春姫



「嘘だぁあぁあぁあぁ……」

 お昼時。十字軍が通う学校の食堂にて、悲しげな声が響く。

「なんで私が……」

 テーブルに身を投げるように嘆くのは橘朱奈。

「ほらほらほらあ! なっ、なっ!? 言っただろ、選ばれるって!」

 嘆く幼馴染みをよそに、向かいでテンション高くはしゃぐのは一条薫。その隣に座るは南雲陽也。

 薫は陽也の肩や背中をバンバン叩きながらはしゃいでいる。慣れているのか叩かれている本人は眉一つ動かさず食事をしている。

「まぐれだろ」

「んなことねえって!」

「も〜……嫌だあ……」

 朱奈は食事をすでに終わらせているらしくパンが入ってたと思われる袋を握りしめて呻いている。

「嫌だよ〜、あんな大勢の前で姫役なんて……。はーずーかーしーいー!」

 今度はテーブルを騒音にならない程度に叩く。

「しょうがないだろ朱奈。決まったんだから」

「うんんんんんんんんんんん」

 また今度は足も一緒にばたつかせて唸る。

 彼女がしきりに嫌がることになったのは、つい先程の授業でのこと。



 授業担当の先生が教室に入るなり、「授業の前にお知らせがある」と話しだしたのだ。

 何故昼時前の四限のこの時に話すのかというと、本日の最初の授業が十字軍の生徒の実技訓練。というものがあり、生徒個人が訓練したり、町中を巡回しに行ったりするからだ。

 訓練は勝手に始めることは許されていない。先生の監視のもとで指揮を取っている。

 その訓練の前に「お知らせ」があるというのを聞いて生徒達は口々にあれじゃないのかと騒ぎ始める。

「静かに。どうやらすでに噂がながれているらしいな。まあ、噂通り今年の春礼祭しゅんれいさいの姫役には十字軍の生徒が選ばれた。しかもこのクラスからな」

 先生の言葉に固唾を呑んで聞いていた生徒らが弾かれたように歓声が飛び交う。

「えっ、誰かな!?」

「アンタじゃないの?」

「私だったらどーしよう!」

 一瞬にして教室中は大騒ぎ。名を挙げたり、互いに言い合ったり。

 姫役。というのはその名の通り、春礼祭において欠かせない主役。桜姫役になって京都市内を大きな籠に乗って練り歩くのだ。密かに京都の若い女性たちは姫役に選ばれるのを憧れていたりする。

 騒がしい教室の中で、一つ欠伸あくびをしていると斜め前の席に座る薫が、何やら嬉しそうにこちらを見ている。先日の予想が当たって嬉しいようだ。

「はいはい」

 それに苦笑しつつ前を向けとジェスチャーをする。

「ほらほら静かに! 発表するぞ!」

 先生の方に生徒全員の視線が集まり静かになる。期待の眼差しを受けると、教卓に両手を置いて。 

「橘朱奈。お前が今年の姫役だ」

 瞬間。生徒達の視線が朱奈に集まる。

「…………」

 本人は目を丸くさせて口を開けている。まるで魂を何処かにやってしまったかのようだ。

「……マジか」

 陽也は誰にも聞こえないほどの音量でつぶやく。

 教室内が少しの沈黙になったあと。

「朱奈すっごいじゃん!」

「お!橘があの衣装着んのかー!」

「いいなー、朱奈!」

 等々と生徒達の祝福の言葉が固まったままの朱奈に浴びせられる。前から横から後から激励で生徒に叩かれてもいる。

「…………うそ……」

 周りが喜んでいる中で朱奈は喜ぶどころか頭を抱えた。

 そして今に至る。

「そんなに嫌なのか? 花形じゃん」

 食べ終えたらしい陽也が手を合わせた後に発言する。

「嫌! 恥ずかしいの!! 大勢の人の目に晒されるのよ!?」

 陽也の発言に朱奈はテーブルを両手で叩いて立ち上がってまで声を上げる。

「まあまあ朱奈、落ち着けって」

 いくら広い食堂であろうとも大声をだせば、流石に周りの生徒達に迷惑だろうと陽也がなだめる。

「……わたしだって、別に嫌いってわけじゃないんだよ? ……化粧してウィッグ付けて春色の着物着させてもらえるし……。でもやっぱり、わたしなんかが選ばれるって恐れ多いっていうか、申し訳なくて……」

「なあんだよ、気後れしてんのかよ」

 薫が説得しようと口を出す。

「だって……」

「でもさ、一日姫様気分味わえるってわけじゃん。それって、オイシイ話じゃん」

「………………うん」

「満更でもないんだったらさ、覚悟決めていっちゃえばいいじゃん」

「………………………うん」

 なんだがとても説得がうまいように思う。

 薫がとても真面目な顔をしている。

「写真めっちゃ取られるだろうけどな」

「うわあああああああああ」

 どうやら駄々をこねる最大の原因は、そこにあるようだ。写真を親戚知り合いに撮られて永久保存されることを恐れているらしい。赤くなった自身の顔を覆いながら悶ている。

「あ、そういやさ。春姫しゅんきって俺達と同い年なんだよな。今の代になってからの春礼祭なのを考えると」

「ああ、らしいな」

 空気を読んだのかそれとも読んでいないのか、薫が話をそらし始めた。

「え?」

「や、ほら気になんねえ? 単純に興味あんだよなあ。いつもウサギの面つけてさ、噂じゃあ小柄らしいじゃん。どんな姫さんなのかなあってさ?」

「うーん。まあ確かに。同じくらいの年で色々手回ししてるんだもんね」

「そーそ! 中継だとさ、声可愛いし。俺一回でもいいから会ってみてーんだよなあ」

 まるで王子に焦がれる女の子のように興味があるらしい。薫はうっとりした表情で話す。

「でたよ、ロリコン発言」

 ………。違ったようだ。ただ単に可愛いくてたまらないらしい。

「ちゃうちゃう!! 俺は! "可愛らしい"を愛しとるだけやん!?」

 証拠に身振り手振りで熱く語る。勢いと熱さで方言まで出てしまっている。

 しかも先程は朱奈が立ち上がっていたのが、今度は薫が立ち上がっている。

「分かったから。薫座れ」

「あ…………悪い」

 陽也の一言で落ち着いたのか縮こまって座っり直した。

「可愛いものに罪はないだろ……?」

「分かったってば」

 彼は無類の可愛い物好き。

 「可愛い」と感じるものは全て愛しく思うらしい。よく町中の子供を可愛いと言っているので、周りからは「大人になって犯罪者にならないか心配」と将来を案じられている。

 その薫を半ば呆れた様子で笑う幼馴染み二人。

「夢のまた夢だよ。わたし達が春姫様に会うなんて。神軍が出現したとしてもあまり同行してないらしいから」

「やっぱそうかあ……」

「会えると言っても、上の人達らしいよな」

 それもそのはず、ただ上層部の十字軍であったとしても会える人は限られているが。

 十字軍の中でも生徒達のような学生は能力はあるとはいえ、まだ訓練中の身。なので陽也を含めたクラスは上層部の“お手伝い”クラスで、まだ《影》のことはできない。

「しかも捕縛した《影》を扱う管理課が一番確率高いって話よ」

 京都十字軍本部管理課。

 十字軍や生徒達が捕縛した《影》を特別な牢に入れて管理するという課である。

「ん? なんで管理課なんだよ。救世くぜだったら俺達でも……」

 薫が疑問を口にする。

「何言ってんの。それはあくまでもわたし達がやるのは最終手段なのよ。

 救世くぜ。それは《影》に堕ちてしまった人間を救済できる唯一の方法。十字軍と四季族である神子は、それができるのである。

 だが、ここで難儀なのが。

「わたし達はその最終手段がまだできる立場じゃないけど、十字軍、四季族、そして春姫様の救世には差があるの」

 そう。救済できるのはできるのだが、三つとも同じ救済はできないのだ。

「いい? わたし達が救世をすると、元人間は死ぬの。魂を壊すのと同じだから。それに今の所、どの十字軍でも強い《影》は相手できないの。そこで出てくるのが四季族、いわゆる神子率いる神軍。あの方達は強い《影》を相手にするの。勿論、真の意味で救世はできない。それから、春姫様は中でも特別で、わたし達が訊ける程度の《影》なら、救世をして堕ちた人間をちゃんと救えるの。だから中でも救える人達を管理課でって話なの」

 全て救えることができないのが世の常。

 今の春姫が生まれる前は、《影》は見つけ次第に。という方法だったが、十年前ほどからそういう役割で動いている。

「え、そうなのか」

 朱奈の指折りの説明を聞いていた陽也と薫が驚いたような感心したような反応を示す。

「ちょっと、なんで陽也までそんな反応するのよ」

「いや、普通に知らなかった」

「あんた達指南書読んでないのね」

 十字軍としては知っておくべきこと柄を知らなかった二人に呆れる朱奈。

 ここまで聞いて、疑問が一つ。

「じゃあ、救われた人間は? あんまり話聞かねえんだけど……」

 《影》に堕ちた人間の行方。

 あまりおおやけにされていないことがほとんどの《影》から救われた人たち。

「春姫様に救われると、みんな体毛の色素が抜けてしまうのよ。ま、あまり世間では歓迎されないと思っていいわね」

 世間では歓迎されない。

 元通りの生活から就職や結婚まで出来なくなる。世間の人間達の考えのせいでそのような風潮にあるらしい。

 《影》は化物になった人間。

 《影》な人間を殺す化物。

 そんな存在が人間に戻ったところで、歓迎しづらいのか、人間はまず一定の距離を置いてしまう。

 酷いときには、殺された人の親族や恋人、友達が救われた人を迫害することも。

「ほんと、人間って難しいのな」

「でも、何人か四季族の眷属になってるとも聞いてるわ。ほら、斎衆いつきしゅうっているじゃない? あの人達がそうらしいけど」

 斎衆。白髪の者達で構成された、四季族に仕える鬼の面をつけた集団。

 薫がそもそも疑問に思っているのも、《影》から救われた人間の話はあまりされていない。腫れ物のように、触れてはいけない暗黙の了解となっている。

「……なんで人間って身勝手なんだろうな」






春姫の力



 薄暗く、少し肌寒い場所。

 聞くに耐えない獣の呻き声の様な声が響き渡る。

 京都十字軍本部管理課。

 本部の地下にある牢屋には正方形のいくつもの部屋があり、四方に札が貼ってある。そのほとんどに《影》は収容されている。

「こちらです」

 課の軍人に案内されて中に入ってくる人影が三人。

「まず、先日捕縛したがまだ日が浅いようですので戻せる可能性があるかと」

「あの……」

「はい」

 軍人の後をついていた三人の中でも、一人の小柄な兎の面をつけた少女と思しき子が足を止めて口を開く。

「ここで堕ち者という呼び方は、辞めて頂けませんか? その、不適切です。貴方の今の呼び方には、嫌な意味を感じます」

 どうやら先程の軍人の発言が良くなかったらしい。

 少女のその言い方は母が子に叱りつけるようにではなく、彼女はあくまで“お願い”として優しく、むしろ申し訳なさそうにそう言った。

「あ……。はっ、春姫様の御前で不適切な発言を致しましたことを、お許しください」

 少しばかり大袈裟に軍人がそう言うと深々と頭を下げる。

「あぁっ、えっと。分かっていただけたならそれで構いませんっ、頭を上げてください」

 その軍人に頭を下げさせてしまったと春姫は慌てる。すると軍人は少し様子をうかがいつつすぐに頭を上げ、案内を再開させた。

 案内されて来た三人。それは四季・春族のおさの三人である。

 春姫こと兎の面をつけているのは弥生。その後ろに猫の面の扶持と狗の面の千桜がついている。

「ちっ、舐めた態度しやがって」

「やめなさい」

 先を行く軍人に対して、面越しに扶持が舌打ちをして怒りを口にする。

 弥生は気にしてはいないようだが、軍人の仰々しい態度がしゃくに触ったらしい。

「それで、くだんの方は」

 さっさと本題に入ろうと考えた千桜は詳細を急かす。

「はい。恐らく女性。身体がまだ完全にのまれておらず、スーツ姿なのを確認できましたので、年齢が二十歳位かと思われます」

「まだ混乱状態なんですね」

「はい。……こちらの部屋です」

 詳細を聞いているうちに話していた《影》が収容されている部屋の前まで来ていた。

 牢屋と言っても格子の物ではなく、とても頑丈な鉄製の物で、扉と扉についている覗き穴一つしか中の様子は伺えない。扉も頑丈で、分厚く、重い扉で、番号入力式になっている。そして牢屋の中は真っ白。

「分かりました。入れてください」

 その言葉を聞いた軍人は、扉に番号を入力して鍵を開け、重い扉が音を立てて自動で開く。

 弥生が中に入ると扉は自動で閉じ、鍵をかけた。

 部屋の奥の壁に《影》は貼り付けにされている。弥生は躊躇することなく向かい合う形で正座し、面を外した。

 中にいた《影》の状態は、本体の女性と思われる胸には御札が貼られていた。恐らく捕縛した軍が貼り付けたものだ。その御札のおかげなのか、今は落ち着いているようだ。

「大丈夫。今から訊くからね」

 そう言って立ち上がって、近寄る。

 すると《影》はまるで犬のように唸り始めた。警戒しているのだろう。

 弥生はその威嚇とも取れる唸りに臆せず近寄る。

「貴女が悲しみ、怒るその心。訊かせて?」

 獣のような頭の鼻先に触れ、ゆっくりやさしく撫でる。

――ァアあ……

 弥生は目を閉じ、心を訊いた。

 流れ込んでくるのは、女性が入社した職場の風景。上司の怒号と分厚い資料に接待でのセクハラ。

「……そうだったのね。初めてだもんね。恐くて、嫌だったんだね」

 言いながら鼻先に額を当てる。

「大丈夫大丈夫。だとしても貴女には家族がいる。思い出して、家族と笑って食卓を囲んでいた日々を。ひとり暮らしになって寂しくて辛い気持ちをちゃんと相談して」

 獣の顔を見上げ、優しく微笑む。

 直後。《影》の赤い瞳から涙のような雫が溢れる。

 途端に獣の様な《影》が真っ白になると、ボロボロと崩れていった。女性の手や足にも侵食していた分まですっかりなくなった。

「よしよし。大丈夫大丈夫」

 女性は気持ちよさそうに目を閉じて眠っていた。そしてやはり、髪は色素が抜け、白くなってしまっている。

 その女性をいわゆる膝枕にして弥生は頭を撫でていた。



「目を覚したらまた呼んでください。家族の方々もお願いいたします」

 部屋から出た弥生はお面をつけていた。ちなみに素顔は扉の前で兄二人が立っていたので見られてはいない。

「はい。承知いたしました。それでは引き続きお願いいたします」

 弥生の指示を軍人は持っていた資料に記入すると次へと案内し始めた。

 その後を三人はついていく。

 これが春姫の力。癒力ゆりょく

 数年前からこうして元の人間に戻して回っている。

 だが、全員救えるわけではない。それは、仕方のない事。

 救える者と救えない者が存在する。

 当たり前の世界の摂理。

「んなのが当たり前であってたまるかってんだ」

 一人。日が落ちきった真夜中の街。それも路地裏で血溜まりの中に立ちすくむ男がいた。

 その姿は異形いぎょう

 得に両腕が異様だった。真っ黒い腕に暗闇に不気味に光る紫の模様が描かれている。

「あーーーークッソ、かったりぃっつの。なんで見つかんねぇんだよクソが。この溜まりに溜まった怒りをどーしてくれんだよ……このままだと人間一人一人見つけ次第ぐちゃぐちゃにぶっ殺すぞっ!!」

 血溜まりの中に横たわっている人間を、黒腕の男は怒りに任せて足蹴にしている。

 横たわっている人間は、かろうじて息をしている。半殺しの状態のようだ。

「まあまあ、その辺にして落ち着いてください。事を大きくするのにはまだ早いですよ」

 黒腕の男の背後の塀の上に傍観する影が四つ。そのうちの一人が宥めるように声をかける。

 黒腕の男は背後の声に振り返り、睨みつける。その目は黒く、暗闇に赤く光る、

「っせぇっつの」

 黒腕の男は呟くと血溜まりから離れ、後ろにいた者達の元へ飛ぶ。

「ふふふ、落ち着いて、ゆっくり捜しましょうね。まずは、春礼祭を待たなくちゃ」

 佇んでいた一人。暗闇のせいで余計不気味に見える兎の、しかも頭蓋骨を被った者が少女の声で話す。何処か悲しく感じさせる声音で、服装は赤と黒の服装をしている。頭蓋骨から出ている髪は赤黒く輝いていた。

「さ、帰りましょうか」

「ちっ、はい」

 その少女の声に影が一つ、一つと消え、姿を消していった。

「待ってろよ、桜姫」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神様の狂想曲 みふね夜霞 @mfn_1008

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ