花散里(はなちるさと)

 やがて右大臣の号令に基づき、朧月夜の尚侍は謹慎処分、光源氏は官職一切合切すべてはく奪という処分が下された。それで終わりではなく、右大臣一派はさらに光源氏の政治的息の根を止めるべく、流刑を下してやろうと水面下で活動を続けていた。

 藤壺の判断は正しかった。一度でも光源氏を受け入れれば、夫のいない今、彼は何度でも通ってきたであろうし、いくら用心していても回数が重なれば、朧月夜のようにいずれは露見していただろう。


 光源氏の心のなかは平穏だったことはない。人知れず恋しさにいつも心の奥で悩んでいたが、今は政治的状況にも悩まされてさすがに世の中が嫌になりかけていた。

 父桐壺院には麗景殿と呼ばれた妃がいた。妃たちの中でとびぬけて美しいというわけでも、寵愛が特別だったわけでもない。しかし穏やかで優しい人柄が愛されていて、桐壺院もしげしげ通いはしなかったが心の中の愛する妻の順位からすれば、上位にいた。子供もいなかったので桐壺院崩御の後は頼りもなく、ひどい暮らしをすることになるところだったが、父が麗景殿をおろそかにはしていなかったことを覚えている光源氏がとぎれとぎれにご機嫌伺に行き、今は光源氏の庇護のもとにあった。実は妹の「三の君」が、宮中の麗景殿に出入りするうちに光源氏の目に留まってしまい、恋人になったので、ついでに彼女に逢っていた。父の院と同じく、姉に似た穏やかなその人柄を愛していて、普段はほったらかしにしてろくに会いに来ず、かといって正式な妻にして公の身分を保証してあげるでもなかったが、やはり心の中の順位は高くて、光源氏は彼女を信頼していた。


 今のように四面楚歌で、今まで寄りかかっていた身分も地位もすべて失いそうな身の上になると、彼女に会いたくなり、五月雨の降り続く中、珍しく晴れた日を選んで会いに行った。



 お供を少なくし、身なりも粗末にして、仮にも罰を食らってこのうえ島流しにあうかどうか審議中という最中に出歩いているなどとは気づかれないように気を付けて、麗景殿の住まいに向かう。

 途中中川を通り過ぎるころ、和琴をにぎやかにかき鳴らす住まいを通りかかった。音楽の好きな光源氏が牛車から顔を出して門の中をのぞいてみると、桂の木が風に揺れている風情に葵祭の時の情事がよみがえった。

「おや。ここは一度だけ通った家だ。」

 思い出した光源氏は、「ずいぶん前だったからな。」と思いつつも気が惹かれて素通りしがたく迷っていると、ちょうどほととぎすが鳴いた。

「『夜や暗き 道やまどえる ほととぎす 我が宿をしも 過ぎがてに鳴く

(古今集:夜が暗くて 道に迷ったのか ほととぎすよ 私の寝る宿を 通り過ぎながら鳴く)』だな。通り過ぎるなと言って鳴くのか?


「をちかへり えぞ忍ばれぬ ほととぎす ほの語らいし 宿の垣根に

(舞い戻って 恋しさに耐えかねている ほととぎすです かつてわずかな間だけ語り合った 家の垣根におります)」


いい歌ができたな。おい惟光。」

 光源氏は惟光に手紙を届けさせた。

 惟光が屋敷の中に入ると、西側の縁側に若い女房が集まってかっこいい貴公子の出現に色めきたっている。前回橋渡しをしたのも惟光だったので顔見知りだった。

「さあ、昔聞いたほととぎすの声は確かにいたしましたが、雨が降って(泣いて)ばかりで曇っておりますので、お姿がよく分かりませんなあ。」

 女主人は返事をした。

(この言い方は来てほしそうだな。)

 惟光は察知したが、主人のいつもの癖とはいえ、こんなところで寄り道して元女御の麗景殿様を待たせたくなかった。

「『花散りし 庭の梢も 茂りあいて 植えし垣根も えこそ見分かね

(紫明抄:花が散って 庭の梢も 茂っているので 花を植えた垣根も 見分けられない)』つまり見分けがつかないという事ですな。」

 と言って残念そうな女主人をほったらかしにして、さっさと光源氏に報告した。

「そうか。こういう時、五節を舞った筑紫の長官の娘は、かわいい対応をしたのだがな。」

 光源氏の女性遍歴は大勢になるが、彼は心に残れば一人も忘れないのだ。気の休まる暇がないだろうと他人から見れば思う。


 

 麗景殿のお屋敷では、光源氏の予想した通り主人を見限った使用人たちが大勢出て行ってしまっていて、中はしんと静まり返っている。

 まずは女御様のもとでお話をする。話題は桐壺院の在位中のころのことになった。

 遅い陰暦二十日の月が出て、庭の木陰は黒々と見える。橘の香が立ち上る。女御の姿は、年をとっても気品があってかわいい。

(『五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする

(古今集:五月を待って咲く 花橘の 香りをかぐと なつかしい人の 袖の香りがする)』)

 有名な歌を思い出し、「桐壺院もこの方のことを心安らぐ懐かしい人だとおっしゃっていた」と思い出すと、つい在りし日を思い出されて涙がこぼれる。


 そのとき来る途中でも聞いたほととぎすがここの家の垣根でも鳴いた。

(私を追いかけてきたのか。)

 今度は万葉集の歌を思い出した。

『たちばなの 花散里の ほととぎす 片恋しつつ 鳴く日しぞ多き

(万葉集:橘の 花が散る里の ほととぎす 片思いをして 泣く日が多い)』


 光源氏は歌を詠んだ。

「橘の 香を懐かしみ ほととぎす 花散里を 尋ねてぞ訪(と)う

(橘の香を懐かしく思い、ほととぎすが花散里を探して訪ねてまいりました)」


 女御は答える。

「人目なく 荒れたる宿は 橘の 花こそ軒の つまとなりけれ

(人もなく 荒れた宿には 橘の 花が軒端に咲いて あなたが訪れになるつま(=きっかけ)となりました)」


 これを期に穏やかな麗景殿の妹は「花散里」と呼ばれることになった。


 光源氏は帰るついでという体で、さりげなく花散里の部屋をのぞくと、花散里はめったにないお越しと、光源氏の美しい姿に、日頃の辛さを忘れるのだった。つらつらといつものように優しい言葉をかけるのも、全くの嘘ではない。中川の女性と同じく冷たい扱いを受けても、彼女は心を変えることなくいじらしく待っている。その上高貴な生まれなのだ。いつどこでだれに心惹かれているか分からない光源氏を、「あの方は心変わりしない。私のこともちゃんと愛してくださっている」と待っている女性が、光源氏は大好きだった。富の偏在の激しいこの時代には、高位の男性には何人の妻でも養える財力と政治力があり、逆に地位の低いものは食べること着ることにも事欠いたので、高位の男性が下位の女性を何人も妻にするのは女性とその家族の側にとっても都合のいいことだった。

 自分は死ぬほど愛する女性がいても他の女性で埋め合わせするが、女性には自分一人を守って一途に待つことを期待する。それが光源氏である。

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