第五話
「剣呑! 実に剣呑!!」
組み上げられた論壇の上、帳の下でバシバシと瓦版を叩きながら、巻物のごとき独特の結い方をした前髪を振り乱して汗露を飛ばし、涎を垂らしながら弁を振るう。不特定の群衆を対象に集会を
「真竜種はこの苦難の折、人竜一致して事に当たるべしと吹いている。だがどうだ? 彼らが何をしてくれたというのだ? 元は誰の物でもない、いや人の所有地であった汚染されていない水源や氷室を独占しているという。無辜の民草には赤き毒水を呷れという。これこそが奴らの正体ではないのかっ! 強き時には寛容に振る舞っていても、いざその足下が危ぶまれるようなことがあれば、浅ましい獣の本性を露わとする!」
「それは、人間だって同じじゃねぇのか」
その様子を最外周で見遣っていた憮然として星舟は呟いた。
怪訝そうな顔をする部下一同に、問うまでもないことをあらためて尋ねた。
「あれか」
シェントゥはコクコクと肯んじた。
商業地区に突如として現れたその弁士は、そうやって奇抜な髪型と繰り返し雑言を振りまいて人々を焚きつけている。
この一帯で見た顔ではない。一度見たら忘却こそ難しかろう。
「この
殊更に状況を引っ掻き回すがごとく風聞の類を撒き散らす。その熱量に比してその弁舌は拙劣そのものだが、病とは、たとえその魔自体が微弱であろうとも、肉体の抵抗力が弱まれた重篤につながる。行政処理能力が衰えたことに付け込んで、好き放題に悪意と言う名の病原をまき散らしている。
現に調子の良い何人かの眼が、同調の向きを示している。
とかく人とは、自身の衰退に対し他人や世間の不首尾に責任を求めたがるものである。今小さく頷いているのは、
だが、それよりももっと悪辣な者が群衆の中に入り混じっている。
それは、識者面で善良な庶民に接近し、なるほどいちいちごもっともと弁士に賛同しながら彼らに同意を求め、翻意を促す連中。大方は、壇上に立つ男とつるんでいるに違いない。
経堂と子雲に彼らを捕らえるよう指示を飛ばし、自身はリィミィらを伴って人と傘の垣を分けていく。矮躯痩躯と言えども、女獣竜の存在は畏れとともに彼らに自然、道を開かせていった。
無理に捕らえることもできるが、それは余計に疑念を招き、禍根を残そう。
なので正面から対決すべく、星舟らは壇上に身を乗り上げた。
「我らが、なんだ? 先に寝返ろうとした爺どもの例に倣おうというのか?」
印象重視でやたら呼びづらい名を用いるその弁士が、役人の登場にも動じない。
むしろ、星舟らを待ってこそいた風さえある。
「ほう、これはこれは! みなさん、竜の走狗となった夏山星舟殿のご到来ですよ!」
――やはり、か。
その挑発的な眼差しを見た時、星舟は感情の重さを自覚した。
「この男の言っていることはでまかせだ。大規模な敷設や移住なんぞ、この状況下で出来るはずもない」
「ホホ、父母より頂いた眼玉を代償に竜族に媚を売った男が、何をほざいても無駄無駄」
いったい風評と妄想の果てにいったい自分の過去はどうなっているというのか。
いちいち否定するのも馬鹿らしいので呆れながらも無視し、言った。
「では目に見えている事象について言わせてもらおう。現にこの雨水の毒は、我々には通用しない。むろん早急な浄水には努めるが、言われてもいない無理強いにそこまで目くじらを立てる問題でもないだろう」
だが言葉少なな反論が、窮したためによるものと認識されたらしい。
ますます嵩にかかった様子でまくし立てる。
「それは己が竜の寵愛を受けた、増長よりの言! そしてその寵を喪うがゆえの必死の方便であろう。真実は、行動で示すが良いぞ」
あらかじめ用意していたのだろう。雨水を溜めておいたと思われる井戸桶を取り出し、星舟の前に置く。
波を打つ水面は毒々しい赤の輝きをたたえて、まるでそこに毒のみならずそれを汲んだ人間の悪意までも映し取ったかのようだった。
「無害なのであろう? されば、己が身をもって証明せよ」
嘲るように男が囁く。
――要するに、コレがやりたかったわけだ。
誘い込まれてすでに包囲済み。
衆人環視とはよく言ったもので、環を作る群衆の眼差しは、星舟の隻眼の動作にさえも注目している様子であった。
あるいは、この弁士の言うところの走狗が、無様に主人のもとへと逃げる醜さを期待しているか。
自然、唇が歪む。
……笑いで、歪む。
そうではないか。笑うしかないではないか。
何しろそれは、いずれ突きつけられたであろう、命題。
行わなければ、ならなかったことだ。
まさか向こうから、最善の形で提供してくれるとは。
星舟は桶を片手に捧げ持った。
そしてためらいなく、軽い手取りでもって、まるで盃でも干すかの如く、喉奥に毒水を流し込んでいく。
一流れ、また一流れと我が身に流し込んでいく。
桶から水が抜けていくその様子を一同が、そして傍らのリィミィさえもが唖然とした様子で見守っていた。
投げおろした桶が湿った音を立てて、技風の足下に転がる。
恐怖したわけではなかろうが、大きく狂った予想に動揺を隠しきれない様子で、あたかもそれが首か何かのように声を引きつらせて飛び退いた。
「……昔、六ッ矢でこれよりもひどい代物を飲まされてた」
彼の醜態を無視して、呼吸を整えて口を拭う。
「斉場のクソどもが牛耳ってた頃の水道は上下の別もろくになかった。羽虫が浮いてるどころの騒ぎじゃねぇ。小便が混じってようが、誰ともしれない人間の指が入ってようがおかまいなしだ。ただ生きるために、オレはそれを呑んで少年時代を過ごしてきた」
不幸自慢をするつもりはない。ただそれよりは、はるかにマシだ。そのことを彼らと、そして自分自身に戒めるためにあえて言葉にした。
「それを改善したのが竜たちだ。そして、万民がその恩恵にあやかれるようにした。それは、水とは自然からの施しであって特定の何者かの所有物ではないというのが、彼らの思想だからだ。そしてこれは、彼らが窮したとしても変わらない。無論、手の打ちようがないというのが正直なところだが、彼らの矜恃が、あなた方の生活を我から脅かすことを良しとしない」
あえて軍靴の音を立てて技風に接近する。疾病によって喪われた眼窩を寄せる。
「もっとマシな役者を寄越せと、あの楽師殿に言っとけ」
外周に待機させていたクララボンの拍手を皮切りに喝采があがるのと、軽く呻きながら弁士がそそくさ退避するのとは、ほぼ同時だったように思える。
悠然と壇上を降りた星舟に、散らしていた経堂らが報告に来る。
「本命には逃げられました。端役は捕まえましたが、どいつもこいつも金で間接的に雇われただけのようです」
「あの弁士はどうしますか?」
「まぁあのちよころナンタラも似たようなだろうよ。放っておけ」
「にしてもあんた」
リィミィが身を乗り出して話に割り込んだ。
「良いのか。あんなこと表明して。状況が悪化すれば、この先どう転ぶかなんて」
「先の見通しなんて誰にもわかんねぇよ。不公平だと対案もなく喚き立てて事が解決できる訳でもないし、国家転覆させて『人智』とやらで雨が止むなら止ませてみろってんだ。……ハッタリでなんとか綱渡りしてくしかねぇだろ」
人には聞かせないよう低くぼやく星舟は、足を速めた。このような雑事に煩わせられている場合ではない。
「おい、どうした」と常と変わらない様子で問うリィミィ。やはりどうにも、知識はあってもその引き出しの扱いには不慣れというのが彼女らしい。
「……この時期に敵の出兵はない、とお前の懸念を否定したよな」
とは言え今回は自分の見立ての甘さにも問題はあった。
今まではあくまで、意図を含んだものか、それとも自然発生的なものか微妙な程度の風評が流れるのみであった。
だが今回の技風とやらは違う。雇われ者であろうが、行われたのは明確な扇動である。それも、危険の伴う竜の膝下で。
背後に切り崩さんとする何者かの存在がいる。経堂、子雲を撒くほどの諜報員が紛れていた。
「すまん、あれは間違いだった」
本腰を入れての、内部工作。それも、どちらにとっても不安定なはずのこの時期に。まさか、ありえないと今もってなお思うものの、この性急さの意味するところは、ただひとつ。
「出来る限りの戦支度を進めろ。……おそらく、この雨の中敵が攻めてくる」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます