終着点
「鳶田院長。加害者のお話を聞いてきました。確かに全く要領を得ない上、ちぐはぐです。訳が分かりません。正気で作り話を話しているのか、或いは精神が壊れてそのお伽話を本気にしているのか・・・。
「ユウキ検事。その問いに答えるなら彼女は本気だよ。あの手記は『彼女と彼の旅行記』なのだよ。彼女が1人で綴った、ね。」
「は、はぁ、一人で二役の手記ですか。私は彼女を罪に問うべく依頼を託され、此方へ来ました。が、確かにあの様子では、とてもではないが難しいですね。鳶田院長」
「でしょう、検事。彼女という人格はすでに直ることはない、壊れてしまっているのです。」
無機質な白壁、本棚、変哲のない診察室。机上には枯れかけの花が鉢に佇み、隣には監視される叶和乃が映るPCがあった。
「黒久叶和乃。事件当時26歳、茨城県つくば市出身。5年前の7月11日に幼馴染の津王真央、同じく当時26歳の彼を殺害。
当時の事件の流れは、街中で出会った後、二人は被害者の家へ向かいそこで事件が起きたものと思われる。死因は背中から胸を包丁で一突き、殺害理由は不明。
殺害後はすぐに手足を切り離し解体。大型トランクに詰めて京都へ逃亡。
4つの手足をそれぞれ清水寺、荒木神社、桂離宮、金閣寺にばらまくが、桂離宮のもののみ、焼けきっていた。解体と一部火葬の動機や意図は今なお不明である。
事件発生3日後、異臭に気付いた旅館の女将が部屋に侵入すると、胴体と首のみになった被害者を、抱く彼女を発見。その場で即刻逮捕。
成程、見返せば見返すほど不可解な事件ですね」
ユウキ検事は首を傾げながら、読み上げった調書を机に置いた。
「検事さん、起こった事柄自体は非常に明快だよ。
ただ、女がずっと愛した男を衝動的に殺して、バラして、バラ撒いた。
バラバラバラに撒いたその地は二人が初めて互いを異性と認識したであろう場所。僕には理解しかねるけど、なんともまぁロマンチックなお話じゃないか。院長は涙が止まらない」
まったく泣く素振りもなく嘘くさい笑みを浮かべながら、事実を淡々と鳶田は語る。
それを受けて若干苛立った目つきで椅子に深々と座りながらユウキは言葉を返す。
「そんなことは判っていますよ、院長。ですがねぇ、僕は。この事件の判らないポイントが幾つもある。
先ず先ほど仰ってた彼女の語る思い出話と手帳の旅行記。あれは一体なんなのですか。」
「あれかい?あれはね、彼女の無意識がつくった殺人の記録だよ。彼女の精神が二つに分裂して、役柄をずっと演じてたんだ。旅行記を見る限りは二人旅のようだけど、きっと実際周囲からしたら妙だったろうねぇ。箱を抱えた女性が独り言をいいながら観光していたのだから。」
強くなった語気をなだめるように、鳶田は言葉を返す。その言葉は空虚な空間を小刻みに確りと不吉に震わせる。
「殺人の記録?精神が分裂?」
「理解らなくても無理はないよ、考察することはできるけどね。
いいかい、ここから僕は僕の頭で考える想像でものを語るよ。例えばさ、検事さんが自分の長年最愛だった人をその手で殺してしまったら、どうする?その事実を、貴方は認めるかい?」
何を、何を言っているのだ、この男は。そもそも好きな人を殺すような道理があるだろうか。ユウキは脳内で、認識が麻痺していくような感覚へ次第に落ちていくと同時に徐々に自分の顔が引きつっていくのを自覚した。
「その顔は想像も出来ない、といったところだろうね。検事さんが普通のヒトの感覚を保ちうる人格で良かった。
そう、通常そんなこと余程の憎しみでも無ければ起こりえない。しかし、何らかの切欠でそれは起きてしまった。本人にも予想外の形で。
結果、彼女は自分の行い・罪の意識。そして目の前に広がる死を、心が拒絶して蓋をしたんじゃないかって僕は思ってるんだ。
片方の彼女は愛する男を演じ、片一方の彼女はまるで何事もない新しい自分を演じた。
あぁ、そうか。わかったぞ、この時既に現実の重圧と罪の意識でもう黒久叶和乃という人格は壊れて亡くなってしまったんだな。
そうして彼女は、虚妄の二人旅に出た。うん、合点は行きそうだネ。」
現実とは思えない文脈の数々が鳶田院長の口を注いで出る。
この感情は何だ、恐怖か悲哀か。はたまた憐憫か。黒くて赤い感情の波が、少しづつ満潮になる海岸のようにひたひたと押し寄せる。
「しかし、殺害動機。肝心の殺害動機が明らかではないです。
いくら理由を問うても、『真央くんは死んでない、永遠に等しくなったの』しか言わない。はっきり言って言葉の意味が分からない。」
「・・・本当に意味が分からないかい?僕にはそのままに聞こえるけど。」
その言葉に、ユウキは貧乏ゆすりを止め鳶田の目を不思議そうに見た。
「旅行記に記された文脈で『完全性』に焦点を何度かあてられている。
重ね重ねあくまでも僕の妄想、答えではないかもしれないんだが、二人が再会した時。彼女は被害者に『不完全な何か』を目にしてしまったんじゃないかな。」
「不完全な、何か?」
「そう、例えば。この旅行記で彼女が彼女自身の気持ちを吐露しているじゃないか。被害者や思い出の穢れを憎み嫌っていたり、時間による摩耗を恐れたり。
犯行当日の夜、彼女はともすると彼の後ろ姿に穢れや老いを見てしまったのではないだろうか。
僕はそれを『黒々とした中に光る、一筋の白』って日記の文から察するに、白髪を見てしまったんじゃないか、って考えているんだ。」
「ば、馬鹿な。たったそれだけの理由で、初恋の人に白髪が生えたってだけの理由で、彼女は凶行に及んだっていうのですか。あり得ないですよ、そんなこと。
人を殺す理由が、そんなに簡単でいいはずがない。」
ユウキは立ち上がり声を荒げた。立つ勢いで椅子は転げて鈍い音を立てる。机の花が揺れる。
「果たして本当にあり得ないと思うかい?此の世にはアイドルが結婚しただけで可愛さ余って憎さ百倍、ストーキングして殺そうとする人間もいる。
それを考えると、殺すこと自体はごく自然な成り行きだったんじゃないかな。
黒久の考える津王という男の像は、思い出と感情による経年美化が進み過ぎ、完全で完璧にして、不朽の存在と化してしまった。
しかし、その崇拝する偶像に一片の疵を垣間見た。その瞬間、彼女は絶望にも近い感情と激しい殺意が生まれたんだよ。自分の求めた『完全』がそこに無かったから。」
「では殺すことが永遠であり、完全である、と。」
「そこは真っ当な人間の感覚では理解しかねる。けど、少し人の道理から外れた解釈をするなら、その通りなんじゃないかなぁ。殺すことで時間を止めたとも、脳裏に焼き付く事件として記録を遺すことで永遠にしたとも捉えることができる。少なくとも時間は進まず老いないし、忘れようもない大事になった。
ま、僕が同じ立場で理由付けをするなら死体を防腐処理して飾るね、永遠に自分のものであり、止まりきった時間の中で完全性を保つからね、はっは。実際問題、彼女も偶像を像(フィギュア)にしちゃったんだからね。」
実に笑えない冗談だ。ユウキはそう感じた。その発想をできる時点でこの人もどこかおかしいのではないだろうか。
自宅に帰った時、自分の最愛の人がまるで緻密に作られた置物のように飾ってあることを想像した。張り詰め硬くなった肉の感覚と、腐臭を想起し、視界が眼差しが揺れる。想い人に完全性を求めた挙句ただ殺し、感極まってバラす。凡そ其れは人の行える所業ではない。女の情念が創りあげた、まさに魔道に堕ちた鬼の成す業である。
待てよ、バラす?
「待ってください、完璧であることを求めたなら、なぜ遺体を疵のない、綺麗な状態ではなく、解体をしてばら撒いたのですか。わざわざ自ら壊して、その上捕まりやすくするような真似を、黒久は行ったのですか。」
その質問を受けて鳶田の口角は静かに厭らしく上がる。
「あぁ、それについて類推出来るところは彼女の創った物語には描かれてないねぇ。」
勿体ぶった言い方で焦らす。もうおそらく検討はついているのだろう。
「実はその点に関しては確信に近いものを得ている。よし、じゃあ発見された部位を順番に追おう。荒木神社は右足。桂離宮は右腕。清水寺は左足、金閣寺は左腕。そして宿のある太秦土本町では胴体と頭。地図上でこの5箇所を結ぶと――」
そう淡々と述べながら父図を本棚から取り出し、5本の線を曳く。
「判ったかい?五芒星、星形ができるんだ。そしてそれに当て嵌めると桂離宮の右腕だけ火葬されていたのも説明がつく。荒木神社は『木』の文字があり、あの一体は大木の多い山岳地帯。桂離宮は『火』で腕が火葬されていたね、周囲は過去炎上した寺も多い土地柄だ。金閣寺は『金』で構成され、清水寺はその名の通り『水』をたたえた寺。太秦土本は『土』の文字を含み、また古墳も作られ、土に縁が深い。
ほぅら、見事に木金土水火が揃っている。
そもそもこの星型は『五行思想』と」言って、木金土水火の5大元素で世界が成り立つとする、思想だね。水は木を育てる、木は火の勢いを増やす。火は灰を生じ土を育てる。土は、養分を固め金を生じる。このお互い隣同士を活かすことを『相生』、逆に水は火を消す、木は土の栄養を吸う、火は金を溶かす、土は水の流れを止める、金は木を切り落とす。互いに殺しあう性質を『相克』という。
まさに京都の町を一枚の五行思想の図にしたということさ。頭が西、つまり死者の国を向いているのことまで含めて考察すると実に綺麗な仕上がりだ、うん。
まぁまぁ僕は只の精神科医だからね、オカルティズムの専門じゃないから詳しいことは分らないか。けれど、五行の思想は森羅万象に宿る大きな力、あるいはエレメントの流れらしい。これに準えることで超自然的な循環する力そのものにする意味合いがあったんじゃないかな。循環は途切れなければ永遠だからね。」
ここまで聞いてユウキは解説された内容の半分も理解することはできなかった。
否、それは五行がどうとか活かす殺すとかの話のみでなく、そこまでの意味合いを持たせて、複雑かつ面倒な手順を踏むことにもそうであるし、愛する人を殺してしまう精神構造も理解に遠く及ぶ範囲ではなかった。
それを目の前で捉え分析してしまう、目の前の男ですら、今や恐怖を感じる。この恐怖の感情や、事件の猟奇性、そしてその裏に潜むかもしれない動機。それらがまるで普通のことかのように、この場においては罷り通っている。
それを受け入れられない自分がおかしいのか。ユウキは常識と眼前の現実、認識すら疑った。まるでこの病棟の空気が脳髄を侵食するかのようだ。
ユウキの脳内で侵食される意識の一部が精一杯の力を使い、此処に来た目的を思い出そうとする。
「そ、そうだ。鳶田院長。彼女の精神は既に壊れたと仰った。つまり、裁判で罪にかけることは完全に不可能になったのでしょうか。
あなたの、予想する理由動機で一連の殺しをしたならば相当に彼女は危険極まりない殺人鬼。然るべき罰を受けなければならない。そのためにも、彼女に責任能力があるだけの精神状態であることを、何としても証明はできないものでしょうか。
これでは遺族の無念も晴れません、私も責務を果たせません。」
紡がれた尋常ならざる解説に気圧されながらも、声を振り絞った、つもりであった。デスクの鉢の花は今にも花弁が落ちそうだ。
「その答えは残酷かつ明快だね。まず、彼女に責任能力が問うことは出来ない。壊れちゃってるんだもの。次に、彼女は既に、然るべき以上の罰を受けている。」
花の花弁がはらりと落ちた。やはり、やはり私は私の責務を果たせないのだろうか。耳が、目が、鼻が。全ての感覚受容が遠くなった気がした。否、でも
「然るべき以上の罰、とは何でしょうか。彼女は実刑など未だ受けては・・・」
「刑に処すだけが必ずしも罰ではありません。彼女の罰は第一に精神的死。既に語ったとおり元々の人格など、とうの昔に自分の罪の重圧から死んでしまい、新たに2つの人格を生じた。
一つは淑やかで落ち着きながらも淡々と遺体を処理する女性。そうだな新黒久とでも言うべきかな。もう一つは最愛の幼馴染そのもの。こちらを偽津王としよう、2つの人格はまるで二人旅をしているかのように会話をし、入れ替わっては旅行記を書き綴った。
だが、偽津王は殺人の記憶を持っていない。報道と旅路を照らし合わせて変に勘付いた故に新黒久のことを殺人鬼ではないかと疑ってしまった。
結果、偽津王がトランクを開けた時、2つの人格が共に罪を突きつけられ、自覚した。」
「その時、また2つの人格が同時に死を迎えた、ということですか。」
恐る恐るユウキは尋ねる。何故だろう、気味が悪いのに無性に真実が知りたい。
「おそらく偽津王は死んだんだろう。しかし、新黒久の人格は壊れきらなかった。
一度精神の死んだ体、脳が生きるため本能的に順化したことにより二度目の完全な精神の死を食い止めた。
その結果、精神だけが逃避の手段として急速に老いたのかもしれない。己を軽度痴呆の老人と思い込むようになった。
逆説的に、身体機能も全く問題がないのに、老人のようになってしまった。介護なしでは生きられないと、脳が自身の精神と肉体を5年間騙している。そしてその騙しはおそらく死ぬまで解けない、解けることは自分の罪と向き合うこと。しかし、彼女は向き合う心の強さは元より持ってない。
今月中に裁判が終われば彼女は無罪で自宅に返されるだろう。無論此処と違って一定の介護はされない。己の脳が見せる幻想を抱いたまま衰弱死するか、はたまた夢から醒め、受け止められない罪の重さで心が死ぬか、自殺するか。
どうあがいても彼女の人生は詰んでいる。これが第二の罰、此処で終わりの行き止まり。
誰も救えず、誰も裁けない。」
これが、然るべき以上の罰。人がその身に受けるには、重い罰。
あまりにも哀れなのに、ユウキはもう一つも同情できなかった。同情できるわけもなかったし、そんな余裕も無い程想像の範疇を超える噺を鳶田にされたからだ。
「有難うございました、僕が此処に来るまでもなく。もう総ては終わっていたのですね。」
「えぇ。そのことを素直に認めて、そして僕の推論を聞いてくれた検事さんは5年間で初めてです。これでキチンと公判が進みますね。研究対象としては非常に面白い5年間でした。」
あぁ、やっぱりこの先生もどこかズレてるな、ぼんやりと頭の片隅でぼやいた。人を人と思わない人間なんてこの世にわんさといるのかもしれない。
「あぁ、あと。」
立ち去ろうとする時、鳶田はユウキを呼び止めた。
「最後に質問なのですが、彼女が犯行に用いた包丁、どの位の長さだったんですか。」
「・・・15センチです。」
「そうですか、ありがとうございます。」
その言葉を聞き届けると軽く一礼して居室を出た。
もし、もし二人が15年前に、学生の時にたった15センチの距離を無くせていたなら。その距離は刃へと変わらなかったのだろうか。
否、『もし』とか『あの時』なんて考えても意味はない。
この先彼女に待ち受けているのは、どんな形であれデッドエンドだ。それがどんなものか、赤の他人の自分には関係ない。
そのように結論づけながら精神病院内の厳重な隔離病棟を足早に後にした。
隔離病棟内。虚ろな目で斗和乃は戸棚に飾ってある写真を見た。
そこには色あせた写真に幼い津王真央と黒久斗和乃が映る。隣には壊れて針の進まない時計が、ずっと1時5分をさしていた。
とある蒸し暑い年、7月11日のことである。
迷妄の旅果て ひやニキ @byakko_yun
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