私の不始末のせいで親兄弟から離れて、片時も離れていたくない妻子とも別れて、こんなところでさまよっている。)

 光源氏は今更ながら自分についてきたお供たちを気の毒に思った。

(とにかく私が沈んでいては心細いだろう。)

 光源氏は気分を変えて、昼間はとにかく何かすることにした。


 まずはいろいろな紙を出して心に浮かぶ古歌、自分で詠んだ歌を書きつける。

 そのあとは貴重な輸入物の綾絹に、墨で様々な絵を描いた。

 屏風に貼るための絵など、見事なものである。

 かつて部下たちから聞いていた山海のありさまを、今は間近で見ることができるのだ。光源氏は磯の風景をつぎつぎに見事に書き表していった。

「近頃評判のいい千枝か常則を呼んで彩色させたいものですなあ。」

 このような鄙びた田舎で目にする一流の絵、部下たちはにぎやかに光源氏の絵を眺めて楽しんだ。この四五人の部下は光源氏の美しさと優美さに心酔し、冷遇をものともせず付き従っているお供たちである。

 夕暮れの雁を見ては「恋しい人のもとへ帰る」という題で歌を詠みあい、前栽で花を眺める色っぽく着崩れた光源氏を見ては感激し、光源氏が念仏を唱える様子を見ては尊敬を新たにし、月を見て物思いに沈む光源氏を見ては涙した。その完璧な光源氏がことあるごとに「私にはまったく罪はない」というので、誰の心からも、「もとはと言えば光源氏が朧月夜の尚侍に手を出したせいだ」という事実は消え去って、人の心は離れなかった。


秋には大宰府の次官が京に上る途中であいさつに来た。彼は光源氏の引きで職に就いたのである。息子は筑前の守も同道している。彼も若いころ光源氏に仕えて目をかけてもらった口である。

「都に戻ったら参上して都の動静などをお教えいただこうと存じておりましたのに、まさかこのような田舎に逼塞していらっしゃるとは、思いもかけない世の中でございます。

 土地の者の目に留まって都にうわさが伝わるといけませんので、このままお仕えできないことをお許しくださいませ。またの機会に、ゆっくりとご挨拶申し上げます。」

 次官は帰ったら右大臣一派に寄っていくつもりであるが、光源氏も無視したらよくないことが分かっているので、完全には切り捨てず、二股をかけていくつもりである。

息子の筑前の守はただ泣いている。

「都を離れてから親しい人に会うのが難しいのだ。わざわざ立ち寄ってもらえてうれしく思う。」

 光源氏の方から声をかけてやると、昔目をかけてもらっていただけに、光源氏の境遇に同情することしきりである。船に帰ると、家族に光源氏のお住いの哀れさを熱を込めて語った。


二人には妻や娘が大勢付き従って、光源氏の近くに寄れる晴れがましさに真っ赤になっていた。お目に留まろうと、須磨に向かう船の中から衣のしわを伸ばしてどきどきして、お屋敷近くで船の中まで琴の音がかすかに漂ってくると、感激して泣いている。父親は光源氏の手の早さを知っているので、絶対に妻と娘を光源氏に見せるつもりはないのだが、その中で「五節の舞姫」にも選ばれた美人の娘は、父親の知らないところで光源氏に歌を送った。


「あなた様のことをお慕いするあまり、琴の音にも引き止められ、引綱のようにふらふらと心があてもなく揺れております。

(琴の音に ひきとめらるる 綱手縄 たゆたふ心 君知るらめや)

 どうか歌を差し上げる無礼をお咎めくださいませんように。」


 光源氏はほほえましくその手紙を読んだ。五節の舞姫として器量を貴族たちの前にさらしたからには、さぞ大勢の貴公子がこの子に言い寄っているに違いないが、やはり光源氏の美しさとは比べ物にならないだろう。古今集の歌を本歌取りしている。(「いでわれを 人なとがめそ 大船の ゆたのたゆたに 物思ふころぞ」)ならばこちらも古今集まぜて返すのが、ほかの貴公子たちとの格の違いを示す良い機会である。


「心ありて 引手の綱の たゆたはば うちすぎましや 須磨の浦波

(本当に心があって 引手の綱のように心が あてもなくゆれているのなら 素通りはしないだろう 須磨の浦波を)

 全く古今集に「思ひきや ひなの別れに おとろへて あまのなはたぎ いさりせむとは」というように海で漁師をしようとは思わなかったよ。」


 五節の舞姫は本当に残りたいと思いながら父親にひかれて都に帰るのだった。



宮中でも人望が厚かったので、皇族の中には漢詩のやり取りをして、その詩が人の口に上って評判を上げることもあったのだが、弘徽殿の女御の耳に入ってぴたりとやんだ。

「公の怒りに触れて謹慎しているものは面白く暮らしてはだめなんだよ。趣向を凝らした家を作ったり世の中に不平を言ったりね。

 全く世間も鹿を馬と言う追従のバカばかりだ。」

 これ以降光源氏と手紙のやり取りをしてそのことが外に漏れたら弘徽殿の女御にバカの烙印を押されることが決定して、誰も手紙を送らなくなった。

 しかし彼女は知らなかった。そうやって圧政を敷けば敷くほど、人々の目には光源氏が弘徽殿を止める救世主に見えるということを。こうして彼女は光源氏に対するあこがれを、人々のうちに着々と育てていく。


 二条邸では若紫が光源氏を恋しがりながらも、しっかりと家中を治めつつあった。

 光源氏に言われてこちらに移った女房達も、最初はそれほどの人とは思っていなかったのだが、若紫の思いやり、生活上の配慮は行き届いており、女房達に偉そうにすることもない。身分の高い女房には時に姿をちらりと見せることもある。これは信頼の証である。女房達は一人も欠けることなく、若紫を中心にまとまっていた。

「あれだけのご愛情も無理もないわね。」と女房達は見た目だけでなく中身も認めざるを得ない。


 明石は冬景色となった。もうすぐ一年がたとうとしている。

 光源氏はさすがに耐えがたく感じるが、間近で見る庶民の姿や、塩焼き、柴焼の煙を珍しく思って歌を作ったりして、なんとか自分を慰めていた。

 合奏しても寂しさを胸中に持った光源氏の琴は冴えわたり、お供たちは演奏をやめて聞き入る。

 西へ向かう雁を見ても都が恋しくて涙が出る。

 若紫が恋しいのだが、とても呼び寄せられない。


 そんなころ、お供の一人の良清は、せっかく須磨に来たのだからと、せっせと明石の姫君に手紙を送っていた。彼は明石一帯の受領の息子であり、明石の入道にとってこれ以上の縁談はないはずだが、高望みの明石の入道が光源氏のことを聞いたら自分など婿として迎えようとは思わないことを分かっていたので、巧みにその話題を避けていた。しかし明石の入道はちゃんとその噂を耳にしていた。しかも良清が思っている以上に詳しく調べていた。


「須磨に光源氏と呼ばれる御方がいらしているらしい。桐壺帝の更衣腹の皇子で、光り輝くから光源氏と呼ばれているらしい。帝のご勘気をこうむって須磨に謹慎なさっているとのことだ。おい、お前。これは娘の運命に違いない。娘をあの方に差し上げよう。」

「でもあなた。都の人の噂によれば、源氏の君は身分の高い美しい妻を大勢持って、それだけで飽き足らず帝の御妻とまで過ちを犯して、それほど騒がれる方がこんな田舎の娘をお気に留めてくださるでしょうか。」

「お前にはわからん。考え方が違うのだ。とにかく、その心づもりでいよ。ここになんとかお越しいただくからな。」

「よりによって縁の始まりに罪で流された人をお考えになるなんて。たぶんお気にも止められませんよ。遊びでも鼻にもひっかけてくださらないと思いますよ。」

「罪に問われるのは、大陸でも日本でも、人よりも抜きんでて目立つものをお持ちだからなのだ。

 あのお方がどなたか知っているか。亡き御母の御息所は私の叔父の按察使大納言の娘だ。誰もが無理だと思っていたのに宮仕えに出したところ、帝があまりにもご寵愛になるので妬まれて亡くなってしまったのだ。だが源氏の君がお生まれになっていたことは喜ばしい限りだ。おい。女は志を高く持て。田舎者だからとあきらめるんじゃない。」

 娘は器量は素晴らしくはなかったが、落ち着いて雅やかな様子、教養を感じさせる受け答え、最上の教育を受けさせてきた娘は高貴な姫君に劣るものではないと明石の入道は思っていたし、頑固者なので誰にもその考えを変えさせることはできなかった。明石の入道が「娘は高貴な人に嫁ぐのでなければ入水させる」と言えば、娘が天寿を全うしたいと思っていても、間違いなく入水させられるし、「源氏の君に差し上げる」と言えば、母娘ともにあんな方は女の幸せからは程遠いお方だと思っていても、間違いなく差し上げられるのだった。


 明石の入道は、さっそく娘に言い寄っていた良清に、「直接お会いしてお話したいことがあるから来てほしい」と言ってやったが、今まで一度も返事をくれなかったのにいきなり来てほしいと言われた良清は、本能でこれは自分に娘をくれるという話じゃないぞと察知した。最上の婿である受領の息子に、一度も返事を出さない高飛車な態度も気に食わなかったので、彼は誘いに乗らなかった。手紙をやるのもやめて、向こうから泣きついてくるのを待つことにした。明石において自分以上の婿がねなどそうそう見つかるものではないのだ。

「だめか。源氏の君につないでほしかったのだがな。まあよい。つてなどなくても直接知り合いになればよいのだ。」

 決してあきらめない明石の入道は、とにかく住吉神社に娘をお詣りさせて、神のご加護を祈らせた。そして機会を待った。


 年が明け、しばらくたった二月(太陽暦で3月)、右大臣の天下だが娘婿なので自分も出世して宰相になった左大臣家の御曹司、頭の中将が、お忍びで一晩語り明かしていった。


 三月(太陽暦で4月)、光源氏は人から勧められて厄落としの禊を行うことにした。海に人型を流すのである。雇った地元の陰陽師に祈らせて、差し渡された間に合わせの布を張り巡らし、人型流しの儀式を行わせながら、光源氏は海を見ていた。


「やおろずの 神も哀れと 思うらむ 犯せる罪の それとなければ」


 流罪になるほど悪いことしたと思っていない光源氏がつぶやくと、途端に強風が吹き、空が曇り、人型流しはとてもできるありさまでなくなって、激しい雨も降ってきた。傘もない。海には雷がなり、大きな波も押し寄せる。やっとの思いで屋敷に帰りつき、急な高潮だと人々が大騒ぎする中、光源氏は落ち着いて読経をしたが、嵐は夕方まで続いてやっと小やみになった。


 その日光源氏は夢を見た。

 竜王が自分を海中に呼び寄せようとする夢である。願を立てたので生贄を要求されたのだと光源氏にはわかった。その生贄は神も魅入られると陰口をたたかれた美しい自分である。ちょっと歌を詠んだだけで竜王に気に入られて大波が押し寄せる。こんな恐ろしい場所にいなくてはならないのだ。何も悪いことをしていないのに。

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