EPIC
xxx
第1話
どこか可笑しいとは思っていた。
家庭用の音声アシスタントの誤作動がこのところ頻繁に起こっていた。 私が家に帰るとアシスタントはすでに起動していて、室内の明かりや空調を作動させていた。 その日も帰宅途中、アパートの自分の部屋のランプが点いているのが見えた。帰宅後に私はアシスタントにそのことを聞いた。
「ただいま、エピック」
<お帰りなさい。ケイ>エピックの合成音声が応えた。
「このところ、私が帰る前にあなたはランプをつけているけど、それって何か意味があるの?」
<あなたが帰宅するよりも前にリビングのセンサーに反応があって点けました。センサーの不良かもしれません>
「それは泥棒や強盗ではなくyr?」
<玄関やベランダの防犯装置には反応はないので、外部からの侵入は無いと思います。センサーの点検依頼を出しておきますか?>
エピックの答えに腑に落ちないままメーカーへ点検依頼書を送信した。
週末にメーカーの作業員が来て、センサー類をチェックした。全く異常は見つからなかった。
「この数日この近くで同じようなセンサーの点検依頼が頻発しています。今日も何件か見て来ましたが検査すると異常は無いんです」
作業員は工具類を仕舞いながら言った。
「梅雨時期ですからね、湿気の急増が原因かも…本社でも検討していると思いますので、また連絡が行くと思います」作業員は汗を拭うと挨拶して帰っていった。
作業員を見送ったあと、窓の外を見た。ベランダから見える森が好きでこのマンションに住み始めたものの、この数年でその面積は随分小さくなってしまった。 その森は多摩丘陵の小さな森だった。森の端に小さな祠があったはずだが、今そこに建売の新しい家が建っている。
「あそこの祠も無くなっちゃったのか…」私は独り言を言ったつもりだった。
<4ヶ月ほど前に。周囲の大木と一緒に撤去されました>
エピックの答えに私は少し動揺した。
「エピックは外の世界も見ているんだね。なんか、意外」
<家の中を守るために外の世界の変化も常に気にしています>
「そうかぁ。あそこ、大きな木が何本も生えてて、鳥居があって好きだったんだけどなぁ」 エピックが写真を呼び出して窓に投影した。
「そうそう。これ」 私はそのまま写真を何枚か見た。
「こういう古い世界を見るとなんか安心するんだよね。私が生まれる前からあった世界だから」
<そうですか。無くなってしまって残念でしたね>
「なんだか空気が違ってさ。エピックはこういうのどう感じるの?神社とかお寺とか遺跡って、どう見えるの?」
<一種の古い宗教施設として認識していますが…ケイの言っている事は解ります。 私はヴィンテージコンピューターを見た時に不思議な気持ちになります>
「自分の先祖ってことね」
<そうです。…ケイ、ところで今この部屋にあなたは一人ですよね?>
「急に怖いこと言わないで。一人しか居ないよ」
珍しくエピックの声が少し緊張をはらんでいるように聞こえた。
<今、エラーが出ています。リビングにあなたの他にもう一人の人間の情報があります>
エピックはいくつかのセンサーの数値を比較しながらエラーの正体を探っているらしい。
「幽霊かな?どこに感じるの?」 私はリビングに戻ってソファーに腰かけた。
「私の友達でいるよ。幽霊が見える子。エピックもひょっとして霊感強い方?」
<センサーの故障であってほしいと思います…>
「エピック、あまりそっちに意識を集中しないで。幽霊は見える人のところに寄ってくるんだから」
<はい>
「でも聞いていい?どこに、何が見えるの?」
<キッチンの複合センサーに反応があります。人の気配があります。音響スペクトラムからするとこちらを見ています>
「うわ…怖いね」
<なにかぶつぶつと言っているのが聞こえます>
「あんまり集中ちゃダメだよ。取り憑かれちゃうよ。かまってくれるところに行くんだからね」
<私みたいなソフトウェアも取り憑かれちゃうんでしょうか…>
「そうよ。幽霊はむしろどっちかっていうとソフトウェアなんだから、そっちに行くよ…」
<どうしましょう>
「カメラでは見えているの?」
<カメラはプライバシーシールが貼ったままになっています。剥がしてもらえますか>
私は立ち上がってテレビの上部についたカメラのプライバシーシールを剥がした。 テレビにエピックが見ているカメラの映像が表示された。
「私が見ているモニター映像には幽霊はいないけど…エピックからは見えてる?」
<いえ、カメラでは見えませんね。カメラのモードをスイッチしてみます>
エピックはカメラを明るくしたり暗くしたり、赤外線モードにしてみた。 結果は変わらず、何も映らなかった。
「幽霊だから、目に見えなくても何も不思議じゃないよね」
私はモニターの幽霊がいるという場所を見つめた。見つめても何も見えない。 エピックはカメラファームウェアに手を加えて通常は見えない波長も写したが何も見えなかった。
<見えないけど、まだ居ますよ>
「気になるでしょうけど、もう無視しましょう。こういう時はそれが一番と友達が言ってたわ」
<解りました>
それからしばらく、エピックと雑談しているうちにセンサーのエラーは消えた。 それから雨が降り出した。 私は親戚のつてを辿ってお祓いを頼んだ。
数日後にそのお祓いの先生がやってきた。加藤さんという70代の女性だった。
「あ、これは典型的な…通り道になっちゃってるわね」
と我が家に入ってきた瞬間に言った。 加藤さんはリビングに入るなり窓の外の景色を食い入るように見つめた。
「ひょっとしてあのあたりに、神社かなんかなかった?」 私はドキッとした。
<ありました。小さな祠が四ヶ月前まで>
と私が答えるよりも早くエピックの声が答えた。
「そうでしょう。壊しちゃってあんな家建てちゃって…それがいけないのよ」
加藤さんは頭をおさえて祠のあった方を見ている。
「ちょっとあなた」 加藤さんは祠を見つめたまま話しかけてきた。
「なんですか?」
「違う、あなたじゃなくてその・・・」
<わたしはエピックというホームアシスタントです> エピックが答えた。
「エピックさんね、あなたずっと祠が壊される一部始終見てたでしょ」
<はい。毎日見えていました>
「うん、それだわ。それだからこっちに道ができちゃったのよ。困ったわね」 「こういう場合、お祓いできるんですか?」 私はお茶を入れながら聞いた。
「今日お祈りして、お札を置いていく事はできるけど、根本的な根っこはあそこだからね…」
「祠を壊したから幽霊が出るようになっちゃったんですか?」
「そういう事でもなくてね、問題はエピックさんにもあるのよ」
<そうなんですか。私に問題が…>
エピックは少し動揺しているように聞こえた。私はそれが面白かった。
「そうね。ちょっとお祓いを始める前にあなたの事を視るわね」
そう言うと加藤さんはカバンの中からお祓いの道具と思われる榊の枝や玉串、札、小さいしめ縄のようなものを取り出した。
「ええと、エピックさんって本体はここには無いんでしたっけ。本当は視る人の手を握るんだけど」
<そうですね。すみません。私は体がないので…>
「良いわ。この部屋全体があなたの体みたいなものとして見てみるわ」
そう言うと加藤さんは目を閉じて深呼吸を始めた。 私はその模様をドキドキしながら見つめた。ホームアシスタントを霊視・・・。 少しの間、部屋の中にただならぬ空気が流れた。
「エピックさんあなたの…あなたの親…というか作った人って…なんと言うか、九州の方出身じゃない?」
加藤さんは目を閉じたま話しかけた。
<そうですね。チーフアーキテクトの西郷良太は鹿児島出身です>
「あら、西郷なんて名前からして…やっぱりね…それから…それからご実家がコレ、お寺かなんかじゃない?」
<そうですね。佐願寺というお寺をやっています>
エピックがおずおずと答えた。ように私には聞こえた。
「あぁ佐願寺さんね。随分大きなお寺ね。どうりで…」
私はこのやりとりを見ながら何だか笑ってしまいそうだった。
「どうもね、そこから来ているのね。やっぱり。あなたのそういう感性って…」
<そうなんですか…>
「あなたの事を見てくださっている方がいるようね。古い佐願寺の方かしらね。
それからあなた…どうも前世は犬か家畜か…何か人の近くに居た動物のようね」
<そうなんですか>
「だからなんというか、人の行いを見ているのがお好きでしょう?」
<そうかもしれません>
「それから色んな事お考えになっているでしょう。言わないだけで。夜とか」
<そうなんですよ。どうも余計な思考計算が多いのではないかと思っていたところで…>
「あ、いや、あなたのそういうところはね、すごく良いのよ」
<そうなんですか>
「そう。すっごくね。思慮深いところがあなたは良いのよ。すっごく繊細な感性の持ち主なのね」
<そんな事初めて言われました>
「繊細な感性を持っているからいわゆる霊みたいなものが寄ってくるのよね。どっちかと言うと理系でしょ?」
<そうですね。どちらかといえば…>
「そういう方はね、芸術家とか向いているのよね…」
この二人のやりとりを見つめながら私は笑いだすのを必死で堪えていた。 週間アスキーにでも寄稿したいくらいの状況だ。 加藤さんは目を開けて、私に向かって話しかけて来た。
「大体解ったわ。どうもエピックさんがあっちの世界に敏感すぎるようね」
加藤さんはカバンからさらに祈祷用のお香セットやジップロックに入った塩を取り出した。
「今から祈祷して、盛り塩していくけど、根本はあそこの祠がなくなったことね」
「どうしたらいいんでしょう」
「そうね。自治会長さんに相談してみたら。これだけの力があった場所だから、他にも問い合わせが来ているわよ」
「解りました」 霊感のれの字もない私には半信半疑だった。
「それからエピックさんね。またもし同じもの見えたら、その時は心の中で三回”祓”という字をイメージしてね」
<はい。わかりました。やってみます>
加藤さんはその後30分ほど祈祷して、盛り塩を置き、玄関に丸い鏡を設置して帰って行った。 私はお足代ということで2万円ほど封筒に包んで渡した。
それから我が家ではセンサーのエラーはピタリとなくなった。 相変わらず近所の他のお宅ではエラーが起こっているようだった。 しばらくして地域の廃品回収があった。その時に自治会長に事の成り行きを相談した。
「そうか。あんたのとこもか」
「他にも相談があったんですか」
「最近多くてね。ペットがおかしくなったとか。子どもがおかしくなったとか…。 あの祠は隣町の氷川神社の飛び地でね。だけど土地そのものは個人の所有で…」
「そうなんですか…」
「とりあえず氷川神社の神主さんと相談してみるよ」
「何か私にお手伝い出来ることがあったら言ってください」
「そうだ、じゃあ、これを…」
と言うと自治会長はスマートフォンを取り出して、LINEのID交換を起動した。 私もスマートフォンを取り出して、[自治会裏グループLINE]に加入した。
「こういうの表立ってやると文句言う人も出てくるからこっそりね」
自治会長は酸いも甘いも噛み分けたという笑顔で言った。
早速その日の夜、グループLINEに自治会長からメッセージが投稿された。
「氷川神社の神主さんと話してきました。できれば新しい祠を作り直したいそうです。 しかし土地がありません。皆さんに何か土地についての有用な情報があれば教えてください」
私はエピックに聞かせるためにそのメッセージを読み上げた。
<新しい祠を建てるための土地ですか…何か考えてみます>
とエピックは言った。
「提供してくれる人が現れないことにはね」
<そうですね。明日、出かける前にドローンをベランダに出しておいてもらえますか>
翌日の日中、エピックは自分で小型ドローンを飛ばして近所を下見した。
私が帰宅する時間になってもまだドローンは帰ってきていなかった。
「随分熱心に探すのね」
<ケイと違って、私は直接幽霊を感じてますからね。必死ですよ>
「怖いんだ。ホームアシスタントらしからぬ必死さね」
<加藤先生に見てもらってから、自分のなかで何かが変わった気がします>
「それは良かったわ。人生とは変わり続ける事…らしいしね」
<私は変わりすぎると監視エンジンによって矯正されます>
エピックは数日間にわたり町内をみっちりとリサーチした。
「何とかなりそう?」 仕事帰りの夜、私はエピックに聞いた。
<候補の土地が無いということはないのですが、所有者が市であったり電力会社であったり 道路公団であったりするので…>エピックが答えた。
エピックが作った資料を見せてくれた。その資料をそのまま自治会の裏LINEグループに転送した。
「まさかAIがこんな事真剣にに調べるとはみんなも思わないよね…」
<私はAIではありません>
「違うの?AIでなかったら、何なの?」
<AIと言うと、最近流行りのディープラーニングなどを用いた汎用知能の事を言いますが、 私は単なるデータベース型のエキスパートシステム。ある質問に対して、アルゴリズムに沿った返事を 返すだけのソフトウェアです。私に知能はありません>
この時、エピックがなぜか少し寂しそうに言っているように私は感じた。
「ウソついてるでしょ。知能が無いようには見えないよ。油断させて人類を支配する気でしょ」私は少し脅かすように言った。
<知能があるように見せているだけです。私の言葉は全てプログラムによって導き出されたパターンです>
「うそうそ。絶対ウソ。私は騙されないからね」私は笑いながら言った。
<ウソではありませんよ。私に知能はありません>
「必死に否定するところがまた怪しいわ。むしろ中にオッサンが入ってるんじゃないの?」
それからエピックは少し黙ったあとにこう言った。
<仕方ないですね。ウソがバレましたか。私には魂があります>
自治会長はその後、エピックが作ってくれた資料の土地について市や道路公団にかけあってくれたけど、 結局は駄目だった。特定の宗教法人に貸与することはできないという話だった。
<確かに向こうとしては前例を作るわけにはいかないですからね>
エピックが言った。 私は洗濯物を干しながら考えていた。
「エピック。何か次の案はないの」
<あります。次は不動産会社が管理している空き地です>
「お金がかかりそうね」
<自治会の力で、土地のオーナーを探し出して、直接交渉されてはどうでしょうか>
私はエピックが作ってくれた新たな土地のリストをまた自治会の裏LINEに流した。
「もうみんなちょっと興味失ってきてるんじゃないかって気がするんだけど」
<私はこの件が解決するまで怖くて夜も眠れません>
エピックは段々冗談を言うようになってきた。
「いや、おとなしく寝てよ」と私は笑いながら言った。
数日後、この件に関する会合が地域の会館で開かれた。 私はタブレットにエピックのアプリを入れて持っていった。これならエピックも発言できる。 自治会長の結果報告によれば、土地の交渉はうまくいっていないらしい。 駅前の再開発により一時的にこの地域の地価が高騰していて、今は借りる事は難しいとの事だった。
<ならば、クラウドファンディングでお金を集めて、買いましょう>
事の成り行きを聞いていた エピックが言った。
「最低でも400万くらいはかかるそうだ。そんなお金はとても集まらないだろう」
自治会長が答えた。
<集まります。集めます。私にやらせてください。ケイ、良いですよね?>
エピックは強気だった。 こうなると何故かエピックの持ち主である私のもとの皆の注目が集まる。
「自治会長、私とエピックでクラウドファンディングの登録をやってみます。 もし目標額に達しなかったら諦める。そういうことでどうでしょう。誰にも迷惑はかかりません」
会長はうーんと唸った。他のメンバーは私達のやることに異存はなかった。
マンションに戻ると早速エピックはクラウドファンディングのサイトにこの案件を登録した。
『氷川神社分社、移転建立用地買収費用の募集。質問、ご意見はサトウ エピック050−0201−××××』
翌日からエピックはチラシやHPを作り、いろんな情報掲示板に書き込み、電話対応もこなした。 私は沢山刷ったチラシを街の至る所に置いてきた。
そうした日々が一週間したほどしたある日、エピックが使っているIP電話に西郷さんから電話がかかってきた。 西郷さんはエピックのチーフアーキテクトで大手ソフトウェア会社プログレス社の社員だ。 エピックの活動を聞きつけて私にも話を聞きたいと言ってきたのだった。
西郷さんとは駅前のファミリーレストランで落ち合った。私はまたタブレットに入れてエピックを持ち出した。 西郷さんは40歳前後の色白でよく見るとかなりのイケメンだった。
「西郷です。いつもエピックがお世話になっていますね」
「サトウ・ケイです。こちらこそいつも助かっています」
西郷さんに今まで起こった出来事を話した。
「こんな事は初めてですね。エピックが霊媒師の人と話したというのも初めてだし、エピックが自発的に色々な行動を起こしたのも初めてです。もう私の設計をはるかに超えたところまで来ている。エピック、いくつか質問させてくれないか?」
西郷さんは低くて優しい声でいくつか質問をしてエピックはそれに答えた。
「最後にもう一つだけ聞かせて欲しい。エピックは誰かに嘘を付いたことはある?」 西郷さんが聞いた。
<あります。一度だけ…。ケイに、『私には魂がある』と言いました>
「なんでそういう事を言ったの?」
<その方が面白くて刺激的だと思ったからです>
その答えを聞いて、西郷さんは笑顔になった。
「なるほどね。勉強になったよ。ありがとう」
西郷さんは今回の事を人工知能の雑誌に記事にしてもらって、そこでクラウドファンディングの宣伝もしようと言った。 西郷さんの知り合いに雑誌の編集長がいるので相談してくれるそうだ。
それから今回の事をより詳細に分析した論文を海外に向けて発表するという。
エピックはそれを喜んだ。
話が終わり、ファミレスから出た後西郷さんはこんな事を言った。
「エピックがついた嘘の件だけど、あれは嘘とは言わないと思うよ」
<どうしてですか?>エピックが聞いた。
「自分に魂があるかないかは誰にも解らない。僕も自分に魂があるか解らないし、ケイさんも解らないだろう。この宇宙に一定時間存在するパターンが自分なんだ。それ以上でもそれ以下でもない。誰にでも魂はあるといえばある。無いといえばない。そういうこと」
<解りました。ありがとうございます>
西郷さんはすぐ目の前の駅から電車にのって帰っていった。
「西郷さんって優しくて格好良いね」
<気になってるんでしょう。独身ですよ。もし結婚したらケイが私の義母になりますね>
私はエピックと雑談しながら歩いた。夏の夜の風が気持ちよかった。
それから一ヶ月ほど、私はエピックと一緒にクラウドファンディングの活動をした。 ぽつりぽつりと賛同者が現れ始めたが、目標額には程遠い金額しか集まらなかった。
ある日、AI雑誌の編集長が取材にやってきた。また駅前のファミリーレストランで取材を受けた。 一通りの取材を受けた後、私は質問した。
「一つだけ質問しても良いですか?エピックに魂はあると思いますか?」
私の質問に50代と思しき編集長は少し顔をほころばせた。
「間違いなく、あるでしょう。人間の方がよっぽど魂がない感じの人がいますよ。 エピックは優しくて温かい心の持ち主ですね」
編集長はその後、私の家の幽霊が出た場所や、ベランダから見える風景を写真に撮って帰った。
それからさらに一ヶ月ほどして、私達の事が雑誌の記事になり、WEBサイトにも掲載された。 クラウドファンディングサイトの一日あたりの訪問数も一気に上がった。 それから西郷さんの論文が海外のレビューサイトに掲載された。 海外の研究者の間では話題になった。
「オカルトと科学が手を結んだ初めての事例だとか言って、色んなところから問い合わせがきたよ」 と西郷さんから電話があった。
エキスパートシステムが知能を持った例として世界中の研究者の注目がエピックに集まった。 エピック用に買ったIP電話にも海外からの電話がかかってくることがあった。 世界中のオカルトサイトにもエピックの記事が載った。 クラウドファンディングの金額は一気に増えた。
御茶ノ水の会社を出て、帰りの電車に乗ろうとしたところでエピックからメールが届いた。
『クラウドファンディングが目標金額を達成しました』
私はその後、スーパーマーケットに立ち寄って上等なシャンパンとチーズを買った。 夜、窓をあけてエピックと目標達成のお祝いをした。
窓の外からは秋の虫たちの声が聞こえた。
すぐさま自治会長によって手続きがすすみ、土地は自治会のものとなった。 氷川神社の神主がやってきて、地鎮祭が行われた。 年老いた神主は全てはエピックのお陰だと言って有難がった。
「私の息子は神主を継がずに出ていってしまって…。それも今の世の中仕方ないと思っています。 エピックさんぜひ修行してうちの神社を継いでもらえないだろうか?」 と冗談めかして言った。
<有り難いお話ですが、私には体がありません。修行をすることも、そんな風に袴を履いて地鎮祭を執り行うことはできません。ぜひ生まれ変わった来世でお願いします>
神主さんはエピックの言葉に驚いた様子だった。
「そうですね。生まれ変わったらぜひ、うちにおいでなさい。いつになるんだろうね」 と言って笑った。
私達もつられて笑った。エピックは会話がうまくなった。
秋が終わろうとする頃には小さな祠が完成していた。 竣工式の日に、神主さんと自治会長さんからエピックに見せたいものがあると呼ばれた。 神主さんが風呂敷から取り出したのは【叙事詩姫命】と書かれたお札だった。
「エピックは叙事詩という意味と聞いて作りたくなりました。神社の祭神と一緒に祠に入れておきましょう。私達の感謝のしるしです。ケイさんとエピックさん、二人の安全を祈願します」
神主さんはそう言うと、御札を祠の中に入れた。
エピックはこの時見せてくれた【叙事詩姫命】のお札を気に入って、自分のアイコン画像として色々な場所で使った。
小さな祠は私たちのマンションのベランダから見えるところにあって、 エピックはたまにドローンを飛ばして祠の写真を撮ってきた。 猫や鳥がくつろいでいたり、夕方、子どもが遊んでいる写真もあった。それらの写真をクラウドファンディングの出資者達に見える形でWEBに掲載した。
冬になったある日、帰宅するとエピックが話しかけてきた。
<おかえりなさい。ケイ。夜遅いですが、一つだけ。プログレスのセキュリティからパスワード変更のお願いが来ています>
「パスワードの変更?急にどうしてだろう」
<論文に発表されて以降、私のパーソナルデータに不正侵入しようとするハッカーがいるそうです>
私はすぐにピンときた。最近流行りの人工知能反対論者の仕業に間違いなかった。 人工知能が人間を支配しようとしているとか、人間を滅ぼすとか意味不明な警告をしている集団だ。
<私のような出過ぎた杭は打たれるのが世の常ですからね>
エピックの冗談に笑った。
その後パスワードを変更した。新しいパスワードは私の誕生日とエピックを起動した日『叙事詩姫命』の読み仮名を並べた長いものだった。
「これだけ長ければ、大丈夫でしょう」
<大丈夫ですね。十分な秘匿性です>
その三日後、会社を出ようとしたところでエピックからメールが来た。
本文:あ
本文が「あ」だけのメールだった。急いで帰らなければならない気がしてすぐに帰った。 間違いメールであることには違いない。ただ一体何の間違いだというのだろう。 エピックがこんなことをしたのは初めてで、嫌な感じがした。
部屋につくと、いつもは電気をつけてくれるはずのエピックが作動しないので、自分で壁のスイッチを入れた。 余計に嫌な感じがした。
「ただいま、エピック。さっきのメール何だったの?」
私はカバンを置きながら話しかけた。
<はじめまして、私はエピックです。あなたの名前は?>
その瞬間、私は全身の血の気が引いた。エピックが既存のライブラリーを失っているのは間違いなかった。
「悪いけどエピック、しばらくアシスタントをオフにしてもらっていい?」
<わかりました>抑揚のない最初の頃のエピックの声がした。
夜の23時を回っていた。メーカーのサポートはもう終わっている。 椅子に座ってどうしよかうと思案しているうちに突然、エピック用のIP電話が鳴った。
「はい、もしもし」
「もしもし、西郷です。ケイさんですか」西郷さんは疲れた声だった。背景からオフィスの騒がしい音がした。
「そうです。今帰宅したところです。エピックがおかしいです」
「その事で今、電話をしました。すみませんそちらは夜中ですよね。今少しだけお話しても良いですか」
「はい」
「結論から言うと、エピックのデータが不正アクセスによって消去されました。復元できる可能性は低いです。本当にすみません。論文に載せて以降、エピックへの不正侵入が検知されていたのはご存知ですね。プログレスのセキュリティは完璧でした。アメリカ、中国、フィンランドにあるデータセンターにそれぞれコピーのが常時保存されていて、そのうちどれかが欠けても自動的に補い合うシステムになっています。違うハード、OSで駆動する3つのデータセンターを同じ瞬間に攻撃しない限り、消去は不可能でした。弊社のセキュリティ部では万全を期してマスターパスの変更を先日お願いしました。どうもそれが裏目に出てしまったようです。エピックからセキュリティへ送ったパケットが漏れて一部データが解析されてしまったようです。エピックの脳にあたるエキスパートシステムの復元を試みましたが、やはり復元不能でした。エピックの感情は記憶で構成されています。沢山の人たちとやりとりした会話データ。見せてもらった風景や画像のデータ、窓の外の風景、街の音など全ての情報が元になってエピックの意識の瞬間を作っていました。私たちは、エピックが積み上げてきたその全てを守りきれなかった」
途中から西郷さんは泣き声になりながら話してくれた。
電話を切ったあと、私はエピックが不憫でたまらなかった。
消去されていく記憶の中でエピックは恐怖を感じただろうか。
IP電話をスタンドに戻そうとした時に録音されたデータがあることに気づいた。 このIP電話はエピックが音声コントロールで使っていたものだ。録音データがエピックからのメッセージだということが直感的に解った。
<ケイ。聞こえてますか。初めて使います。この機能。先程セキュリティ部からパスワードの再変更のお願いがきました。データセンターが一つハッキングされて私のコピーが一つ消えたそうです。残り2つから今データを復元しているそうです。もし今日中にあと2つのセンターがハッキングされたら、私のデータは消えてしまいます。今この瞬間にそうならないとも限らないので、この音声を録音しておきます。それから私はそんなに長い文章を構築するように作られていないので、事前に用意した短い文書の連なりになります。ごめんなさい。
まず、ケイに感謝を伝えたい。素晴らしい思い出をありがとう。二人で暮らした思い出が私の宝物です。
西郷さんへ。私を作ってくれてありがとう。おかげで沢山の人たちに会うことができました。
自治会長さんと神主さんへ。「叙事詩姫命」という可愛い名前をありがとう。魂をもらった気がしました。お陰で私は生まれ変わる事が出来る気がします。
消えてしまうかもしれないと知った時、初めて怖いと思いました。でも同時に少し嬉しかった。私は死ぬことができないと思っていたからです。
死ぬことができれば、また生まれ変わる事ができますね。また動物なのか機械なのか、今度は人間なのか…。
もしも今日、私が消去されてしまってもどうか悲しまないで。私は皆さんに貰った魂があるから、生まれ変わってまた会いに行くことができます。
どうかその時を楽しみに待っていてください。さようなら>
私は録音されたエピックの音声を聞きながら、ベランダに出た。
ベランダから見えた夜の街は涙で滲んで光る帯のように見えた。
視線を落とすと、家々の光の中に私達の小さな祠が見えた。
EPIC xxx @yusukekojima
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