第十三話

「……ふん、なんという体たらくだ」


 カルラディオは東寄りの稜線の陰にあって、そう低く嗤った。

 星舟敗走。その報に触れての独語であった。


 敵の襲来から道筋まで読みきったは良し。だが悲しいかな人の身であるあの者の絵図は、おのれの手に届くところにはなかったということだ。


「いかが、なさいますか」

 自身の乳母の息子たる近従が、顔色と意向を伺った。

「しばらくは放っておけ。噛み合わせ、敵が消耗しきったところで丘を駆け下りて横を突く。それまで手出しは」

 カルラディオはそう命じかけて、思案する。いや、そういうおのれがあまりに悪意に満ちていたことを、軽く反省したといった方が正しい。


「……夏山殿から援けを求められれば、動く。それまではあの男がこの醜態をどう取り繕うのか見てやろうじゃないか」


 命令を改めると、露骨にほっとしたような気配があった。主に自分の供回りから。

 そこがカルラディオにとっては不満だった。

 これは亡父旧主の弔い戦ではないのか。そこに身命を擲つべく、お前たちも僕もここに来たのではないのか、と。

 今こうしているのは決して怯惰のためではない。ましてや行動それ自体は私怨によるものではない。戦機を逸しないための、静観であるはずだ。


 みずからにも再度、強く誓い直す。

 そして軍紀を引き締め直し、その機とやらを、夏山隊の危を、ひたすらに待った。

 その頭上を、雲がうねりながらゆっくりと、だが確実に速くなりながら流れていく。


〜〜〜


 おかしい、と英悟が思ったのは追走の最中だった。

 敵大将の姿が見えるほどの距離からこの戦は始まった。にも関わらず、今はその後備を捉えることさえできない。突き離されていると言って良い。


 そんな馬鹿な、と少年は思った。小さく声にしていたかもしれない。

 全兵でないにせよ、こちらは騎兵を抱えている。その速さで本来はとうに追いつき、竜のいない弱卒の群れなど散々に切り崩していないとおかしい。


 途中で道を逸れた? 待ち伏せ?

 自身の経験がそれらの可能性を否定する。

 出鼻こそ急襲されたが、それも難なく退けた。周辺に身を伏す場所などあろうはずもなく、あったとしても読みやすいはずだ。

 

 みずからが手本となって速度を上げると、ようやくそのカラクリが見えてきた。


 曲がり角にちらりとのぞいたのは、焦がした黍の髭がごとく茶色い体毛。風にあおられ浮き上がるそれは、まごうことなく馬の尾だった。


 鎧が鞍を打ち鳴らす。馬蹄が響く。地をめくり上げる。


「馬鹿な……っ!?」


 今度こそ英悟は確実に驚嘆を口にした。

 目視できる限りの騎兵の隊が、眼前にはあった。


 どういうことだ。討竜馬を用意できたというのか。自分たちでさえ持ち分だけでは隊として成り立たず借り受けたというのに、それを上回るだけの量を。


「違いますよ網草殿! あれはただの馬です!」


 追いついた隆久が鋭く声をあげて指弾した。

 なるほど確かに、落ち着きを取り戻して見れば、確かにいずれも鹿毛葦毛の不揃いなただの国産馬である。


「なるほどなぁ、確かに真竜種さえいなければ、ただの馬でもある程度は統御できるってわけか」


 馬蹄に混じって、弥平の感心するような呟きを聞いた。その方角を見ながら、英悟は舌打ちした。


 苛立ち、逸る己を理詰めの思考で律する。

 蓋を開けて見れば何のことはない。奴らは輸送用の駄馬を無理やりに引き立ててそれっぽく見せているだけだ。ただの虚仮威しだ。ひとたび真の軍馬がその尻に噛みつけば、情けなく四散するに違いない。

 それに山岳において生まれた討竜馬である。当然こういった場所は一般の馬より遥かに得手とするところだ。


 敵は計破れ、背を見せて逃げている。

 こちらは戦意たくましくそれを急追している。


 この圧倒的な事実を前にすれば、小手先の工夫などなんと些細なことか。なんと勝敗のあきらかなことか。

 捕捉必至、勝敗確定の戦いに、英悟はいくらか機嫌を持ち直した。


 そんな、矢先だった。

 敵が二つの流れに分かれた。

 主流はそのまま直進し、少数の部隊が東の丘陵へと駆け上っていく。


「好機到来! 今こそ報い与えん!」


 そう言わんばかりに、中遠藩兵の五百ほどが自軍からも分かれた。だが本音は少数かつ速度を落とした相手を敵とする方が楽に功を稼げるゆえであろう。


 伝使を遣って、いかにも虚栄心に満ちた白熊の部隊長に制止をかけたが、彼らは聞かなかった。そして英悟もあえては引き留めなかった。


 それが誘引であることは明白だった。

 そのうえで独断を咎めなかった。

 自分を軽んじる人間は苦境に陥って死ね。そんな心境だった。


 〜〜〜


 両陣の微妙な変化を、カルラディオ・ガールィエは化身は出来ずとも竜としての本能で嗅ぎ取っていた。

 だが、戦というものを未だ知らぬ少年竜は、その是非までは分からない。

 そこで偵察を放ち西部の様子を探らせると、果たして敗走中の第二連隊より副官のリィミィとやらが援けを求める使者としてこちらに来ているらしい。


「意外に音を上げるのが早いじゃないか」

 そう左右に語らった彼は、呆れと薄暗い悦びとともに床几より腰を上げた。

 だが、使い番の顔は、そんな大将の様子とは裏腹に曇りが見受けられた。

 なにかまずいものを吐き出すに吐き出せない。そんな苦みばしった表情に、カルラディオは眉をひそめた。


「わかっている。腐っても友軍だ。救援には出るさ」

「あの、いえ……そうではなく」


 どうやら彼は指揮官としての態度を咎めているわけではないようだ。

 別に起因するものから、何か気まずそうに視線をさまよわせているらしい。

 ややあって、舌を慎重げに動かして報告を続けた。


「……その、ですね。そのリィミィ殿の分隊を、一部の敵が追ってきています。というよりも、あからさまにこっちに誘導してきています」


 秋のうろこ雲が、彼らの頭上を流れていた。

 その狭間を舞う山鳥が、戦火から逃れるかのごとく必死に翼をはためかせて風に乗っていた。

 同じ風を孕んで、ガールィエ家の旗がはためく。


 そうだ、戦だ。今しているのは戦だ。

 戦況は、どうなっていたと言っていたか。

 たった今、なにかとても、とんでもない報せがもたらされていた気がする。


 そしてリィミィは救援を乞うべくやってきている。

 あからさまに、誘導している?


 ――敵が、迫っている?


「…………はぁんっ!?」


 赦してやる者の立場として、大将然と振る舞うよう努めていたカルラディオだったが、事態を悟るやその虚勢をかなぐり捨て、眼を剥き、上ずった頓狂な声をあげた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る