第十話

 ずっと、このままでいる訳にもいくまい。呆けている場合ではない。

 後の世話を適当な侍女を捕まえて任せて、星舟自身は部屋を退出した。


 その出入りを咎める者はいない。まして不埒者、お嬢様にたかる毒蟲と見做して殴り殺しに飛びかかってくる女など。


 入る時に感じていた違和感がそこで再び蘇る。

 その理由を考察する。


「……あーもう」


 そしてある理由に行き着く。

 その上で考慮する。果たしてするべきか、せざるべきか。


 どうせ行ったところで感謝などされることなどあるまい。むしろ無償の善意を無闇矢鱈に疑われ、積年の確執をさらに拗らせるだけに違いない。損と嫌な思いをするしさせるだけの虚しい結果を生むだけだ。


 そのはずだ。だが、


「あーッ! もう!!」


 星舟の足は、本人が望まぬままに自然、心当たりのある方向へと向けられていた。


 〜〜〜


 夏山星舟とジオグゥの関係性は、差し引きなしに不倶戴天の敵と言って良いだろう。


 一方が右を向けば左を向き、天を仰げば地を眺め、面罵すれば背に悪態をつき、殴れば蹴る。

 そんな泥水で洗われるような間柄である。

 

 だがそれは翻せば、相手の思惑や向きを知るが故でもあろう。果たして日常の彼女の巡回経路。それを逆に辿っていくとその光景に行きあたった。


 地下倉庫へと続く小階段。その降りた先で彼女は居た。立てなくなっていた。見るからに体調が悪そうで、二本足で身体を支えているのがせめてもの矜恃であろう。

 もっとも星舟が第一発見者というわけでもなく、すでに使用人達がいた。


「ねぇ、どうする?」

「どうするったって……」


 死角から遠巻きに彼女の孤影を伺う彼らは、気遣う素振りこそ見せるものの、積極的に介助に向かう者はいなかった。


 元より腕っぷしと眼力で皆を従わせてきた女である。信望などあろうはずもない。それに加えて彼女の異変はそのまま外部の疫病と合致する。


 真竜であれば向後の報復を恐れて助けに向かう者もいただろう。

 だが、なまじ混血であるばかりに、皆に接触をためらわせていた。


 すなわち病の素となっているのは真竜の要素か、獣竜の血統か。あるいは通説は誤っておりあらゆる生物に罹患するのか、と。


 くだらない。もしそれが事実でかつジオグゥが人と獣竜のまざりものであれば、その暴論に一考の価値ありと存分に恐れるが良い。

 もしくは最悪の想定どおりの顛末だとすれば、どのみちもう手遅れだ。今更恐るべき何物もなく従容として死滅を受け入れるだけだろう。


 星舟は自分でも過ぎた考え方だと思ったが、それはそうと日和見連中が通行の妨げである。


「この危急時に侍女長殿の観察とは精が出るな。あとで日記を提出しておいてくれ」

「げっ、夏山……さま」

「気遣いや遠慮のフリする半端者なんぞ、いても邪魔なだけだ。自分の仕事に戻るか、さもなくば家に籠って嵐が過ぎるのを待つんだな」


 ジオグゥに彼らの存在を示唆するかのごとく、大きめの声量で叱責する。野次馬をそうして散らした後、星舟は宿敵に歩み寄った。


「……立てるか?」

 良い格好だな、という言葉はどうしたことかそう変換されて出た。


 舌打ちとともに、侍女長はそっぽを向いた。言葉なりとも、目の前の男に助けを求める素振りさえ起こさない。

 やはり『内心で思っていたことを率直に』口にすれば良かったと、軽く後悔する。


「……あんたな、意地張ってる場合じゃないだろう」

 星舟は息を吐きながら屈み込んだ。

「オレが嫌いなのは良く知ってるが、なんでそこまで徹底するんだか」


 ぼやきとも取れる星舟の発言に、ジオグゥの柳眉が吊り上がる。

 しばし何かをためらうように、脇へと向けた視線を左右させた後、彼女は言った。


「知りたいですか」

「あ?」

「何故自分が貴方を忌むか。シャロン様のお側に置くことを危惧するか」

「……さぁな。聞きたくもないし、さほど興味もない。不用意なこと言って勘違いさせて悪かった」


 その言葉はどこか逃げている、という風に我ながら感じている。そしてその逃避を、ジオグゥは聞いた以上は許さなかった。


 腕を掴まれた。病身であろうに、それを感じさせない竜の渾身の握力は、そのまま星舟の腕骨を折るかというほどであった。


 だが、星舟も生来の気性ゆえに泣き言は口にせずに耐え忍ぶ。

 自然、隻眼は鋭く研がれてしまい、望まずして遭遇戦じみた睨み合いに突入する。


「今これこそが……さね」

「は?」

「……さっき、あの連中を半端者呼ばわりしたがな、星舟」

 口調を本来のものに戻した侍女長は言う。初めて、下の名を呼び捨てにされた。


「あたしに言わせりゃ、テメェの方こそがだッ」

 混血児は気炎とともに星舟の襟元を握り潰し、睨み上げた。


「人でありながら竜に加担する。それは良い。立場も目的もあるだろう。けど何もかもが中途半端なんだよテメェは! 野心も情も捨てきれない! 誰かを愛し抜くことも憎み切ることも出来ない! ブラジオ・ガールィエがテメェを煙たがった理由も察しがつくってもんさ! そんなどっち付かずの態度が、周りを不幸にさせてんだよっ!」


 一気に爆発させたその啖呵こそが、最後の残火だったのだろう。星舟を掴んだままにズルズルと膝から崩れていく。


「頼むよ」

 一転してジオグゥの語気が弱くなっていく。


「シャロン様の側から消えてくれ。死ぬにしろ生き抜くにせよ、あの方には、穏やかに日々を過ごして欲しい。これ以上、彼女の心を乱さないでくれ」


 胸に押し当てられた額から、高熱を感じる。

 おそらくはそれによる朦朧とした意識の中で発せられたものではあったろうが、それゆえに慇懃無礼ではない、剥き出しの星舟への悪感情、否憐憫であったのだろう。


 接した心の臓が焼けるようだった。

 嚢のままに胸に押し込めていた、シャロンの問いがそれによって突き破られて、ジオグゥの真情と化合する。冷たい鉄塊となって、星舟の胸中に重圧を加え、刃となって突きえぐる。


 酸い。

 苦い。

 痛い。

 奥歯を噛みしめる。涙ぐむがごとく、右眼が歪む


 そしてそれらを飲み下して、体外に突き出そうになる刃を必死に押し込め、星舟は完全に膝を突く前にジオグゥの萎えた細脚を抱えあげた。


「はっ、離せ……」

 掠れた声で彼女が言うのも、じたじたと猫のごとく暴れ狂うのも気にせず、すたすたと歩き始める。平素尋常ならざる鬼気を発揮している混竜も、いざ弱体化ともなれば思いのほか軽かった。


 目的とするべき場所まで、それなりの距離はあった。もしここで誰ぞに行き会ったら最大限の打撃的羞恥を与えることに成功していただろうが、誰にとっての幸か不幸か、誰とも出くわさなかった。


 そして彼女の発生地点、巣穴、もとい自室に運び込むと、そのまま寝台へと臥させた。


「着替えぐらいは自分でしろ。あんたの服を脱がすほどに礼儀知らずでも命知らずでもない」


 薄闇の中、彼女の殺意に光る眼など正視できようはずもなく、極力侍女長が視界に入らないよう苦心する。

 その性質から容易に想像がついたような、生活必需品と最低限の家具以外は存在しないその部屋から退出する間際、答えてやった。


「あんた……お前に言われるまでもねぇよ。でもそんな半可通のおかげで、今トゥーチ家が立ち回れてることを忘れるなってんだ。……この一件が片付いたら、身の振り方でも考えるさ」


 多分に矛盾を自覚しつつ、それでも星舟は前進を止めない。

 竜の住処、竜の国において、人として、人間であるからこそできることを模索する。

 その果てに掴めたものがあるならば、きっとそれこそが夏山星舟という男の根底となるもの、彼を彼たらしめるものなのだから。

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