ぐるぐるエンチャント

葉月 弐斗一

ぐるぐるエンチャント

 都市と街を結ぶ森道に、大きな衝撃音が轟いた。樹齢百年を超える老木が数本、音を立てて倒れる。

「うわああああああああああああああああ!!」

 倒れる木に巻き込まれないように命からがら這い出すと、リンクは悲鳴を上げながら駆け出した。右腕を錆びた手甲ガントレットで覆い、腰には数本の刃こぼれした投げナイフ。短く刈りそろえた金髪が特徴的な線の細い青年だ。町の外で魔物と戦うことを許された、冒険者と呼ばれる者だ。

 そんな彼を一羽の兎が追う。腰から下が良く発達しており、後肢うしろあしは走るより飛び跳ねるのに向いている。些細な音を聞き取る長く大きな耳に、ルビーのような赤い目。大きさこそ中型犬ほどもあるが、普通の兎と遜色ない。しかしながらただ一点において、普通のウサギと大きく違っていた。

 彼の獣の額には、太く立派な一本の角が生えていた。

 様々な森に生息するウサギの魔物、ツノウサギだ。

 ツノウサギは、その健脚であっという間にリンクとの距離を詰めた。そして、一跳びの距離まで近づくと、立派な一本角を右へ左へと逃げるリンクに向ける。二、三度後肢で地面を掻く。

「やっば!」

 次の瞬間、力を十分に溜めたツノウサギは、照準をリンクにつけ、矢のように飛び出した。

「ぎゃああああああああああああああ!!」

 射線上に立ちはだかる木々を薙ぎ払い、ツノウサギはリンクの足元に突き刺さった。思わぬ衝撃に地面ごと、リンクも吹き飛ばされる。一歩足を前に出していれば、骨折は免れなかっただろう。あちこちで倒れている木々のほとんども、同じようにツノウサギが薙ぎ払ったものだ。

 とはいえ、ツノウサギが特別強いわけではない。無論、魔物なのである程度の危険は伴うにしても、危険度で言えばむしろほぼ無害なことで有名な魔物だ。肉は柔らかく妙な癖もない。毛皮は小物入れから防寒着まで自由自在。骨や角は装飾品に薬の材料にと、全身余すことなく捨てるところがないため、暇そうな冒険者や駆け出し冒険者を見つけると、お遣い感覚で頼んでくるほどだ。リンクも今朝早く、薬屋から角三本の納品を頼まれたところであった。今はその一羽目だが、太陽は昼をやや過ぎている。この調子ではいつ終わるか分かったものではない。

「何が初級編だよぉ!」

 ほうぼうの体で立ち上がるとリンクは一気に駆け出す。叫ぶ声は今にも泣きだしそうだ。

 なぜ、リンクがこんなにも苦戦しているのか。単純な話だ。彼が駆け出し冒険者の水準にすら至っていないからだ。

 あえて他の理由を探すとすれば、相性だろうか。

 戦士であれば、その頑丈さで攻撃を受け止めることが出来ただろう。

 弓兵や魔法使いであれば、ツノウサギの間合いの外から攻撃できたに違いない。

 盗賊であれば、速度の勝負で優位に立つことが出来たはずだ。

 だが、リンクはそのいずれでもなかった。

「やっぱり一人って厳しいのかなぁ」

 ある程度距離を離すと、リンクはチラリと後ろを振り返った。ツノウサギもようやく突き刺さった地面から這い出せたようだ。鼻をヒクつかせてリンクを探っている。

 リンクが初めて街の外に出て一か月。当初こそ先達に付き従っていたが、度を越した足手まといさと頑固さで、今では同行しようとする者はいなくなっていた。そのため、この二週間は単独で行動する羽目になっている。

「でもあの人たちと一緒に行動したくないしなぁ」

 木の陰に隠れ、リンクはつぶやく。幸いなことにツノウサギはまだリンクを見つけていないようだ。

 冒険者の中には、商人たちを見下し些細な依頼に莫大な報酬を要求するものが少なくない。簡単な依頼の見返りに金銭とは別に、飲食代や装飾品代を踏み倒すなどよく聞く話だ。特に、上級、腕利き、歴戦などと称される者ほどその傾向が顕著けんちょになっている。彼らは、危険に対する正当な報酬とのたまっており、そんな彼らと同じように美味しい思いをしたいという思いで冒険者を目指す者も珍しくはない。だが、リンクにはそれが許せなかった。だからこそ横柄な先達と衝突し、今に至る。

――今の僕には圧倒的に経験値が足りない。

 だからこそ初級編と名高いツノウサギの狩猟に挑んでみたが、結果はよろしくない。

「しかしどうしようかなぁ」

 効果的なのは、地面に突き刺さったツノウサギを背後から襲うことだろう。だが、ツノウサギの突進の衝撃力は強く、突進を誘っても先ほどのように吹き飛ばされるだけだ。なにより、持っている投げナイフではろくにダメージを与えられない。

「やっぱりこれしかしかないか」

 足元に落ちていた手頃な枝を拾い上げ、リンクは目をつぶり精神を集中させた。同じころ、ツノウサギが、リンクを発見した。

「衝撃を以て――」

 リンクの言葉に呼応するように、枝を白く淡く光る帯が取り囲む。ツノウサギは、ほんの数回の跳躍でリンクとの距離を一気に詰める。

「暗黒なる風の力を――」

 残り一跳躍の距離にまで縮むと、ツノウサギはリンクの背後で力を溜め始めた。リンクの持つ光の帯は緑色に色を変え、一文節ごとに枝に巻き付いていく。

「開放せよ」

 詠いあげると同時に、ツノウサギはリンクとの間に立つ木をものともせず、突進をした。一方のリンクは、右に飛び退き、光の帯が同化した枝を立っていた場所に放り投げた。

 木を貫いて現れたツノウサギと、リンクの放り投げた枝がぶつかる。

「ミャァァァァァァァァァァァッ!!」

 次の瞬間、喧嘩中の猫のような声を上げて、ツノウサギの体を疾風が切り裂いた。毛皮や肉はおろか、角や骨すら瞬く間に切り刻む。

 付術エンチャントと呼ばれる、物体に様々な能力を付与する術によるものだ。枝から疾風を発生させることは序の口で、ハンマーで鉄を切り裂く事すら可能にする。そして付術を操る者を人々は、付術師エンチャンターと呼んだ。

「あと二羽!」

 額の汗をぬぐい、付術師リンクは次の獲物へと、決意を新たにするのであった。


▽  ▲   ▽   ▲


 夕方の料亭は仕事終わりの職人や冒険者で溢れかえっていた。リンクも店の端に位置するいつものカウンター席に座ると、いつものように野菜炒めを注文する。店を見渡すと、どの卓も人々が思い思いに憩い、時には笑い、時には歌い、仕事の疲れを癒している。

「今日は人が多いね」

 安息日前ではない筈だが、普段よりも店が活気づいているように感じる。見かけない顔も多いようだが、何かあったのだろうか。

 そんなリンクの疑問に答えるように、カウンター越しに声がかかった。

「そりゃそうよ」

「なんで?」

 声の方に目をやり問いかける。気の強そうなツリ目と、肉付きの良い大きな胸が特徴の看板娘のカレンがいた。リンクとは同い年の幼馴染だが、はぐれ者のリンクとは違い、気立てと見た目の良さで多くの客に慕われている。

「リムーブ様がお越しだからね」

 言ってカレンは騒ぎの人々の中心の方を指さす。

 リムーブは勇者の冒険者だ。勇者は人々に無慈悲な災害を振りまくと言われる四種の魔物『竜種』、『巨人族』、『不死者』、『邪教転生者』の全てを討ち取った者のみが名乗れる最高位の冒険職だ。その数は歴史を振り返っても両手で足りるほどだと言われている。曰く人々を導く武具を天与されたとか、曰く一跳びで雲まで至ったとか、功績を示す噂は枚挙に暇がない。

 紛れもない偉人が来ているのだ。冒険者ならずとも浮足立つというものだし、見かけない顔は恐らくリムーブの取り巻き達だろう。体をひねったり、伸ばしてみたりしてリンクも一目拝めないかと励んでみたが、人垣に阻まれて見えなかった。

「あぁ、なるほど」

 諦めたように呟いて、リンクは席に着く。カウンターを見れば、カレンも諦めたように頭を振っていた。思わぬ盛況に、彼女もうれしい悲鳴を通り越して辟易へきえきしているのだろう。

「でもなんでこんなところに?」

 この街に勇者の力を借りないといけないような大きな脅威が迫っているという話は聞いたことがない。

「大規模遠征の準備をするために三か月ほど滞在なさるそうよ」

 これだけの大所帯だ。最近は都市周辺でのキャンプも禁止されたと聞く。頑丈な壁に囲まれた都市よりは、出入りの容易な街の方が滞在するには楽なのだろう。強いっていうのも大変なんだなぁ、とリンクは一人納得した。

「それで、どうだったの!?」

 見えぬ偉人より見える知人。カウンターから身を乗り出して、カレンはリンクに問いかける。

「え、と……何が?」

「仕事の首尾に決まってるでしょ? 誰が斡旋してあげたか忘れたの? 聞かせなさいよ」

 目を輝かせるカレンに、リンクは今日の出来事を一つ一つ話し始めた。

「結局仕留められたのはその一羽だけ?」

「はい」

「しかもその角はバラバラになってたせいで買い取ってもらえなかったと」

「……はい」

「その上傷だらけのアンタを不憫に思った薬屋の親父から傷薬を恵んでもらったわけね」

「…………はい」

 説明が終わると、カレンは一つ一つ話をまとめた。返答するたび、リンクは語気を弱めていく。その構図はまるで警邏けいらと犯罪者のようであった。葬儀さながらに、リンクは沈んでいく。明るく盛り上がる店内の一角だけが妙に暗いのは恐らく、照明のせいだけではないだろう。

「………………はぁ」

 そんなリンクの態度にカレンは大きなため息を吐く。

 期待していた、訳ではない。それでも先達から見放されて悩むリンクに単独行動を提案や、薬草や山菜の採取などリンクでもこなせそうな依頼を斡旋してきたのはカレンだ。今日も、初めての魔物討伐ということでささやかながらお祝いを用意していた。それにもかかわらず、この世の終わりのような顔で店を訪れたリンクに、カレンの気持ちは乱されてしまった。

「まぁでも、アンタが五体満足で帰ってきたんだから良いか!」

 自分自身に言い聞かせるようにして、カレンは気持ちを切り替えた。

「カレンちゃん……」

「ほら、いつまでもうじうじしてないで食べなさい! 一羽だってやっつけたんだから重々でしょ! 今日はアタシのおごりだから存分に食べなさい!」

 そう言って、カレンは皿いっぱいの野菜炒めを差し出した。入っている肉はリンクが狩ったツノウサギのものだ。

「アンタもあの人みたいになれるように精進なさいね!」

「あの人?」

「そ! お野菜の危機を救ってくれたの」

 昼下がりの事である。リンクの祝いに使う野菜を採るため、カレンは町の外れにある畑に取りに出た。手間暇かけて育てた自慢の野菜がしっかりと育っていることを確認しつつ、トマトやピーマンをかごに詰めていった。と、突如、森の方から大きな音が響いた。

「どうせ魔法使いが調子に乗ってデカい魔法をぶっ放したんだろうと思ったわ」

 真っ先にリンクの事が脳裏によぎったのは伏せて、カレンは話を続ける。

「深く考えず野菜を採ってたらね、森の方から嘴のやたら長い鳥――パパがツッツキキツツキじゃないかって言ってたわ――が飛んで来るじゃない!」

 数としては数羽だったが、カレンは本能的に恐怖を覚えた。心が警鐘を鳴らすが、足がすくんで動けない。悲鳴を上げようにも体が震えて満足に呼吸もできない。ツッツキキツツキはカレンのすぐそばまで迫っている。

「もうダメかと思った次の瞬間ね、どこからともなく攻撃が飛んできてツッツキキツツキを一羽残らず一刀両断よ! 本当にもう、すっごかったんだから! アンタもあの人みたいになれるように頑張りなさい!」

「……ハ、ハイ。ガンバリマース。アハハ」

 名前はおろか姿形も、どんな攻撃をしたのかもわからない相手をどのように目標にしろというのだ。語気を荒く迫るカレンに、リンクはただただ笑ってごまかした。と、リンクとカレンは店内が水を打ったように静まり返っていることに気が付いた。

「何かありましたか?」

 狼狽えるリンクに答えるように、人々の中心から渋い声が上がる。

「そうか、君があの時の娘だったか」

 人垣を割って、一人の男がカウンターに近づく。黒髪をオールバックにした中年だ。左目を覆う眼帯は、額をえぐる深く大きなひっかき傷を負った際に余儀なくされた物だろう。だが随分と過去のものなのか気にする風でもなく、柔和な表情を浮かべている。全身を包む重厚な鎧は白銀にきらめき、腰から提げる長剣ロングソードつかつばに緻密な細工が施されており、七色に淡く輝くさやに収まっている。別世界の存在のような、近づきがたい雰囲気を感じるのは身に着ける物のせいだけではないだろう。

「知り合い?」

 声を潜めて訊ねるリンクに、カレンは無言で首を振る。そんな二人の様子を承知していたように男はカウンター越しにカレンへとほほ笑んだ。

「私はリムーブ。勇者をやっているよ。昼間はツッツキキツツキに襲われて大変だったね」

「ぇっ!?」

「まさかあの時の!?」

 思いがけぬ男――リムーブの言葉に、リンクは素っ頓狂な声を上げ、カレンは驚嘆した。そんなカレンを見て、リンクはさらに驚く。

「なんでカレンちゃんも驚いてるの!?」

「そ、それは……」

 言い淀むカレンにリムーブは豪快に笑って答えを継いだ。

「はっはっはっ。まぁかなり離れたところから攻撃したからね。知らなくとも仕方ないさ」

 だが、と一度区切ってリムーブは続ける。

「君を助けたのは私だよ。こんな風にね」

 言って、リムーブは腰の剣に手をかけた。金属が擦れる音がする。

「「!?」」

 同時に、店のランプが一つ音を立てて砕けた。割れたガラス片と、漏れだした油で店内が騒然とする。

「わかってもらえたかな?」

 店内の様子を気にも留めず、リムーブはカレンに向き合った。

 どんな攻撃によるものなのか、町娘であるカレンはもちろん、冒険者のリンクにもわからなかった。剣を抜いた素振りはおろか、それを納めた瞬間も分からなかった。ただ、彼にまつわる数々の噂を信じるに値する力を有している事だけはわかった。圧倒的な力の差を見せられ、リンクは青ざめてしまう。一方のカレンはカウンターから出て、深々と頭を下げた。

「あの、ありがとうございます!」

「困っている人を助けるのは冒険者の基本だ」

 礼なんていらないよ、と、リムーブはお辞儀をするカレンの肩を掴んで起こす。そして、だがそうだな、とカレンの目を見てリムーブは続けた。

「どうしても礼がしたいというなら、私の部屋で相手をしてくれたまえ」

「え、と、それは……」

「君だって年頃の娘なんだ。まさか分からないわけではないだろう」

 言い淀むカレンに、リムーブは下衆げすな笑みを浮かべて迫る。先ほどの光景がカレンに恐怖を励起させた。

「無理だって? そりゃないぜ嬢ちゃん」

 震えるカレンを見かねたのか、リムーブの取り巻きの一人がニヤニヤと笑いながら近づき、声をかけた。それに呼応するように取り巻き達がカレンを囲む。

「お嬢ちゃんにゃ信じられないかもしれないが、ツッツキキツツキにでも襲われて死んだ奴ぁ、俺たちはごまんと知ってるぜ」

「それを助けてもらっといて礼もなしってのは、ちょっと筋違いじゃねえか?」

「一年や二年って言ってるんじゃねぇ。ほんの三か月だ、簡単だろ」

「リムーブ様の普段の相場なら、この店が二十年経っても払えきれないだろうな。それ考えりゃ安いもんだろ?」

「宣伝になるかもしれないぞ。勇者の子を産んだ店ってな」

 男たちの下卑げびた笑いが店内に響き渡る。冒険者としての実力の差だろうか。普段、酔っぱらいを相手にする時には一切感じなかった恐怖がカレンを縛り付ける。

「まぁ、どうしても無理だというのなら強要はしないよ」

 リムーブはそうささやいてみたが、無論、それが本心ではない事は誰にも理解できた。

「分かり――」

「やる必要ないよカレンちゃん」

 承諾しようとするカレンに、リンクが割って入る。

「なんのつもりだ少年?」

 取り巻きをどかし、リムーブはリンクに迫る。問い詰めながら睨みつける眼光は、周囲の取り巻きすらも震え上がらせるには充分であった。

「こんなエロ親父の相手をしてやる必要はないって言ったんだよ」

「リンク!」

 リムーブに嘯くリンクを、カレンが止める。だが、カレンの制止を受け流しリンクは続ける。

「力で脅すなんて獣のやる事だね。カレンちゃんは人なんだから発情期の獣に付き合ってやる必要なんてないよ」

「今のは、私が獣といったように聞こえたんだが……」

「そう言ったんだけど、伝わらなかった? ヒトの言葉は難しかったかな。勇者なんて呼ばれる人だから勝手に聖人君子みたいな人を想像してたけど、とんだ見当違いだったね。今まで会ってきた冒険者の中で一番酷いや」

「命は大切にするものだよ、少年!」

 言い終わるが早いか、リムーブは腰から剣を抜き、一気に切り上げた。鞘から滑り出る。直後、街の外にまで続く斬撃が放たれ、間にあるすべてを切り裂いていた。

「次は当てるよ。付術師君」

「…………」

 店内にいるすべての者が息を呑んだ。まるで時が止まったように動く者はいない。静かに言い放ったはずのリムーブの言葉がやけに大きく店内に反響する。その中にあって、すぐそばを斬撃がかすめたリンクだけがかすかに笑っていた。

「やっぱり獣だね。感情と力に任せるしか能がない」

 やれやれと、リンクは大袈裟に呟く。止まった店内の時間がゆっくりと戻ってくる。

「リンクもう止めて!」

 制止するカレンの声は、叫びというより悲鳴に近かった。

「ならばヒトらしく、ルールの下で雌雄を決しようではないか」

 冒険者同士の揉め事で金以外の決着のつけ方といえば、古来より一つしかない。

 すなわち、互いの命をした決闘だ。

 負ければ、文字通りすべて失うことになるこの戦いに、リムーブの取り巻き達は異様な盛り上がりを見せた。先ほどまでの静けさが嘘のように、店内のボルテージは最高潮に達する。

「リムーブ様もうやめてください!! お望みであれば一生だってお相手させていただきます! お金だって一生かけて払わせてもらいます! だからせめて、彼の命だけは――」

 加熱する店内で叫ぶようにしてすがるカレンを、リムーブは一瞥いちべつする。

「私だってプライドというものがある。これまでこけにされて黙っているわけにはいかないよ」

 そういうと、リムーブはリンクへと向き合った。

「詳しいルールと立会人はこの街の神学者に決めてもらうよ。不正はしない。ヒトの名に誓ってね」


▽   ▲   ▽   ▲


 翌朝、弁当を受け取るためにリンクは食堂を訪ねていた。ただ向かう足取りは只管ひたすらに重い。

「……おはようございます」

 朝早い時間にもかかわらず、店内には多くの先客がいた。無数の視線が、一斉にリンクに集まる。昨夜の一件はすでに町中の噂になっているらしい。

 最強対最弱。

 有名対無名。

 ベテラン対駆け出し。

 人気者対鼻つまみ者。

 対戦カードの異名は数あれど、誰一人リンクが勝てるなどと思っている者はいない。

「ようリンク、勇者様に喧嘩売ったんだってな」

ちげぇよ。処刑依頼だろ?」

「それもそうだ」

 早朝だというのに店内を笑いが満たす。声の主は、どれも、リンクともめて三行半みくだりはんを突き付けた者たちだ。昨夜からずっとこんな様子である。リンクを疎ましく思っている冒険者がこれを好機とからかってくる。食堂に至るまでの道中でも、多くの知り合いに冷やかされた。

「ほらよ」

「……ありがとうございます」

 周囲の雑音を無視して、リンクは大将から弁当を受け取る。丸太のような腕をした、カレンの父親だ。元冒険者だったらしいが、カレンが生まれたのを契機に引退したらしい。相当な凄腕だったらしく、リンクを疎ましく思っている冒険者たちが手を出してこなかったのも彼の影響が大きい。無論、リンクが冒険者になる前から世話になっており、これまでもある時は父親として多くのことを相談した仲だ。が、この日ばかりは目を合わせられなかった。

「あの……カレンちゃんは……?」

 リンクの問いかけに、無言で人差し指で天井を指す。昨夜、相当泣きじゃくっていたが、まだ降りてきていないようだ。今、最もリンクが会いたくない相手だっただけに幸いだった。

――今日は会わないほうが良いのかも。

 心の中で会わない言い訳をして、店を後にしようとすると大将に呼び止められた。

「会っていけ」

「……はい」

 どうやら見透かされていたらしい。有無を言わせぬ大将の言葉に従い、リンクは素直に店の裏手に回る。カレンの部屋は店の裏手から階段を上った一番奥にある。昨日のリムーブの一撃で階段や廊下は切れていたが、カレンの部屋は無傷の筈だ。

 扉を三度ノックする。反応はない。昨夜の泣き方からして、疲れて寝ているのかもしれない。ならばとドアノブに手をかけて中に入る、勇気はなかった。

「あの、カレンちゃん……リンクだけど」

 反応のない部屋に向かって、リンクは一人声をかける。大きくないその声は物言わぬ木の扉にぶつかって廊下に吸い込まれていった。

「その……昨日は勝手なことをして……ごめん」

 恐らくカレンは、勝手に自分を景品にえるような真似をしたことを怒っていると想像する。

「でも、我慢ならなかったんだ。あんな横暴な冒険者が、勇者なんて呼ばれていることが」

 これは偽らざるリンクの本心。これまでにも自身の力を利用して横暴、不正を働こうとする冒険者と、リンクは数多く見てきた。そして勇者と呼ばれる者までもが、その一人であることにショックを受けた。幼い頃に読んだ英雄譚えいゆうたんにあるような勇者の姿はどこにも、ただ一人の人間だった。だからつい、これまでと同じように衝突してしまったのだ。

「でも、カレンちゃんに迷惑がからダヘェッ」

「バッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッッカじゃないの!?」

 蹴り開けられた扉が突如リンクを襲う。中から出たカレンは、痛みに悶絶するリンクを見るよりも早く罵倒した。そして、廊下で転がるリンクを見て、さらに続ける。

「アタシに迷惑が掛からないようにする!? かけなさいよ! そんな事、今更アタシが気にすると思ったの!? アンタの向こう見ずなところに何年付き合わされてると思ってるのよ! なんでアンタはそうやって自分を曲げることを覚えないのよ! 全部アンタが背負わなきゃいけない道理なんてないでしょ! 頭の悪い冒険者が嫌いなのがアンタだけだと思ってるの!? もしそうならとっくにこの街の商人たちは知らんぷりしてるわよ! 分かりなさいよ! アンタがいなくなることを恐れる人もいるって気が付きなさいよ!!」

 一息で言い切るとカレンはリンクに向き合う。その様子にリンクは思わず笑ってしまった。

「何笑ってるのよ……」

「いや、嬉しくって」

 アンタマゾヒストだったっけ、とカレンが小さく呟くも、リンクは気にしない。

 いつも通りのカレンが出てきた。その事がリンクにとっては嬉しかった。無論、泣きはらしたのか目は真っ赤になり、髪はボサボサに乱れているがそんな事は些末なことだ。

「おはよう、カレンちゃん」

「……おはよ、リンク」

 鼻を押さえて微笑みかけるリンクに、カレンはぶっきらぼうに答える。

「カレンちゃん、怒ってる?」

「当然でしょ。せっかく止めたのに勝手な事して。本当に何度言っても学ばないんだから……」

「ごめん。でもカレンちゃんが嫌な思いをするのを黙って見てるくらいなら、勇者だろうが神様だろうがあらがうよ。どれだけ同じことがあったとしても、絶対に」

「それならせめて、もっと穏便に進めなさいよ。何か別の方法があったはずでしょ」

「それは……うん、反省してる」

「良いわよそんなの。考えるだけ考えた結果を次に活かせないのがアンタだもの」

 痛いところを突きながら、カレンは未だ倒れたままのリンクの手を引く。

 過ぎたことをうだうだ考えても仕方がないわ、と、起こしたリンクを正面にとらえてカレンは続けた。正面からとらえたカレンはすでに、リンクのために自分が何が出来るのかを切り替えたようであった。無論、戦いを回避するためではなく、大切な幼馴染が勝つために。

「勝てるの? アンタも見たでしょ。町中の冒険者が束になったって勝てるか怪しいわよ」

「わかんない。でも負けない」

 つい先ほどまで胸中を支配していた後悔と不安が、リンクの心からきれいさっぱり消え失せている。今ならば、どんな無謀なことでも成し遂げられそうな気がする。竜だって倒せそうだ。

「ウサギ一匹満足に狩れないアンタがどうやって勝つつもり?」

「これから考える」

 対するカレンの思考は現実的だ。真正面に、馬鹿正直に答えるリンクに、カレンは大きなため息を吐いた。呆れたようなカレンにリンクは慌てて言葉を続ける。

「た、例えば、決闘場にあらかじめ罠を張っておくとか!」

 言ってみて、リンクは我ながら名案なのではないかと思った。

 付術と魔法は、『地水火風』の力を操り、対象を『傷つけるか癒す』という点でしばしば同一視されている。しかし、詠唱により万物に即座に効果を発揮する魔法と違い、付術には物にしか使えない点と、効果を発揮するのに起動条件が必要な点で異なる。その条件は『斬る』、『刺す』、『衝撃を受ける』の三種に大別され、昨日のツノウサギの時には、『衝撃を受けた時』に『風』で『攻撃』する力を枝に付与させた。そのため、突っ込んできたツノウサギの衝撃が起動条件になったのだが、言い換えれば、衝撃が与えられるまではなんの変哲もないただの枝だ。これを応用して、古い遺跡には、侵入者避けの罠として付術が施された痕跡が見つかることもある。

 真正面にリムーブとぶつかるよりは良いかもしれないと思うリンクだが、カレンは冷やかだ。

「効くの……それ……?」

「……さ、さぁ」

 昨日は所詮ツノウサギだったから倒せたのだ。竜をもほふる勇者に並の攻撃が果たして通じるのだろうか。そう考えると急に不安になり、湧きかけた勇気が、リンクの中でしゅるしゅるとしぼんでいく。リンクのやる気に水を差してしまったことに気が付き、カレンも慌てた。

「ま、まあ、向こうだって人間なんだから弱点がないわけじゃないわよ! きっと!」

「弱点?」

 カレンの言葉に、リンクは思考を巡らせる。脳裏によぎるのは、昨日の光景だ。店はおろか町の外まで真っすぐに切ってしまった、あの一撃は忘れたくて忘れられるようなものでもない。仮にあの一撃を正面から受ければ、次の瞬間にはなますになっている事だろう。あの域に到達するまで、一体どれだけの鍛錬を積んだのだろう。あれほどの使い手に弱点があるのだろうか。

 だが、カレンはリンクとは別の結論に達したようだ。

「やっぱり神様に頂いたとかいうあの装備に秘密があるのかしら。おとぎ話にもあるでしょ」

 かつて、魔王と呼ばれる魔物たちの王が世界を闇の力で支配することを画策した。人々はその圧倒的な力の前に屈し、多くの命が失われた。もうダメだ、誰もが諦めかけたが、ただ一人立ち向かう男がいた。男の勇気に天の神々は感銘を受け、持てる力すべてを結集して魔王と戦うための武器と防具を授けた。男は与えられた力を使い、魔王を死闘の果てに封印した。人々と、ただ一柱生き残った神は、男の勇気を称え、彼を勇者と呼んだ。

「いやいや、順番がめちゃめちゃだから」

 カレンの考えを、リンクは手を振って否定する。現在の勇者とは来歴が異なるおとぎ話の一つだ。現在、勇者になるには、軍を一つ犠牲にして一体倒せるかという、まさしく災害級の魔物を四種倒す必要だ。たとえ装備の噂が本当であったとしても、生半可な実力である筈がない。

「じゃあ、なんであんなに強いのよ!」

「素直に実力って認めようよ……」

 やたら攻撃的なカレンに、リンクは諭すように言った。これではどちらが戦うのかわからないや、とリンクは思う。結局、どれほど議論を尽くしたところで答えは出そうにない。現実的なのは、事前の準備を整えておくことだろうなと、リンクは想像する。

 その日、決闘を七日後に執り行うことが正式に決定された。


▽   ▲   ▽   ▲


「逃げなかったんだね」

 リンクが町はずれの草原に設営された決闘場に到着すると、リムーブはすでに待っていた。前回見た時と同じ、豪奢な剣と華美な鎧に身を包んでいる。

 リムーブの取り巻き達のみならず、町の冒険者や職人たち、首脳陣たちと観客は多い。空は雲一つない。出店の数も十を超え、突発的なイベントにしては絶好のお祭り日和であった。

「戦わないといけない理由はあるけど、逃げないといけない理由はないからね」

 小指で耳を掻きながら、リンクは冷静に言い放つ。答える普段の手甲と投げナイフだけでなく、胸と腰に一つずつポーチをつけている。リンクなりにこの一週間準備をした成果だ。出来るだけの準備はしたという思いが、言葉の端に滲んでいた。それを聞くリムーブも黙って眉毛を搔いている。当事者二人より外野から聞こえる野次の方が血気盛んなようだ。

「双方が決闘者の勇者リムーブと付術師リンクに違いありませんね?」

 二人の間に立つ立会人の問いかけに二人はうなずく。二人の距離はおよそ馬四頭分といったところか。リンクとリムーブが同意したのを確認して、立会人がルールを読み上げる。

 試合場所は今回設営された決闘場。攻撃方法は不問。試合時間は三十分。どちらか一方が降参する、場外になる、命を落とすのいずれかの時点で、もう一方の勝利が確定し試合終了。リンクが勝った場合、リムーブの全財産はリンクのものとなる。一方、リムーブが勝った場合、カレンの救出料を請求する。

「時間切れの時は、君の勝ちで良いよ」

「普通引き分けでしょ?」

「ちょっとしたハンデだよ」

 通常、引き分けの場合、双方に重い罰が下される。それを回避するため、冒険者たちは決闘を躊躇ちゅうちょし、決闘に臨む者たちは死闘を演じることになるのだが、リムーブは端から三十分も戦うつもりはないらしい。実力に大きな開きがある場合、上位の者が己の誇りに掛けてハンデを負うのが通例だ。リンクも了承する。

「ハンデをもう一つ」

 そう言って、リムーブは人差し指をスッと立てる。

「開始五分以内に君が命を落とした場合、私も首を落とそう」

「なっ!?」

 リムーブからの提案にリンクは言葉を失う。固まるリンクをよそに、リムーブは続ける。

「これだけの人がいるんだ。一瞬で片がついては興醒きょうざめだろ?」

 即ち、リンクの命を奪うのに、五分で足りるということだ。脳裏にあの晩の一撃が蘇る。

「それは――」

 言い淀むリンクを、リムーブの取り巻き達をはじめ、場外の冒険者たちが嘲笑する。下品な笑い声はリンクのプライドを刺激したが、木陰に立つカレンを見て、後悔は払拭ふっしょくされた。

――カレンちゃんのため、少しでも勝てる方法をとらなきゃ。

「わかったよ」

 ちっぽけなプライドにこだわっている余裕はない。後悔させてやる、とリンクは続ける。

「それでは始めよう」

「うん」

 双方の合意を確認し、立会人は場外へと退出した。会場の熱気はすでにピークに達している。

「それではこれより、勇者リムーブと付術師リンクによる決闘を執り行います」

 ゴングが鳴る。同時にリンクはリムーブの懐めがけて突っ込んだ。右手で胸のポーチを探る。一方のリムーブはゆっくりと腰の剣に手を伸ばしている。

「食らえっ!」

 ポーチから小瓶を投げつけた。刹那遅れて金属の擦過さっか音がなる。同時に、リンクを衝撃が襲う。ツノウサギに突進を全身で受けたような衝撃に、リンクは宙を舞い、馬に引きずられるように地面を転がり続ける。

「っ!」

 呼吸が辛い。どこが痛いのかもわからない。体を動かすたびに全身の関節が悲鳴を上げる。着衣は無数の切り傷でボロボロだ。それでもリンクは腕だけで上体を起こし、リムーブをとらえる。リンクの狙い通り、リムーブの体は猛々しい炎に包まれていた。小瓶の詰めていた、火の付術をかけた枯れ葉によるものだ。

「中々やるようだね」

「……化け物め」

 軽い驚きを示すリムーブに、リンクは驚嘆する。髪が燃え、皮膚がただれている。リンパ液は沸騰し、耳は今にも落ちそうであった。にもかかわらず、リムーブは悠然ゆうぜんと立っていた。

「これくらい大したことないよ。見ていたまえ」

 言って、リムーブは炎を気にも留めず、地面を踏みつけた。その衝撃によるものか、辺りに暴風が巻き起こる。決闘場を囲んでいた簡易の柵や、粗末な作りの出店が吹き飛ばされていく。自分が吹き飛ばされないよう、誰もが必死だ。リンクも、筋肉が引きちぎられるような痛みに耐え、懸命に地面にしがみつき風が止むのをただ待った。

 どれくらいの時が経っただろうか。リンクが目を開くと、映ったのは白銀のつま先であった。ゆっくりと顔を上げていく。

「この通りだ」

 リンクを見下ろすリムーブは、鎧から炎を消し飛ばし、傷をすべて癒していた。骨まで見えそうだった深い火傷の跡は、一切残っていない。残っているのは額の大きな古傷だけだ。

「一つ聞いていいかな?」

 リムーブの問いに、リンクは無言で首肯しゅこうした。それを見てリムーブは続ける。

「なぜ付術師でありながら冒険者になろうと思った?」

 冒険者になる手続きの一つに、教会から神の力を授かるというものがある。この手続きと本人の資質により、冒険者は戦士や弓兵、魔法使いなど、授かった天恵を様々に特化させた存在へと昇華する。さらに名声や実績を高めた者には新たな天恵が与えられるのだが、一方で与えられた力によっては冒険者になる事を諦めてしまう者も多い。付術も、駆け出しの冒険者が扱うには不向きな能力で、中でもリンクのように単独で行っているのは非常に稀有けうな存在だ。環境が正反対のリムーブには信じがたい事だった。

 思いがけぬリムーブの問いに、正対するリンクはポーチを探りながら考える。自分が冒険者を目指した理由をよく考えたことがない事に気が付いた。改めて考えて、幼い頃から抱いていた一つの思いをおずおずと口にする。

「世界をめぐって、英雄たちが生きていた痕跡を探したい、っていうのじゃダメかな?」

 竜殺しの騎士や巨人族を倒した王など、誰もが幼い頃に憧れた数多くの神話や英雄譚。いつか自分もそのようになりたいと抱く思いを、リンクは忘れられずにいた。

「随分と子供らしい理由だね」

「カレンちゃんによく言われるよ。でもきっと、それが理由なんだと思う」

 だからこそ、リンクは乱暴な冒険者を嫌うのだと思う。英雄たちと同じ力を使いながら、その力を汚す輩が許せないのだ。ベッドの中で夢想した勇者像に反するリムーブに激昂げっこうしたのだ。

「であるならば、君はもっと耐えることを覚えるべきだった。世界は危険で満ちているからね」

「それもカレンちゃんからよく言われる。でも、危険に立ち向かわない英雄はいないでしょっ」

 言って、リンクは転がりながら新たな小瓶をリムーブの足めがけて叩きつけた。拡散した水が衝撃によって瞬時にてつく。骨まで凍らすその氷は、リムーブの足を地面に縫い付ける、

「ぬんっ!」

 筈だった。リムーブは先ほどと同じように大地を踏みしめると、先ほどと同じく強い衝撃が凍てつく水を吹き飛ばす。飛散した氷が刃となってリンクを襲う。

「何かしたかね?」

 よろよろと立ち上がるリンクに、リムーブは静かに問いかけた。氷の痕跡は残っていない。

「危険を呼び込むのはいつの時代も英雄ではなく愚者の役割だよ」

 そろそろ五分経ったかな、とリムーブはゆっくりと近づきながら剣を抜く。高い金属をならせて抜かれた刀身を頭上高く掲げ、リムーブは続ける。細く長い刃は、太陽を背に抱き神々しいにび色に輝いていた。

「君の憧れた勇者の一撃だ。光栄に思うんだね」

 柄を両手に持ち、リムーブは上段に剣を構えなおす。

「うわあああああああああああああああああああああああっ!」

 万事休す。

 狙いもそこそこに、リンクは持っていた道具をただただ投げつけた。半歩ほどの距離しか離れていなかったが、むちゃくちゃに投げられたそれらは殆どが外れ、リムーブの背後に消えていく。

 泥団子が割れ、石化する。

 水が飛び散り、氷結する。

 木の葉が散り、爆発する。

 紙片が舞い、烈風が吹く。

 運よくリムーブに当たった物から付術が起動する。並の冒険者なら倒れている筈だが、リムーブは意に介さない。心なしか、強い風が吹いているようにも感じられた。

「さらばだ。愚かな付術師君」

 石化しつつある右足で踏み込み、リムーブは凍てついた両手で携える剣を振るう。振り下ろされた刃は赤く燃え、納まるはずの鞘は無数の傷が刻まれている。目の前に迫る死の恐怖に、リンクは身をすくめる。

「………………?」

 だが、振り下ろされた一撃がリンクを傷つけることは無かった。恐る恐る目を開く。

「え?」

「む?」

 刃の切っ先は、リンクのすぐ右側に沈み込んでいた。素っ頓狂な声を上げるリンクだが、対するリムーブも納得いかない様子であった。

「ふむ、やはり抜き身は使いづらいな」

 困ったように剣を納めるリムーブに対し、リンクは一気に飛び退き距離をとる。後方のリムーブを気にしつつも、考えながら走った。

――なんで剣は逸れた?

 攻撃の影響が残っていたにしても、外れるような距離ではなかったはずだ。

――なんでわざわざ剣をしまった?

 そのまま薙いでいれば、リンクを両断することは出来たはずだ。

――今まで何を見てきた?

 リムーブの攻撃を見たのは一週間前の二度と今日の二度の計四度。それらに共通点はなかっただろうか。

――やっぱり神様に頂いたとかいうあの装備に秘密があるのかしら。

 リンクの頭に、いつかのカレンの言葉が蘇る。立ち止まって、リムーブを見やる。いつの間にか、傷は完全に消え失せている。今は鞘から剣を抜き差ししながら何かを考えているようだ。

「正解かも、カレンちゃん」

 誰にともなく、リンクは小さく呟く。攻略の糸口を見つけたかもしれない。ただ、道具を消費しすぎた。手元には古い投げナイフが三本あるだけだ。

「これでイケるかな?」

 ナイフを二本握る。一か八かの大きな賭けだ。もし読みが外れていれば、瞬時にリンクの五体はバラバラになるだろう。距離はおよそ馬五頭分。果たして間に合うだろうか。

「けど、これしかないよね!」

 大きく叫ぶと同時、リンクは再度リムーブに向かって駆け出した。

「斬撃を以て――」

 走りながらナイフに向かい付術を展開する。やや遅れて、リムーブは向かってくるリンクに気が付いたようだ。

「まだ来るか!」

「聖なる氷の力を――」

 鞘に刃を完納し、リムーブは抜刀の姿勢をとる。

 リンクの投げナイフには青白い光の帯が巻き付いている。

「開放せよ!」

「遅い!」

「見えてるよ!」

 ナイフを投げ、リンクは右に跳んだ。直後、リムーブの剣から放たれた見えない斬撃がリンクをかすめる。放たれたナイフが力なく宙を舞う。痛みと衝撃をこらえ、リンクはリムーブの足元へと一歩を踏み込んだ。

「勝負ありだ。この距離では避けられまい」

 足元のリンクをにらみ、リムーブは剣を納める。獣すら殺せそうな冷たい視線であったが、リンクは左手で静かに笑い鞘を握った。

「あぁ、勝負ありだ」

「何を言って――!?」

 リムーブがリンクの言葉をいぶかしむのと同時、鞘は破裂音を伴いながら一気に凍り付いた。

「先ほどのナイフはブラフであったか」

 刃や、リンクの腕すら巻き込んで真っ白に凍てついた鞘を見ながら、リムーブは呟く。先ほどナイフを投げたのは、攻撃の終了を錯覚させるため。真の狙いは鞘を凍らせることにあった。

「だが、今更こんなもの!」

「深く刻まれた新たな力よ――」

 凍った柄を握り、リムーブは力をこめる。氷にヒビが入るが、刃が抜けるには至らない。対するリンクは新たな付術を詠唱する。

「我が求めに応じ――」

 リンクの言葉に応じ、鞘の表面に、七色に輝く淡い光の帯が浮かび上がった。リムーブはリンクと正対するため大きく腰を回す。振り払われたリンクの腕を囲む氷はひび割れ、

「霧散せよ」

「食らえぇっ!」

 前腕を残して切断した。同時に、鞘を取り巻いていた光の帯が消え、リムーブは大きな金属音をさせて刃を抜く。直後、斬撃が衝撃となってリンクを、

「なるほど、除術ディス・エンチャントか」

 襲わなかった。何が起きたのかを悟り、リムーブの刃がリンクの前で力なく落ちる。

「そういうこと。さすがに知ってたか」

 割れたように切断した腕を押さえながら、リンクは答える。

 物体に術の力を付与する付術だが、時には誤った術を付与させてしまうことがある。そんな時に用いるのが除術だ。術の使い方を詳しく理解していない初級の付術師が世話になる術だ。

「いつ剣ではなく鞘に術が施されていると読んだ?」

「さっきの一撃を外した時かな」

 問いかけるリムーブに、リンクはあっけらかんと答える。

 攻撃が逸れた時、何が起きていたのかを振り返った。

 凍った両手。

 固まった右足。

 燃えた刀身。

 傷ついた鞘。

「顔が焼けただれても一切動じなかった貴方が、なぜ攻撃を外したのか分からなかった」

 攻撃によるものではない事はすぐに理解できた。であれば、攻撃以外の面ではどうだろうか。さらに振り返ると、攻撃の前にある共通点が見えてきた。

「斬撃が飛ばす前に、貴方は必ず鞘を切っていた」

 ランプを砕いた時。

 町を割った時。

 リンクを返り討ちにした時。

 いずれも鞘から高い音が鳴っていた。

「それで思ったんだ。『付術を施す付術』が鞘に施されているのかもしれないって」

 無論、リンクにはできない芸当だ。だが、神から下賜された装備の噂が本当であれば、それくらいされていても不思議ではない。

「多分、その鞘を斬った剣は、どんな鈍らでも唯一無二の神剣になるんでしょ」

 唯一無二。即ち量産は出来ないということだ。外れた攻撃の直前に感じた強い風は、鞘に新たな斬撃が加えられたことにより、力が解放されたことによるものだとリンクは推察する。

「その剣だってきっと、儀礼剣か何かでしょ?」

 一般的に儀礼剣は、武器としての性能を捨てる代わりに派手に作ってあることが多い。そのため通常より重く作られている場合も多く、刃がないものもほとんどだ。であれば、薙ぎ払わなかったことの説明がつく。

 一通りの分析を披露したところで、リンクは、どうかな、と問いかけた。

「見事だよ。君の言ったとおりだ」

 剣を捨てリムーブはもろ手を挙げる。重さを裏付けるように、剣は深々と地面にめりこんだ。

「だがその腕でまだやる気か?」

 今度はリムーブが問いかける。リンクの腕からは未だ、どくどくと血を吐き続けている。

「まさか。五体満足でやるよ」

 答えると、リンクは指を鳴らした。破裂音に呼応するように、鞘を覆う氷と残された腕が光の粒となる。キラキラと舞う光の粒は左手の切断面に集まっていき、失われた腕の形になった。やがて光が消えると、そこには元と変わらないリンクの腕があった。ナイフに施した癒しの術によるものだ。感心したようにリムーブは呟く。

「あの氷は、鞘を掴んでおくためのものだったか」

 鞘を掴んだ状態であれば、振り払われるのは容易に想像できる。だからこそ、リンクは鞘ではなく自身の腕で『斬られた物を凍らせて癒す術』を起動させた。

「まだやる? もうタネは見えたけど」

 最後のナイフをリムーブに向け、リンクは問いかける。

 超常的な回復能力も恐らく何らかの付術によるものだろう。であれば、付術師であるリンクにそれを破るのは容易だ。無論、リムーブがさらなる隠し技を持っていなければ、だが。

 固唾をのんで、リムーブの返事を待つ。

「くく、くくく、あはは、あーはっはっはっは!」

 返ってきたのは大きな笑い声だった。瞬間的に、リンクは警戒を強める。

「なにがおかしい!?」

「いやいや、すまない」

 涙を拭いてリンクに謝ると、リムーブはその場にどっかと座り込んだ。そして、両手を上げて告げる。

「降参だ! 煮るなり焼くなり好きにしてくれ!」

 直後、会場が静まり返る。風が吹くだけの会場で、リンクはポツリと呟いた。

「……降、参」

「あぁ、君の勝ちだ」

 直後、会場に大きな嬌声があがる。

「やったあああああああああああああああああ!」

「やったわね! リンク!」

 嬉しさを全身で表現するリンクに、カレンが飛びつく。戦闘の余波を受けたのか、カレンもボロボロだが、その表情には満面の笑みが浮かんでいた。

 会場の外では、リムーブの取り巻きをはじめ、冒険者たちがどよめいている。

 かくして、最強の勇者と最弱の付術師の決闘は、意外な形で幕を閉じたのであった。


▽   ▲   ▽   ▲


「うわああああああああああああああああ!!」

「これはなかなかだね」

 数日後、町と都市とを森道をリンク達は走っていた。背後にはツノウサギの群れが跳ねている。隣を走る相棒に、リンクは怒ったように問いかける。

「リムーブさん、何とかならないんですか!?」

「いやぁ、案外厳しいね。これ」

 ボロボロになった革の鎧。右手にはめた朽ち果てかけた木の盾と、刃こぼれした短剣ショートソード。かつての派手な勇者の姿は見る影もない。

「やっぱり少しは残しといたほうが良かったかな」

 走りながら、リムーブは呟く。

 決闘の後、リムーブは現金はもちろんのこと、道具や装備品すら売り払って、文字通り全財産を町の改修とカレンへの謝罪に充てた。リンクが受け取りたがらなかったためである。これにより、リムーブのおこぼれに預かろうとしていた取り巻き達は一人、また一人と離れていき、遠征は中止。リムーブは多額の負債を抱えることになった。

『君に戦い方を教えてあげよう』

 引き続き冒険者稼業で借金を返済する道を選んだリムーブは、かつての自分を想起させる一人の付術師を相棒にすることにした。

「戦い方を教えてくれるんじゃないんですか!?」

「人間、楽を覚えるとダメになるよね」

 だが、装備品に頼り切った生活をしていたリムーブの肉体はすっかり衰えていた。

 かくして、最弱の付術師と元・最強の勇者の長い長い旅は幕を開けたのであった。後に、救世の大英雄と呼ばれる冒険者の歴史の最初の一ページであることは、まだ誰も知らない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ぐるぐるエンチャント 葉月 弐斗一 @haduki_2to1

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ