番外編:竜の遺児(前編)

 この晩、夏山星舟は上機嫌であった。

 自身が経営する昴玉楼にて思わぬ客と対し、この店最上等の銘酒を特権でもって呷る。


「ううー」

 ……いまだ幼さの残る顔を真っ赤にして、色気たっぷりな妓女に挟まれた少年領主を肴に。


「どうしました? カルラディオ様、こういう趣向は、お気に召しませんか?」

 橙果色の髪を緊張で震わせる彼に、意地悪く尋ねる。

「ふたりっきりで話がしたいとのことでしたので、この場を設けさせていただきましたが」


「……この状況がふたりきりに見えるのか!?」

 真っ赤になって怒鳴るも、ブラジオのような威圧感は望むべくもない。

 むしろ背伸びした感じが愛らしさに思えるらしく、ますます女どもに言い寄られ……もとい愛玩されつつあった。

 さしもの星舟も気の毒に思い、満足してから杯を置き手を振って彼女らを下がらせた。


「して、例の代物は?」


 軽い酩酊を頭から追い出し、星舟は声を引き締めた。それによって場がある程度の秩序を取り戻した。

 足下の膳を手で除けて、少年は鎖骨に手を滑らせて、絣の隙間、その懐から数冊の冊子を取り出した。


「これがガールィエが所有している権利書の写し。これが過去の土地や水争いの判例です。他のものも後々届けさせます」

「ありがたい。これでガールィエ家のみならず周辺の権利問題も片がつきましょう」


 そう言って手を伸ばした星舟だったが、

「ただし、前もって言っておきたいことが何点かある」

 それらはカルラディオによって高々と持ち上げられた。


「まずひとつ。ほぼ騙し討ちに近いとはいえ、すさまじく腹は立っているとはいえ、網草との戦で功を立てられたのは、貴方の企みとおせっかいによるところが大きい。だからこれでその貸し借りは無しだ。決して貴方に心を許したわけでもなければ、まして赦したわけでもないので、その辺り心得違いをしないよう」

その律義さ、感服しますめんどくせぇなコイツ

「…………顔に出てるぞ」

「おや失敬」


 互いに敬語と悪態、敬意と敵意を絡ませながら、欄干より見える夜雲の流れと同様に話は推移していく。


「で、他のことは?」

「ひとつには、あくまで感情抜きの話ではあるが、昨今のサガラ様に信が置けない。同門の先輩とはいえ、あの方にこれをお譲りすることは気後れする」

「ほう、ではこの星舟は信じていただけると」

「……少なくとも、貴方は自分がうぬぼれてるほど器用に立ち回れる人間ではないでしょう」


 カルラディオは皮肉な笑みを返した。

 今度は、星舟こそが面白くなさそうな表情を浮かべる番であった。


「その人間のことを言えた義理ではないと思いますが、まぁ良いです。では他には?」


 若造の指先から冊子を奪取することも念頭に入れ、視線をそれとなくそちらへと遣りながら、星舟は注意を逸らす意も兼ねて尋ねた。


「頼みがある。遺産問題に絡む話だ」


 心を許したわけではない、と公言した矢先に、彼は重大事を持ち掛けてきた。

 やはり青臭いというか、肝心なところで人が好いのが真竜らしいというか。


 軽く呆れる星舟が諾否いずれも明らかにしないうちに、カルラディオはさらに畳みかけた。


「話と言うのは、姉のことでして」

「……貴殿に姉がいるとは初めて耳にしましたが」

「あぁ、僕も最近知ったモノでね」


 ……ふざけているのだろうか、と思ったが、どうにも表情から察するにそうでもないらしい。というかそもそも冗談の言える質でもあるまい。

 ということは文脈から察するに、


「『いたことが発覚した』ということですか」

「話が早くて助かる」


 気重げに少年は肯じた。


「貴殿のしんがりに加わる際のことだが、亡父は何か悟り得ることがあったらしい。先に離脱させた部下のうち、討死した副将バオバクゥに次いで信用できる者に、口頭で遺言を残したらしい。その者が言うには、『遺産の分配のうち、金銭の三割を娘に譲渡する』とのことでね。だが、ガールィエ一族に娘はいない」

「……御母堂には?」

「訊けるわけないでしょう。告げた者は嘘を言うような者ではないし、ついたところで徳をするような立場でもない。そもそも彼自身がそれがどこの誰だか知らないのです。……僕も、父上がさような色魔であったとは思いたくはないのですが」


 カルラディオは苦い顔でそっぽを向いていた。

 

「はは、色恋というものはなかなか制御の利かないものですからな。ていうか貴方だってさっき鼻伸ばしてたでしょう」

「……なんか言ったか?」

「いえなにも」


 凄む少年をのらりくらりとかわしながら、先を促す。

 彼は怒りを咳払いで紛らし、星舟の催促に従った。


「ただ、母上には内密で調査を進めていたところ、ある程度の言質と裏は取れました」


 ほう、とノドグロの干したものを箸でつまんでむしる。酒を呑む。


 ガールィエ家内で発覚した情報とすればサガラあたりが蒔いた風評というわけでもなさそうだ。もっとも、虚偽であったほうがこの少年もいくばくか救われた心地であったろうが。

 あの質実剛健の四文字の体現者が、よもや妾のたぐいを作るなど、生前の彼を知る者たちからすれば考えられない醜聞だ。

 まともな家庭環境など持ったためしのない星舟にしてみれば、普遍的な家族観で同情するしかないが。


「父は、僕が生まれる数年ほど前、この六ッ矢の領内にてある獣竜の娘に惹かれたそうです。ですが、その娘の家は父の不行状のかどにて没落しており、ガールィエ家とは歴史も権勢も天地の差。アルジュナ様のお薦めにより母と婚を結ぶにあたり、合意のもとで別れたのだとか。そのはずであったのですが」

「その時すでに第一子を身ごもっていた、とカルラディオ様はお考えですか」

 あるいはいまだ逢瀬は続いていたか。が、そこまで言及すれば下種の勘ぐりであろう。

 そして六ッ矢、という懐かしい名を聞いて、話は読めてきた。

 答えを呈する前に、直截に少年は切り出した。


「ずっと都暮らしだった僕は、この街に精通しているわけではない。長居すればサガラ様の疑念を招きかねない。そこで僕は国元に帰るので、居残って『姉』とやらを捜していただきたい」

「捜して、なんとされます」

「……もし父が破局したがために母子ともども生活に困窮しているというのであれば、その責任をとるのはガールィエ家長の務めだ。だがもし私怨から、あるいは遺産を狙って悪を為したり、サガラ様に担がれて権益に介入することがあれば、その時は悪銭一枚譲る気はない。いかな父上の遺言といえどもだ」


 断固とした態度で、統治者としての貌をもってそう言った。

 父の浮気心があの男への妄信を解いたのか。あるいは初陣で何らかの意識改革でも生じたのか。


 ――ブラジオの後釜としてじゃなく、ガールィエ当代としての風格が薄皮一枚分程度は出来上がったらしいな。


 そのことが嬉し……くはないが、まぁサガラの支配に対する防波堤の一角が出来たことは認めて良い。


「それで」

 感情を殺したような調子で、星舟は尋ねた。

「受けなければ、あるいは受けたとしてお望みの成果が得られなかった場合は、どうなります」

「当然、これはお預けですよ」


 カルラディオはひそかに伸びかけていた星舟の食指から冊子を外し、自身の顔の高さまで掲げ持った。


「そのうえで、サガラ様の下へは奔らずとも、アルジュナ様へ直々に献上する。そうすれば貴方の面目とアルジュナ様よりの信頼は喪われる」


 それは十代そこそこの少年が考え付く精一杯の腹芸なのだろうが、その結果自分の立場さえも危うくなることに想像がいっていない。


 ――仕方ねぇか。


 対策はいくらでも思いつくが、そこで無駄に争う気はないので年長者の責務として、ここは譲歩するのが正しかろうと思う。


 それに、とちらりと思った。ブラジオの死相を回想した。

 任務に支障が出ていない程度であるが、今もあの敗戦が心にしこりを残しているのだ。


 ――いい加減、ここいらで吹っ切っておくべきだな。


 これで受けた借りを返す。それが全ての返済でないにせよ、あとは故竜の責でもあることだし泉下のあの男に自己負担してもらうことにしよう。


「分かりました。そうとなっては自分も困る。せいぜい微力を尽くすことにしましょうか」

 そう『打算』した星舟は、取引を諾とし、杯を傾けて不敵に笑った。

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