勇者と魔王

 しん、と音が沈み込むような夜の森。

 勇者は、ひとり太い樹の枝に寝そべっていた。

 

「魔王……」


 勇者は埃と血に塗れた上着をきつく握りしめた。

 魔王は言っていた。

 いつか魔王を殺せ、それが勇者の役目なのだから、と。


 意味が分からない。


 幼い頃、勇者と魔王の物語を絵本で読み聞かされたことを勇者はおぼろげながらも思い出す。

 小さな村に生まれた男の子が、世界を脅かす魔人の王を討ち取る話。

 それはとても牧歌的で、力なき者に夢を与える英雄譚で。

 とうの昔に風化した時代のお話だった。


 勇者のいた時代にあった技術は、今の時代になるとほとんど失われてしまっていた。

 魔王のいた時代にあった魔法は、魔人が殺され尽くされた影響で失われてしまっていた。

 もう魔王など生まれるはずもない時代に、まさか勇者や魔王などと……。


「どうかしてるよ」


 勇者は自嘲気味に笑い、右手の甲に視線をやる。

 月明かりに照らされて、赤い刻印が露わになる。

 それは、魔王の左手に刻まれた黒い印と鏡写しになる印。


 魔王は魔法を使っていた。


 勇者は理屈ではなく、直感でそう理解した。

 つまり、魔王は魔人の生き残りということなのだろう。そう考えると、前触れもなく黒雲が空を覆ったことや、兵器もなしに王城が破壊されたことに説明がつく。


 しかし、それでもやはり、魔王のすることの意味が分からなかった。

 それほどの力がありながら、どうして世界を滅ぼさず、一国を滅ぼすにとどめたのか。


「…………」


 勇者は右手を強く握り締める。

 どれだけ考えても、魔王の言動には疑問が残る。

 違和感が残る。

 歯の隙間に細い筋が挟まったような不快感。


「ああ、くそ」


 勇者は揺れる木の葉の向こう側に見える月を殴る。

 空を切る音が、透き通った闇を切り裂いた。

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ひとくち勇者 めそ @me-so

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