第六話
夏山星舟が困惑の中、権限の及ぶ限りの軍備を整えていく。
だが、王都秦桃では同じくして困惑と動揺を極めた者がいた。
「……今、なんと言った」
自身が議長を務める王宮の小会議場。
かつては夏山とも論戦を繰り広げたその場において、その女王が今対しているのは自身が音楽教師、この国が宰相。
無垢な少女人形のような造詣のその女は、淡々と、硬くも美しい声音で告げた。
「今朝、金泉領総督代行、網草英悟殿が出立。周辺の諸藩を扇動し、その軍勢を吸収。総計二万を率いて、帝国へ進行中です。すでに国境に焦土作戦を展開……むろんこれはあくまで軍事的かつ好意的な表現であって、実情はただの略奪といった狼藉行為です。またその直前、我らの兵舎より討竜馬を強奪し、被害が出ています」
「な、なにを……」
おもむろに立ち上がった赤国流花はよろめき、背と掌とが後ろに控えた壁に行き当たった。
「いったい何をやっているのだッ、あの馬鹿は!?」
激発する。その音声が大なることは常の如くではあるが、それはすべて演出であり、自身の王としての威格を高めるための手段でしかない。感情をここまで露呈させることは、稀であった。
「彼を王勅の伝令要員として配したことが裏目に出たようですね。どうにも王命を偽り周辺を半ば恫喝気味に説き伏せたようです」
「何を悠長な……すぐに呼び戻して撤回させろ!」
「……その前に」
その王の怒情を浴びても、氷の面は揺らぐことがない。
わずかの乱れもおのれに許さぬがごとき指の動きでもって帳簿を引き抜くと、それをまくり上げて女王へ披瀝する。
「今日に至るまでに網草英悟の言動を各関係者より聴取し、まとめ上げました。それによれば、五十鶴での戦以降、彼は命令無視、指示するにおいてそれぞれの部署を通さず越権行為に及ぶことしばしば。今回の災害においても救援物資を独自に徴発。そしてこれら一連の行為に反発する者があれば女王の名を挙げて抑えつけているとのこと。にも関わらず、自分自身は女王への不平や聞くに堪えぬ悪態を放言して回っている。これら一連の言動は、いたずらに女王の権威を貶めるものでありましょう」
よって、と帖を閉ざしてカミンレイは続けた。
「今回の独自行動と合わせ、帰国の後に彼ら一党を国家反逆罪にて拘束。裁判にかけます。おそらくは満場一致で死罪となりましょうが……よろしいですね」
「……貴様ァッ!」
流花は怒る。だが対象はその場に在らず暴走を続ける英悟に対してではない。
事が起こるまでに無視し続け、自分には何も告げていなかった、自身の参謀に向けてであった。
自身の議席を飛び降りて彼女に掴みかかる。
「最初からそのつもりだったな!? そのつもりで、あいつを野放しにし続けていたな! でなければ、これほどの調書を短時間で仕上げられるものかッ! そればかりか貴様、遠回しに英悟を焚きつけて……」
「…………すでに何度も申し上げたッッッ!」
女王の言を、楽師はこの政府に参画して初めて遮った。
初めて声を荒げ、烈しさとともに表情を歪めた。
その声量はおのれの比ではなかった。それでも流花はビクリと後ずさった。
「何度となくお諫めしてきたではないですかッ! 間接的にも、直接的にも! あの者を重用すべきではないと、過ぎた厚遇は彼自身のためにならぬと! それを情に打算に流されて夢に溺れ、しかも無責任に野放しにしてきたのは陛下御自身ではないのかッ!?」
今まで甕に油を垂らすがごとく、音もなく蓄積していったカミンレイの怒り。その中に、流花自身が激情の火を不用意に投げ入れたのだった。
それを理性の内に隠していたカミンにも非はあろう。だが、その論は正しく、責任を問われるべきは、すべてに王命をもって反対意見を封じて断行してきた女王、赤国流花なのだ。
流花はカミンレイより離した手を柵について押し黙った。それを見て、カミンレイも静かに息を整えていく。
口を先に開いたのは、楽師の方であった。
「……これより開かれる議会において、わたくしは貴女を弾劾します。誰よりも早く、誰よりも激しく。これら確たる証言と物証をもって。ともすれば、陛下にご退位をお勧めする覚悟でもあります」
氷柱のごとき眼差しが、流花を睨みつける。
「ですが陛下にはそれらを喝破していただきたい。その位格をもって、理屈を飛ばし論拠を跳ね除け、ただ己の責任の痛感を声高に叫びつつ、一番に殺意とともに網草英悟の極刑を主張していただきたい。……頃合いを見て、わたくしも折れて責任の追及を撤回いたしましょう。そこまでしてようやく、貴女の追い落としを図る者どもの口を封じることが出来ます」
それが最後の分水嶺となる献策であろう。おそらくそれさえも退ければ、彼女と彼女の祖国は、完全に流花を見限るだろう。
一礼とともに退座せんとするカミンレイに、流花は下問する。
「……英悟は、どうなる?」
「議会の進行次第ではありますが、霜月公に捕縛に向かわせましょう。わずらわしい外向きのことは一切わたくしどもにお任せになり、どうか陛下は身の安寧のみお考えください」
それはここに至るまでの皮肉を最大限に込めた意見であった。
「……助けられるのか?」
そう問うおのれの声は、過去最大に弱々しい語気となった。
カミンレイはその問いに答えなかった。おもむろに握りしめた帳簿ごと拳を壁に叩きつけ、その衝撃音に明答を代弁させる。
「……しばらく好き放題に泳がせ、帝国領内を荒らしに荒らさせましょう。かつ居留する反乱分子をその動きとは別に扇動させ、その暴走に拍車をかけます。そのうえで、勝とうと負けようと責任をすべてあの者に押し付けて葬ります。……どうせ拾うところなど何も持たぬ廃物です。せいぜい厄災を敵地に蒔いて、あわよくば敵に処理してもらいましょう」
謳うがごとき韻を踏んだ提言の端々に、殺し切れぬ感情が染みのごとく滲む。
ゆえにこそ、その策は普段に増して、冷酷に響く。
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