第十四話

 他の遊撃軍に追い立てられるかたちで、網草英悟の本隊はカルラディオの本領へと侵攻した。

 その報に触れても星舟の武人としての魂は揺さぶられず、むしろ不快の念が強かった。


 肉体的には、一朝夕のうちに快癒していた。

 むしろ、本調子を遥かに超えて絶好調を迎えていた。だがその勢いと軽さが、まるで自分を支えているのが別人の脚のように感じられて、逆に星舟を落ち着かせてくれない。

 何よりの悩みの種は、今彼自身の腰元だ。


「……おい、どうしたんだそんなもの」

 リィミィがギョッとしたように両目を瞠った。


 あえて披歴するまでもなく、彼が軍刀代わりに佩いているモノがシャロン・トゥーチの『牙』であると気がついたようだった。


「……碧納を発つ際にシャロン様から貸してもらったんだよ。ご自分の名代の証としてな」

「そんなものがあるなら、さっさと公表すればもっと楽に兵が集まっただろ」


(そーね)

 リィミィの指摘は尤もだった。もし語ったことが事実であれば、そう利用しただろう。

 だが突然超自然的に湧いて出たのだから、どうしようもなかろうし、そう説明するよりほか術はない。


 問題は、何故これが自分の手元に現れたかだ。

 誰かが星舟を貶めるために置いた? だが、そんなことをして何の意味があるのか。最大の政敵であるサガラでさえ、今の状況がどれだけ薄氷の上であるかは承知しているだろう。

 ならば敵が置いたか? だとすれば工作員は本拠に侵入して最重要の品を奪取した後、今最前線の拠点を侵してわざわざそれを手放したことになる。

 離間の計にしては利点と危険性が伴っていない。


 ――シャロン・トゥーチに、何かがあったか?

 その念がよぎった瞬間、星舟は自身のこめかみを拳で殴りつけた。

 寸時たりとも想像してはならぬことだ。あってはならないことだ。


 杞憂と見なしたいその『迷い』を振り払うようにして、閲兵の儀に出た。

 総勢一万。指揮系統もまがりなりの一統化はしていたが、それでも烏合の衆。

 されども迎撃、防戦には十分すぎる兵力であった。


 真竜を除く全種の竜。そして人。様々な身分、様々な出自の混成軍。

 それらに対し、このどっちつかずの総大将は如何な鼓舞をするのか。

 はたまたありきたりな訓辞か、あるいは真竜への恩義を声高に主張し、その忠誠心を刺激せんとでもするのか。

 このたびの戦、天意と正当性の在り処はいずれに。

 期待と疑念の眼差しが物見櫓に上がった星舟に注がれていた。


 星舟は小さな呻き声を一つ漏らし、喉の具合と、声の通り、そして将兵の反応を確かめた。

 大きく息を吸いあげて、荒げることなく宣った。


「こう思っている者のいるのだろう? 『この度の疾病は奢れる真竜種に下された天罰なのではないか』と。『これは竜に代わり人がこの地を治めよという天意なのではないか』と」

 ……いや、だしぬけに問いかけた。


「たしかにそうかもしれない」

 続いてその論をかなり消極的ながらも肯定したこともあって、顔を見合わせる者、耳語する者、反応はまばらに分かれた。


「だが自分の頭で考えろ、おのれらが目撃したことを顧みてもみろ! 自分たちに天意が与えられたと口にする、今ここに来ようとしている連中のやりようを!」


 自身を高揚させ、言葉を重ねるたびに自分でも名状しがたい感情に突き動かされていく。星舟の意志を超えて、論は溢れ出てくる。


「家を焼き、墓を暴いて財を奪うあの火事場泥棒どもが、諸君らに破壊以外の何をもたらした!? 困民救済に動いたか!? あんな連中に天が大義を示すというのかッ」


 否。断じて否である。

 それが主観と偏見によるものではなく客観的な物言いであることは、ちらほらと見える首肯から確かめられた。


「この病に意味があるとすれば、それは問いだ。そして問われているのは我ら全員に対してだ。人も竜も関係ない!」

 病に限らず、ここに至るまでに考えてきたこと。

 飢餓。鬱屈。折檻。差別。敗戦。そして野心。

 それらを経た夏山星舟の総決算が、今解き放つ心の叫びだった。


「この危難に際し、己が何者であるのかという問いッ! 背信忘恩の徒となるか! 個人的欲望をむさぼる略奪者となるのか!? あるいは自分の信じた生き方を貫く義士のか!  過去の行いに縛られることもない! 誰かの気まぐれで道が閉ざされていいはずもないっ! 今、自分自身の判断し、選択するのがこの戦いだ! 皆にはそれぞれの信念と誇りに従って、剣と『牙』を取って欲しいっ! それがオレの本心からの願いだ!!」


 地平の果てに、星舟は敵影を遠望した。

 まだ本格的に動く気配はないが、その足を止めたのは兵士たちの気炎であった。

 声量も、高低もまばら。だが皆一様に吼えた。それが、一瞬だが敵を留めた。少なくとも星舟の隻眼にはそう見えた。


 爽風で肺を満たす。

 その上で皆を見、そして敵を見、鋭く号令を放った。


「くり返す! これは己が何者かを定める戦いだ! 自分の在り方を、あの顔の無い畜生どもに示せッ!」

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