第七話

 しばし、ふたりの若者は指揮官を仲立ちとするかのような立ち位置のまま睨み合っていた。


 まるで気心知れた仲だとでも思っているのか。ナテオはニコニコと彼らの横顔を微笑ましげに見守っていた。

 その鈍さは、シャロンを彷彿とさせた。


「……お久しぶりです、夏山殿」


 頭を下げたのは、意外にもカルラディオの方が先だった。


「その節は大変な無礼を働き、申し訳ありませんでした。今後はあのような狼狽を見せぬよう努めますゆえ、水に流していただきたく存じます」

「いえ……心中、お察しいたします」


 軽く位置を下げた白皙には、何の表情は浮かんではいなかった。言葉遣いは淀みがなく、論壇において発揮されたというその舌は非常に滑らかなものだった。

 いや、おそらくは感情を乗せてはいないからこそ、言の葉を載せた舌車はよく回るのだろう。

 対する星舟は、当たり障りなく、かつかけようもない言葉をかける素振りを見せながら朴訥に応じた。


「さぁさぁ、四方山話もありましょうが、皆さま席へ」


 流れを止めたのはナテオのはずなのだが、その彼女が、率先して陣内を進み、招き入れんとしていた。

 だが星舟はむしろ救われたような心地で、それに応じたのだった。


 〜〜〜


「それでは、僭越ながらこの夏山星舟が道中に集めた状況をもとに、敵方の動きを説明させていただきます」


 そう前置きをしたうえで、仮設の陣屋に集結した諸将を星舟は視た。

 数からして第二連隊が軍事行動の中核を成してはいるが、割合としてはナテオの傍系か傘下部族が多い。列席する顔ぶれは若くとも皆むさい男たちばかりである。


 磯と漢の臭いにむせ返りそうなのを咳払いでごまかしながら、星舟は主戦場となる八十八鶴川の一帯の地図を広げた。

 

 高い稜線が、東西を分断していた。

 南北を川が流れている。南が八十鶴、北が五十亀。八十鶴を越えてさらに南が橋頭堡建設予定地である比良坂。その山脈を水源地とする二川の水流はここに至ると穏やかなものだったが、深さがあった。

 無理に徒士で渡ることもできなくはないが、橋を渡ったほうが日常的にも軍事的にも賢明ではあるだろう。


「――敵は近頃頭角を見せた網草などという者を大将に据えて、周辺諸小藩を糾合。想定を超える進軍速度でもってすでに八十鶴川の南に堅牢な野戦陣地を構えています。このまま行けば、川を挟んでの対峙となりましょう」

「説明大義でしたわ、星舟殿」


 労いの言葉により、主導権と決定権はナテオに渡った。予想はしていた星舟は大人しく引き下がった。


「それでは戦場は八十鶴と定まりました。いざ、一挙して川を渡り勇を奮い、真っ向より突撃してこれを撃滅いたしましょうっ!」


 喚声があがる。

 かの大敗によって奪われた恨みを晴らさんという報腹心。直接的にその戦いに助勢できなかったという悔恨。

 それらが彼らの胸中に炎を熾し、突きあがった感情の奔流は気勢となって大気を震わせ、拳を天へと突き上げられた。ある者においては、興奮のあまり軍服を脱ぎ捨て隆起した上腕を晒すものさえいた。

 鳴りやまない轟雷のような鬨は、永久に続くものと思えてしまうほどに、止まることはおろか弱まることをも知らなかった。


 それに冷水を浴びせかけるのを覚悟のうえ、星舟は挙手をした。


「夏山殿? なにか」

「そのお覚悟はまことに見事なものです。ですが、戦場は別に設定すべきかと思います」


 具申せんとすると即座に、非難の声があがった。


「余計なことを言うでないわっ!」

「打ちっ殺すっど!?」


 ――結局、こうなるのか。

 激昂するナテオ配下の部将たちに、彼は辟易した。リィミィは上司を擁護すればより混迷するから押し黙り、カルラディオは露骨に星舟の苦境を無視した。

 いったい今までの根回しは何だったのかと問いたくなる。


 だが、そこで意外な流れが舞い込んできた。


「おやめなさい」

 当のナテオが、部下たちをたしなめた。朝さえずる鳥ような令嬢の声は、益荒男たちを一瞬で鎮めた。


「夏山殿は、我々のために骨折りくださいました。それに我が友、シャロン・トゥーチの一目置く方でもあります。その言は傾注に値しましょう」


 色彩の派手さに比して柔和な光を称えた眼差しが、星舟へと向けられる。絹をなぞるかのような手つきで、彼を促した。


「聞き入れてくださり、感謝いたします、ナテオ様」

 星舟は頭を下げて、そのうえで地図に指と目を移した。


「川を対峙しての戦いとなれば、自然渡河する側の足は鈍ります。そして仕掛ける側は我々なのです。敵はその地の利を活かし、水流に足を取られている我々を配置した銃砲で撃ち抜けば良い」


 今更兵法の初歩も初歩を説かねばならない我が身を内心で自嘲しながら、星舟は続けた。


「真竜に、そのような豆鉄砲が通じようか」

「では、その真竜がこの幕内にどれほどおられるのか」


 星舟は若干語気を強めて返した。反論した獣竜は、険しい顔を隠さなかった。


「私と、供回りの二名ほどのみです。あとは」


 率直にナテオはその手の内を披歴した。そのうえで、末席に座すカルラディオ少年を見た。


「夏山殿はすでにご承知のことですが、『鞘』が敵方に渡ったまま、ガールィエ家に戻ってきていません。よって僕は『鱗』を継承できていない」


 陣内から、憐憫と嘲笑の気配が漏れてくる。

 もっともそれは夏山側の与力からで、ツシキナルレ側からは彼が力を使えないからと差別するような空気はなかった。

 星舟としては、いかなる反応をも見せず、無視して淡々続けることだけだった。


「むろん、力づくでも突破はできるでしょう。ですが、今回は比良坂に要塞を築くことこそが目的なのです。後続の妨害も送られてきましょう。真竜の方々の投入は、長期戦向きではありません。そのためには、被害は最小限に抑えなければなりません」


 さらに、と彼は川の図柄をなぞりながら続けた。


「敵にはトルバを引具しています。渡河に時間をかければ、背後に回られ、退路を断たれる恐れがある。いやほぼ確実に別動隊を回り込ませるでしょう。真に警戒すべきは、そこです」


「それでは?」ナテオが問う。

 星舟の指は、図上を推移していく。


「交戦すべきは、この山脈の東側。まずは、我々が対岸へ攻勢を仕掛けます。その後あえて退却し、この地へと誘い込みます。皆々様はその尾根を挟んで西にてそれを待ち受け、鳥竜を斥候に出し逐次状況を更新。頃合いを見計らい南北より一挙に覆い包んで殲滅する。その後、無人となった対岸を悠々と渡れば良い」

「なるほど。つまり対尾の戦と同じことを今度はこちらより仕掛けると」

「ご明察、恐れ入ります」


 星舟はナテオの理解力に感謝した。

 ブラジオや他の武断の徒より若く温和な彼女は、やはり思考に柔軟性というものがあるのだろう。


「誘いに乗らねば?」

 カルラディオが異を唱える。

 当然の懸念であったから、星舟は難なく答えた。


「その時はあらためて攻勢を仕掛けます。一種の膠着状態を作り、そのうえでナテオ様の本隊が横槍を入れるもよし。あるいは別の地点より渡るもよし。ただし、第一の策より当然被害は大きくなります。それでも、正面からの突撃よりは遥かに被害を抑えられますが」

「カルラディオ殿のお考えは?」


 ナテオの一声で一同の視線が、ふたたび若き真竜へと注がれた。

 

「自ら矢面に立たんとする夏山殿のお志、まことお見事なものです。その心気を以て立てた策であれば、どうして僕のごとき新参者が意見出来ましょうか」


 感情というものを忘れたような心ない賛意だった。

 とにもかくにも一番厄介な相手から言質をとった星舟は、たしかな手応えとともにナテオへ言外に決断を求めた。


 美しい女竜は、決意と気品をもったその目で諸将を見渡し、


「これにて我らの心は定まりました」


 と明言し、強く机を叩いた。


「いざ、一挙して川を渡り勇を奮い、真っ向より突撃してこれを撃滅いたしましょうっ!」


 喚声があがる。

 かの大敗によって奪われた恨みを晴らさんという報腹心。直接的にその戦いに助勢できなかったという悔恨。

 それらが彼らの胸中に炎を熾し、突きあがった感情の奔流は気勢となって大気を震わせ、拳を天へと突き上げられた。ある者においては、興奮のあまり軍服を脱ぎ捨て鍛え抜かれた上半身を晒すものさえいた。

 鳴りやまない轟雷のような鬨は、永久に続くものと思えてしまうほどに、止まることはおろか弱まることをも知らなかった。


「……んん?」

 星舟は笑みのまま首を直角に曲げた。

 彼女の決定が自分の予想、あるいは希望と大きくかけ離れていたものであったがために、彼の思考能力は時を止めた。


 それから彼は周囲に断って中座した。

 陣屋より出る。花は一輪二輪とあるものの、基本的にはむさかったり無愛想な面を突き合わせた密閉された空間。そこから出た瞬間開放感が青年の鬱屈を浄化した。


 新鮮な秋風を肺腑いっぱいに吸い込むと、身体自体が入れ替わったかのようだった。小川の清水で顔を洗い、草原に腰を落として足を投げ出して蒼天を見上げる。鳶が円を描いて啼いていた。

 今まさに戦が起こるとは思えない、長閑さであった。


 ――雲の流れが、速い。

 そのことによって逆に星舟は、今まで多忙に生きてきたことを自覚した。


 自分に本当に必要だったのは地位でも名誉でも権力でもなく、こういった心身を安らがせる時間だったのかもしれない。


 ふっと息を漏らした。陽光に目を細め、思わず呟く。

「おっかしいなぁ……オレ、聞き間違えたのかな。やっぱ疲れてんのかなぁ……」


 そうだ。そうに違いない。

 あるいは自分の言い方がきっと誤解を招いたのだろう。

 そうでなければ、どう考えても流れがおかしすぎる。


 反省した星舟が戻ると、雄叫びはまだ続いていた。


「あのー……あのー」


 星舟はあらためて自分の意見を聞いてもらうべく声を張り上げた。

 ジロリ、と胡乱げな目線が、彼へと集中した。


「良いところなのに、誰じゃわぬしはっ!」

「打ちっ殺すっど!?」


 どこかで聞いたような脅し文句を、また同じ竜が叫んだ。というか、誰何したのもさっき食いついてきたのと同一獣竜だったはずだが……


「夏山殿、何か意見が?」

 気品だけはあるナテオが、優しげに声をかけてくれた。こうして見ると、この陣中においてまっとうな竜に見える。


「攻めます。退きます。そして囲みます」


 やはり自分に何かしらの過失があったのだと、星舟は思い直しつつ、今度は指でしっかりと図面の地点を示して、簡略に説明した。それこそ、バカにしてるのかと言われても仕方ないぐらいに。


「なるほど。つまり攻勢は一時的なもので、あえて退却して敵を誘い込み、山陰よりの伏兵で包囲殲滅せんと。かつての対尾のごとく。そういうことですわね」

「え、いやだからさっきそう説明し……全くもってその通りです。はい」


 やはり理解をしてくれていたので、これ以上は余計なことは言うまい。


「これにて我らの心は定まりました」

 机を叩いてナテオは強く宣言した。


「いざ、一挙して川を渡り勇を奮い、真っ向より突撃してこれを撃滅いたしましょうっ!」


 喚声があがる。

 かの大敗によって奪われた恨みを晴らさんという報腹心。直接的にその戦いに助勢できなかったという悔恨。

 それらが彼らの胸中に炎を熾し、突きあがった感情の奔流は気勢となって大気を震わせ、拳を天へと突き上げられた。ある者においては、興奮のあまり軍服を脱ぎ捨て素っ裸になる者さえいた。

 鳴りやまない轟雷のような鬨は、永久に続くものと思えてしまうほどに、止まることはおろか弱まることをも知らなかった。


 ――星舟は生暖かい眼差しで、それを見届けるほかなかった。


 〜〜〜


「あいつらバカしかいねぇぞッッッ!!」

 ――その夜、彼は自陣にて椅子を蹴り飛ばした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る