「これからしばらく、こちらに住まわせてもらうわね」
「わあ!」
見えてきた景色に牛車の屋形から身を乗り出して、朔は感動をあらわした。目の前に、どこまでも続く水の大地がある。それが日の光を受けて、金砂銀砂をちりばめたように輝いていた。
「おおっ」
朔が顔を見せると、そこここからどよめきが起こった。見れば、道の端に大勢の人がいる。都からやんごとなき姫君が来たというので、近隣の者たちが見物に来たらしい。朔は機嫌よく、彼らに手を振った。人々は朔の気さくさに顔を見合わせ、手を振り返して良いものかと相談をする。それでも気にせず朔が手を振り続ければ、子どもが大きく腕を振った。
「これからしばらく、こちらに住まわせてもらうわね」
朔が子どもに声をかければ、悩んでいた大人たちが、ほっとした顔で手を振り返した。
「ふふっ」
こうして人々と接するのは、男女もわからぬ子どもの頃以来だ。朔の心はくすぐったくなった。
「こちらに来て、よろしゅうございましたね」
同じ牛車の屋形に乗っている芙蓉が、ゆったりと言う。
「ええ」
のびのびとした心地で、朔はうなずいた。
「屋敷の中に閉じこもっていたら、なんにもわからないままだもの。世間の事で聞こえてくるのは公家のウワサばかりで、人々の営みなんて、さっぱり耳に入ってこないし。知ろうとすれば、知らなくていいと怒られるし。でも、ここなら自分の目で見て、色々な事を知ることができそう」
「こんなことが屋敷の志乃様に知られたら、怒られますね」
芙蓉が、いたずらの共犯者のような顔になった。
「はしたないことをなさいますな。そのようなことより、歌のお勉強でもなさいませ!」
目じりを指でつり上げて、朔は行儀作法にうるさい女房、志乃のまねをする。そして芙蓉と二人、クスクスと笑った。
「都の姫さま」
幼い声が聞こえ、朔はひっこめていた顔を出した。期待と不安をまじえた顔で、子どもが野花を差し出している。里の子どもだろう。顔も、粗末な着物から伸びている腕も足も、よく日に焼けて真っ黒だ。
「私にくれるの?」
子どもがうなずき、野花をつかんでいる手をぐっとつきだす。朔は手を伸ばして、白く小さな花を受け取った。
「ありがとう。すごくかわいい」
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