林檎飴
碧 合歓
林檎飴
つい、
スーツすら脱がずにベッドに倒れこむと、
しばらくしてから喧噪に耐えられず目が覚めた。
はじめに聞いたのは鈴の音。次に笛と太鼓のどんちゃん騒ぎ。
そこは見知らぬ森の中だった。
一瞬で夢だと自覚した。だが、同時に現実なのだとも実感した。
不思議なものだ、私は夢の中にいて現実の中にいるのだ。
遠くに見える朱色の塔が大きく浮かび、目の前に整然と並ぶ朱色の鳥居は小さく目に映る。
鳥居の奥、ずっとずっと奥に明かりが見えた。塔が立っている方角だ。
それは、京都の
真っ暗な世界にあってその周りだけは輝いていた。命の灯火をそこに感じた。
鳥居の目の前で行くまいか悩んでいると、横をトラ柄の猫が駆けていった。
猫が、通り過ぎる瞬間、私に向かって話す。
「貴方はお祭りにいかないのかい?」
「お祭りとは、何のことだ?」
私は猫に向かって問いかけた。
「祭りは祭りさ、今日は年に一度の開門の日さ」
猫はそう言うと、「早くおじいさんに会いたいから行くよ」と言ってそのまま塔の方へと駆けていった。
祭りとは愉快な響きだ。祭りは嫌いではない逆に祭りの喧噪は好きだ、だから私は猫に倣って鳥居をくぐり歩き出した。
鳥居を数えてちょうど百に達した頃だろうか、目の前に見えていた鳥居が消えた。
そこで私は私自身の目を疑った。
本当に祭りをやっていたのだ。塔まで一直線の石畳の道の脇には、様々な屋台が立ち並び、その周囲には二階建て、三階建ての屋敷が所狭しと連なっている。
明かりを照らす障子戸には酒を注ぐ遊女の影が浮かんでいる。
明かりを照らす障子戸には酒を呷る男たちの影が浮かんでいる。
明かりを照らす障子戸には静かに語り合う老夫婦の影が浮かんでいる。
皆、一同に笑い合っている。
さらに驚くべき光景が目に入った。
ある一つの屋台で林檎飴を売っている店主。額には二本の角、口角から覗く鋭い牙。鬼だ。
鬼が屋台で
私は鬼など見たことがなかった。ましてや、笑う鬼など昔読んだ絵本でしか見たことがない。
怖いもの見たさに、その屋台に足を運んだ。
「やぁ、店主さん、私にも林檎飴を貰えないか?」
「はいよ、兄ちゃん、二本でいいかい?」
「二本?何を言ってるんだ。私は一人だ、二つも食べられない」
店主は一瞬間抜けな顔をしたがすぐに笑い始めた。
「兄ちゃん、お連れさんを忘れるとは浮かれすぎじゃないかい」
そう言って、店主は私の後ろを指さした。
そこには一人の女性が佇んでいた。私の方を向くと小さく微笑む。
私は内心どぎまぎして店主から二本の林檎飴を受け取った。
彼女と二人で石畳の道を進む。私は左手に持った林檎飴を彼女へと差し出した。
「なんだ、こんな所にいたのか」
「はい、ずっといましたよ」
「それはすまなかった、気がつかないで」
「本当に酷い方ですね、全然変わっていません」
彼女は林檎飴を齧るとそっぽを向いてしまった。
たしか、前にもこんなことがあった気がする。
そう、去年の夏祭りの時。私は彼女と屋台を回る約束をしていたのに仕事で遅れてしまったのだ。私は急いで待ち合わせ場所に向かった。案の定遅れて着いた私はこっぴどく叱られてしまった。
その時、一番初めに彼女と食べた物が林檎飴だった。彼女の好物だった。
あの時も彼女は林檎飴を一口食べるとそっぽを向いていたか。
私はそれを思い出し、小さく笑ってしまう。
それを見た彼女は、少し拗ねたような仕草をした。
「あの時は、すまなかったな」
「いいですよ、もう前の出来事ですから」
私たちは林檎飴を齧りつつ石畳の道を進む。
半分程は来ただろうか。すでに林檎飴は食べ終わってしまった。
私たちの横を浴衣を来た子犬たちが走り去る。純白の着物に身を包み、袖から白い鱗が覗く女性が横を通り過ぎる。猫の耳を生やした男の子がおじいちゃんの手を引いて私たちを追い越してゆく。
それを眺めながら。
「子ども、欲しかったですね」
「そうだな」
「猫も、飼ってみたかったですね」
「そうだな」
私たちは一歩ずつ塔に近づいていく。
この手は、私なのか彼女なのか、自然と手を繋いでいた。
「なぁ、林檎飴、もう一つ食べて行かないか」
「そうですね、それも、いいですね」
彼女の手を引いて私は近くの屋台へと歩いて行った。
今度の店主は猫又だった。
「オヤオヤ、仲のいい方ですネ」
「林檎飴、二つ貰えるかな」
「はいですニャ、オマケもつけちゃうヨ」
そう言って店主は二尾をフラフラと揺らしながら私の手に何かを握らせた。
あるはずのない物が、初対面の猫又から手渡された。それは白色の兎の髪飾りだった。
私は一瞬、ドキリとした。
これは、私が彼女のために買っておいた髪飾りだ。
「店主さん、これはどこで?」
「他言は無用、今日は年に一度のお祭りなんだから楽しまないト」
そう言って、店主は二本の林檎飴を差し出す。
私は何も言えないままに林檎飴を受け取った。
私たちは、また歩き出す。
途中、彼女と道端に寄ると髪の毛を髪飾りで止めてやる。
彼女は一瞬驚いて、すぐに頬を赤らめると
髪飾りを撫でる指が艶やかに私には見えた。
「誕生日プレゼント、遅くなってすまない」
「いいですよ、とても嬉しいですから」
彼女はすぐに空いた右手で私の左手を握った。
「さ、祭りも終わってしまいますから行きましょう」
私は頷くと歩き出した。
塔が、もうすぐそこまで近づいてきた。
「もうすぐ、終わってしまいますね」
「そうだな」
「寂しいですね」
「そうだな、でも会えないわけじゃない」
「そうですね」
塔の前までやってきた。目の前には巨大な木製の門が佇んでいる。
彼女が握っていた右手を緩める。私はそのまま掴みたい衝動にかられたが、寸前で我慢する。
「心配しないでください、また会えると言ったではないですか」
不安が顔に出ていたらしい。彼女はまた近づいて手を握る。
「あぁ、そうだったな」
「それでは、また会いましょう」
「また来年だな」
一度、軽く
私は、姿が見えなくなるまで手を振っていた。
手に持っていた林檎飴はすでに食べ終わっていた。
朝、目が覚めると、何故か無性に散歩をしたくなっていた。
昨日洗い忘れた体を軽くシャワーを浴びて綺麗にする。そして、私は家を後にした。
朝の空気を感じながら歩いていると、いつの間にか私は近所の神社にたどり着いている。
そこは、朝だというのに活気にあふれている。たくさんの屋台が設営をしていた。
思い出した。今日は町内のお祭りの日だった。私は近くの木陰に暑くなり始めた太陽の日差しから逃げるように移動すると、その風景を眺めながらふと視線を下ろす。トラ柄の猫が私の足に擦り寄って来る。
私はしゃがみ猫を抱き上げる。
たくさんの屋台が設営をしていた。食べ物を焼く白い煙が立ち上る。
どこかで見覚えがあるような気がした。煙になった白兎の髪飾り。
猫が私の顔を小さな舌で舐めるので、顔を横に向けると、一つの看板が目に入った。
林檎飴。
それは、あのお祭りの日の彼女の頬そっくりで、初めて交わした接吻の味がして。
今日は林檎飴を食べに来よう。
それは、もう会えない彼女の面影を思い出す。
林檎飴 碧 合歓 @yukarimidori
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます