第九話

「若様、共に初陣を飾りましょう!」

「旦那様の仇、討たせてくだせぇ」

「皆と気持ちは同じだ。このような戦によろしく頼む」


 —―父親からの脱却を求めながら、父親の影に縋ってやがる……

 待たされた宿舎の軒先でガールィエ義勇軍の『心温まる交流』を眺めながら、星舟はその矛盾を嗤った。


 対尾の戦で半壊に追い込まれた彼らである。恐らくは出征にあたっては、ブラジオ存命中は禁じ手であったであろう人を軍事力として徴発した。

 そうしなければ、軍隊として最低限の体裁さえ整わなかったことは容易に想像できる。


 そしてかくも無理を押して出なければいかなかったのは、揺らぐブラジオの旧臣に自分の力を証明するため。そうしなければ、家中の動揺に付け込みサガラの介入を招くため。


 いきさつとしては、その辺りか。

 故に星舟は目の前の茶番を嗤いこそすれ、少年が直面する如何ともし難く理不尽な状況を嘲りはしなかった。


 その彼が寄ってきたのは、ちょうど星舟が笑みを良質なものへ引き戻した直後だった。


「お待たせをいたしました」

 『牙』の代わりに佩いた軍刀が、かの新米当主のパンタロンの腿のあたりと擦れ合っていた。


「して、火急のご用向きと伺いましたが、何か敵に動きでも?」


 実際その情報がこちらに伝わっていれば、もうちょっと楽に段取りがつけられただろうに。そう悔やみながらも表情には出さず、黙礼したまま、かつ不審がられない程度の時間を使って思考する。

 なんと言って誤魔化すか。どう欺いて、望みを引き出すか。


 ……かつての卑しさに落ちそうになっていくおのれを、星舟は引き留めた。


「実は」

 リィミィが切り出そうとしたのを抑えて、彼は顔を上げた。


「出立の日、怠けます」

 そして星舟は、直裁に言うことを選んだ。


「……はい?」

 カルラディオ・ガールィエの繕い笑顔に、ぴしりとヒビが入る音を、確かに聞いた。


「結局何故か正攻法ということで一決しましたが、自分はそれでも敵は別働隊による横撃を仕掛けてくると踏んでいます。カルラディオ殿は後詰となっていますが、その相談役という名目で貴殿の指揮下に入れば、比較的動きやすくなり、準備も整えられる。明日その部署替えを本隊には伝えますが、カルラディオ殿におかれては事前の了承と、可能であればお口添えをしていただきたく」


「……根拠は?」

 笑みを彼なりに精一杯に留めながら、カルラディオは問い返した。

「敵が反攻を仕掛けてくるという、確たる証は、あるのですか」


 問われた星舟はあいまいな笑みで返した。

「ありやなきやと問われればありますが、今はまだなんとも」

 隣からリィミィの、正面からはカルラディオの、冷視が返ってくる。「どうせハッタリだろう」と言わんげに。

 ことカルラディオにおいては、昏い悦びのような笑みさえ口端に浮かばせていた。


「……なるほど」

 曰くありげに呟いたあと、悪意のにじむ笑みを浮かべて彼は言った。


「父の葬儀の時にシャロン様より叱責され、そして内治や外交においても評判が改まりつつあったのを聞き、自分が偏見を持って見ていたと反省したものですが…やはり当初のお噂の通りのお方だったようだ。父に対しても、あれやこれやと尤もらしく言って、惑わせたのですか」


 正直なところを思えば、目の前の少年にはおそらく、自分を糾弾する資格があると思う。あの敗戦にも、ブラジオの死にも、責任は間違いなく自分にある。何度振り返ってもその結論に行き着いた。


 だがここでは、あえてその心情とは真逆をいこうと、決めた。


「尤もらしく言い繕うのは、お互い様だ」


 場に、目には見えない霜が降りた。

 カルラディオの顔には、笑みが余裕とともに一気に引き、代わりにさっと怒りの朱が差していた。


「そりゃある程度は体裁や建前は必要だろうさ。けどあんたの言葉や態度の端々からはこっちへの悪意が露骨に透けてんだよ。むしろ容赦なく罵倒してくれたほうが、まだ気が楽ってなもんだ」

「隊長!」

 隣接するリィミィは、星舟を公的な呼称で諫めた。だがその腕を、星舟は振り払った。ここに来た目的、ひいては今後の活動を破綻させかねない発言を、流れをどう撤回するか。この明哲な頭脳は全力で回転しているに違いない。


 星舟は他人事のようにその板挟みに同情したが、あらためる気はなかった。


「……その真竜に対して礼を失した発言の数々、必ず報告させてもらう……!」

「誰にだ? ナテオ様か、それともサガラ様にか? ここまで来た甲斐があったようで何よりですな、これで怨敵を失脚せしめる口実ができたわけだ」

「……っ」

「理由は他にも色々だろうが、あわよくば、って考えてただろ?」


 カルラディオは驚きを隠さなかった。いや、隠せなかったと言った方が正しいか。

 若さのせいにするには片づけ切れない馬鹿正直さであった。


「ブラジオ殿は家長としては大樹と呼ぶに相応しい器であったと聞くが、ご子息の養育にはしくじったというわけか」

「見殺しにした貴様が父を愚弄するなぁ!」


 後ろ暗い打算を相手に指摘された羞恥が、自分はともかく亡父までも愚弄されたということが、カルラディオを再び凶行へと駆り立てた。


「父親を? 馬鹿言うな……っ、自分は、あんたを嗤ってるんだ」


 襟首に掴みかかるその細腕は、あの雨の日と同じく想像できないぐらいに強い。武器がなかろうと華奢な少年だろうと、竜なのだ。

 それを涼しい顔……だけは必死に取り繕いながら、星舟はその腕力を押し返した。


「……たしかに、自分とブラジオ様は反目することが多かった。互いに譲れぬもの、相容れないもの、理解より遠いものなどのほうが認め合うことよりも多く、通じ合うことは稀ではあった。だが少なくとも、自分はあの方の確たる美点を知っている」


 戦場においても出さないような渾身の力によって、カルラディオを押し返し、ずいと隻眼を寄せる。


「あの方は己の力を誇り、己の信念を貫き、己の言葉で語った。嫌悪し、偏見を持つにしても確実に己で見たものにそれを向けた。そしてそこに過ちがあれば、己の身でもってその責を負った。その点に関してだけは、自分は……オレはあの方に遠く及ばない。だが、その死を機に、その後塵を拝さんとしている」


 カルラディオの腕力が弱まった。力で圧されたのではなくて、気で圧された。


「オレはこの軍を勝たせたいと本気で思っている。いや、勝ってもらわなければ困る。そのためにオレは自分の判断を信じ、持つ限りの手札を擲つ。たとえあんた達に怯懦と罵られようとも、見込み違いであったにしても、その責を負う覚悟だ」

「口だけは、なんとでも言える。僕は協力しないぞ」

「良ければといっただろう。あんたの助力なしでもやる。告げ口でもなんでもやれ」


 重ねて、同じ論調で悪態をつく彼に対し、星舟はさもつまらなさげに鼻を鳴らした。


「自分を憎んで時が戻るというのなら好きにするがいいさ。むしろそうなるってんならこっちからお願いしたいくらいだね」


 吐き捨て、きびすを返して背を向ける。

 だが、と去り際に星舟は言った。


「別にブラジオ様の代わりをしろとは言わない。あんたにはあんたの都合や予定があるだろう。……が、今のあんたの振る舞いを見て亡きご尊父はどう思うかな?」


 返事はなかった。少年は、両腕を下げて項垂れるのみだった。

 その彼を慰めるかのように、家臣たちが取り巻いていくのを、去り際に見た。


「お前なぁ!」

 聞こえぬ距離になって、リィミィの虚飾のない叱責が飛んだ。

「本当に説得する気があったのか!?」

「良いんだよ。あいつは付け焼刃の馴れ合いでどうこうできない」


 それにリィミィは感情に任せた失敗と思っているだろうが、星舟の感情は、計算のうえで爆発させてみせたものだ。

 徹頭徹尾、カルラディオ・ガールィエという少年は夏山星舟という仇敵を憎んでいるし、その性質を忌み嫌っている。

 彼が右を向けば、カルラディオは左を向く。そういう情の烈しい若者であった。

 だがそれは逆を言えば、逆のことをすれば……カルラディオは星舟の案のとおりに行動してくれる。


 もちろんこれは空論に過ぎない。が、ヘタに媚びへつらうよりはいくらかは望みがあるし、性にも合っている。


「懐柔ができないのなら、逆の方向からあいつを操作するだけのことさ」

 そう毒づきながら、星舟はまたたく星空を見た。


「それに、目に見えるところに敵がいないと、あいつも迷うだろう」


 自分の判断の誤り、要所要所の甘さが、ブラジオをはじめ多くの者たちを死に追いやった。それはカルラディオの言うとおりだ。

 帝国を勝利せしめることなど、誰に託されずとも自分のためにやっている。

 なればこそ、彼の遺したものの憎まれ役を買って出ることで、その詫びとしよう。星舟はそう思っていた。


「だからって、露悪的に過ぎやしないか?」

 リィミィは呆れながら言った。

「ま、個人的にいけすかねぇのは事実だしな」

「その理由を教えてやろうか?」

「え?」

「いけすかないっていう理由だよ」


 リィミィは珍しくも皮肉げに、口端を持ち上げた。


「慇懃無礼で他者への蔑みや自身の虚栄心や誇りが透けて見える。普遍的な論調でもって相手を屈服させようとする……彼は、ブラジオ様でなくあんたに似ている。少し前のな」


 その評を、星舟は味の悪さを感じつつも聞き流すことにした。


 しばし沈黙して歩く彼らの前に、恭しく礼をする人間の男が迎えに現れた。


「恒常」

 またこいつか、とでも言いたげに副官は苦々しげにその名を呼ぶ。悪意は伝わっているだろうが、そのことを臆面に出さず子雲は先んじて言った。


「どうやら手応えがあったご様子で何よりです」

「おう。明日から早いぞ、今のうちに寝とけ」

「拙者は夢を貴殿に託しましたゆえ、眠るも醒めるも、貴殿の去就次第です」


 多少気障ったらしい言い回しだが、完璧な答辞。

 リィミィはその軽さを危惧しているようだが、星舟はその頭の巡りの速さを尊重していた。


「予定どおり敵を待ち受ける。丘陵の分かれ道、東西どちらから来ると思うか」


 星舟は恒常子雲に問うた。


「東側の方が比較的なだらかで、トルバを使うのであればそちらから来るでしょう。星舟殿、旭日のごとき勝利を」


 新たな副官が優美な響きでそう答えたことによって、星舟は自身の勝ちを確信した。

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