第十三話
「貴方が無理を我々に押し付けるのはいつものことだが……ふざけんじゃないよ」
カルラディオ・ガールィエには、病床に在っても若さゆえか未だ元気があるようだった。
少なくとも、夏山星舟を睨み上げるだけの余力はある程度には。
細州
「決戦に使うからここを貸してくれ? 花見のために庭を貸すのとは訳が違うんですがね」
「ですがすでにそう仕向けてしまったことですし、敵はすでにタガが外れたけだものどもです。遅かれ早かれこの地の資源に目をつけることでしょう。その時迎撃するのは重病人の指揮官と半農の兵士たちですか? ここは遺恨を忘れて持ちつ持たれつということで、どうか妥協いただきたい」
カルラディオは隠さず舌打ちする。
どこぞの侍女長を彷彿とさせるが、一方で父親からは聞いたことのない音ではある。
「一つ確認したい」
「何なりと」
「先に殴ったことを根に持ってるのか?」
「いいえ? 毛ほどもそんなつもりないですが?」
我ながら抜け抜けと言ってのけると、若き当主はため息とともに人知れず握りしめていた拳を解いた。
「情勢が情勢だ。無用の張り合いをしている場合ではないことは重々わかっている。それに、元より貴殿への加勢を願い出る家臣がいたからな……でなければもう一度ブン殴ってるところだ」
「加勢?」
「……もう良いぞ、入って来なさい」
末端の言葉は徹頭徹尾無視して聞き返す星舟の前に、促されて現れたのは十数人程度の屈強な男たちだった。
単に見せかけの筋肉ではない。明らかに荒事に慣れた佇まいと、元より恵まれた長身。それが星舟の周囲に並び立つ。その圧迫感に、星舟は覚えがあった。
おそらくは純血の獣竜種。それも、猛獣を力の由来とする最精鋭。
「お察しの通り、対尾の退き口の生き残りです。彼らが迎撃戦の参加を求めています」
「彼らが?」
猛者たちの視線から逃れるように、星舟は枕に後頭部を埋める少年に視線を投げる。
カルラディオの申し状ではないが、彼らにしてみれば星舟は長く旧主ブラジオと確執を繰り広げてきた挙句にその彼を見殺しにした憎き敵ではないのか。
それが如何なる宗旨替えか。
訝る星舟に、そのうちのひとりが答えた。
「……今時分になって、其方がブラジオ様を亡き者とした、などとは思ってはおらん」
ほかのひとり、またひとりと唱和するがごとく続く。
「貴殿がガールィエ家に、そしてその他氏族にしてくれた取り計らい、公正さを持った処置であった」
「それゆえに信じよう」
「討つべきはあの時の敵軍、聞かば敵将網草英悟も仇の一人だという」
「せめて一矢報いんとは思うが、如何せん我らだけでは太刀打ちできぬ」
「恥を承知でお頼みいたす。我らを使っていただきたい」
なるほど、と星舟は鷹揚にうなずいた。
情報をざっと解釈するに、仇討ちしようにも当代のガールィエ家は彼らを活かす陣容ではあるまい。先に推察したとおり、変革を余儀なくされたカルラディオの下では、むしろ彼ら旧臣は厄介者でしかないのだろう。
死に場所を逸し、そして今また生き場を喪いつつある。
肉体の壮健さに比して目元が暗澹としているのは、おそらくそのためであろう。
「わかりました」
星舟は悩む様子を見せず承諾した。
そのうえでしかし、と付け加える。
「我々は死兵ではありません。多くを活かすために、身命を擲つのです。どうかその点のみ心に留めていただきたい」
獣竜たちのうちの何人かが、息を呑む。その多くは星舟の見立て通り、死に場所を求めての志願であったのだろう。
だが、低く笑う者もいた。
「相も変わらず、慇懃無礼な申しようだな」
「だが、ただいまにおいては妙に頼りに思えるわ」
頭上へ振り下ろすがごとく、彼らのたくましい腕が星舟の眼前に突き出される。
星舟は自分の柄ではないなと思いつつも、苦笑とともに彼らの動きを真似て互いの腕を重ね合わせた。
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彼らが本当に自分の忠告を遵守するかはともかく、一応釘を刺すことでブラジオへの義理は立てられたはずだ。
「……しっかしオレだけ部屋住みってのもな」
カルラディオに充てがわれた当面の指揮所兼私室へと向かう中、星舟は軽くぼやいた。
「皆と同じように野営で良い」
先行していたリィミィがそれを聞くや、鋭く踵を翻した。
「あんた、体調はどうなんだ?」
「あ?」
「過日の鍋の時あんただけ言ってただろ。味が薄いのなんのと」
あの乱痴気騒ぎの中よく聴いて、覚えているなという感心もそこそこ「それがどうした」と尋ね返す。
「微妙な感覚の鈍磨は本格的な衰弱の兆しだ。そうでなくとも、この激務続きだ。皆には私から上手いこと言っておくから、今のうちに養生しておけ」
「激務も不調も、オレに限った話じゃないだろ」
なお食い下がらんとする星舟に、副官はズイと華奢なその身を寄せた
「今最前線に立つあんたに倒れられては、指揮系統が混乱するだろう。それに『やはりあの雨は皆に等しく毒性であったのか』なんていうことにもなれば、軍全体が崩壊しかねない」
もっともな正論。いかにもな直言。
意地の張り合いをしている場合ではないと痛感しているのは他ならぬ自分で、反論の余地などなく、その薦めに従うほかなかった。
そして彼女の読み通り、果たして星舟はきちんとした床についた久々の夜、著しく体調を崩すことになった。
船に酔うがごとく視界はひとりでにグルグルと回り、嘔吐感はひどいのに吐瀉物の一滴も吐き出せないほど気分が悪い。関節も熱を持ってギシギシと痛む。
文字通りの餓鬼であった頃にもついぞ感じたことのない不快さが、彼の総身に雪崩を打って襲いかかってきていた。
それは久方ぶりの休養に張り詰めていた神経が一気に撓んだがゆえか。それともリィミィに指摘されたがゆえに自覚してしまったためか。
「水……」
ひりつく喉を少しでも鎮めんと、手元にないのを承知で、水分を手探る。
だが、指先が行き当たったのは、冷たい鉄の反響。反射的に刺客疑い、悪酔いも吹っ飛んで起き上がり、布団をめくれ上がらせる
だが、その正体が、銀色の閃きが宵闇の中で浮かび上がった時、星舟は唖然とした。
「なんだ、これは……?」
知れず呟いた問いと彼の疑問とは、大いに齟齬があった。
それが何なのかは、星舟はよく知っていた。
真に質すべきは、理由。
「何故、コレがここにある……!?」
夜這うが如く手元に忍んでいたのは、月光の如く閃く細身の刃と華の鞘。
唯一無二の意匠と存在感。
見忘れるはずも見間違えるはずもない。
シャロン・トゥーチの『牙』が、彼女の腰を離れて星舟の側に在った。
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