第七話

 かくして将来有望と嘱目されていた少年将校は、独断で女王を裏切った。いや、本人それ自体は裏切られたと思ったがゆえの凶行であっただろう。


 国境の人色ひといろなる入江のほとりにおいて、参集させた兵士たちに閲した。

 止まぬ凶雨の中、むしろこれを幸いの雨だと唱え、今こそ只人が竜を打倒せよという天意だと告げた。


 熱意は本物だった。ゆえに弁が拙くとも、今まで不遇をかこっていた藩兵たちを主役として壇上に立たせるがごとく錯覚させ、奮起させるには十分であった。


 ただ惜しむらくは才も経験も、これより先を遮るであろうあの男に及ばぬということ。その優劣は過日すでに決している。


 ――だからこそ、自分はここにいる。


 最後列において汐津藩兵を率いる令料寺長範はそう内心で決意を固める。

 この大将の不足分を、自身の兵力と経験で少しでも埋め合わせなければならぬ。彼はそう考え近隣を率先して説き、半ば独断に近い形で自藩より予備兵を余さず供出させた。


 網草英悟が大将の器ならざるを知っている。おそらくは王命というのが真っ赤な偽りであることも、薄々は察しがついている。


 ――だが、それがなんだというのだ。


 もし戦後に罪が問われたとしても、それは英悟ひとりに被せれば良い。自分たちは知らぬ存ぜぬ騙されましたと遁辞をかますだけで良い。


 そこまでしてでも、無理を通さねばならぬ。

 おそらくはこれが、あの悪漢、夏山星舟と互角以上の状況下で戦える最後の機となるだろう。あの普段は、竜威の影に隠れた男との。


(隆久……ッ!)


 義弟を想い、目頭を熱くさせる。

 普段は情に流され、ほだされることなどなかったが、彼だけは別だ。

 忘年の友であり、自分の家にはもったいないほどに出来た妹婿であった。


(無念であっただろう、辛かっただろう)


 五十亀の露と消えた彼に対し、英悟にも責任がないと言えば嘘になる。

 だが憎悪は彼を手にかけた星舟に、そして世の不条理を対象とする。


(どうして我々だけがこんな目に遭わねばならない!? どうして我々だけが労苦を押し付けられるのだ!?)


 もう貧乏くじは御免だ。今こそ他人に不当に背負わされていた重荷を乗せ、竜も女王も異人も関係ない、己が信念のままに戦える時が来たのだ。


「地獄を見るが良い……! 竜ども、そして夏山ァ……ッ!」


 汐津藩家老は、今まで築き上げてきたものすべてを投げ打って、復讐の炎に身を焦がす覚悟で其処に立つ。


 ~~~


「降伏、いたす」

 国境を超えて本格的な侵攻を始める前、道中の村で降伏する者があった。そしてその者の素性を知った網草雄藩連合軍は驚喜した。


 剥鞍はぎくら村の顔役であった真竜種、ルゥオアワレブであった。

 まだ若く体つきもしっかりしている彼ではあったが、すでにその身は例の病魔に冒されており、本来であれば白かろうその肌は、赤斑を発さぬところがない。

 両手を泥にまみれて人に首を垂れる。その屈辱やいかほどのものか。だが、もはや彼はこの山村どころか我が身を支えることさえ怪しかった。


「我はどうなっても良い。宿も食べ物も及ぶ限り提供する。だが、村の者と我が家族にはどうか慈悲を頂きたい」

 

 息も絶え絶え、という様子で口上を述べるそこに、虚偽はない。そもそも、吐けるような種族ではないという。

 英悟は優越感とともに少しばかり溜飲を下げた


「この降伏は、歴史を変えるぜ……英悟」

 弥平が少なからぬ興奮とともに震える声で耳打ちする。

 決して誇張ではない。これで、竜でさえ人に降るという前例が出来たのだ。竜は人には決して屈さぬという不文律が崩れた今、ここから先は人も竜も、我先にと庇護を求めてくることであろう。


「あなた!」

 寛恕をくれてやろうと頷きかけた矢先、彼女はやってきた。


 自身の裾や股に泥が跳ねるのもいとわず、地を滑るようにしてルゥオアワレブの下に駆け寄る。その身を支える。

 これも竜か。否、人である。彼や英悟の中間ほどの年頃の婦人が、黒髪を振り乱し名が真竜を支えんとした。


「どうか、どうかご無理をなさらないでください! 今は御身の方が大切です!」

「か、構わぬ……それよりも中にいなさい……お前まで病んではかなわぬ」


 真竜の言う通りである。

 この雨が、人に影響を及ぼさぬと決まったわけではない。

 にも関わらず、この竜は我が身を毒されながらも人を憂い、この女人は、この支配者を慕い、頬を寄せる。


 ――なんだ、これは?


 黒が、渦巻く。

 雨降って固まるはずだったおのが土壌に、ふたたび荒涼とした亀裂が入る。


「お願いです、どうか主人の命ばかりは、お助けくださいましッ」

 主人、だと?


「い、いえ……我はどうなっても良い、せめて妻だけは……」

 妻、だと?


「……ふざ、けるな」

「え、英悟……?」


 ――僕は、誰にも愛されなかった。

 他には何も要らなかった。地位も兵も名誉も。ただ優しく名を呼んでくれればそれで良かった。

 触れてさえもらえれば、それで幾万の敵とも戦えた。


 だが、そのわずか愛さえもらえなかった。

 淡い思慕さえ許してはもらえなかった。


 赤国流花からは、一方的に与えられ、そして根こそぎ奪われた。


 ――なのに、何故こいつらは?

 ただせせこましく村暮らしをしているだけの連中が、自分たちより心が通じ合っている。

 下人と女王どころではない。人と竜と言う絶対に超えてはならぬ種の垣根を超えて想い合えるのだ?


 赦せない。

 このようなことが、事象が、展開されていることなど、在ってはならない。


 ――どうして、僕が、僕だけが、許されない? 愛されない?

 こんな世界は、狂っている。壊れている。


 だから彼は、網草英悟は、その流儀に従って、壊れることにした。


 それは、あるいは人の時よりも容易だったかもしれない。

 据え物斬りよりも。


 五指が無事な方の手で軍刀を抜く。そして一気に、ルゥオアワレブの首を刎ねた。

 時間をかければ抵抗されるだろうから、一気に切り落とした。苦痛を与えられなかったのが、残念だった。


 夫人はしばし何が起こったか分からぬようだったが、やがて半狂乱になって夫の名を呼び、そして憎悪いっぱいに英悟に飛びかかってきた。

 英悟は笑いたくなった。竜を殺した男に、いったい徒手の女子供が何ができるというのか。


 だからこれも余裕で斬った。

 まず邪魔な手首を落とし、ついで足の腱を斬って逃げられ無くしてから、うつぶせに転がってその背より、心臓を一突き。加減が分からなくて背骨に突き当たってしまったから、今度間違いないよう足で抑えつけて、肋骨の合間を通して肺腑から一気に切っ先を刺しいれてきちんと絶命させた。


「お、おまえ……」

 弥平はその成り行きを傍観するしかなかった。


「お前っっ! 自分が何したかわかってんのかぁっ!?」

 なにか、よく分からないことを言っているが、要するに自分の行いに驚嘆しているということだろう。

 当然だ、この偉業はこの有史の中、そう肉眼で拝めるものでもないだろう。


「斬った。はは、斬ったぞ! 僕は真竜を殺した!!」


 僕だってきちんと殺せるじゃないか!

 見たか赤国流花! 知ったか霜月信冬!

 僕こそが竜殺しだ。


 お前らは要するに竜を殺せば誰だって良いんだろう。何をしたって許されるんだろう。

 この程度で誰にも股を開く淫らな女なのだろう。


「じゃあ期待に応えてそうしてやるよ! 竜も人も、いっぱい殺してやるから、都の閨で待っているがいいさ流花ァ! ヘヘヘヘヘハハハハ! ギャアアアアハハハハハハァァァ! イヘヒヒヒヒヒヒハハハハハハァ!」



 もはやそれは、対尾港の英雄ではなかった。人類救済の義勇軍ではなくなった。

 藩王国と竜帝国の亀裂を決定的なものとし、互いに帰順する可能性を皆無とした少年は、もはや独りの狂人でしかなく、その彼にすべての罪を被せるつもりで略奪と個人的復讐に奔る、暴徒賊徒の集団でしかなかった。

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