第十五話
大岩戸館は政庁であると同時に元は平山城を改築したものであり、その防御機構もまた流用されていた。
幾重にも空堀水堀が巡らされ、そこに急ごしらえで造られた遮蔽物や逆茂木が設置されていた。
そこに攻め来る敵軍は、暴徒を糾合して合計三万。
兵力は三倍。攻者三倍。攻城戦における基本則に沿っている。
逆に言えば、遮蔽物で数的不利を補うことのできる防衛側は、白兵戦、射撃戦においては攻撃側より優位に立っている。
だが、攻める時と場所とを選べるのは寄せ手である。
したがって基本戦術的選択肢と先手は攻める方にこそある。そしてその精神が自身の偽善と欲求に食い潰されたとしても網草英悟は機動戦の巧者であった。
玉石混交の軍を南北に素早く展開し、射程外より銃を射合わせた後、突撃を敢行。それが昼ごろのことである。
こと熾烈を極めていたのが北部を攻める網草直属の精兵たちで、当初星舟の企図していた防衛線である丘陵に猛攻を仕掛けて押し込んでいく。
その激戦たるや、硝煙で近くの味方の顔や手、あるいは生きているかどうかの様子さえも覆い隠してしまうほどであったという。
だが一方で戦力を集中した弊害、それによる英悟の誤算も生じつつあった。
いや、そもそもこの戦、どこからどこまでの範囲に正気だの計画性だのがあったのか。
そんな先の見えない侵攻に末端の兵士たちの士気は衰え、物理的な距離が本隊より離れれば離れるほど、縁遠い勢力になればなるほど、それは顕著となっていく。
したがって南部の戦線は三分の一にさえ満たぬ経堂、恒常の支隊と精密射撃によって阻まれ、最外円の水堀を挟んで膠着していた。
現時点で決め手に欠けるは両者とも同じ。だが、それでも互いに光明は存在していた。
英悟にしてみれば北部の要所を抑え込めればそれで勝ったも同じ。真竜種の精鋭という編成であるはずのガールィエ家にそれ以上の抵抗勢力など存在するはずもなく、若く経験に乏しく骨細というカルラディオなどたやすく討ち取れよう。そしてこの地の豊富な金属資源があれば、女王も己を見返し、自身に泣いておのが非を詫びることになるだろうという。
一方で星舟はこの場において決着がつかずとも、二、三日間耐え忍べばよかった。
さすれば周辺の反乱を駆逐した他の連隊がこちらに集結し、敵を背後から包囲しにかかるだろう。
その願望に違いがあるとすればそれは、状況から判断した理性を伴うものか、ただの妄想か。
見通したその先に未来があるか、否か……
だが、この場合の軍配は前者に上がった。
夕方ごろになるとついに北部の戦線は突破され、丘地は占領されるにいたった。
狂喜した英悟は鋭く号令を出した。
曰く「突撃せよ。非戦闘員であろうとなんだろうと、戦力として投入せよ」と。
だが、北部戦線の指揮官たる弥平は、それに難色を示し、足を止めた。
突破には成功したものの、被害は大であり、彼自身も右の肩骨に流れ弾を一発食らっていた。
よって高所を取ったことで良しとし、留まった。
彼は復讐心や虚栄心に凝り固まったこの陣中において、もっとも理性的な判断を下した得難い人物ではあっただろう。
だが、かえってそれがこの場合は災いした。
あるいは彼の部隊を犠牲に強行していれば、館の門を打ち破りなだれ込むことも可能であったかもしれない。
だが、上記の理由を並べ立て停滞したことは後続の部隊の障りともなり、今日の攻めはそれ以上の成果を上げることはできなかった。
そればかりではなく、孤立を恐れた南部の攻勢はさらに怠惰なものとなり、
そのことに安堵しつつも、守将夏山星舟は淡々と被害状況を確認しつつ、空堀の前に二次防衛線を展開した。
もっとも、それも想定どおりではあったが。
弥平が与えた時間的猶予は結果として竜軍に再生の機を与えたばかりか、さらなる誤算を招いた。
「いよぅ、楽しんでるかー?」
……その次の日の夜明けには第一連隊がいちはやく着到し、南部に展開。治安維持に副将ポンプゥ以下半数を割いた寡兵なれども、圧迫に成功する。
ここに来て、網草英悟は自身の友を難詰。その負傷に触れることなく惰弱と罵倒し、彼を前線から更迭。代わり報復戦を求めていた令料寺長範を先鋒に委ねた。
苛烈なこの陣替えは暴走でしかないが、守勢に回る側にとって恐るべきは被害を考慮せずこちらに出血を強いる無理攻めであろう。
元来長範も堅実な用兵をする男ではあったが、ここに来る前に彼も義弟の仇討ちとばかりに焼き働きに加担し、かつ強引に藩主を押し切って参戦していた。
それがおのが政治生命を完全に断絶させる暴挙であることも覚悟のうえ。すでにその心中は背水に陣している。
南の失態を補い、かつその怠惰を咎めるがごとく、長範は弥平よりも激しく攻めかかった。
だが、今まで精彩を欠いていた星舟の采配は、ここに来てにわかに色づいた。
「塹壕」
と淡々と告げることによって。
指し示したのは、空堀である。否、敵にそうと思い込ませていた地点である。
すでに其処こそが本命の防衛線と定めていた。
勇んで攻め寄せ、うかうかと射程内に入ってきた敵は、その内に潜んでいた鳥竜部隊の斉射を受けて甚大な被害をこうむった。
空堀と見まごうばかりに掘り下げたそれは、実のところ巨館へと続く塹壕であった。
獣竜種の怪力と技巧により急ごしらえで造られたそれは、だが並みの人間が詰めればその行き来に難儀したことだろう。退避、後退も容易ではなかっただろう。
あるいは鳥竜を上空を滑空させれば、敵の弾幕の良い的となったはずだ。
だから星舟は、鳥竜を地下に伏せた。
滑空や跳躍の能力を上から下への急襲ではなく、下から上への奇襲や移動に使わせるために。
ここに至って、かの少年大将はこの攻城戦が予想を超えて困難であることを察した。とても、粘り強いこの抵抗は、とても病人の指揮ではなかった。
否、彼はそこまで、何者と対峙しているのか知らなかったのである。
そして網草英悟は知った。
櫓に立つその指揮官の姿を見た。
忘れもしない、あの黒髪。あの隻眼。
当然のことながら銃弾の届かぬ間合いである。煙幕も張っている。だがそれでも、しかと目視できた。
「…………お前かぁぁぁっ!!」
夏山星舟を認識した瞬間、網草英悟の理性は完全に飛散した。
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