第五章

(恋……恋ですって?)

 ほう、と悩ましげな息を吐き、朔は寝台の上で体を丸めた。


 その息の原因は、昼間の舟遊びでの思いがけない出来事だった。動いている魚をはじめて見た朔は、それに触れてみようと手を伸ばした。すると舟が大きく揺れて、朔は真夏に抱きとめられた。思いがけない出来事に、はちきれそうなほど大きく脈打つ心音が、回りに聞こえているのではないかと心配になった。


 それほど、胸が高鳴った。


 ぎゅっと硬く目を閉じて、胸を抑える。あの時のことを思い出すと、息が苦しく、胸が熱く痛くなる。こんな気持ははじめてで、どうすればいいのかがわからなかった。


 思い出すだけで、同じようになってしまう。


(どうしちゃったのかしら)


 書物や人の話などで聞く、恋の症状というものとよく似ていると思いいたり、朔は驚いた。


(恋……恋ですって?)


 この私が恋をしたなんてと、朔は唇をかんだ。真夏の腕のたくましさが、胸の広さがまざまざと思い出される。胸が苦しいというのに、いつまでも抱きしめられていたいと望んだ。あの時真夏は、どんなふうに思っていたのだろう。芙蓉には、気付かれていただろうか。


 目が冴えて寝つけず、朔は寝返りを打つ。頭の中は真夏のことでいっぱいだった。


 初めて姿を見たときに、キレイな人だと思った。こんなにキレイな人がいるのかと、朔は真夏を見つめた。その時とは違うものが、胸をキリキリとしめつけ、熱くさせている。


(他の女房たちも、こんな気持ちを持ったりしたから)


 だから、万一のことがあってはいけないと、朔に真夏のことを知られないよう、女房たちは気をつけていたのだろうか。だから彼のことを知らなかったのだろうか。


(芙蓉は)


 芙蓉は、彼のことをどう思っているのだろう。芙蓉のことだから当然、彼の事を知っていたはずだ。芙蓉もまた、彼に心を苦しめられているのだろうか。


(ああ――)


 眉を寄せ、体を丸めて、朔は吐息をもらした。恋に焦がれて命を落とした者がいるという話を、耳にしたことがある。恋にやつれて病にかかる者は少なくないと聞く。そういう話は、姫同士の交流や女房たちのウワサ、物語や歌詠みの会などで必ずと言っていいほど語られていた。けれどそれは全て、何かの誇張や比喩だと思っていた。


(本当のことだったのね)

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