第十二話

 南に竜の軍勢が出立して後、果たして日を待たずして敵の勢は西道に姿を見せた。


「率いているのは英悟本人。兵員はほぼ総数。ナテオ様は空陣と対することになるだろうな。とくればいやでも敵の狙いに気づくだろうさ」


 キララの報告を受けた星舟はみずからの読みが当たったことに満足していた。

 そして次の手も、次の次の手も、完全に的中とまで行かずともある程度敵は引っかかってくれるだろうという手ごたえも感じていた。


「……その口ぶりだと、奇襲の有無や進路のみならず、ほぼ全軍が来ると分かっていたようだな」


 感心した、というよりも呆れたような調子で、リィミィは言った。だがそこにはつい先日までの苛立ちや焦燥感というものは見えない。


「あぁ、こいつが教えてくれたからな」


 星舟は右目と顎で虜囚を示した。

 並の獣竜とでさえ渡り合うほどの武人といえど、銃口を突きつけられ、手の自由を奪われては抵抗もできず、従容とみずからの不覚を受け入れているようだった。

「はぁ、拙者が?」

 だが恒常子雲の眼にはなお叛意……というよりもふてぶてしさがあって、おどけたように小首をかしげた。


「お前、言ったよな? 『多少の兵力差があろうとも網草英悟ごときに独力で挑んで負けて良いはずはない』ってな」

「言いましたな、たしかに。……あぁ、なるほど」


 子雲は得心がいったように呻いた。

 そう、あの時点では、判明していなかった。

 奇襲の規模がどれほどのものなのか。率いる場合それは誰か。

 にも関わらずこの賢しらな男は、断言じみた調子で答えてしまった。

 だからこそ、知り得た。

 奇襲は敵陣営において確定していて、来るのは網草英悟の本隊、少なくとも自分たちの手勢より勝る兵力でだと。


「だが、どちらから来るかまではさすがに読めない。だからお前に選ばせた」

「なんとまぁ、汐津戦でも思っておりましたが、よくもまぁ意地汚くあれやこれやと悪知恵が思いつくものですな貴殿は」

「お前は、行儀が良過ぎたな」

 星舟は哂って言った。


「お前は実際に、本来であれば、間諜などまるで向かない折り目正しい侍の出なんだろうさ。だから生真面目に過ぎた。がっつり人の派閥に加わって扇動まで指揮していた奴が、不平も見せず積極的に協力する。いるわけねぇだろそんなもん。一方でオレは追手を騙す時は欲目を見せかけ、欲目を突いた。そこがオレとお前の違いだ」


 言われた子雲は、意外そうに瞳を丸くした。それは彼の素の表情であったのだろう。不審がる星舟と、しばし無言で見合う形となった。

 やがて、肩を上下させて笑い返した。


「失敬。そんなことは初めて言われたものでね。……ま、反省は今後に活かしましょう」

今後そんなものがあると思ってるのか?」


 リィミィは減らず口の内通者を捕捉した、自身の麾下の銃士に向けて手を挙げようとした。その手を、上から星舟は押さえた。


「まだ、それには役割がある。……連れていけ」


 同じく彼を捉える経堂にそう命じ、星舟はあらためて正面を向いた。

 すでに煙が立っているのが見えた。想像をわずかに超える速度でしだいに大きく濃くなっていくそれを見据え、配置につかせた。


「まずは稜線の死角より出鼻をくじく。余計なものを撃ってる暇はないぞ」


 丘といっても遮蔽物になるような高く太い樹木はない。よってそこに兵を伏せることはしなかった。

 配備された銃は最大七連射が可能だが、再装填は床尾より弾倉管を入れ替える必要があり、時間と手間がかかる。よって戦闘における役割としては単発銃に等しい。


 戦法としては一撃離脱が望ましく、より最善なのが不意を打たれた相手が作戦の失敗をその時点で悟り、帰ってくれることだ。


 やがて、敵が来た。射程に入った。

 星舟はその隻眼で以てその機を見澄まし、砲火の令を下した。


 最前に在って当座の銃弾を撃ち尽くし、朦朦と煙幕が垂れ込める。数穂先の視界をも塞ぐ。


「やったか?」

 新参の下士官が、張り詰めた声で誰にともなく問う。


 馬ァ鹿。星舟は銃声の残響に、そんな悪態を紛らす。銃弾を浴びせた敵側から悲鳴が上がっていないのは丸分かりではないか。


 そもそもはそれを言ってやれていた試しは、星舟の経験として一度とてない。どこぞの家老でもあるまいし。


 ややもして、煙幕が薄らぐ。戦の幕が上がる。

 そこには直立する兵の影があった。それらを守る簡易的な塁壁が並んでいた。

 てっきり一文字に討竜馬でもって斬り込んでくると予想、いや期待していたが、そこは読みを外した。

 そして数発の応射があり、前線の足元に幾つかが爆ぜた。


「転身!」


 退却だの後退だのと言えば、それが想定内の行動だとしても新兵は本当に崩れるかもしれない。そういう直感もあって、星舟は慎重に言葉を選んだ。

 逃げに、いや目標地点に行軍することに徹した軍は、瞬く間に有効射程外に至った。


 〜〜〜


 穴の開いた土嚢をなげうち、形勢を整える。制止も聞かずに先走った小藩兵が、何人か犠牲になった。


 英悟はその骸を冷ややかに見下ろしながら、部下に片付けさせる。


「読みが当たりましたな」

 側で声を弾ませたのは、泡河隆久という若武者だった。汐津藩より供出された与力の指揮官であり、家老の令料寺長範の妹婿である。


 ちょうど兄のような年頃の彼は、風当たりの強い中で少年の大将を、偏見なく立て、かつ自身が盾となってくれた。弥平を除けばこの陣中で信の置ける人物であった。


「当たり前だよ。あんな軽薄な輩の計なんて、最初から信じていない」


 そう平たく言い放った背後から弥平が顔を覗かせた。


「けどどうするんだ? こちらの動きが敵に露見してる以上、大事になる前に退くんだよな」

「この程度で退くぐらいなら、最初からここへは来ていない。すでに大半の敵が動いたのは見たじゃないか。残敵を正面から撃滅する。それまで退きはない」


 消極的な副将の意見を、英悟は一笑に付した。


「楽師さまから、深入りは避けろって言われたんじゃねぇのかよ」


 苦言を呈された瞬間、弾かれたように彼は友を、今までに向けたことのない目で顧みた。

 戦の前に交わした約定は、あの密室以外に誰にも図ったことがないことだった。

 その目を向けてから、その矛盾と失言に気がついたようだった。


「……あいつが、お前に言ったのか」

 つまりあの女は、副官に釘を刺したのだ。

 自分を信じず軽挙妄動、若輩の輩だと邪推した挙句、その頭越しに部隊の方針にさえ越権して口を挟みだした。


「あいつの送った奴の策が失敗したんだぞ? その上司であるあいつこそがこの露見の大元の原因だ! それなのに、安穏と都にいる女の機嫌をいちいち確認しなくちゃならないのか!?」


 そう赫怒した英悟の肩を、隆久が実際にも比喩としても持った。


「異国には賽は振られた、という言葉があります。深入りというのであれば、すでにこの状態がそうでしょう。……それに義兄の無念を、晴らしたい」


 本音は、最後の一言にあるのだろう。

 だが、正直なればこそ、復讐心といえどその想いが純なればこそ、この場の誰よりも頼もしかった。

 同調の意思を手を握り返す力に添えて、英悟は頷いた。


「すぐにその本懐は遂げられるさ。奴らが逃げたのは数の上でも大将の器量としても、正攻法では我々に遠く及ばないからだ。散々に星舟を破って、所詮あの女に人を見る目などないことを流花様に証明しようじゃないか」


 そう豪語して、若き英雄は愛馬にまたがり、その鐙を打った。

 今度こそ討竜馬隊、王都よりさらに借り受けた分を加えた二百騎を先頭に置き、彼らは追撃戦へと移ることとなった。

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