第二十二話

 トルバの群れが、人の型なれども人類種ならざるものたちを乗せて、街道をゆく。

 都への西上の途にあったサガラはその中間地点にて追いついてきた伝馬より、その『敗報』を受け取った。


「『ナテオ軍、敵別働戦力を殲滅させるも、川向かいに橋頭保を作ること能わず』と来たもんだ」


 そう口にしながらも傍目に見る主の顔立ちはことのほか上機嫌で、グルルガンの不審を買うことになった。

 その凶相の従者に、サガラはその書簡を預け置く形で手渡した。

 断ってから拝見すると、なるほどと思った。


 目的を果たせなんだゆえに負けと言うも、被害らしい被害はなく、むしろトルバを多数抱えた敵の精鋭を潰したとのこと。夏山直筆とおぼしき書面においても、悪びれた様子はなく、むしろ「どうだ見たことか」という自信さえもうかがえる強い圧を感じさせた。


「べつにあいつの馬鹿みたいな策戦なんざどうでも良かったのさ。むしろそんなモノが成功するより敵の機動力が潰れたことが嬉しいねぇ。上首尾上首尾。帰ったら譴責に留めておいてやるよ」

 そう言って馬上、諸手を打ち鳴らす。


「……若、いやお館。失敗は織り込み済みなんでしょう? そのうえで夏山さんは、よう働きなさった。じゃあちょっとはお褒めしてもいいってもんじゃ」

「やーだーっぴ☆」


 あえて目を剥き舌をべろりと出し、極限まで他者をおちょくったような表情で言下に断る。

 いつものことだが、いつも思う。


 ――なにをしたらここまで性根って歪むんだろう。

 と。


 だがそのひねくれぶりが学生時代より妙な仁徳を得ているのもまた確かなことで、たとえばこの近衛軍などがそうだ。小隊の指揮官のほとんどは彼が都で得た学友や後輩で構成され、皆一廉の将才の武勇の持ち主だが、それでもサガラの足下に甘んじて、陰口でさえサガラへの不平を漏らしたことがない。

 帝よりも、混血児であるはずの彼個人に、絶対的な忠誠を誓っているフシがある。


 そして上官の陽気さに反して、誰もが皆寡黙で表情に乏しい。まるで錻力ぶりきで出来ているんじゃないかというその中で、グルルガンは肩身の狭さというか、むしろ自身に異物感さえ覚えていた。


 ――アルジュナのご隠居様もご隠居様だ。もうちょっと子育てに目を向けていただけりゃあ多少はマシとなったものを。


 過去、シャロンともひと悶着あったという前領主アルジュナ・トゥーチは、領民や臣下に対しては人竜いずれに対しても分け隔てない恩徳を施したが、なぜか我が子の教育に対してはどこか一線を引いたような態度であったという。それどころか、ほぼ育児放棄に近い。


 静謐なれども情け深い明主である。無関心であったはずはなかろう。多忙ゆえ、というのも何か違う。

 サガラの背越しに見る彼は、父子の対話というものを極端に拒んでいるように見えた。


 ――まるでそれは、察しの良い二人の子らに、何かまずいことを気取られることを忌避しているかのような。


 いっそアルジュナが動かぬならば年長者として、口幅ったいが親代わりとして、諌止すべきところは諌止せねばならないのかもしれぬ。


 そう思い立った頭が、サガラの背に行き当たった。馬が彼の乗馬の尾に触れてむずがった。

 寡黙を貫いていた周囲がざわめいた。

「も、申し訳も」

 生きた心地がしないままに、グルルガンは頭を下げた。


 だが、彼が主の背に追突したのは自身がぼんやりしていたからではなく、にわかにその馬脚を止めたからだ。ざわめいたのは、その失態ゆえではない。


「なんだ、あれ」

 サガラが、対尾の絶体絶命の窮地に在っても動じなかった青年が、虚空を仰ぎ見てそう言うのがせいぜいであった。

 一様に向けられた視線を、グルルガンも追従し、そして同様に呆然とした。


 視認できる距離にある帝都。その方角にて、赤黒い雲が天へと向かってたちのぼっていた。それはどんどんと形を変える。目に見えるほどの速さによって。

 秋である。季節の変わり目であれば風の強さによっては、雲は流れその形状を変化させることもあるだろう。だが、明らかにそれとは別種の現象であった。


 増えている。膨張していく。体積を増して、際限なく秋の空を赤く黒く埋め尽くしていく。その空の青さごと。太陽の輝きごと。本来の白いいわし雲ごと。

 ……帝都の地よりのぼるそれは、端を発していて、切れ目を作ることがなかった。


 唖然とする彼らの頭上を追い越し、瞬く間にその雲は、何かの生き物のように、天を飽くことなく食らっていく。軍隊のごとく侵していく。


 やがて数日を待たずして、妖雲は大陸全土を覆い尽くした。

 そしてそれを待っていたかのように、同色の、赤黒い雨が全土あまねく一斉に降り始めた。



 第四章:蘭蕉の少年 〜八十八鶴川反攻戦〜 ……閉幕

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