#01-12「あなたたちはどこまで逃げられるでしょうか」

 二月十四日。

 バレンタインデー当日。

『神聖なる第一次反チョコレート大作戦』の火蓋は、帝都の海に浮かぶ島にあるコーベ空港にて切って落とされた。マフィアの密輸する宝石入りチョコレートは、この日の夜にこの空港から出荷されるのだ。そこからチョコを盗み出し、なんとかマフィアたちに一泡吹かせてやるために、僕たち西宮カレン怪盗団一行は空港に来ていた。

 空港近くの茂みから敷地内をのぞく。するとそこに、飛空船が停まっているのが見えた。

「あれだ」

 大きなくじらの形をした飛空船。僕たち一行が乗り込んだところで軽く一飲みしてしまえそうな風貌で、出立をいまや遅しと待っている。

 くじらの飛空船のまわりを見ると、なにやら作業をしている黒い人影がちらほら見えた。コーベ・マフィアたちだ。大小さまざまな荷物を運んでいる。彼らはいままさに、くじら型の飛空船に宝石入りのチョコレートの積み込み作業をしているらしい。

「大きなお船であります」

「警備の手も厚いのだ。ここから見ただけでも数人、マフィアが敷地内を警邏けいらしている」

「正面突破でありますか」

「おハナ、待つの。多勢に無勢じゃ突破口は見えないの」

「カレン、ここは二手にわかれよう」

「そうだね。梅田、わたしについて来て。おミソとおハナはあっち」

「わかった」

「どうしてぼくがこんなバカと!」

「わーい、かなで殿とおさんぽであります!」

「花熊、今日はおさんぽじゃないのだっ……ていうかきみ、どうしてそんな重たそうな荷物を……」

「お楽しみであります!」

 ぶうぶう文句を垂れる三十重は、僕たちに恨みがましい目を向けながら、やたらでかい荷物を背負った花熊といっしょに反対側の道を進んでいった。ていうかほんとになにが入ってんだあの荷物。二月のクソ寒いなか、空港の滑走路でキャンプでもするつもりか?

 ふたりにはもちろん無線通信機を渡してある。なにかあったら三十重から連絡をくれるだろう。

「カレン、僕たちも行こう」

「うん」

 僕とカレンは、空港の海側にまわった。

 カレンはまだ魔法を発現させておらず、怪盗・《カレイドガール》姿のままである。持てる《魔糖菓子マナドルチェ》の数にも限りがあるし、そもそもカレンがチョコレートをあまり食べたがらないから、いざというときにだけ食べるようにしているのだ。甘いものが苦手な彼女は、いつも自分の媒菓を「決死!」みたいな顔で食べるのである。まじで《魔糖少女ドルチアリア》失格だよなこいつ。

 夜のコーベの海は、昼間と表情が異なる。うみねこが鳴き、コーベ市民の楽しげな笑い声が響く昼の海とは違って、夜の海は静かな闇をたたえ、寄せては返す波の音だけが包み込んでくれる。二月の夜の海には身を切るように冷たい風が吹いていた。

 そんな物憂げな表情の海を眺めながら、僕とカレンはくじらの飛空船へと急いだ。

 そんななか、カレンが進行方向の埠頭を指差して、僕のほうを向いた。

「ねえ、梅田。あれ……」

「ん?」

 カレンが訝しげな声をあげながら指差す先を見た僕は、「うげ」とへんな声を出してしまった。しかしそれも無理からぬ話であろう。夜の闇に沈む埠頭にビーチチェアとビーチパラソルがしつらえられていたら、そりゃあだれだって驚くだろう。そしてその上に横たわっている人物に見覚えがあったら、そりゃあもっと驚くだろう。そしてそして、この真冬にその人物が水着で寝そべっていたら、「うげ」なんて声を出してもしかたがないはずだ。

 人影がうめくのが聞こえた。

「うぅん、やっぱり南国リゾートの海風は気持ちいいわねえ」

「警部、そろそろお風邪を召しますよ」

「あとちょっとくらいいいじゃない、御影も頭が硬いわね」

「面目もございません」

「いいのよ、わたくしの心はこの南国の海よりも広いんだから。おーっほっほっほ!」

 ヒョーゴ警察のえらいひと、夙川警部。

 そしてその補佐官、御影さんだ。

「なにやってんだこいつら……」

「さあ……」

 呆れた僕とカレンがぼんやり突っ立っていると、それを見つけた夙川警部ががばっと起き上がった。

「ああッ、西宮カレンとその探偵っ! 名前なんだっけ……そうだ、松田!」

「梅田だよ!」

 松竹梅でランク上がっちゃったじゃん。

「けーぶなにしてんの」

 明らかに面倒くさそうな口調でカレンが訊ねる。警部はわざわざ丁寧にそれに答えてくれる。

「わたくしの優秀な補佐官である御影の魔法で、南国リゾート気分を味わっていたのですわ。忙しいわたくしはリゾートにも行けませんの」

「職権濫用じゃねえか」

「……って、『なにしてんの』はこっちの台詞ですわっ。西宮カレン一味、どうせまた悪事を働こうとしているのでしょう!」

 決めつけるような警部の言葉。めんどくさいとは思いながらも、僕はいちおう反論しようとする。

「ち——」

「口答えを聞くつもりなどありませんわっ」もうちょっとくらい言わせろよ!

 台詞をほとんど言えなかった僕の哀愁など知らんぷりの夙川警部は、ビーチチェアから颯爽と飛び降りた。ひらひらフリルの付いたハイビスカス柄の水着を惜しげもなく見せびらかしながら、僕たちの目の前にででんと対峙する。正直目のやり場に困るんだがそう暢気なことを言っていられる場合でもない。ちなみに夙川警部のお胸はつつましい。

「御影ッ!」

「おそばに」

 御影さんが警部のそばにひざまずく。警部がいつもの日傘を広げ、僕たちを指差す。そして警部が声高に言い放った。

「カレイドガールを捕らえなさい!」

「御意」

 御影さんの身体から真紅の光がほとばしった。束の間、それまで寄せる波の音に包まれていた周囲の景色は一転、不気味な霧の立ち込める薄暗い森の奥深くに、いつのまにか僕たちは迷い込んでいた。

「くそっ」

「ひぃぃ」

 とつぜん気味の悪い景色に放り込まれた僕たちは思わず縮こまった。夙川警部の優秀な補佐官・御影さんは、ヒョーゴ警察でも屈指の《ドルチアリア》である。

「さあ。西宮カレン、梅田くん」

 御影さんは言った。「私の魔法——《現想幻実テレリアル》から、あなたたちはどこまで逃げられるでしょうか」

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