女子高生と時々幽霊ちゃん

むらさき

第1話 Ep.1 あむ

 少し肌寒い。

 部室から廊下へ出た瞬間に、『あむ』は身震いをする。

 少し高めの位置でポニーテールに結んだピンク色の髪が、窓から差し込む月光に照らされる。

 先日まで鳴いていたヒグラシもすっかり息絶えてしまった。

 カーディガンの着用が許可されたとはいえ、終戦直後に建設された旧校舎は隙間風も入り込み放題とあれば外気温と変わらない。

 「あーあ、すっかり遅くなっちゃった」

 少し体重移動をしただけで、校舎内に響く床がきしむ音を嫌がるかのように、あむは呟いた。

 美術部に所属するあむは、直前に迫ったコンクールに提出する作品を完成させるために部室に1人だけで残っていた。

 140cm後半という小柄な体格ではあるが、快活で人懐っこい性格で、一見運動部に所属していそうな印象を受けるが、彼女を知る友人達から『天性の運動下手』の称号を与えられているあたり、やはり人は見かけではないらしい。

 そんな運動下手のあむゆえに、で『転ばずに駆け抜けられた』ことを、彼女は後に誇らしげに語ることとなる。

 それでは へ向かうために話を進めよう。

 部室に鍵がかかっていることを確認したあむは、そのまま廊下を通り、東側の階段を下る。

 3階から2階へとつなぐ階段の一番下の段にはヒビが入っているため、一段飛ばして2階。そして1階へ。

 誰とも出会わないし、どの教室にも明かりは灯っていない。

 どうやら今この旧校舎にいるのはあむだけのようだ。

 西の端にある昇降口へと向かい、長い廊下を早歩きで進む。

 途中にトイレがあるのだが、その前に差し掛かった時にあむは足を止めた。

 誰かの泣き声がトイレの中から漏れ出している。

 何かを耐えるような、すすり泣きの声が。

 嫌だな、とあむは思う。

 それはこの『いかにも』な状況と、それを見過ごせない自分の性格ともに。

 あむと同じ事態に置かれたとき、大多数の生徒が無視して通り過ぎるだろう。

 しかし、あむにはそれが出来なかった。

 夜の旧校舎、人気がないトイレで泣いている人間がいたとすれば、それはよっぽど困ったり、追い込まれたりしている可能性が高い。

 そうなのだとしたら、何か力になりたいと思ってしまうのだ。

 あむはそれが嫌だった。

 手を差し伸べた結果、うまくいかずに逆に怨まれたり、手に負えなくなり結局友人まで巻き込んでしまうことになったりと、結局自分一人では何もできないままのことの方が多いのだ。

 それでも……

 あむはトイレへと続くトビラを開く。

 そうしてしまうのが、あむなのだ。




 声の主はすぐに見つかった。

 トイレに入ってすぐ正面にある洗面台の前に、『彼女』は立っていた。

 扉に背を向けているため表情は見えないが、腰のあたりまで伸びた白い髪を小刻みに揺らしながらすすり泣いている。

 後ろ姿なので断言はできないが、あむが知っている生徒ではないような気もする。

「どうしたの?」

 泣いている少女は一瞬ビクッと体を硬直させる。返事はない。

「なんで泣いてるの?」

「……無いの」

 その声は若干かすれてはいるが、か細く透き通っているように聞こえた。

 この空間に反響しているのか、正面にいるはずなのに、後ろや横で話をしているかのような錯覚をする。

「無いって……何か無くしたの? それなら僕が一緒に探すよ?」

 帰るのが遅くなるとお母さんにメールを送らないといけないな、とあむは思った。

 ゆっくりと、『彼女』があむの方へと振り返る。

 泣いているはずの『彼女』の顔には涙の後など存在しなかった。

 それどころか『彼女』の顔には、目も、鼻も存在しなかった。

 1つだけ残った口だけが、にやりと歪んでいる。

「ひっ!」

 その『彼女』の顔を見て、あむは悲鳴をあげかける。

 いや、叫びたかったが声が続かない。何かに喉を締め付けられているかのように息苦しい。

 ハッハッと舌を出した犬のような短い呼吸だけかろうじてできた。

 『彼女』はゆらりとあむに一歩近づく。

 まるでスローモーションでも見ているかのような、重力など存在しないかのような不自然な前進。

「ねえ、顔が無いの……」

 『彼女』はクスクスと笑う。自分を見て恐怖するあむを馬鹿にするかのように。

 あむは『彼女』から目を離さない。いや、離せない。まばたきも、眼球すら動かすことが出来ない。それなのに、『彼女』を見失った。

 あむの目の前にいた『彼女』は姿を消した。

 そして次の瞬間

「その顔、良いな……」

 ぬるりと纏わりつくような声が聞こえた。

 あむの耳元で。背後で。『彼女』は後ろにいる。

 『彼女』が指をあむのポニーテールに巻き付けて遊んでいる。

 その様子をあむは見ることができないが、なぜかはっきりと分かった。

 逃げなくちゃ。

 脳はずっと警鐘を鳴らし続けている。だが体が言うことを聞かない。

 『彼女』の指がポニーテールから離れ、あむの背筋を這う。

 ぞわりとした感覚。

 助けて……あむは必死に祈る。お母さん、お父さん、神様……

 そして最後に思い浮かべたのは1人の友人達の顔だった。

  灰色のショートカット。頭頂部から天高く伸びた癖毛をいつも揺らしている笑顔が眩しい友人。

 その友人が口癖のように言っている言葉。

『大丈夫だよ!』

 こんな状況でもきっと彼女ならそう口にするだろう。

 「馬鹿かよ!」とあむは脳内に浮かんだ友人を罵倒する。

 何が大丈夫なんだ。僕がこんな目にあっているのに何をヘラヘラと笑っているんだ。

 あいつの頭を一発はたいてやらないといけない。

 そのためにも逃げないと。

 そう考えた瞬間に全身に力が戻る。

 動ける!

 「うわああああああ!!」

 あむは振り向いて思いっきり『彼女』を突き飛ばそうとした。

 感触がない。冷凍庫の様な冷気を押しただけだった。

 だが転がるようにトイレから出ることに成功する。

 体制を崩しながらもなんとか転ばずに、何度もつまずきながらも決して止まることなくあむは走る。

 無我夢中で走った。息をすることすら忘れていた。

 そのまま上履きのまま旧校舎から脱出し、校庭を駆け抜け、通学路に出たところでようやく、膝をつく。

 「はぁ……はぁ……」

 荒い呼吸。心臓が痛い。

 恐る恐る後ろを振り向くが、そこに『彼女』の姿はない。

 助かった……

 あむはしばらく動けずにいたが、やがて壁に手をついてゆっくりと立ち上がるとふらふらと家路へとついた。




 旧校舎の窓から、『彼女』は走り去るあむの姿を見ていた。

 あむの姿が見えなくなると、小さく手を振り「」と呟いた。

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