「夢でも、冗談でもございません」

(お父様が失脚って、何の冗談かしら)


 男の言葉が現実として思えず、ただただ呆然と芙蓉に促されるまま、歩くことしかできなかった。


(お父様が、失脚)


 その言葉が、グルグルと頭の中で回っている。どう進んだのかわからぬまま、部屋まで芙蓉に導かれた朔は、座りこんだ。


「気をしっかりとお持ちくださいませ」


 芙蓉の声が遠く感じる。だからこれは夢の中なのだろうと、朔は思った。


(昨夜はあまり眠れなかったから、蹴鞠を見ているうちに眠ってしまったのね)


 これは現実と夢の間におこる、夢を夢として把握しながら見るものだろうと、朔は判じた。


(だって、芙蓉が驚いているようには見えないもの)


 芙蓉の顔色は、普段と同じだ。もしこれが本当のことならば、芙蓉は青ざめうろたえるか、気丈であらねばと気を張った声を出すだろう。


「変な夢ね」


 朔は夢を破るために、声を出した。夢を夢と断じれば、夢魔の幻術が破れると聞いたことがある。


「性格の悪い夢魔が、このあたりに住んでいるようだわ」


 妖の類は、正体を見破られれば引き下がる者が多い。何とも感じていないぞと、強気な態度を見せればいい。怯えてはますます幻術にはまってしまうと、聞いた事があった。


「姫様……」


 ほほを引きつらせながらも、唇を笑みの形に持ち上げた朔に、芙蓉は目の奥を痛ましく光らせた。


「お父様が失脚だなんて。そんなことがあるはずないわ」


 そう。


 あるはずはないのだ。


 父が左大臣になるために、姉は権力者の縁者となったのだから。父や兄の出世のために、恋しい人と引き裂かれてまで結婚をしたのだから。


「ねぇ、そうでしょう。芙蓉」


「姫様」


 芙蓉が朔の手を、両手で包んだ。


「あんなふうに土まみれになって、疲れ果ててまでする冗談だなんて、手が込みすぎているわ。だったら、これは夢魔のしわざね。ねぇ、そうでしょう」


「姫様」


「ねぇ、芙蓉」


「ああ」


 きわまった叫びを上げて、芙蓉は朔を抱きしめた。


「芙蓉?」


「夢でも、冗談でもございません」


 声を詰まらせながら、芙蓉がささやく。


「――え」


「全て、現実のことでございます」


 芙蓉の体が小さく震えている。朔は、自分の体が冷たくなっていくのを感じた。


「うそ」


「本当のことです。姫様」


「手の込んだ夢魔の幻術だわ」

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