第八話

 さてこそ、敵がこの災禍の中で動いた。

 その事実は事実として星舟は受け止めるとして、呆れもした。


「お前らの藩王国クニ、どうかしてんじゃないのか」

 まず国家としての正気を疑い、

「察するに、網草英悟の独り相撲でしょう。もしくは、それを担ぐ者の責任です」

 という子雲の弁護をもって、今度はその者個人の正気を疑い、結局はそれを起用した流花や王国の正気を問う。


「……ん? 『察するに』?」

 碧納政庁の前で、星舟はその二律背反の者を顧みた。

 恒常子雲は飄々と肩をすくめた。

「えぇ、あちら側よりの連絡が途絶えまして。どうやら見限られた模様ですなぁ。なので、そこは星舟殿に責任を取っていただかなくては」

 ぬけぬけとそう言う彼に、かっと痰のごとく呼気を吐く。

 そもそも、その見限られたという言葉自体、どこまで信じて良いものかさえ定かではない。


「しかしながら、まだこの顔は利くと思います。心当たりを探ってみて、扇動者の巣だけでも探ってみましょう」


 だが、もし彼の小指とカミンレイのそれとが未だ糸でつながっていたとして、これ以上の英悟や諸藩の増長は、彼女らにしても好まざることこの上ないはずだ。

 とりあえずの利害が一致しているように思える、というよりも不渡り手形を押し付けて処理させようとしているというのが星舟の感触だ。


「頼む。動かせるのは第二連隊だけだ。雑事にそれ以上の兵は割けん」

 その勘を信じてこの表裏の者の智に半身ほどを委ねる気になった。

「しかしながら」

 それを受ける姿勢を取りつつ、子雲は続けた。

「シャロン様やアルジュナ様より命令書だのお墨付きを頂き、他の連隊や周辺諸領主を傘下に収めた方が、動きやすいのでは?」

 その進言の前で、星舟は止まった。

 子雲も、ふいな停止にも関わらずぶつかることなく身を留めた。


「それをすれば、言われるだろうな。『病床のお二方が正常な判断力を失っているのを良いことに、夏山星舟が兵権の簒奪を始めた。すわ謀反か』とか」

「……考えすぎでは?」

「かもしれねぇけど、状況が状況だ。痛くもない腹は探られたくないな」


 すでにどれほどの往復となっただろう。

 星舟が玄関口に入り、子雲が笑みを含んだ吐息をこぼす。あるいはそれは、呆れや失望であったのかもしれない。


「奇妙なものですなぁ」

 間延びした感想とともに、彼は言った。

「竜とは、もっと超常の存在。神秘的なものかと思いました。だがこうして彼らの社会に踏み込んでみてそれが誤りであったと気づかされました。虚栄の張り合い、過剰に気にされる建前……同じですよ、我々の言うところの宮廷闘争や権力の争奪と」

「まったくもってその通りだ。反吐が出る」


 全面的に彼の意見を認めた言葉は、床板と敷物を踏みしめたまま立ち止まった星舟のものではない。

 その見開かれた目線の先、中央階段にだらしなく腰掛けた碧眼の青年……半竜サガラ・トゥーチのものだった。


「人間にしちゃあ良いこと言うじゃない、そいつ」


 と指先で示された子雲も、当然その面貌を存じているらしく、やや委縮したかのように歩を止めた。星舟は彼を庇うようにして、後ろへと追いやった。


「……ご無事で何よりでした。サガラ様」

「なに、どこぞで野垂れ死んでたほうが良かった?」


 この状況下で、相も変わらずの軽口減らず口である。

 だが、実際のところは彼とてかなり消耗していることが見て取れる。

 階を背もたれとしつつも傍らのグルルガンが支えていなければ今も崩れてしまいそうで、漏れ聞こえる呼吸は手負いの獣のごとし。その黒髪の分かれも常になく乱れている。


 あぁその通りだよ、とはまさか言えるはずもなく、星舟は黙して頭を下げた。

 下した視線の先に、一枚の紙切れが流し込まれた。

 走り書きや紙くずの類ではない。整えられた装丁。明確な印字に捺印や署名が列す。


 まぎれもなく、公文書だ。

 それも、今まさに自分が求めていた類の、出撃許可書と召集状。


「それが欲しかったんだろ?」

 機嫌が悪そうにサガラが言葉を落とす。まったくもってその通りだったが、この男に素直に頭を下げるのはシャクだ。


 拾うことさえためらわれる彼の前で、アッとグルルガンが声をあげた。

 それが何に由来するものなのか。確かめるよりも早く、サガラが立ち上がって、病人とは思えない膂力で星舟の軍服をねじり上げた。


「今お前と化かし合いやってる気分じゃないんだよ」

 ついぞ、聞いたことのない声だった。いや、はるか前に横暴な折檻をした時に、似たような声調をしていたと思う。たしかあの頃、この男の生母が死んだ。人間の母が。


「グエンギィあたりに任せても良かった。けど、あいつはおちゃらけているように見えて、なまじ危機に対する嗅覚が鋭いせいで自分から火中に飛び入らない。……お前ぐらいだよ。こんな状況で、汚れも顰蹙も振り切って栗を拾おうなんて馬鹿はな」


 虚飾も挑発的な物言いもすべて取っ払って、サガラは碧眼を眇めて


「けど、足を止めてる連中は、そんな馬鹿に進んで灰や火の粉をかぶってもらいたがってる。そうなれば、ようやく足が進められる。そうでなければ、足を進められない。お前はそういう連中を取りまとめて、迎撃にかかれ」


 そう命じてから、ふと視線をそらす。忌々しげに顔を歪め、あらためて言う。


「……いや、頼む。俺は、このまま終わるつもりはない。お前だってそのはずだ。互いの遺恨を超えてな」


 頭を垂れて。

 あのサガラ・トゥーチが、懇願している。


 幼き頃、そういうことを夢想したことはあった。

 この野郎、いつか泣いて詫びさせてやると。

 だが、今この光景を前にして、愉悦は覚えなかった。

 それが、自分の力量以外の要素で叶ってしまったことへの苛立ちのようなもの。そして、この気位の高い悪魔をこうまで卑屈にさせる、現状への危機感。


 ――おそらくは、雨雲の根源たる都は、真竜種が住まうあの本拠は、今さながら地獄の様相であろう。

 そこに行く道中、供回りを連れていたというが、今残っているのはこの強面の鳥竜だけだ。


 星舟は息をついて天井を仰ぐ。

 真竜種の身の丈に合わせて造営されたそこは、いつもなら高く感じているのに、今ではそうではなかった。梁の塗料の奥の木目さえ透けて見えてしまいそうだ。

 見えるな、と念じながら視線を外す。


「悪くない気分ですよ、あんたに頼み事されるのは」


 やや口調を崩し、あえて感情とは真逆のことを吐き捨て、書類を拾い直す。

 その一連の動作を見届けたサガラが不敵に唇を歪めると、額に汗を流したままに星舟の下を離れた。

 グルルガンが凶相を心配そうに曇らせつつ、慌てて彼の後を追従する。


「どちらへ?」

「もう一度、都へ戻る。あそこには、俺でなけりゃやれないことが山ほどある」

「なっ……無茶ってもんですそりゃあ! せめて一度お休みをッ」


 諌止せんとするグルルガンを、逆に星舟が押しとどめた。


「御武運を、サガラ様」

「……お互いに」


 それ以上の辞令は無意味であった。互いに口を出す領分ではなかったし、気遣うような間柄でもない。むしろ互いの失態を求め合っているが、同時に最低限の仕事をしてくれるようにも祈っている。


 我ながら難儀なことだと、星舟は苦笑した。

 そして互いに、それぞれの道へと進むべく背を向け合って行動を始めた。

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