第五話

 言った。言ってしまった。

 英悟は自らの厚顔を恥じるように伏せた。


 だがもはや後には退けない。語気をより一層に強め、床に額をつけて願い出た。


「お預かりしている騎兵隊もすでに円熟していて、実戦にも出られる状態に仕上がっています! それをご承知で僕をここにお呼びになったと信じています!」


 反応はなかった。

 英悟は神を仰ぐような心地で、恐る恐る顔を持ち上げた。

 そこにあったのはかすかな驚きだった。だがそれは英悟の勇を称えるたぐいの、前向きな驚き方ではなく、初めてからがそこに彼がいたことに気づいたかのような、無関心からくる軽いものだった。


 困ったように、流花は苦笑した。


「貴様がよく調練に励んでいることはわかっているともさ。もとより貴様の参戦は決定している」

「だったら……!」

「だがあくまで、先遣と助攻としてだ。まだ迎撃部隊すべては委ねられん」


 思いもよらない発言だった。

 彼女こそは、自分の想いならず手腕も見てくれていると思っていた。それゆえの厚遇なのだと。

 ゆくゆくはその右腕として支えることになるにせよ、せめてこの程度の戦の、指揮権ぐらいは与えてくれると。


 どうやら図らずして、目つきは剣呑なものになっていたらしい。女王はわずかに目を眇めて首を傾けてみせた。


「いや、余としては任せても十分に任に耐えうるとは思っているのだがな。そこなカミンレイが譲らんのだ」


 視線を三方より注がれた楽師は、迷惑そうな顔で答えた。


「網草殿はまだお若く、経験も実績も浅いですから。周辺諸公との連携もとらねばならない以上、その指揮官には位格が求められます」

「おいおい、その点で論ずれば、貴様や余こそ最たる破格であろうよ」

「それはそれ、これはこれ。例外は多発させるものではないでしょう」


 まるで自分に都合が悪くなると正論や権利を振りかざす母親のように、カミンレイは半ば暴論でもって指摘を跳ね除けた。


「だからこそ、その箔をつけるためにも今回の戦を任せて良いと余は思っているのだがな。相手も子竜ともなれば、これほど狩り初めに適した場もないと」


 そう言ってかすかに咎めるような目線と口調で、女王は言う。

 英悟は安堵した。やはり、彼女は自分の味方で、忘れていたわけではなかったのだと。


 ――あえてその敵を捜すともなれば……

 そして少年は、ちらりと異邦人の取り澄ました横顔を盗み見た。

 彼がカミンレイたち外人将士に不信感と反発をわずかに抱いたのは、この瞬間が初めてであったのかもしれない。


「カミンレイさんは、僕に何か不安なことがあるのですか?」


 敬愛すべき流花の王声に追従するかたちで、永悟は畳みかけた。

 対するカミンレイは、涼やかにそれをあしらったのみだった。


「貴方自身に不安なことなどないですよ」

 感情の乗らない弁解。そのうえで「ただ」と言い添える。

「貴方や他の者に比して、夏山星舟は幾多の戦地を乗り越えてきた男です。あなたのような正道を行くものにとっては、これほどやりにくい人間もいないでしょう」

「また夏山か。あの程度の男など、我が王国に掃いて捨てるぐらいいるだろうに。酔狂なことだ」


 また、彼女らの口からその名が挙がる。今まで自分の名は、呼ばれていないというのに。

 その者は英悟が封地を与えられたあの日、暴論と強弁をもって不遜にも人類の救済者たるこの流花を貶めたという。

 そして英悟自身もまた、彼とは袖が触れる程度の縁を持っていた。


「……それって、なんか竜に積極的に与しているっていう片目のヤツですよね。この間の戦でやり合いましたけど、流花様の仰せのとおり、そんな凄い力は持ってるように見えなかったですよ」

「お味方に霜月公がおられましたから」


 カミンレイは冷たく言い放つ。

 もしや、という想像が少年の脳裏で掠めた。

 星舟のごときはあくまで口実で、実際は自分に功績を立てられるのを忌避してのことではないかと……。


 首を、振る。

 それは邪推というものだった。あってはならない妄想だった。

 稀代の名君の下に一挙団結して暗黒の時代を終焉させんとする最中に、よもや我欲をもって背信する者がいるなどということは。


 カミンレイ女史の心底はともかくとしても、彼女の一存をもって諦めるわけにはいかない。

 ようやく、気の狂うような忍従と努力の果てに、ようやく。

 心焦がれていたあの時の娘と再会し、想いを遂げることができるというのに。


「どうかお願いします! どうか僕に、雄飛の刻をください!」


 次の瞬間とった英悟の礼は、海境の内外に礼を見ない、奇妙なものだった。


 じんわりと汗をにじませたみずからの懐に手をやり、もう片方の手は敷かれた絨毯を獣のようにつかみ、肩を震わせ顔を伏せる。客観的に見ればそれは突然の発作で苦しむ人にも見えただろう。

 だが彼の容体を気遣うような人間は、この密室にはいなかった。

 その恰好の真意を知るのはおのれひとりだと、英悟は思っていた。


「その懐にあるのか。例の簪」


 ――そのつもりで、いたのに。

 あの時の少女は、その彼の胸に秘めていたものを、感情を、何一つ読み違えることなく言い当てた。

 英悟は弾かれたように目を上げた。

 そこには女王の、面はゆげに目を細めた表情があった。


 英悟は泣きたくなった。いや、実際知覚しないままに、熱した頬に涙は流れていたのかもしれなかった。


 流花の言のとおり、あの祭りの晩、彼女と心を通わせた証である蘭蕉の簪は、丁寧に管理され油紙に包まれて、一切曇ることなく少年の胸の内にあった。

 そして彼らの想念もまた、同様に美しい輝きを保っていたと、少年は自覚した。


「カミン」

 女王は略称で、軍師の名を呼ぶ。

「華を持たせてやれ」

 その一言だけで彼女には、主君の言わんとしたことと、解したようだった。

 少々億劫そうに肯じた彼女は、いくつかの条件の提示とともについに折れたようだった。


 ひとつは周囲とよく推し量って事を推し進めること。

 ひとつは防衛戦であるゆえに、深追い深入りは無用のこと。

 ひとつは討竜馬のみを決して恃みとしないこと。

 ひとつは夏山隊に恒常なる内通者がいる。彼には話を通しておくのでなんとかその男と連絡をとり、情報を冷静に精査したうえで敵や目的を見誤らないように。


 等々、大小の様々な注文をつけたが、それを二つ返事で英悟が呑めば、それ以上は何も言わなかった。


 かくして討竜馬を中核とする新進気鋭の戦力は、英悟の帰還と同時にすぐさま召集され、救援の求めに応じて意気揚々と自領を出たのだった。

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