第十話

「敵は、東にて待ち受けるとのことです」


 網草英悟の陣中において、夜半の来訪者はあいさつもそこそこにそう切り出した。


「拙者が、そう仕向けました」

 その内間、恒常子雲は得意げに胸を反らす。


「あとは、貴殿が全兵をもって稜線を隠れ蓑に鳥竜の目をかいくぐり、西の道より敵の本陣を襲い備蓄を強襲し、返す刀で後背より彼の者らを仕留めればよろしい。そうなれば竜どももあえてこの地に留まろうとはせず、甲斐なく逃げ散るでしょう。そこを叩くもよし。その後の進退はお任せしますが、まぁここまででも充分に大勝と呼べる戦果でしょう」


 諮りもしないことを、ベラベラと論じる。

 おそらくはそれこそが彼の素であり、特別な意趣のない態度ではあるのだろう。むしろ好意的な助言ですらあろう。


 だがその端々にまで自信が満ちている。

 おのが才気に対する自負と自慢が溢れている。

 聞けば彼は、剣名で一地方を馳せた勇士であり、遍歴の後に藩主に迎え入れられたこともあるという。動向はともかく、その血筋も没落したとはいえ確かなものではあるらしい。


「あ、煙草吸ってもよろしいですかね。あちらだと品行方正で通っているものでね」


 僻目ではあるのかもしれない。その自覚はあった。

 だがそれでも彼の態度は、門地に依らず確たる血統ではない英悟たちからしてみれば、


 ――傲慢な

 としか思えなかった。

 歴とした武士としての矜持。自分たちのような成り上がりものを自然、下に見るように染みついた思考。そのすべてが。


「――身体にも障ると聞いたし臭いがつく。あんたもそれでは帰った時に結局怪しまれるんじゃないのか」

 友人の不機嫌を横目で感じ取ったのか、弥平はやや苦い口調で言った。


「あぁ、むろん沐浴をしてから帰りますのでご心配にはおよびません。あちらさんには偵察という口実で来ておりますので、帰りの道すがら乾きもしましょう」

 だが弥平による好意を、この不敵な男は意図せずふいにした。

 英悟の彼への嫌悪感は、さらに強いものとなった。


 弥平自身はさして気分を害した風はなく、ただ両者の顔色を盗み見ながら咳払いした。


「おや、どうやら遠慮したほうが良いご様子で」

 ようやくその目線の意図を察したらしいが、さほどその口ぶりに申し訳なさは感じられない。せいぜい取り出しかけていた牛皮を巻いた小箱を、ふたたび懐にしまう程度だった。


「で?」

 弥平は話を強引に本題へと戻していった。


「あんたの進言を容れると敵将が信じると思う、その根拠はなんだ?」

「一つに、拙者を信頼しきっていること。ことこの戦の進退においては、何をするにも副官のリィミィめを差し置き、拙者に頼る始末。そして拙者も、それによく応え、正答を導いてまいりました」

「一つに? 別の理由があるのかい」

「まぁ一つ目の理由と根は同じところにあるのですがね」


 ややひねくれた風にそう前置きしたうえで、鬚の下、肉付きの薄い唇がにやりと歪んだ。


夏山星舟アレは、夢に溺れています」


 ――夢に?

 自分たちの作戦行動以外に関わる情報以外は聞き流す気でいた英悟は、初めて耳と心を傾けた。


「左様。決して到達しえない絵空事。一笑だに値しない妄想。そのようなものを、あの者は信じている。いや、信じようとしている。それゆえに、天を見て星へ手を伸ばし、だが哀しいかな足下の影が見えていない」


 子雲に、かりそめに臣従した男への敬慕の念はまったく感じられない。

 彼は心底より、その敵将を侮蔑しているように感じられた。仮にその人物の偶像肖像が目下にあり、かつそれを踏めと命ぜられれば、この男は躊躇なくそれをやるだろう。


 ――だがどうしてこいつは……

 それを憎々しげにではなく、さも愉しそうに笑っているのだろう。


 ……同時に、よく知らない敵将の顔の代わりに、自分の愛する女王の貌が浮かび上がった。

 夢を嗤うこの男は而して、赤国流花の理想さえも腹の底で嘲っているのではないのかと。


「もう結構。頂戴した資料と合わせ、あとはこちらで吟味する。あなたは引き続き敵中で離間工作などして備えてもらえればいい」

 網草英悟はそう言って座を立った。

 ぎょっとした様子の副将を無視し、だがすぐにはその場を発つことはせず、冷ややかな眼差しを下ろした。


「念を押してあらためて問う。あなたは流花様に忠誠を誓っているか? 敵の妄執へと向けたその嘲笑は、僕らの夢へと向けられることはないのだろうね?」


 見上げ返した子雲の瞳は、すっと細められた。奥底の眼光に、濁りのようなものが生じた気がした。彼は深々と頭を下げて答えた。


「拙者ごときの下賤の者が、どうして陛下の大望を推し量り、異を唱えることなどできましょうや」


 その口ぶりには、先までのおふざけはなかった。礼を正して、まじめくさった調子ではあった。だがそこには境界線を引いて門を閉ざしたような、頑なな冷たさもあった。あるいは何かに対する諦観とも言って良い。


 その眼が、態度が、なおのこと気に食わなかった。


 ――奴らと同じ種のものだ。


 本来の事業もそこそこに、来るべきまさに今この時流のために、流花のため、その理想の役に立つために、勉学や鍛錬に励む自分を、哂った連中。


 見える場所、聞こえる位置で、直截にそれは絵空事だと断じた親族。

 迂遠にそれを諫め、かつくだらぬ田植えや来年のための籾を数えろと強いた小者ども。

 背後でその大道を知る努力さえせず、後ろで指を差した愚か者たち。


 ――彼女を、馬鹿にした奴ら。

 今まさにこの瞬間、過去に押し込めていた憎悪は現在対する男に対する心象と結合した。

 そして不必要だと感じつつも、奴の女上司――自分を大将に推さなかったあの楽師へと延びてつながる。


 これ以上交わす言葉もなく、英悟は陣所を出た。

 弥平は彼を追ってもろもろの気遣いや諌止をしたが、彼は止まらなかった。子雲は動かなかった。


 外ではさぁいよいよ竜どもめに一泡食わせるぞと、いままで弾圧されてきた小藩の志士たちが息巻くのが、こちらには直接的に向けられずとも感じられた。それが伝播したのか自身の本隊の討竜馬が嘶きの合唱をする。


 昏く、黒い衝動だと思う。

 だがそれは今、自分には必要なものだと英悟は直感した。


「討竜馬を出すぞ」


 そこで初めて、彼は友人の目を見、そして意思を表した。


「居残った夏山なんてものは、敵でさえない。僕らの敵は……哂う者たちだ」

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