第八話

「おかしいだろ!? おかしくないか!? おかしないっすか!!」


 夏山星舟は憤っていた。

 心を交わす難しさに憤り、ままならぬ情勢に憤り、世の不条理に憤り、大いなる矛盾に憤っていた。

 放置しておけば世界そのものにさえ勢い余って喧嘩を売りそうであった。


「落ち着け。見苦しい」

 その様子を傍らで見守っていたリィミィは、機を見て冷ややかに嗜めた。


「ナテオ氏は今まで突撃によってのみ勝利を得てきた。その基本方針をにわかに変えがたいところがあるのだろう。いや、むしろ彼女たちにとっては戦場に立って吶喊することは、米は炊いて食うのと同じように、あって当然という工程なのかもしれない」

「その工程に巻き込まれて犬死にしろってのか!?」

「根回ししたんじゃなかったのか?」

「したさ! 家宰のブアルスゥにな! けどあいつそのことスッパリ抜け落ちたみたいに裸になってウォーウォー叫んでんだもん!」

「もんって……」


 黒髪を抱えるようにしてその場に蹲った青年を見て、リィミィはため息をこぼした。


「仕方ない。私がもう一度説得を」

「無視すればよろしいのでは?」


 提案を、何者かが遮った。

 陣幕の内に進入したのはこれ紳士然とした若さと老獪さの間にいるような、そんな人間だった。


「失礼。外にもお嘆きが聞こえて参りましたので」


 その優雅さもあってか、多少トゲがある言い回しでも嫌味には聞こえない。


「恒常」

 そして星舟は侵入者の姓を呼んだ。


「そもそもは議論できない相手と対話をしようとするのが間違いのもとなのです。意思の疎通が難しいのであれば、独自に動けばよろしいでしょう」

「ずいぶんな言いぐさだな、新入り」


 リィミィは彼を睨み据えた。

 彼が一度斉場繁久とともに挙兵に及ばんとしていたことは、その時討伐軍に参加していたリィミィの記憶に新しい。

 だがそんな因縁はおくびにも出さず、男は微笑みかけた。


「夏山殿は言うべきことは言いました。ならば次は、為すべきを為すが道理というものでしょう」

「言うのは勝手だが、無許可で軍を動かせばそれこそ罰を受ける」

「許可なら取ったでしょう。相手に正しく受け取ってもらえなかったというだけで」

「では何か? 本隊の援助はなしに第二連隊単独で、敵の別動隊に当たれと、そういうわけか?」

「はい」


 なんの臆面もなく、リィミィの皮肉を是ととり、新参者、恒常子雲は新たな上官の前に上体を回り込ませた。


「夏山殿。貴殿は人の上に立ち、そして竜を内より統率されるお方のはずだ。ならば、多少の兵力差があろうとも網草英悟ごときに独力で挑んで負けて良いはずはない。そのため方策も、貴殿の機知なれば容易に見出すことでしょう」


 子雲の弁は、すらすらと語られ躓くということがない。

 だがその流暢さはまるで、井戸水に毒を流し込むが響きに、リィミィには聞こえていた。


「まぁ、な」

 そしてまんざらでもなさそうに、星舟は機嫌を改めた。

 自身の寝床に腰を下ろすと、ぼんやりと天井を見上げていた。虚のような表情だった。しかし、やがてふっと口元を緩め、


「――なるほど、やってみるか」

 と、リィミィの方ではなく、子雲を視た。


「星舟!」

 諌止の声をあげる彼女に、星舟は肩をすくめた。

「わかってる。もう一度陳情するさ。今度は別方面からの根回しもして、出来る限りの援助も引き出す。それで良いな? 恒常」

「充分かと。出過ぎた真似をいたしました」

「いやいや。十分に役に立ったよ、ありがとう」


 珍しく率直に礼を言った星舟に、リィミィは少なからず衝撃を受けた。どうやらよほど、この人間のことを気に入っている様子だった。

 目礼とともに退出しようとする彼を、「あぁ」と星舟は一度呼び止めた。


「お前に一つだけ忠告しておくことがある」

「はい、なんでしょうか」

「オレらは主観の生き物だ。切り離せるものじゃない。だが、昨日までの敵に対して偏見は持つなよ。過剰な奢りや恐れがあったからこそ、今日にいたるまでの藩王国の凋落がある」

「心得ておきます」


 これまた、優雅にして淀みがない表情で頷き返し、恒常子雲は退室した。

 その足音と気配が自分たちの側から完全に切り離されたのを見計らい、リィミィは星舟に身を寄せた。


「ずいぶんと奴のことを気に入っているようだな」

「むしろオレの展望を想えば、人は積極的に重用してしかるべきだろ」

「その考えは賛同する。だが、他の連中との均衡も考えろ。いくらなんでも偏向が過ぎる。先達には経堂もいるだろう」


 本来であればここに無許可で立ち入ることも、あんな差別的な発言も咎められてしかるべきものだ。

 そう言いたかったが、それを遮るようにして星舟は尋ねた。


「なんかあいつに気になるところがあるのか?」

「……あるわけではないのが、逆に不安だ。あいつは今の今まで藩王国の旗頭を掴んで前線で我々と斬り結んでいたんだぞ? お前の命だって狙った。にも関わらず、今はそんな事実自体がなかったかのように、我々に従属している」

「そりゃ、オレの説得が効いたんだろうさ」


 むしろ目に見えるかたちで不審であったのは、浮足立った星舟当人の姿だ。

 こと、あの恒常子雲のことに対しての偶しぶりは、その前歴に比して異常ともとれた。

 ほぼ傭兵にも似た経堂の処遇は例外として、初めて有用な人間を得たというその歓喜ゆえか。脇の甘さは相変わらずだが、先ほどのような寛容さはともかくとして、ここ数日間は彼に物事の一切を諮りっぱなしだった。


「あいつは役に立つ」

 などと宣われれば、いかなリィミィとて苛立ちを抑えきれなかった。


「やはり、人間の方が親しみやすいのか?」


 その衝動が、決して言わなかった、言ってはならぬと自身に戒めていたことを、突き出させた。

 そして最後まで禁句とできなかった己を、リィミィは恥じた。これではまるで、駄々をこねる子どもではないか。


「……すまない。忘れてくれ」

 おとなに立ち返り、軍師もまた踵を返した。


 果たしてこの感情は、焦燥感は、公かそれとも私か。

 岐路に立たされているのは、変化を求められているのは、星舟のみでは、人のみではない。

 そんな当たり前のことは、とうに覚悟していたはずだった。むしろ、それをこそ望んでいたはずだった。


 だがそれをあらためて自らの心身を以て噛みしめる時が来たのかもしれない。


「……ま、何が言いたいのかはよくわからんが、今はやるべきことをやるとしよう」

 うつむくリィミィの肩を叩き、彼女を抜いて先に陣屋を出た。

「どこへ?」

 てっきり今日はそのままヤケ酒でもかっ食らって就寝すると思っていたリィミィは、怪訝そうに遠のくその背を見送った。


 星舟はため息をひとつこぼす。

 気鬱を隠さず答えて曰く。


「比較的に話の通じる方へ、騙すなら騙すなりに、最低限の筋を通しに」

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