第六話
戦を目前にして、夏山星舟は憔悴しきっていた。
「カヤマ兄さん!」
開けっぴろげた口腔からははぁはぁと息も絶え絶えに喘ぎ声が漏れ聞こえ、白眼を剥き、ただでさえツヤに欠ける黒髪は痩せて光を失っていた。頬はこけて、若干細まった両腕を膝の上に投げ出し肩は完全に陣所の壁に委ね、指先が小刻みに震えている。
そんなザマで、軍監としての役務を果たすべく彼とその部隊は国境にいたっていた。
「なんだ、その珍妙な呼び方は……」
彼に代わって雑務を代行していた副官のリィミィが、上官の惨状に思わずクララボンが放った一声に不審を示した。
「いやぁ、なんとなしに言わずにはいられなかったもので。そいで、どうしたんです大将は?」
「どうしたもこうしたもあるかいな」
土臭い言い回しとともに消耗しきった星舟が、苦り切った表情で部下を睨んだ。
瞼を落とせばすぐに、まざまざと、ここに至る道程の労苦とサガラへの憎悪が蘇る。
種や身分を超えた共同作業と言えば聞こえは良いが、実際はほぼサガラ独断の選抜によって、侵攻軍の編成は行われた。
もちろん意見を言う機会はあったが、その内情の多く、とりわけ軍団としての質や強度を知っているのは父に従い中央に赴き、長く軍務の中枢に携わっていたサガラなのだから、自然主導権を握られることになったのだ。
まぁ、それは良い。ある程度は覚悟していたことだ。
だが、
「おやおやこいつは……」
と思わせぶりに口端を吊り上げたかと思えば、サガラはポイとその名簿ごとに『可』の箱に投じ、
「あっちゃさすがに彼らは」
と苦笑い。だがその手は、迷いなく『可』の箱へ。
「下手したら死ぬわコレ」
と嘆きながらも、ポイと採用。
そしてそれら一連のながらは、これ見よがしに星舟の眼前で行われ、星舟は表情筋を笑顔の状態で固定したまま見送るしかなかった。
何も言えなかった。それ以外の表情を出せなかった。もし一度でも動じれば、一気に感情を爆発させて東方領主に殴りかかってしまう己の姿が、容易に想像できるからだった。
結果として出来上がったのは新進気鋭、大胆な抜擢とは名ばかりの悪性と素人の煮こごりだ。
家が取り潰された無頼上がり。自分たちの惣領が先の戦が死に、その報復と名誉回復のために名乗り出た副将。閑職に追いやられた藩王国の元小役人。
装備は各自持ち寄り、都合してくれたのは農耕用のを急ごしらえで軍馬に仕上げたのと、弾薬のみ。
それを兵力として強引に運用し、ここまで来た。
やれ宿をとればどっちが先に場所を取るかで揉め、差配の手違いで宿帳から漏れた狼藉者が拗ねて街中で炬火を焚いて野営を始める。
出立すれば間もないうちに過去の遺恨を引き合いに出して騒ぎを起こし、親の仇を見つけただとかで刃傷沙汰にまで発展する。
一生分の人情物語と悲喜劇を体験しながら、ようやく彼の率いる不良債権、不渡り手形の集合体のごとき一団は本隊との合流地点へ到達した。
本来の日時よりかはいくらかは早いが、それでも星舟が目指した予定よりもずっと遅れている。
「心中は十分に察するが、せめて顔色に出すな。ただでさえ乱れた結束をあんたがまとめずしてどうする」
「そうですって、ほら軍物語にもよくあるじゃあないですか。こういうあぶれものたちがこう、歴史的な功績を立てるとか」
「講談本の読み過ぎだ。余計に目と頭を悪くするぞ」
リィミィの苦言は聞き流し、クララの諭しには辛辣な皮肉を返す。
そんな星舟の満身創痍を前に肩をすくめながら、クララボンは浮上した疑問を主将ではなく、副将へと向けた。
「でも、大将が大将じゃないんすね」
聞く人によれば混乱しそうな問いかけの意図を正確に読み取って、リィミィはすらりと答えた。
「さすがに人が牛耳を執れば、よほどの異常事態がなければカドが立つ。そこで一応は目的地に比較的近い豪族の中でもっとも勢力が強く、精強な家が択ばれた。それが
真竜種特有の舌を噛みそうな名をよどみなく挙げると、クララボンは不思議そうに近眼をすがめた。
「なんか聞いたことない名前ですね。対尾戦に参加してました?」
「元は南方領の所属だったが、ラグナグムス家の弱体化をきっかけにトゥーチ家の与力に所領ごと配置換えされた。最近まで病死した先代の喪に服していたから、例の戦には参加していない」
少し身を休めたことによってなんとか気分を最底辺から持ち直した星舟が、リィミィの代弁を引き継いだ。
もっともその手続きには悪辣かつ強引なサガラの暗躍があったことを、星舟は知っていたがあえてそれを持ち出す気にはならなかった。
「だが、本来は攻め気が強い陸戦担当だ。家格としても問題はない。八十鶴においてもその姓を耳にしただけで顔色を変える奴もいる程度にはな。何よりオレにも借りがある。故ブラジオ・ガールイェ殿ほど手は焼かないはずだ」
「借り?」
「例の財務調査の件はツシキナルレからも持ちかけられていてな。先代の遺産相続で揉めていたところを、丸くまとめてやった。ご当代直々に感謝状もいただいたよ」
合縁奇縁とも言うべきか。まさかその一件がこの戦に結びつくとは当時予想だにしていなかったが、おかげでサガラに気取られることなく希望をねじ込むことができた。
あるいは、アルジュナはそこまでわかっていて、自分に任を与えたということか。
――まさかな。
星舟は自身の妄想を哂った。なぜ人の、それも腹に一物を抱えた野心家の立場に、真竜種たるあの方が斟酌せねばならないのか。
その時、風に乗って潮が鼻先まで運ばれてきた気がした。
磯風は周囲の寒気を運び、その源なる力の余波を運び、それまで博打や腰兵糧を食んだりしていた彼らの手を上げ、口を閉ざさせ、背を伸ばして立ち上がらせ、そして目を向けさせた。
それは異常ともとれる集団だった。いや、竜全体のことを思えば、星舟隊が異物ではあるのだが。
白無垢にも似た色と質を持つ生地に浅葱の線をほどこした、海賊や廻船商のような風さえある独特の軍服は、波紋の旗印は、南方領のもの。義理立てか、それとも東方領のものに着替えるには仕立てが足りていなかったのか。
その千人を超す彼ら一体一体が、士と呼ぶに足る威風と体格を備えていた。
そして蒸し返るような男くささの中心に、可憐な花が一輪。
青みを帯びた長い髪。香料と椿の油で整えた前髪の奥には、燃えるような真紅の瞳。日焼けとは無縁とでも言いたげな白い肌を肩の半ばまでさらしているが、不思議と煽情の気はなく、むしろ巫女にも似た神気を宿している。
「その片目……まぁ! それでは貴方が、夏山星舟殿」
手を合わせ、悠然と笑む。
星舟はたおやかな妙齢の美女を前に、固まった。
「もしや、貴方様が……?」
「あぁ、書簡でのやりとりのみでしたものね。申し遅れました。私がナテオ・ツシキナルレ。今回の総大将の栄に浴すものです」
星舟はすぐさま礼を拝した。なまじ知った気になっていたことが裏目に出て、反応が遅れてしまった。
――まったく竜の名前ってのは……
その
感謝状の筆跡が男性のものだったのは、祐筆にでも任せていたゆえか。
もっとも、向こう側からすれば人の名前こそがそうなのかもしれないが。
だが、面と向かえばいやでもわかる。
おそらくは腰に一本の曲刀を差しただけのこの女が、この益良雄たちで構成された武装集団の中でもっとも、勁いということに。
「醜態をお見せし、申し訳ありませんでした」
「刻限より一日早いご到着ですもの。休めるときに休むことは、悪いことではありませんわ」
「それでも早いに越したことはありません。すでに敵は我らの侵攻を気取り、待ち構えていましょう。さっそく軍議を」
そう言って本営に招こうとする星舟の袖を、ナテオの指先がつまみ上げた。
「……なんでしょうか?」
女性の過度な接触には多少の慣れがある。
さほど動揺もなく立ち止まって振り返る星舟に、女竜は微笑みかけた。
「もうお一方、お呼びしても?」
典雅さを失わない程度の茶目っ気を見せて口元をほころばせる彼女に、
「……むろんこの場におられる諸将にもご参加いただきますが」
と答える。公平さは、失われていないはずだった。
「実はほかに、どうしても参戦したいという方がおられまして、私に話を持ち掛けていただいたのですよ」
また、毛色の違う軍が寺院内に進入した。
星舟は、その軍旗と、それとは別に打ち立てられた肖像の絵柄を見て、顔色を変じさせた。ツシキナルレ家の現当主が女性であったことの衝撃など、一瞬で塗り替えられた。
「その方が亡きお父上から継承した軍の消耗は、補填しきれてはいません。ですが、それを押してお父上に報いるべく、参陣した次第したいと。それこそが、御尊父に対しうる服喪となると」
その旗の下に集う将兵は、かつての真竜と獣竜が少なく、人の数が増えている。
古色蒼然としていた軍装も、真新しいものへと換えられていた。
まったくその色相の変化させその部隊において、先頭を行く者には見覚えがあった。
橙果の瞳、髪は亡父からたしかに受け継がれていた。
だがその骨細の肉体は、反して似ていなかった。やや持て余した軍服の袖周りをまくり上げて、その真竜の少年は星舟と相対した。
――あの雨の葬式と同じように、星舟を睨み上げて。
「すでに面識があるとは思いますが、あらためてお引き合わせしましょう。カルラディオ・ガールィエ殿。ブラジオ閣下のご子息で、このたび正式にガールィエ家当主となられた御仁ですわ」
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