一枚の赤いカードマジック

 夏至を過ぎたばかりということと、からっきし雲がない影響で、午後七時をまわっても空は微かな明るさを伴っていた。花火の打ちあがる予定時刻は午後7時だったはずで、まだ打ちあがっていないということは、運営側で何かトラブルがあったのだろう。私は夕日が消えてもなお居残ろうとする光がちらちらと映る空を見上げながらため息をつき、もうほとんど夜を身につけたアスファルトの道を歩いた。

 

 もし、自分の選択肢が違っていたら。私は考えを巡らせる。しかし、どのような選択肢をとったとしても、結果は一緒になるのではないかと思っていた。運命はマジックと同じで、実は偶然とかまぐれというのが積み重なっているわけではなく、あらかた全容は決まっていて、仕掛けに気付いて指摘しようが、全く気付かずに魅了されてようが、結末は変わらない。


 あのとき、少しのアクシデントもなくショーは成功して、金子君の表情を見ることもなかったら。私は昨日不意に浮かんだ妄想が頭をよぎったため、消し去ろうと頭を強く振った。後ろで結ばれていた髪が光を払うように揺れる。


 この先をもう少し歩くと学校が見えなくなって、反対に駅が見えてくるあたりまで差し掛かったとき、学祭準備期間中に流れていた曲が校外放送で流れるのが聞こえた。確かこの曲が流れ終わった後に大小色とりどりの花が空を彩るはずだった。女性シンガーソングライターのギターと歌声が夏の匂いを響かせる。確か歌手名は「自由」と書いてあるのに「ジユウ」と読まないのだ。奇術部の後輩にそう説明されたことを思い出す。


 一日中働いた身体は石のように重くなっていて、ときどき吹く冷たい風が肌にあたって痛かった。妄想というシナリオと自分が一人で帰り道を歩いているという現実があまりにかけ離れていて、今にも崩れ落ちてしまいそうなほど、身体も心も脆くなっていた。


 一番の歌詞が終わり、ギターのメロディーだけがゆったりと流れる。花火のひとつくらい見ておきたかったなと思いつつ、空とは逆方向に顔を落としながら歩みを進めた。すると、後ろの方からバッグが大げさに揺れる音がするのが聞こえた。ガサゴソガサゴソ。揺れる音は次第に大きくなっていく。


 しまいには荒い息遣いも聞こえてきて、背後に人の気配を感じるまでの距離になったとき、バッグの揺れる音が止まった。どうやら音の主は、私に用があるらしい。私は足を止める。


 「捜したんですよー。まさか帰っているなんて」


 振り向くとそこにはぜいぜいと息をして、肩を上下に揺らしている、細長い背格好した後輩の関口君が立っていた。


 「捜していた?私なにか忘れ物でもした?」


 「そうゆうわけじゃないですけど。先輩はクラスでの解散がかかったあと、必ず部室に来ると思ったんですよ。でも、来てませんよね?」


 「まぁ、行ってはないけれど・・・」


 関口君はやれやれといった表情をしている。部室へ行かなかったのは一人でへこんでいる姿を見られたくないからであったが、彼に会った今、そんな意固地もどうでもいいような気がした。


 「そういえば、今日はアシスタントありがとうね。とても助かった。それに急な無理強いもしちゃって」


 関口君は右手で頭を搔きながら目元を細めた。


 「いえいえ、いいんですよ。アシスタントなので道具を持ってきたり、簡単な手伝いをしただけだったし、九条さん?でしたっけ、その人を見つけるのも案外簡単でした」


 「でも、関口君、ひとつだけミスをしたでしょ。金子君の運命のカードはハートの2じゃないはずよ」


 本当はキングのハートが13でクイーンのハートが12だから、運命のカードでハートの数を揃えるはずだった。それ以外はすべて完璧だったのだ。


 「でも、先輩もミスをしていたじゃないですか」


 関口君は反省の色をみせず、むしろニヤニヤしていた。


 「林田のマジックはそこまで練習していなかったのよ!」


 関口君は私の反応を見れて満足したように口を緩ませた。


 「先輩は、あのとき告白しなくてよかったんですか。一か月前から今日のために猛特訓していたでしょ。たぶん林田先輩もマジックで感動したというより、先輩が告白しなかったことに驚いて涙を流したと思うんですけど」


 「林田は驚いて泣くような男じゃないわ」


 林田は気づいて泣いたのだと勝手に解釈する。私と林田と関口君は一か月以上も前から金子君専用のマジックショーを計画していた。もし、学祭前または学祭当日までに彼が手紙を渡しているようだったらマジックショーは中止。でも万が一彼が悩んでいるようだったら部室に連れてきてほしいと林田に頼んでいた。そして、計画ではマジックショーが成功した後に、金子君に告白をする予定だった。しかし、結局告白はしなかった。そもそもショーは関口君のミスにより成功したとは言えないことが理由の一つ。そしてもう一つ。この理由に林田は気づいたのだろう。それは私が金子君の表情を見てしまったからだった。


 いつもの昼休み、私は九条さんとお弁当を囲んでいたが、それはとても不純な理由で、つまりは金子君を眺めたかったからだった。でも、彼はこちらをたまに見ては机に向かって何かを書き表している。そして少し書いたと思ったらすぐに紙を丸めてしまうのだ。私はどうにも気になって林田に何を書いているのか聞いてみると、はたしてそれは九条さんへのラブレターだった。つまり、彼がたまに振り返って見ていたのは私ではなく九条さんだった。今まで眺めることしか出来なかった勇気のない私には妥当な知らせだ。もし私が彼に対して何かしらのアクションを起こせば。彼は私に気づいてくれるかもしれないと思った。後ろを振り向くときは私のことをきちんと見てくれるかもしれないと思った。だから私はあのような凝ったマジックショーを計画した。占いと見せかけて私がいかに金子君に好意を寄せているか、そしてマジックで私自身をさらけ出して、なんとか気づいてほしかった。でも、今も覚えている。金子君の表情が最も輝いたのは、私が占っているときでもなく、空に舞ったトランプに短刀を突き刺すときでもなく、私がおめでとうと言ったときだった。彼が私の本当のタネに気付くことはない。彼は最初から九条さんしか見ていなかった。ばれてほしかった、私の思い。


 「マジシャン失格よね。ばれてほしいなんて思ったりして。あぁ、ごめん」


 今までかかっていた魔法が解けたかのように、両目から涙が溢れだした。止めようとしても止まらない。脳裏では私が理想というタネで作った光と、結果としての闇がぐるぐると映し出され、目の前を正確に認識できなくなった。まともに返事をすることもできない私は、関口君に見せる顔が無かった。一瞬で身体が消えるマントがあるのなら、今すぐに包まってしまいたい。


 「栗山先輩!マジックっていうのはこうやってやるんですよ」


 関口君が声をかけてくれたおかげで、脳は目から入る現実のみを映し出した。彼は両手に一本ずつ赤いひもを持っている。私が林田たちに見せたマジックで使用したものだった。彼は私が手元を見たことを確認すると、左手に持っていたひもを右手に移し替え、右手からはちょうど二本のひもがぶら下がっている状態となった。


 「いきますよ。せーの!」


 関口君は右手を一瞬開いたかと思うと、すかさず左の手のひらを合わせた。はたから見れば、夏の広さをさまよう蚊を潰したようでもある。そして、ゆっくりと左手を離した。右手に乗っていたのは、一本につながった赤いひもと一枚の裏返しになったトランプだった。


 「もし、栗山先輩が告白失敗したら、渡そうと思っていたんですよ」


 関口君はトランプを私に差し出した。私は涙ぐむ目でカードの表をそろりと覗く。大きな赤いハートマークが1つだけ描かれていた。


 「先輩が金子先輩のことを思っていたように、誰かが先輩のことを思っているかもしれないですよ。例えばハートのジャックとか。ジャックの思いがハートの”Q"に届くといいですけど」


 「え・・・」


 「先輩!花火見ましょう!」


 私が何を言おうか迷っているうちに、遠くの方で大きく破裂する音が聞こえ、視界が一瞬明るくなった。大きな音に続くようにしてか細い音が続けて聞こえ、ドドン、バシン、と私の背中を叩くように響くのだった。私は明るくなったり暗くなったりする視界の中で関口君を見た。彼は右手に赤いひもをぶら下げながら、空の方を見上げている。両目がどこか物憂げで、寂しそうに光を映していた。私はそっと彼の隣に寄り、右肩に頭をかけた。彼の身長は私の心を支えるのにはあまりにちょうど良かった。黒いスーツを着た小太りの男性が私たちの前をそそくさと通り過ぎる。私も関口君に倣って空を見上げた。


 夜になりきっていないまだ少しばかりの青さを残している空に映される花びらは、大きさも違えば色も違って、手をかざせば消えてしまうさまは、どこかマジックのそれと似ていて、美しく鮮やかだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

マジック うにまる @ryu_no_ko47

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る