番外編:竜の遺児(後編)

「あっ、セ……夏山殿、今日は非番と受けていましたが」


 時と処を遷して碧納。

 活動拠点の正式な移転を完了させた星舟は、その足で執務室を訪れた。

 兄の代行、執政者としての体面を保とうとする彼女に、星舟は微苦笑する。


「えぇ、おっしゃるとおり非番ですので、一定の節度さえ保っていただけるのであれな私用として接してもらって構いませんよ」

「そっかー。良かった」


 途端に緊張を解いて素に戻り、椅子の背もたれに上半身を預ける。

 その弛緩ぶりを見れば件の侍女長あたりが咎めようものだが、ふしぎとその影は見当たらない。そもそも居ればこんな気軽に対面が叶うものでもないのだが。


 まぁまぁ座ってと、海外より買い付けたというソファなる長椅子へと着座を求められる。

 言われるがままに座した星舟の隣に手をついて座る。


「……ところで、サガラ様は?」

「あぁ、兄上? そう言えば帰ってくるのが遅れてるね。そういうところはキッカリした方のはずなのに」


 ……第一の懸念、解消。つまりは余計な茶々を入れられる心配はないということだ。

 その言質をとってから、次の問いに、本題に転じる。


「では、侍女長殿は?」

「ジオグゥなら、なんか失せ物が見つかったとかで回収しに数日間お休みだけど……なぁに、さっきから他の竜のことばかり気にして」

 ぷぅっと膨れて口を尖らせて、姫君はご立腹気味である。

「そりゃ、両者ふたりともセイちゃんと仲良いけどさ」


 ――いや、そりゃねぇよ。

 という即答否定ツッコミは腹の裏に押し隠し、表向きはにこやかに、好青年然として、


「こういう時ですから、普段腰を落ち着けて聞けないことでも聞こうかと思いまして……たとえば、かの侍女長殿とシャロン様との出会いの話とか、じっくりと」


 話を切り出そうとした直後、けたたましく扉が開いた。

 羅紗地に虎の刺繍の入った、赤い上衣を着流した、独特の装束をまとう、渦中の女獣竜である。


「あれ、今日は私用で来る子多いね」

 ――なんだこの私服!?


 突然の来訪はともかく、まず目につくあたりに星舟は内心で追及する。

「この馬……夏山殿がここに向かったと舎、旧友より聞きまして」

 星舟の一瞥にもシャロンの歓待にも意を介さず、つかつかと歩み寄って星舟の襟をねじり上げ、吊らす。


「申し訳ありません。この男を、少々拝借します」

 仲の良さを疑われることさえ厭わぬ、急いた様子で早口かつ事務的にまくしたてると「え、え?」と戸惑う娘をよそに引きずるように星舟を連れ去ったのだった。


 ~~~


「なんのマネですか」

 ドのつく派手さの上衣を翻し、侍女長ジオグゥは廊下の死角、その壁際に怨敵を追い詰めた。


「なんのことだよ?」

「留守中なのをいいことに、自分のことをさんざん嗅ぎまわっていたそうですね。挙句の果てにはお嬢様にまで聞き込みですか」

「いや?」

「……とぼけたことを抜かすと壁にめり込ませますよ」

「とぼけたことを言ってんのは、あんただろ」


 猛獣の殺気を浴びても、星舟は平然を取り繕っていた。

 主家の新築に穴を開ける従者がどこにいるものかという理詰めで、それへの恐怖を抑えていた。


「あんたが居なかったのは今日が初耳だし……そもそも、オレが調べていたのはガールィエ家の家出娘の行方であって、シャロン様付の侍女長殿の身辺じゃねぇんだがな」


 ――語るに落ちる、ということの好例を、そしてそれに嵌った者の表情を、星舟は今初めて目の当たりにした気がする。


「将を射んとすればまず馬をって奴だ。……ん? この場合は逆か。とにかくまー、ものの釣られやがって」

 むしろ予想に反していたのはジオグゥ自身の不在であって、彼女がいないと言われた時はどうしたものかと軽く悩んだものだが、お互いにとって良い時機に帰ってきてくれたものだと思う。


 憤怒の形相は、嵐のように過ぎ去った。

 むしろおのれの過失だ、怒りに任せればそれこそ自分がガールィエ家の私生児だと認めたことになる。

 そういう自覚はあるらしく、敵意は引っ込めてくれた。


「なんのことでしょうか」

 そのうえで、しれっと韜晦した。

「自分の知己に、似たような境遇の者がいただけですよ。まぁその者も、貴方のゲスの勘ぐりに当該する者ではありませんが。ただその者の不安かつ不快にさせたを想えばこそ、自分は貴方の不躾を咎めたまでのこと」


「……まだシラを切るか。まぁいい」

 その態度からしてカルラディオの疑念は杞憂に過ぎないことは分かり切っているが、あえて問う。


「じゃあその知り合いに仮に捜している親類縁者がいたとしてだ。そしてその家長に不幸があったとしてだ。……弔いに行く気や言うべきことはあると思うか?」

「ありませんね……微塵もありません」


 星舟は軽く頷き返した。

 まがりなりにもこれで言質を取ったことになる。


 用事は済んだ。ここで中座しても、あとはこの侍女長がシャロンに、悪しざまに誹謗するだろうが、どうにか取り繕うことだろう。


 返しかけた踵を、ふと星舟は止めた。


「関係のない話ではあるが」

 と前置きして。


「オレとブラジオ・ガールィエ様は、正直仲が良い方じゃなかった」

 では何故今回の依頼を請けた? そうジオグゥは尋ねたげに眉をひそめた。


「いや、実のところオレが一方的に毛嫌いしてただけなのかもな。正直、妬ましかったよ。生まれながらにして力も権力も名声もあって、それを惜しみなく、謙遜もせず当たり前のように行使する、竜そのものって感じがな」


 それが鼻について仕方がなかった。

 ただ傍にいるだけで、高みを目指しあれやこれやと知恵を回し、うろちょろと奔走する自分がより卑小な者だと教えられているようで嫌だった。


「それでも、死んだあとにようやくわかった。やっぱりあの方は誰にとっても巨さかった」

 その死を、多くの者たちに惜しまれたように。

 その死に、今なお、自分の心が引きずられるように。


「そしてその巨さを、自分でも持て余しているような……不器量な方でもあったよ。最後に戦場を共にした奴の心象としてはな」


 語っているうちに星舟は、まるでそれをジオグゥに聞かせている、というよりも自分で最終的な整理をしているように思えた。 

 なので若干の修正を試みつつ、本当に伝えたかったことでもって締めくくらんとした。


「だからまぁ、その娘に言ってやれ。仮にお前が父親のことで苦しんでたとしても、まぁ向こうも向こうで苦しむことがあったんだろう。感情の表し方が下手なだけでな。そして故人であるなら、恨むよりも、その方から受け継いだものを胸に、前に進め。ブラジオ様ならそう」


 言う、とまとめかけたところで、ジオグゥが星舟の肩肉に指を食い込ませた。

 風音が耳元で鳴り、拳が通過したことを悟った次の瞬間には、星舟のすぐ後ろで壁に拳がめり込んでいた。


 ――本当にやりやがった。

 先ほどはまさかやるまいとタカをくくっていたが、本当に新館に風穴を開けるとは思わなかった。


 奥歯を噛みしめ前歯を剥き出し、眼の白い部分には血が奔っている。

 間違いなく殺す気で拳を打ち込んだ。避ける間もなかった。せめてもの道徳心が、本竜も無意識のうちに軌道をわずかに逸らしたのだろう。


自分アタシは」


 それこそ猛獣の呼吸を喉奥より絞り出し、目つきを和らげぬままに竜は言った。


「テメェのそういうところが、心底嫌いだ」


 そう吐き捨てるや、紅衣を翻し娘は帰る。


「そういうとこって、どこだよ……?」

 そう問い返すも、相手は足早にその場を立ち去っていた。

 生々しく残る破壊の痕跡を脇目に見れば、恐怖は遅れてやってきて、星舟はもたれた背をズルリと壁に滑らせていく。


「ていうか、どうすんの? コレ」

 そして相手に面と向かって好悪を物申すあの調子は、当の父娘が意識することでも、まして望むことでもないだろうが、やはりガールィエの血統のように、星舟には思えてならなかった。


 ~~~


 郊外の、昼の、茶店である。

 女がらみであまりおちょくるのもどうかと思ったので、妓楼は止めて第二の待合場所に依頼者を呼びつけた。


「……そうでしたか」


 報告を聞いたカルラディオ・ガールィエは安堵であるかのような、それでいて寂しげでもあるかのような息をついた。

 軒先よりぼんやりと空を見上げる眼差しは、まだ見ぬ姉の姿を追っているかのようでもあった。


 遺産問題に首を突っ込まないという意向のみ伝え、その実名や素性は伝えなかった。そこまでは依頼に含まれていない。もし追及されればそれなりの対応を取ったかもしれないが、あえてカルラディオからもそのことは尋ねなかった。


「会いたいと、思われますか?」

「あちらにはあちらの都合というものがありましょう。そもそも」

 その問いにカルラディオは首を振った。そのうえで、言った。

「家督よりも土地や遺産よりも、大切な問題に片がつきました」

 微笑む少年の股には、いつもの軍刀ではなく、新たな刀が佩かれている。

 その体躯にはやや余り気味の大太刀。そしてそれ自体で人が殴り殺せそうな骨太の鞘。

 星舟もよく目にした、ブラジオの『牙』であった。


「それをどこで?」

「さて、敵方の雑兵が国庫に収めず盗品として流していたことまでは調べがついていたのですが、そこから闇市に紛れて追い切れなかった……なのですが、先日いつの間にか屋敷の玄関口に、傘か何かのように立てかけてありまして。まぁ恩を押し売りされて当惑はしていますし、薄気味悪いですがね」

「……なるほど」


 星舟の独語はカルラディオの語る仔細を理解したというより、謹厳実直なジオグゥが急な暇を取った経緯についての納得だった。

 姉弟そろってめんどくせぇ、と心の中で毒づく。


「話が逸れましたね。ともかく今回の返礼は、またきちんと形にして」

「宵越しの報恩はあまり好みでなくてね、今お願いしたい儀があります」


 それも今回引き受けた目的の一つだった。

 若干カルラディオは呆れた様子だったが、そもそも自分たちの関係性で義理人情とか無償の報酬だとかのほうが薄ら寒いだろうに。


「……今お請けできることであれば、なんなりと」

 若干の苦みを含むカルラディオの承諾に対し、星舟は一枚の紙片を見せた。

 そこに描かれているのはある者の簡単な肖像と名と、自分が知りうる情報のすべてだ。


「……この者が、何か?」

「麒麟児と称された貴殿です。まだ学友の縁をお持ちでしょう。そのツテで、帝都からのそいつの足跡を洗い出してもらいたい」


 もちろん、自分でもふと沸いた疑念をもとに、出来る限り内偵を進めていた。

 結果、もはやほぼ断定できてはいるが、それでも裏付けが欲しかった。


「……竜捜しの返礼が、竜捜しか」


 どことなく皮肉げに唇を吊り上げたカルラディオの頭上で、風もないのに空の雲が勢いよく流れていく。

 まるでそれは、白雲をに取って代わって凶兆めいた暗雲を呼び込むような、どことなくおぞましい昼空であるように、星舟には思えてならなかった。

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