第十九話
「お、おぉ」
真竜の闘気をまともに浴びて馬が竿立ちとなったが故に、狙いがぶれた。敵将を仕留め損ねた。
まぁ勝つには勝ったことだし、これで良し。自分にもそう言い聞かせて、星舟はどうどうと愛馬を宥めて落ち着けせた。
その上で地に足をつけて、自ら手綱を執ったままにナテオを出迎えた。
「これはわざわざの救援。痛み入ります」
彼女の参戦は、星舟の予想にはないことだった。この猪武者は、ついそのまま敵の偽陣に突っ込むものだと思っていた。
彼女の挟撃のおかげで敵に想定以上の打撃を与えられたとも言えようが、逆にそのおかげで乱れが生じて敵の指揮官は討ち漏らし、かつ追撃も出来なかったとも言える。
「こちらこそ、ありがとうございます」
装甲を解いた彼女は、見てくれだけなら貴婦人然としたおっとりとした笑顔で礼を返した。
「夏山殿には、命を救われました」
そんな大仰な、と星舟は笑った。真竜種の『鱗』に、鉄砲玉ごときで傷がつくものか。
「いえいえ、本当ですよ。あの殺気、あるいは本当に死ぬのではと思ったのですから」
ナテオはムキになったように言い返した。
生物としての本能か、こちらを立てるための、ただの誇張か。
判断しかねて曖昧に肯く彼に、思い出したように竜軍の指揮官は両手を重ねた。
「それはそれとして、本当はここへは救援にではなく、相談をしに戻りましたの」
〜〜〜
八十鶴の対岸が、燃えている。
土を焦がし木々を焼き、川には灰色がかった液体を垂れ流し、その水面に虫や魚が浮かび上がる。おそらくは毒の類だろう。
そんな悪業を躊躇いなく執行する兵士たちの前に単騎。あの大頭巾。
霜月信冬。そして七尾藩兵。
渡河してそれを妨害しようものなら、彼が命じるまでもなくあの黒衣の精兵たちはたちまちに陣を成し、逆襲にかかるだろう。
「敵の本隊はカルラディオ殿と夏山殿が撃退したといえ、我々が到着した時には後詰としてあれがいたのです。そして今、あのような謎の行動に出て」
ナテオはそう言ったが、星舟には理屈だけは分かった。
――この地を、命の棲めねぇ穢土とする気か。
仮にこの地を取ったとして、砦の作りには材料が要る。維持するにも食料が、水が、糧秣が。
そのことごとくを、あれらは全て現地より向こう十年消滅させる気でいる。
もちろん、国元より物資を搬送すればそれも解消できるだろう。だがサガラの言うところの『嫌がらせ』がせいぜいの橋頭堡に、そこまでの手間が割けるか。割くことが許諾されるか。
行動の理由は、明白だ。判る。だが、
――普通にそれをやるか! 他人の領地だろう!?
元より大した土地ではないにしても、国土に変わりはあるまい。近隣に住まう民草も在るだろう。それさえ、あの鬼は眼中に入れぬというのか。
亡きブラジオの言動が思い返される。
あれは、どれほどの犠牲を払おうとも絶やさねばならぬと、あの剛気な漢はそう畏怖していた。
勝勢に乗じていっそ追い返すか。
否、ただでさえ半渡にて戦うことになるのに、怪物たちの相手は出来まい。
それに、常軌を逸した行動によって兵たちの気勢自体が削がれている。
この予想外に速い敵の到来と思い及びさえしなかった凶行によってすでに作戦は破綻した。仮に犠牲を払って破ったとして、無意味なことだ。
自分は真竜には、ブラジオ・ガールィエにはどうあっても成れはしない。
自身の見解を、私情を最低限に削ったうえでまとめて、星舟はナテオに言上した。
「分かりました」
あえて星舟の意見を求めた姫大将が、重く頷いた。ある意味では難敵は眼前の七尾でなくこの女だ。どうせ人の話を聞くフリをして突撃するに決まっている。
むしろ逆に突撃を主張すれば言うことを聞いてくれるか。そんな考えさえ浮かんだ矢先に
「我らの心は定まりました」
例の文句である。
思わず星舟は身を乗り出して、諫止を
「突撃」
「もはや交戦は無用です。撤退しましょう」
しよう、としていたのだが。
彼が止めずとも、ナテオはその決断を迷いなく下した。
むしろ、途中で言葉を半端に遮られ、まるで逆に星舟が突撃を主張しかけたような、そんな感じになってしまった。
そんな片目の副将に、優しい眼差しを女竜は投げかけた。
「夏山殿の勇は称賛に値します。ですが、攻撃とは時機と相手とを見極めることが大切なのですよ。……無理をなさらずとも大丈夫ですよ」
そして、まるで乳飲み子を教え諭すかのように言い含められた。
「………………ソウデスネッ!!」
ものすごく釈然としなかった。
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