薄靄がかった視界の中で

うさぎもどき

第1話

ピピピピッ、という電子音が、室内に響いた。


「……37.7℃」


服の下から体温計を取り出して表示されたデジタル数字を読み上げる、僕こと綾瀬鷹也。


と、横合いからその体温計を取り上げる手があった。


『御主人様の平熱と比較。+1.3℃。結論、発熱ですので寝なさい、御主人様』


「わぷっ!?」


電子音とも肉声ともとれない、不思議なノイズのかかった声が聞こえた途端、僕の顔に羽毛ぶとんが投げつけられた。


僕は視界を覆う羽毛ぶとんを体の横に置いてから、蛮行の主に抗議の声を上げる。


「な、何すんのさ、暇子!」


暇子、と呼ばれたツインテメイド姿の少女は、表情筋をミクロ単位で動かさずに淡々と告げた。


『何、と申されましても。御主人様の体温には異常な上昇が見られます。人間はこういう時、睡眠によって身体を休めつつ免疫力を高め、病気を予防するのでしょう』


「そうだけどさあ……」


……言葉遣いからなんとなくわかるかもしれないけど。暇子は人間ではない。ざっくり言えばロボットだ。


正確にはヒューマン…………いや、ヒューマノイド……………………………………ヒューマノイドなんちゃらかんちゃら。なんちゃらかんちゃらの部分は決して思い出せなかったのではなく、長くなるから割愛しただけである。本当だよ?


ちなみに『暇子』というのはヒューマノイドなんちゃらかんちゃらの略称。長い名前だといちいち呼ぶのに面倒なので、勝手にそう略している。別にフルネームを覚えていないわけではないのだ!!


あと、暇子がうちにいる理由とか、なんでメイド服なのかとか、その辺も割愛させてもらおう。長くなるからね。


とにかく、体調を崩した僕は暇子によって寝かされようとしているのだった。


……が。


「あのなぁ暇子、別に寝てなくたって大丈夫だって。たかが37.7℃だよ? 積んであるゲームも消化したいし……」


『ダメです。寝なさい』


「なんでさ」


『仮定の話をしましょう』


ズズイッ、と顔を近づけてくる暇子。彼我の距離、推定6cm。思わず目をそらしてしまう。だって、曲がりなりにも暇子は美少女なのだ。思春期には少々刺激が強い。


そんな僕の悶々など知る由もなく、暇子は続ける。


『37.7℃の発熱、おそらくは風邪のひき初めというやつでしょう。そして、風邪は万病の元と言われます。すなわち、今のうちに治しておかないと後々生命活動が危ぶまれます』


「極論がすぎるなあ!? たしかに風邪は万病の元なんて言われることもあるけれど、だからって治さなきゃ死ぬは無理あるって!」


『ですが放置しておいてそれ以上症状が悪化したらどうするのですか? 防げるものは防いでおくのが最善なのでは?』


正論。死ぬ死なないはおいておくとしても、たしかに徒らに体調不良を長引かせても得することはない。


(……僕もまだまだだなあ)


「……わかった。大人しく横になるけど……ちょっと小腹が空いたから、何か作ってくれない?」


『承知しました』


途端、スイッチを切り替えるかのごとく、僕を寝かせることから軽食の調理へと即座に目的を変更しキッチンへと消えていく暇子。


残された僕は、素直に休むことにした。


「……あ、布団干したてだ」


全身を包む温かさは、僕の意識を緩やかに、緩やかに眠気の谷へと追いやった。





ゴドン。僕の意識を呼び戻したのは、そんな異音だった。


「……?」


生活音と呼ぶには少々異質な音を耳にした僕は、まだ眠気の残る目で音のした方を見た。


そして。


『おや、お目覚めですか、御主人様』


やたらとでかい土鍋を机の上に置く暇子の姿を見て、再び瞼を閉じ


『ていやっ』


「痛っ!?」


僕の頭部にめり込む手刀。その威力が、否応無しに僕の意識を現実に引き戻す。


『軽食ができましたよ。どうぞお食べください』


「お前は一回『軽食』って言葉の意味を辞書で引いてこい!!」


すると、おもむろに目を瞑り、数秒間黙り込んだ後、暇子は口を開いた。


『軽食について、本来の意味と私の脳内バンクにある知識との差異、ゼロ。結論、私の認識は100%間違っておりません』


「わかった上でこれか……!」


僕がやり場のない気持ちを燻らせていると、暇子が仕方がないといった調子でため息を一つ吐き、鉄製のスプーンを手にとって、土鍋からひとすくいーーどうやらお粥のようだーーし、


『はい、あーん』


「……!?」


僕の口元に差し出した。


「いや、あの、自分で食べれ……」


『いいから。ほらあーん』


「ちょっ、お前どっから持ってきたその知識!!」


『先程「軽食」について検索した際に、ついでに「お粥 食べさせ方」と検索いたしましたところ、このやり方が最適と』


「それでこのやり方に行き着くのか……?」


『ちなみに参考にしたホームページには「乳幼児向け」と書いてありましたが』


「お前の中での僕の扱いがよく分かったよ!」


と、暇子はスプーンを置き、さっきと同じように僕との距離を一気に縮め、


『…………食べてくれないのですか?』


うるうると目を潤ませーーたしか、眼球がわりのレンズを洗浄するための機構だった気がするーーそう囁いた。


「お、お前、そんな知識どこで……」


『じー…………』


「………………っ!」


妙な動悸やら体温上昇のせいではないらしい発汗やらのせいで思考回路がぐちゃぐちゃになった僕は、半ば自棄のように暇子の傍をすり抜けて土鍋に向かう。


そして、


「いただきますっ!!」


『お召し上がりになるんで?』


「ああ食うさ、食ってやるさ!」


鉄製のスプーンを握りしめ、純白の大地に突貫した。



五分後。


「………………」


『おや、ご馳走様ですか』


「…………い、いや、まだ……」


『ご無理なさらないでください。もとより残りは冷凍する予定でしたので』


「…………ですよねー」


当然の話だが、土鍋に満杯のお粥が一食分のわけはなかった。どうやら僕の頭は思った以上に熱で参っているらしい。


素直にスプーンを置き、布団に倒れこむ。


(たかが37.7℃で……弱ったなあ)


『食後すぐに横になるのは体に障りますよ』


「んー……別に、大丈夫だよ」


自分のひたいに手を当てる。体感だが、先ほどより体温が上がっている気がする。


「………………………………」


しばし意識が浮遊する。


『御主人様、体の調子はいかがですか?』


暇子の言葉で意識がハッキリとする。思ったより長い間ボーッとしていたようで、汗が寝巻きに染み込んで気持ちが悪かった。


(熱が出てる時はこれだからなあ……)


「特に変化はないよ」


『そうですか……』


そう言う暇子の表情にも声音にも変化がない。


「……お前さ、ちょっとぐらい心配そうな顔してくれてもいいんじゃないの?」


『その行為に何の意味がありましょう。むしろ病人を不安にさせるだけでは?』


「…………たしかに」


思わず溜息が漏れる。ぐうの音も出ない自分が情けない。


すると暇子は両手を体の前で合わせ、軽く頭を下げた。


『……申し訳ありません。私がもう少し人間的なら、その要求の意味も理解できるのでしょうが』


「気にしないでいいさ。病人の戯言だと思って聞き流してくれ」


『でも……』


「仮定の話をしよう」


言って、ちょいちょいと暇子を手招きする。頭上にクエスチョンマークを浮かべながらも近づいてきた暇子を、僕は両手で抱きしめた。


『っ!?』


「無表情だろうが声音が変わらなかろうが、そうやって僕の身を案じてくれるお前が人間的でないのだとしたら、一体この世の誰が人間的だって言うんだい」


『そ、れは……』


「だから気にするなよ。ああは言ったけど、お前がちゃんと僕のことを考えてくれてるのはわかってるから」


『御主人様……』


「……………………………………………………」


『……御主人様?』


「………………………………………………………………」


……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………。


『……………………………………えっ』


暗転。





ピピピピッ、という電子音が以下略。


「…………38.5℃」


読み上げる僕。ため息をつく暇子。


『やはり昨日の発熱はさらなる高熱への助走に過ぎなかったようですね』


「そんな……なんだかんだ言って僕、ちゃんと休んでたよね?」


『どうでしょうね。無駄に大声を張り上げたりしていましたし、相殺されてしまったのでは?』


どうやら昨日自分のひたいから感じた体温の上昇は気のせいではなかったらしく。僕は結局二日連続で病床にてうなされることとなった。


……けど、それより僕は一つ気になることがあった。


「なあ、暇子」


『はい、何でしょう』


「僕、昨日何か変なこと言わなかった?」


ずばり、昨日の途中からの記憶が曖昧なのだ。


お粥を食べたあたりはしっかり覚えている。だけどそれ以降は……何となく暇子と言葉を交わした気がするけど……と言った感じだ。


不安顔の僕に、暇子は声色を1Hzも変えずに淡々と告げた。


『いいえ、特に何も』


「……そっか。なら良かった……」


『何かまずい事でも口走ったかと思いましたか?』


「いや別に、そういうわけでもないけどさ。漠然と不安になっただけで……」


『そうですか』


感覚的には寝言を聞かれたような感じ。自覚なく放った言葉は、どうにも変な気分というか、言い様のない不安の種となる。


(……ま、暇子がああ言うんなら信じるしかない、か)


小さく息を吐き、ベッドに背から倒れこむ。38.5℃は想像以上に辛かった。


そこで。一つのことに気づいた。


(そういえば……昨日は暇子が無理やり寝かせてきたのに、今日はなかったな……)


『それではおやすみなさい、御主人様』


「ああ……」


部屋を出て行こうとする暇子の背中を、何となく目で追う。


と。


『御主人様』


「ん?」


暇子が、こちらに背を向けたまま話しかけてきた。


『私、もう急ぎません。だって、急がなくていいと知ったのですから』


「??? あ、ああ……?」


主語のない言葉に、曖昧な同意を示す僕。


そんな僕に、暇子は振り向いて、


『これからも末長くよろしくお願いしますね、御主人様』


うっすらと笑みを浮かべーーそう、まるで人間のようにーーて、そう言った。


『では』


「……ああ」


パタン。扉の閉まる音。室内に一人残った僕は、


「……………………………………………………………………………………え、何だったんだよ……?」


行き場を失った疑問を空中に放った。



ーーその答えを知るのは、もう少し先のお話ーー

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薄靄がかった視界の中で うさぎもどき @Usagi_Modoki

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