37日間の恋

霧生神威

折り紙に残された想い。


分厚い灰色の空から墜ちてくる雫は、木々たちの葉に触れ、地面に小さな池を作りだしていた。


カラフルな傘をクルクルと回し、下校中の子供の賑やかな足取りによって、様々な音を奏で出す。


鬱陶しく暑苦しい梅雨の季節も、子供の手に掛かれば、あっという間に遊園地へと早変わり。


カエルと共に歌い、傘と踊る、颯太はそんな梅雨の季節が大好きだった。



「颯太ーー、お爺ちゃんのお見舞いに行くわよー」



毎週水曜日と土曜日は、近くの病院へお爺ちゃんの様子を、見に行く日になっている。


別に病気などで入院しているわけではない。


最初の入院理由は、ぎっくり腰だったのだが、元々活発な性格のお爺ちゃんは、病院内でもその性格は変わらず、「安静にしててくださいね」という医者の指示を無視し、一日何度も喫煙所に行くために階段を往復していた結果、足を滑らせ転倒し、今度は骨折入院となったのだ。


この事に、母である清香は呆れ、今度は安静にしているようにと、再度きつく叱りつけたが、その効果は未だないようだった。


いつものように病院に行くと、お爺ちゃんの病室を訪ねるのが、ほとんどベッドの上にいる所を見たことはない。


そして、今日もまた当然のように病室にいないお爺ちゃんに、そろそろ本気で堪忍袋の緒が切れてしまいそうな清香は、大きな足音をわざと立て、怒りの捜索を始める。



「颯太、今日もお爺ちゃん探し協力して!! 全くあの人すぐにどっか行くんだから!! お母さん、喫煙所の方見てくるから、颯太は食堂の方をお願いしても大丈夫?」


「うん、いいよ!!」



病室を出ると同時に二人は別れ、別々の方へと歩いていく。もちろん清香の額には、怒りの血管が浮き出ており、その足取りは魔王の一歩のように重く恐ろしいものだった。


清香とは逆に、颯太の足取りは軽く、毎回の恒例行事を楽しみに変えていた。


颯太はまず、清香の指示通り食堂を探したが、お爺ちゃんの姿はなく、いつものように食堂のおばちゃんに尋ねると、別塔にある外来で見たという情報を手に入れることが出来た。


まるでRPGの主人公にでもなった気分で、颯太は次なるダンジョンである外来を目指す。


渡り廊下を一目散に走り抜け、道沿いにある売店のおばちゃんに手を振りながら、別塔に辿り着いた。

入口には、でかい館内地図と共に、【外来受付】という文字が見えた。


颯太は覚えたての漢字を口に出して読み、記されている矢印の方角を指で確認していると、一人の少女の姿が目に入った。


腰あたりまで伸びている長い黒髪の、大人しそうな少女だった。颯太は道にでも迷っているのかと、呆然と立ち尽くしている少女に声をかける。



「どうしたの?道に迷ったの?」


「ううん、大丈夫。」



少女は涙で濡れたばかりの頬をさすり、一瞬だけ颯太に視線を向けたが、すぐにまた同じ方向へと戻す。



「お爺ちゃんを探しているんだ!! 真っ白い頭で丸っこい眼鏡をかけてるんだけど………、知らない?」


「ごめん、見てない。」


「そっか。」



颯太は、ジッと動かない少女が気になったが、お爺ちゃんを探すという任務ミッションをクリアするため、後ろ髪を引かれる思いで、その場を後にした。


無事外来に到着したところで、首に下げていた携帯の着信音が鳴り響く。


マナーモードにし忘れていたため、辺りに音が響き、外来に訪れていた沢山の人々が、一斉に颯太へと視線を向けた。



「やっば………」



慌てて携帯を操作に、マナーモードに設定し直してから、清香から今送られてきたメールに目を通す。



『おじいちゃん、発見。お部屋にもどっておいで。』



今日のクリア報酬が清香のものになってしまった事実に、がっくりと肩を落とし、同じ道を引き返していくと、先程の少女が診察室に入るのが見えた。


颯太は少し気になり、好奇心で少し空いたドアから、中の様子を窺い、聞き耳を立てる。



「おや、彩夏ちゃん、どうしたんだい? また具合悪くなちゃったかな?」


「ううん、大丈夫。」


「どうしたの? もし何か気分でも悪いのなら、担当の磯崎さん呼んであげるよ?」


「いや!!!! 」



穏やかだった少女の声が、激しく拒絶を訴えていた。



「どうしたの?! 何かあったの?」


「あの先生、嫌い。あの先生がお母さんに何かを言ってから、ずっとお母さん泣いてるの………。きっとあの先生が何かしたんだと思う。」



きつく睨みつけながら、少女はその日あったことを告げ、まるで助けを求めるように泣き出していた。


颯太は、興味本位で覗き見してしまった事を申し訳なく思い、聞かなかったことにしようと、そのままお爺ちゃんのいる病室へと戻った。


清香にたっぷりお灸を添えられて、しょんぼりしているお爺ちゃんの横に座り、颯太は先程聞いたことを話した。



「そうか。それは大変じゃったのぅ。そうだ、颯太! なら、その子を颯太のミラクルパワーで元気にしてやったらええわ!! 颯太の魔法にかかれば、きっとその子のモヤモヤもどっか吹き飛んでしまう事、間違いなしじゃ!!!」


「うん!! ウルトラビームをお見舞いしてやるっ!!!」



気合いの入った颯太の姿を見て、お爺ちゃんは豪快に笑い、「行ってこい」と背中を押し、颯太を見送った。


颯太は、先程の診察室に行くが、既に少女の姿はなく、一番最初に出会った場所へ行ってみるが、そこにもおらず、どうしようかと……近くにある階段へ目を向けると、踊り場の隅で膝を抱え、座り込んでいる少女を発見した。


颯太は、自慢の足で豪快に走りぬけ、少女の元へ到着すると、ニッコリと笑い魔法をかける。



「大丈夫だよ、お母さんはきっと元気になる!!ボクは魔法使いだからねっ!!!」



颯太を見上げた少女の目には、涙がいっぱい溜め込んであり、颯太がニコリと笑みを零すたびに、大きな一粒が頬を伝って、冷たい床へと落ちていった。



「魔法使いなの? だからお母さんのこと知っているの?」


「そうだよ!! だから大丈夫! お母さんはボクが元気にしてあげる!」



腰に手を当て、胸を張って告げる颯太に、少女も涙を拭き、笑顔を取り戻していった。


その日二人は、互いの事を紹介しあい、彩夏と名乗る少女の心の痛みに応えるように、颯太は魔法の言葉をかけ続けた。


それからというもの、お爺ちゃんの見舞いの日は、必ず彩夏に会いに行った。


他愛もない話をしたり、病院内を駆け回って遊んだりとしている内に、すっかり二人は病院でよく見かけるコンビとまで言われるほど仲良しになっていた。



「颯太くん、いつも彩夏と遊んでくれて、ありがとうね。」



颯太は、いつの間にか彩夏の母の笑顔も宣言通り、取り戻していた。


そんな成果もあり、彩夏は本当に颯太が魔法使いなんじゃないだろうかと、心のどこかで思っていた。




そんなある日のこと、颯太はいつも通り病院に清香と到着すると、すぐに決まった待ち合わせ場所へと向かう。


二人の秘密基地だ。


入院病棟にある使われていない部屋【468号室】前で、彩夏を待っていると、そこに現れたのは彩夏ではなく、その母の姿だった。



「……颯太くん、彩夏ね……、今日具合があまり良くないんだ。だから一緒に遊べないの。ごめんね。」



いつも元気に共に走り回っていた彩夏が、突然体調を崩し寝込んでいると聞き、颯太は彩夏の母に連れられ、彩夏の眠る病室を訪れた。


この間まで顔色も良く、笑顔を絶やさなかった彩夏の苦しむ姿に、颯太はどうしたらいいか分からず、そっと手を握りしめ、魔法の言葉を唱え続ける。



「大丈夫、元気になるよ。絶対元気になる。大丈夫だから。大丈夫、大丈夫……」



繰り返される颯太の言葉に、彩夏の母の目には涙が溢れ、堪え切れなくなった雫を外へ押し出すように、彩夏の母は、二人を残し、静かに病室を後にした。


彩夏の母がいなくなった事も気づかず、颯太はずっと彩夏に魔法をかけ続ける。


30分が経った頃、魔法の効果があったのか、ゆっくりと彩夏が目を覚ます。



「あれ……、颯太くん、ごめんね………私今日ね、動けないみたい………。変だよね……一昨日まであんなに走り回ってたのにね………今はもう足も言うことを全然聞いてくれなくてね……歩くことも出来ないんだ……」



泣きそうな顔で笑う彩夏の手をきつく握り直し、颯太は満面の笑みで「大丈夫だ」と呟く。それに応えるように彩夏も大きく頷き、一粒の涙を頬へと押し流した。



「ねぇ、颯太くん、また魔法をかけて? 私がまた颯太くんと一緒に駆け回れるように……。」


「あったぼうよ!!!! ずっとかけててやる。だから安心しやがれってんだ! ほら、早く寝ろ。大丈夫だ。きっとまた一緒に走れる。そしたら今度は、病院じゃなく本物の遊園地に行こうぜ?」


「アハ、今はダメだよ、梅雨だもん。雨の中遊園地なんて風邪ひいちゃうよ。」


「バッカ! 雨の日はな、一歩出ただけでもう遊園地みたいなもんだ!! カエルもお歌をうたって楽しませてくれるし、傘で踊ると、水溜まりが盛り上げてくれんだぞ!!」


「そっか、そうやって踊ってる颯太くんを見ているだけで、楽しそうだね。」


「おうよ、かーにばる、ってやつだ!!!」



彩夏は颯太の言葉に、優しい笑顔を浮かべ、掌から感じるぬくもりに寄り添うように、眠りについた。


それからというもの、お爺ちゃんのお見舞いがない日でも、颯太は病院に通い、毎日、毎日、彩夏へ魔法の言葉を唱え続けた。


きっとまた一緒に遊べるようになる、そう信じて。


だが、そんな颯太の願いは叶うことなく、突如として彩夏は降りしきる雨の中、天へと還っていった。


次の日、いつものように彩夏の病室を訪れた颯太は、空になったベッドを見て、元気になったとばかり思っていた。


ナースステーションに行ってみると、彩夏の母の姿が目に入り、颯太は急いで駆け寄った。



「おばちゃん!! 彩夏ちゃん退院出来たのか? 」



彩夏の母は、笑顔で問いかけてくる颯太の姿を、勢いよく抱きしめる。


少し痛みを感じるほど、きつく抱かれた颯太は、嫌な予感が頭をよぎった。



「颯太くん、彩夏と仲良くしてくれてありがとうね………。彩夏はね……彩夏は………、お空に飛んで行っちゃった。だからね、もう一緒に遊んでやることは出来ないの。ごめんね………」



その言葉を聞いた途端、全身の力が抜けるような感覚に襲われた。泣きながら謝る彩夏の母の声が次第に遠く聞こえてくるような………そんな激しい脱力感だった。



_____あいつ、死んだんだ………。



颯太は、彩夏の母から一つの折り紙をもらった。


彩夏が力の入らない指で、何時間もかけて颯太のために作ったという折り鶴。


その形は、お世辞にも綺麗とは言えない鶴だったが、颯太にとっては彩夏が残した唯一のプレゼントで、最期の想い出となった。


言葉にできない喪失感と共に、颯太は雨の中、自身の涙を隠すように傘を深めに構え、家路を歩いた。


いつも大好きだったカエルの鳴き声も、水溜まりの楽器も、今の颯太にはただの雑音でしかなかった。


もらった折り鶴を大事に抱え、彩夏が登っていった天を仰ぐ。


分厚い雲の隙間を切り裂くように、一筋の灯りが一本降り注ぎ、まるで彩夏が通る道を神様が照らし、導いているように見えた。


その瞬間、颯太の瞳からは堪え切れなかった涙が勢いよく迫り来て、雨音に紛れ、大声で泣いた。



「どうして、どうして………、おじいちゃんの嘘つき!!! ボクの言葉は魔法の言葉って言ったじゃないか!! 全然………魔法きかなかったじゃないか………どうしてなんだよ………。あんなに……毎日一生懸命唱えたのに!!! なんで………だよぅ……」



自分の魔法の言葉を信じてくれていた彩夏を思うと、胸が破裂してしまいそうな程の苦しみだった。




それから一週間が過ぎた頃、彩夏のくれた折り鶴が、ずっとポケットにしまい持ち歩いていた事が原因で、激しく変形してしまっている事に気づく。


学校から帰宅すると、自室へこもり、テーブルの上に折り鶴をそっと乗せる。



「ただいま、彩夏。ごめんな、変形しちまった……。ちょっと手直しするか。」



歪になった鶴を手に取り、元の形に戻そうと羽根を引っ張ったり、伸ばしたりしている内に、折り鶴は綺麗になるどころか、所々崩れ出してくる。


颯太はこのままでは破壊してしまう恐れがあると思い、一度折鶴を解き、折り目にそって再度組み立てる作戦を立てた。


折り目が分からなくならないように、ゆっくり一つずつ丁寧に折鶴を解きほどいていく。


普段からガサツで乱暴な颯太にとっては、人生初めてといっていい緻密な作業となった。


分解していくに連れ、中から文字が見えだす。


疑問に思いながらも、破ってしまっては意味がなくなってしまうことに、恐怖を抱きながら、緊張を途切らすことなく、数時間かけて分解を終える。


すると、一枚で織られていたと思っていた鶴は、何枚か重なっており、そのすべての折紙に、彩夏からのメッセージが刻まれていた。




【颯太くんへ】


私にまほうをかけてくれて、ありがとう。

おかげで、ゆめの中で、颯太くんと色んなところに行けたよ。


おかあさんをイジメていたのは、私だったことは、かなしかったけど、さいごまで泣かなかったよ。

私、エライでしょ。


やくそくは、まもれなかったけど、そのかわりにツルをのこして行くね。

その子を色んなところへ、つれていってあげて。

そのすがたを、わたしは空からぜったいみてるから。

ほんとうにありがとう、だいすき。




颯太は、何度も何度も、手紙を読み返した。


その日の夜、颯太は清香に、この折鶴の手紙を見せた。


彩夏の母から事情を聞いていたのか、何も言わずにそっと颯太の頭の撫で、ゆっくりと抱きしめた。



「颯太の魔法は、彩夏ちゃんを幸せにしてあげられたんだね。彩夏ちゃんのママも、颯太に感謝していたよ? 素敵な魔法を彩夏にかけてくれて、どうもありがとうって。」



颯太は清香の言葉に、震えながら涙を流し、広い母の背中に手を回し、力強く抱き返し、何時間も泣き叫んだ。


後から聞いた話だが、彩夏は生まれて間もなく入院し、それからずっと病院の敷地を一歩も出ることなく、人生を終えてしまった事を聞く。


先天性の心臓の病気と闘っていたこと、辛い治療に日々泣き言も言わず耐えてきた事。


颯太は全く気付かなかった。


だって、会いに行くと、彩夏は必ずとびっきりの笑顔で颯太を迎え、元気いっぱいに共に走り回っていたからだ。


その裏で、日々大人でも泣いてしまう程の治療に耐えてるなど、考えもしなかった。


あの時、もっと彩夏の事を深く知っていれば。


ただ共に遊ぶだけではなく、もっと早く彩夏の置かれている状況に気づき、何かしてあげられていたら………。


もうどうにも出来ない後悔だけが、颯太を襲い、やり残した想いは募っていくばかりだった。




時日は巡り、再び梅雨の季節がやってくる。


颯太は、空を仰ぎ、彩夏の織った鶴と共に、今日も梅雨の遊園地カーニヴァルへと出掛けて行った。




___きっと彩夏も、空で同じように遊んでいる、そう信じて。





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初めての短編作を最後まで拝読して頂き、本当にありがとうございましたm(__)m


連載の間に、たまに短編作を更新するかもしれませんので、もしまた機会があったら覗かれてみてくださいませm(__)m

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37日間の恋 霧生神威 @kamui_kiryu

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