パパの歌
「なんだ? 一体どうした?」
立ち止まった集団の中にいた無精髭の男は、彼の二度に渡る悲鳴を聞きつけていたが、未だに彼の姿を捉えられていなかった。たった一本の光で近づいてくる獣を追い払いつつ、暗闇の中から彼を見つけなくてはいけない。
男にとって、その化け物を光だけで追い払うのはかなり容易いことだった。慣れている。もう何十年も、赤い目の化け物を相手にしてきたのだ。要領は心得ていたし、油断を抱く要素もなかった。だが、それをやりつつ、とは、目を閉じながら、靴箱から好みの靴を選び抜き、履き、紐を結ぶという行為と同じで、中々一筋縄ではいかない。頼れる仲間たちも、(恐らく)彼が転んだ方角とは違う向きで化け物を追い払っている。急がなければと気持ちばかりが先をいった。
「うわ! くるな! うわ! うわ……」
と、その焦りはさらに加速した。暗闇から突如として響いた新たな悲鳴は、紛れも無く彼の声だった。無精髭の男は、その言葉を耳にすると反射的に叫ぶ。
「タナカ! どこだ!」
叫んで、光だけだった長ものから残り少ない銃弾を発射し始めた。火急の如き勢いで、化け物を退治し、できる僅かな間で彼を探し続けた。と、男の目は何かを捉えると、まるで梟のようにその目を見開いた。化け物たちの小山が、向こうに出来上がっているのだ。
男は長ものを、その小山に向けると、自身にも化け物が来ていることを承知で引き金を引いた。そして、次には、長ものから出るはずの音の代わりにと、自分の口から音を漏らす。
「……弾が、切れた」
それが絶望的であったことは言うまでもない。男は屈強であることは確かだが、何十匹もの化け物に一度に襲われては敵うはずもない。それに彼を助けるという決死の目的が果たせなかったことで、彼の身の内には、それに抗おうとする熱い気力すら失われていた。
化け物の一匹が男に飛びかかる。それを男はただボーッと見つめていた。その爪が、鋭い歯が男に届く。まさにその瞬間だった。
「馬鹿。何をしてるんだ!」
化け物は左方向に突如として体の進路を変えると、着地もままならずそのまま地に伏した。それを見た他の化け物たちの足が止まる。と、呆然とする無精髭の男に近づいた影があった。
「自殺したいのか? この馬鹿」
白い髪に白い眉、それから白い髭を持った体格の良い男性だ。この軍隊のリーダーである男性だ。精悍な瞳をさらに細めた男は無精髭の黒い男を土搗きながらそう言い、そのまま男の肩を掴むと、無理やりに彼を放送室へと向かう方向に動かした。躙り寄る化け物たちを光で制しながらである。
黒い男はその力にズルズルと引き摺られたが、あるところで、気が付いたようにハッとなると、急に白い男に対して叫び出した。
「タナカが! タナカがあそこにいるんだ! 放せよ!」
何も見えない真っ暗闇を指差してそう宣う。すると、白い男は彼に言い聞かせるように叫び返した。
「おい! もう無理だ。諦めろ。早くここを動かないとこっちが死んじまう!」
「知るか! あいつの方が大切だ! 俺の子なんだぞ!」
ところがだ。黒い男には執着に対する理由があったのだ。息子の死を目撃するということは、他の何にも耐え難い苦痛だ。白い男はそれを聞くと、眉を顰めてしまった。だが、彼が再び何かを叫ぶ前に、男は自身にも言い聞かせるように男に罵声を浴びせた。
「ええい。この馬鹿野郎! 黙っていろ!」
そして、他の二人がすぐ傍に近づいてくると、その二人に苛立った声で言う。
「おい、二人で脇を抱えろ!」
白い男は隊長だ。二人の男は是非もなくそれに従い、まるで駄々っ子のように何かをまた叫ぶ黒い男を抱えた。そして「連れてけ」というと、放送室の方角まで引き摺られていく。二人の男はそうしながらも、片手で化け物を追い払い続け、白い男が最後尾を警護した。
四人が光に向かい、闇の内に消えていく。
「放せ! 放せよ! くそ、タナカ! タナカー!」
その闇から一人の男が発する、息子を求める野太い声はそれ以降も際限なく聞こえたが、しかし返ってくる声は、猿のような、獣の声だけだった。
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