番外編:竜の遺児(中編)

 カルラディオとの密会を終え、夏山宅に戻ってきた星舟は、その後ろくすっぽ外出しない日々が続いた。

 その後、経堂や子雲に領内の何事かを探らせたかと思えば、今度は自身が立って単身出かけて行った。


 行き先も告げずに遠のいていくその背を、屋敷の口にてリィミィは見送っていた。


「良いんですかね、つい最近拉致されたばっかりの方が」


 皮肉めいた調子を挨拶代わりに、経堂が庭の垣根より顔を出した。


「本人が良いのなら良いんじゃないか。いつまでも子どもじゃあるまいし」

 そう冷たく言い放った後に、続けた。

「そんなに気になるのならお前が行けばいいだろう。最近こき使われてる件だと思うし、同じ人間同士、相通じるものもあるだろう」

「一つ伺っても?」

「なんだ」

「いったい何を拗ねて」

「私は拗ねていない」


 強い言葉によって経堂の問いかけを断つ。妙に上ずった語調になってしまったのがまた、我ながら腹立たしかった。


 否定こそしたものの、この陰気な狙撃手には何もかも見透かされているようで、気まずくなったリィミィは目を背けた。

 その視線の先、夏山家の中、碧納への引越しの手伝いに来ていた恒常子雲がシャツの袖をまくった姿でにこやかに笑っていた。


「ではよろしければ、拙者が夏山殿にお供しましょうか」


 などと提案するこの元裏切り者に、リィミィは険しい表情を隠さなかった。元々、温和な表情でも性格でもないわけだが、この男相手ならとりわけだ。


「いやいや、遠慮なさらず。なに、行き先は目星がついておりますゆえ」


 などと強引に押し切り、着の身着のまま、重労働の後にも関わらず軽やかに、子雲は出かけていった。


「さすがにあいつが行くとなると、後を追った方が良いんじゃないですかね」

「……好きにしろ」


 そう命じると、目礼とともに経堂は立ち去った。

 ふたりの男が立ち去ってのち、取り残されたリィミィは考えた。

 これは、奴らに担がれたのではないか、と。

 自分に上官としての最低限の体面を保たせるために、打ち合わせなし、即興の芝居を仕掛けたのではないかと。


「…………」

 深く息をつき、顧みる。

 窓に映った自身の顔。華奢な背丈。五年前から成長も廊下も感じてはいなかったが、最近、ふと気になって自らを投影することが多くなった。

 そしていくらかは痩せたような心地がしていた。


 今、星舟の幕下には優秀な智者がいる。ただ溜め込むばかりの知識ではない。それを機知として外へと向けて発揮できる者たちが。


「……もう、そろそろ良いのかもな」


 かくれんぼの鬼に見つかったような心境で、女獣竜は独語した。

 

 ~~~


「……なるほどな。いやありがとう。お婆さん、どうかこれを孫の小遣いにでもしてくれ」


 市井の外れ。その東の居住区。そこで聴取を終えた星舟は、老婆をねんごろに慰労し、金銭をその手に包ませた。


「ありがとうございます。どうかカルラディオお坊ちゃまを、そしてあの御方をよろしくお願いいたします」

 曲がった腰をさらに低くして乞う彼女に強く頷き返し、星舟は微笑した。


「もちろんだともさ! カルラディオ様と私は恩讐を超えた忘年の友! 必ず姉弟の仲をよいほうに取り持ってさしあげよう!」


 そう宣誓して長屋の内へと下がらせて、星舟はその場を後にした。

 大通りに出て、二歩、三歩。

 急停止して見せて反応を窺ってから、その追跡者の方を振り返らずに


「お前らも小遣いをせびりに来たのか?」


 と、からかう。

 建物の隙間に身を隠していた銃士と曲者は、いつものような捨て投げやりな表情とうさんくさい面を並べて現れた。


「それにしても、珍しい取り合わせだな」

「貴方こそ、らしくない」

「オレだって、この時代の年長者には尊敬を覚えるさ。特に戦乱を武器を持たぬ身で生き永らえた烈女であればな」

「いえそっちではなく、背中に立っても仰天しなかった」

「そっちかよ」


 それから人間、男、三人。

 連れ立って当てもなく歩く。


「今日はお前らの集めた情報のウラ取りだ。だから別に用事なんてないぞ」

「まぁ、興味本位ですよ」

「興味? 経堂おまえが?」


 下手をすれば自分の生き死にさえ関心のなさそうな男である。そんな男から興味などという言葉が出てくるとは思えず、星舟は軽く面食らった。


「ブラジオの旦那とは、色々とありましてね」

 とだけ言ったきり、経堂は寡黙な銃撃手へと戻った。

「で、そっちは?」


 次いで問いを向けたのは、恒常子雲である。


「そりゃ、あわよくば内乱の種にならないものかと……はははは、冗談ですよ。竜というものを学べと言われたのは、夏山殿ではありませんか。竜の血統などを調べるのはまた得難い機会かと思いまして」


 その名のごとく、常のごとく、食えぬ言動で本心はぐらかせる。


「別に付き合ってもお駄賃やらないからな」


 諧謔のつもりで言ったわけだが、両人ともに一切笑声も立てず、また眉ひとつ動かさなかった。


「それで、収穫はあったんですか」

 むしろ滑ったのを気遣われるがごとく話題が転じられ、かえって星舟は傷心を抱くこととなった。


「あの婆さんは、この地が竜によって『解放』されてからこっち、ずっとガールィエ家に仕えてきた。だが、戦傷を負った夫の看病のために暇を出されたんだが、その夫も間も無く死んで寡婦になってたわけだ」

「なるほど、ではあの老婆が哀れに思ったブラジオ様の寵を受けその児を」

「想像したくないことを生々しく言うんじゃねぇ! ……おまえらが調べたんだろ。ここから先の獣竜種の居住区域には、副将バオバクゥの別邸があった。そして、件の姉上様の母親ってぇのが、その係累だ。だから、ブラジオは娘が生まれた当初そこに色々理由をつけて通ってたらしいんだな。その仲介やら母娘の世話をする一人として、婆さんは臨時かつ秘密裏に再雇用されたってわけだ」


 だが、状況はある日を境に一変した。

 流行病で娘の母親が亡くなり、日を跨いで弔問にやってきたブラジオ主従に、すでにして自我を形成していた娘は言ったらしい。


「これ以上、貴方から哀れみも施しも受けたくありません。これよりはこの身ひとつで生きて参ります」

 と。


「……まぁ物心ついた時には、自分が不貞の子だと分かってたんだろうな。そんな自分が嫌だったのか。はたまた親を恨んだのか。とにかく母の死を契機に娘は行方を晦ましましたとさ」


 寓話的締めくくりとともに、星舟は飴を噛み砕いて完食した。


「で、その娘は?」

「そのまま行方知れずらしい。目撃情報は何度かあったみたいだが、どれも確かなものじゃなかったとか」

「名前ぐらいはわからないもんですかね」

「婆さんもそこまで立ち入ったところまで聞けなかったらしい。正直、オレが今回の件で訪れるまではバオバクゥの隠し子とさえ思っていたほどだ。かといって他家に転属した他の奉公人に聞き込むと、サガラの耳に入る可能性が高い」

「では完全に手詰まりというわけですか」


 子雲の言葉に、星舟は足を止めた。


「手がかりはない。だが心当たりはある」

 韻を踏むような言い回しとともに。


「それは?」

「ひとつは、まぁ単純な前後関係だ。その娘が出奔した後、奇しくも我らがトゥーチ家でもひとりの娘が家出してな。で、なんでか荒れまくっていたその姫君様は、奇しくも同じように愚連隊まがいのことを近隣でしていた女傑と殴り合いをしてなぁ」


 胃が痛むような思いで、星舟は述懐する。

 すでに遠く過ぎ去ったことではあるが、あの時の外見的な痛々しさ……もとい痛ましさを今の彼女が思い出したときは……察するにあまりある。

 いや、案外平気そうでもあるが。


「第二に……この際だから勤勉な子雲くんに教えてあげよう。基本竜の姓っていうのは血縁が近いほどに発音が近似していくもんだ」


 たとえば、真竜種の場合、その姓名は彼らを創りし神やかつて居を持っていた天つ国の名、天上の役儀や官職、あるいはさらに彼らが信奉していた上位の神々が基になっているとされている。そこから微妙な発音の変遷を経て系譜は分岐しているという。


 獣竜種ははじめ名を持たぬとされ、番号や単純な一文字を呼び名とされていた。

 それが戦や祭事まつりごとで功を得たとき、褒美として真竜種の姓名の一部を与えられたのがはじめとされていた。鳥竜種は起源を獣竜種と同じくするが、その名の羅列の法則性の違いをもって今では別種のいきものとされている。

 そして彼らも同様に微妙な発語の違い、もじりによって商家の暖簾分けのごとく、系譜を増やしていった。


「つまり、クゥ家と血族であるならば、その娘は似たような姓を持っているはずなんだ」


 今もその姓を使っているのならばな、と言い添える。

 だが、石でも呑んだような面持ちで、後ろのふたりは視線を交わしていた。

 この段に至れば、両者ともに、星舟の前振りと仮説心当たりが何者を示唆するのか、うすうす感づいたようだった。

 そしてその決定打となる最後の点を、ため息とともに星舟は挙げた。


「……あちらに非があるにしても、真っ向から真竜種を冷たく面罵するなんざ、オレにはあの女しか思い浮かばねぇよ」


 ブラジオとバオバクゥの慰労を突っぱねた姿に、『彼女』を当てはめると容易に想像がつく。

 薄々嫌な予感はしていたが、いざ頭の中の所感や理屈を並べて整理してみると、二逃げ道がないほど、対象がはっきりとしていた。

 二度目の重い嘆息は、そのせめてもの抵抗だった。


「……会うしかないんだな、この世で二番目ぐらいに会話をしたくない奴に」

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