第四話

「んもー、みんな大袈裟だなぁとちょっと倒れただけなのに」


 碧納新館。

 その病床にて上半身をもたげようとするシャロンを、ジオグゥと星舟の両名は左右より押し留めた。


「それでも、状況が状況です。どうかご安静になさってください」


 そう忠告すると、足早にその場を去ろうとする星舟の耳朶を、向けた背側より衣擦れの音が打ち震わせる。


 反射的に踵を返した先に、手を掛け布団の下より差し伸ばしたシャロンの姿があった。

 完全に向き直る刹那、切なげで心細げな表情を見せていた彼女は、だがすぐにその未練を引っ込めて、毅然とした表情を見せる。


「こっちも闘病頑張るから、セイちゃんもお願いね」

「大任なれど、全身全霊にて当たります」


 そう微笑んでから、星舟はあらためてジオグゥとともに部屋を出た。


 もとより親しい仲ではない。並び歩く間の無言は慣れたものだが、それでもその重さはいつにも増していた。ややあって、星舟は侍女長に尋ねた。


「……実際のところは、どうなんだ?」

「本当は甘えたいのだけれども、『セイちゃん』と『ジオちゃん』の務めの障りとなることは明白。ただでさえ自身の容体を案じてもらっているのに、これ以上は迷惑をかけられない。そう健気に涙を呑まれたのでしょう」

「……いや、内面的なことじゃなくてな。ていうかあんたを『ジオちゃん』って呼んだの聞いたことねーよ」


 珍しい軽口に、思わず突っ込んでしまう。

 だが、あまりにもジオグゥらしからぬその言動こそが、事態の深刻さを雄弁に伝えていた。


「例の病か」

「医師の見立てでは、おそらくは」


 その事実を突きつけられた瞬間、星舟の前頭葉には鋭い針が刺し込まれたようだった。彼女の肌に触れた瞬間の高熱が、今なお手を炙るようでもあった。

 喪われるというのか。あの爛漫な輝きが、あの日あの夜に見出した、慈愛に満ちた月光のごとき包容が。


 だが、感傷の度合いであればジオグゥも負けてはいまい。ましてや、日に日に身を崩していく様子を間近で見なければならないのだ。


「ただ幸いなことか、症状は比較的軽い方と言えるでしょう。これも、神の裔の血の成せる業かと」


 神の裔。真竜種の中でも最上位たる、龍帝の血統。

 その流れを汲むがゆえに、アルジュナもシャロンも、命までは蝕まれずに済んでいる。そうジオグゥは希望的観測と知りつつ唱えたいのだろう。


「これが、せめて人間を対象にしたものであれば良かったのに」


 ふいに放った一言に、星舟は足を止めた。


「ジオグゥ。思わなくもないがそれは……軽口でも吐かして良い言葉じゃねぇぞ」


 シャロンの障りとならぬよう静かに、だが確実に語調を荒げて星舟は諫めた。

 本人も口にしてからどうかと思ったのだろう。「そうですね」と打った相槌には、強い後悔を感じさせた。


「まぁあんたも気をつけろよ。半分は、あんただって真竜だ」


 一定の分量の気遣いを見せた星舟は、渡り廊下で待つシェントゥとリィミィの元へと戻った。


「あの、姫様のお加減は? 何かお手伝いできることは?」

「あー……じゃあ領内の様子を探ってきてくれるか。あと、開いてる店があったらなんか滋養のいい食いもんとか頼む」


 使命感に燃えて問いを重ねてくるシェントゥに、星舟はややぎこちなく笑って駄賃と置き傘を握らせ命じて、外へと向かわせた。


 それから一つ、重い息をつく。


「何かあったのか……などと聞くまでもないか」

「いや、シャロン様のお身体以外にも、この状況に色々と思うところがあってな。お前好みの話ではあるのだが」


 そう前置きしてから、リィミィを師としてあらためて問う。


「神って、なんだ?」


 リィミィの反応は容易に想像がついた。

 まず細眉を極限まで歪め、


「とうとうありもしない信仰にでも縋りたくなったか?」

 などと、正気を疑い毒を吐く。


 発狂扱いされるのは承知のうえだが、自覚の及ぶ限りでは星舟は正気そのものだった。


「いや、だからふと気になったんだよ。……なんで、国連の神なんだ?」

「質問の意図が分からない。もっと頭の中を整理してから言え」


 これはまったくもって正論だった。自分でも、なんだかとりとめのない、身もふたもないことを問わんとしている気がする。


「いやだからさ。言語の違いこそあれ、異国の者らも皆それに属する神々の集団を信仰している。それだけならまだ分かる。だが竜も……隔絶された世界にいたお前らも、信仰するのは元よりそれらだ」


 リィミィが足を進めた。まるでその話題について答えが見つからずに避けるように。幾度となく自分と同じ戦場に立っているとは信じがたいその小さな背に、彼は畳みかけた。


「おかしいじゃないか。伝承にしてももっと派生していても良いはずだ。なのに……まるで、それが揺るぎようのない確定事項であるかのように、そこだけは起源が同じだ。いや、宗教や伝承に限った話でもない」

 

 人には遠く及ばぬ生命力を竜が持っていることは痛感している。霜月のごとき特異な例を除けば、未だ破れぬ無双の外殻のことも。


「だが対話ができる。同じ食物をもって腹を満たし、同じ形をし、同じ色の血や涙を流し……時として、交わり、子を成すこともできる」


 星舟は身を渡り廊下の手すりを越え、軒の外へと踊らせた。

 勢いは弱まれども、絶えず降りしきる雨を浴びながら、かき消されない声量で質す。


人と竜オレたちを分け隔てるものは、いったいなんだ?」


 リィミィは無表情でかつての教え子を、わずかに引いたような目つきでもってじっと見つめていた。

 だが、ぐいとその手を童子か何かのように、軒下へと引き戻す。


「その問いには、おそらく誰も答えられないだろうさ。少なくとも、今の段階では」


 にべもなく、だがはぐらかすことなくそう答える旧師に、星舟はほろ苦く笑った。


「まぁそれこそ、『神のみぞ知る』ってわけか」

「冗談としては落第点だな」


 対話能力というものが欠如した女に、冗談をへいと評される、この不本意さ。

 ぐぬ、と軽く臍を噛む星舟の下に、シェントゥが舞い戻ってきた。

 あまりに早く、かつ傘も差さず、息せき切り、狼狽しきった様子で帰還した。

 軽く面食らった星舟だったが、耳打ちされた内容をもって、今度は内憂ではなく外患が生じたことを知った。

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