第十一話
雨が降って後、初めて東部領内において集団的反抗が興ったのは
「竜どもはこれを予見し、我らを見捨てたもうたのだ!」
「それを彼らは黙秘していたっ」
「おのれらは碧納の清水を確保し、我々に赤く汚れた毒水を食らわせんとしておるのだっ!」
誰がどう吹聴したものか。というかたかだが数十吉路の隔たりに差異などあるまいに、その妄言を妄信し、腕を振り上げ非難囂々。
星舟の説得の甲斐なく……というか元より恒久的な効果など期待していなかったが、反乱は起こり、店や民家。竜族に関係あるなしに関わらずに火を放ったり略奪をしたりなど、正義と解放の看板の下、実に奔放にその本性を剥き出しに暴れていた。
竜が整備したその大路を堂々とひしめく彼らの前に、星舟らの一隊が着到した。
「やめなさーい。こんなことをしても誰も得なんてしませーん。すみやかに解散してくださーい」
手で作った筒でもって拡声し、そう促す。
だが集団的な狂乱に奔った相手に、理詰めの冷静な説得が通じるはずもなく、大股で同じ口上をくり返す。
すなわち、「自分たちの土地を返せ」「国を藩王国へと返上し、元の巣穴に帰れ」というご大層なお題目。
「でなければ、これが火を噴きますー」
だが布に覆われていた大筒を外気さらすと、彼らは言葉を失い、前進を止めた。
まるでおのれらが砲口を向けられることなど想定していなかったかのように。
「皆、騙されるな! それはただの見せかけだ!」
その先頭に、どこぞで見た胡散臭い書生がいた。
以前も民衆を扇動していた千代転音技風である。
例の奇抜にして目を惹く容姿と物言いをもって、人々の中心に立つ。
「この雨天で撃てるはずがあるまい! そもそも、なんだその骨董品に片足を突っ込んだような旧式は! それこそ竜の陣容が凋落した証拠ではないか! 見せかけなればもはや我々の反乱さえ抑え切れぬという。もし実物であったとしても、兵備も満足に用立てられぬ、砲の扱いさえ分からぬ者を起用せねばならぬという!」
「えー、もう一度でも言います……退け。オレは撃つと言えば本気で撃つぞ」
答えはない。
代わり、どこから飛んできた礫が星舟の額に当たった。打ちどころが思ったより悪く、血が流れた。
最終警告は済んだ。
先制攻撃も我が身をもって確認した。その証拠
として生傷も出来た。
何よりこんな連中に付き合って下らぬ謳い文句に耳を傾け忍耐の上に説得すること自体、精神衛生上よろしくない。
「よし分かった、死ねっ!」
次の瞬間、経堂が砲を吹かせた。
砲身を震わせた空気の塊に内包されたものが、ある程度の指向性を保ったままに『敵』の集団へと衝突する。
瞬間、声にならぬ断末魔が彼らより上がった。
痛みではなく、物理的の発声を封じられた者もいるだろう。
その最たる例が、意気揚々と先頭を切っていた技風であった。
「あえ……あんだ……っ、こえは!?」
鉄片に頬を貫かれ、舌と上顎を縫い合わされ、それでも喋らんとする姿勢は大したものだが、如何せん言葉として成立していない。それでも訴えんとしていることは伝わったから、星舟は淡々と答えた。
「釘だよ。あと鋲とか木片とか適当なもん。お前らが打ち壊しまくったせいで材料はいくらでも転がってたしな。どうせお前の言ったとおり使い物にもなりゃしねぇ青銅製のオンボロ砲だ。ブッ壊れても構わないから適当に詰め込んで撃たせとけってな」
相手は聞こえているのかいないのか。それに関わらずに星舟は話を続けた。
「
薄く嗤って隻眼の将校は言った。
「破れかぶれゆえに、どこへ飛んでいくか分かんねぇぞ」
その言葉を聞いた瞬間、どっと叛徒どもが背後から土塀のごとく崩れて逃げ散った。残されたのは生死不明の弁士とその周囲の死体であった。
それを追うことはしない。何しろ、こちらの手勢は実のところ五十人弱。それが侮られた原因の一つではあったが、別段兵力不足というわけでもない。ただ、弾圧というのは要するに汚れ仕事だ。やりたい者など夏山星舟ぐらいしかいないのだ。
そこにおいては経堂は優れた射手だ。何しろちゃんと支払うものを支払ってさえいれば、事の是非に関わらず、撃つべき相手と時機とを過たない。
ただ、同類相憎むということらしく、同じ公私を明確に線引きする気質を持つ恒常子雲とは感情的には相性が悪い。これが組めば絶妙な連携を発揮するのだから複雑ではあろうが。
「すぐに街の被害状況を確認。その被害額を算定のうえ、こちらで負担しろ。ただし、そして当然! この処置は、反乱に参加していない者に関してのみのものだ!」
そのもう一方の子雲に、星舟は命じた。周囲で様子を見守る連中に聞こえるように。
――しかし、見れば見る程に奇妙な雨だ。
この疫病とも中々長い付き合いとなり、過剰に騒ぎ立てる連中以外は皆ある程度の付き合い方を心得てきたようだ。
そこで気づいたのが、雨それ自体に持続性はなく、通常のそれよりも早くに揮発し、乾燥するということだ。それこそ、降っている最中にさえ炸薬が湿気らないほどに。
衣類を干すにも支障はなく。勢いが一定以上衰えることはあっても増すことはなく。作物にも影響が出ていない。
ただそれは、真竜を殺す。その一点においてのみ機能していた。
星舟はふと足下を満たす血潮に目を遣る。
真紅の水鏡に、隻眼の人間が映り込む。今しがた害した者たちの恐怖の表情。
水面が揺らぐ。
次いで、おぼろげな肉親たちの虚像。自分を拉致した『相談役』の増長。傲慢な慈悲を見せかける斉場繁久の無残な死にざま。
それらにいびつな笑みを投げかける。だが、軍靴が目に入った時、孤影が脳裏に閃いた。。
……血の表面に投影されたのではない。おのれの脳裏に、六ッ矢で出会った靴磨きの少年の戸惑う姿、それが右目の裏にいつまでもこびりついている。
あるいはそれは、かつての名もなき己自身であったのか。
『セイちゃんは、人間が嫌い?』
その影が、シャロン・トゥーチの声音で再度問うた。
「……好きでありたいとは、思っていますよ」
苦渋を噛みしめ、人間は人間として虚空に答えた。
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