第二話

 新政庁は、碧納の駅舎より二十吉路北に建てられていた。

 夏の日差しも盛りを越えたその日、星舟は始めて憎き男の居城に足を踏み入れた。


 せいぜい美観を失わない程度の深堀と高い垣根が伸び上がっているだけで、防衛機構らしいものはいない。殊に、白兵戦きったはったを想定さえしていない。

 ともすれば、背後に控える南新山の連峰が最大の要害と言えただろう。


「真正面から竜の居城を攻められるならば来い」ということか。あるいは「ここまで攻めこられたのならそもそも詰んでるわ」ということか。前後いずれを向いていたとしても、思い切りが良い。


 枡形のような角張った外観は赤く黒く塗装され、いかにもサガラ好みといったところだろう。アルジュナの愛した白は、そこにはない。


 敷地に入ると番所に用向きを伝え、それからすぐに執務室へと通された。


 部屋が狭く見えるのは、そこを埋め尽くす膨大な資料ゆえだろう。すべての政戦の略が、この一室に集結していた。


「久しぶりだねぇ、星舟」


 片手間に書類に決裁を下しながら、その部屋と、そして東方領の主は親しげに声をかけた。


「どうだ、つつがなく暮らしてるかい」

「は。サガラ様のご活躍もあり、六ッ矢は安穏としております」


 肋骨を開くようにして反り返って、星舟は答えた。


「なるほど。シャロンが力を使ったことが些事とは恐れ入る」

 その彼の秘中の秘をあっさりと暴き、サガラは意地悪気に嗤った。


「謀反人ども相手に、使ったんだって? まぁお前が止めたらしいけど」

「……誰から、それを?」

「さぁて、紫の君とでも言っておこうか」


 ――やってくれたな、あの女狐。


 それがグエンギィであることは疑念を一考するまでもなかった。

 彼女とて、今回は星舟奪還に動かざるをえなかったとはいえ、本格的にサガラの敵対派閥に属するわけにはいかなかったのだろう。そこで、彼自身にも情報提供者として恩を売ることにしたというわけか。

 あえてコトの順序を入れ替えたのは、そのグエンギィなりの温情ゆえか。


 その苦境と選択は理解するが、それでも一言ぐらい諮ってくれて良いものではないかと思う。そこに食えない女狐の、底意地の悪さを感じさせた。


「別段、サガラ様にお伝えすることもなかろうかと思いまして」

 頬を強張らせせながら、星舟は言った。


「ただ、訂正をさせていただきますと、オレがその賊徒ども相手にてこずったゆえに、そのふがいなさゆえにシャロン様が力を使わざるをえない状況に陥ってしまったわけです」

「へぇ、言い分が違うねぇ」

「その『彼女』なりに、気を回した結果でしょう」

「ふぅん、そうなんだ。……あぁ、そうなんだ」


 たとえ虚言であろうと真実であろうと、シャロンを貶める真似は星舟には出来かねた。

 それはそれとしてグエンギィの掛けた梯子は取り外した。


「まぁ呼びつけた理由はそれじゃないよ。わかってるだろう」

「先に提出した案の件ですか」


 サガラは席から立って頷いた。

 部屋の余裕のなさのためか、心理的な重圧によるものか。

 彼の姿が、かつてより大きく見える。いや、自分が矮小なのか。

 星舟は気取られないようにそれとなく背を反り直した。


「そ。再侵攻計画。時期的にそろそろ勝負に出て良いとは俺も思ってた。けど、何故比良坂ひらさかなんだ? そこんとこを、お前の口から直接聞きたくてね」

「はい。まず理由としては」

「待った」


 木壁に手をつきながら、逆の腕でサガラは制止をかける。


「これがあったほうが、分かりやすい」


 そう言うや、不審がる星舟の前で壁の一部を、サガラ自身の目線の高さにある部位を強く押し込んだ。するとその奥で何かが噛み合う音がした。内蔵されていたバネが作動し、壁の中から土と苔の山が滑車に運ばれて現れた。


 いや、それはただの適当に盛られた土塊ではない。この政庁の模型を中心とした、山岳や丘陵の高低さえ形にした、一帯の縮図だった。


「良いだろう? 特注で造らせた」

「良いですねぇ!」


 サガラは本当に自慢げだった。そして星舟も、いつものようなおべっかではなく本心から羨んだ。

 だが、はしゃいでばかりもいられない。そんな自分を戒め、恥じるように星舟は咳で浮ついた空気を払った。


「比良坂に橋頭堡を設け、敵を圧迫する。それがお前の策の概要だったな」

「はい、理由の第一としては、士気高揚。サガラ様の奮闘のおかげもあって、戦線は五分の状態で維持できています。しかしそのままで済むわけではない。時間が経てば、それだけ先の反乱のような有象無象の出現を許してしまうことになる。そうさせないために、敵味方に知らしめるべきです。あんな大敗は、大勝は、二度起きるものではないのだと」

「で、それで何故ここを選んだ?」


 黒竜は模型の縁に腰かけた。

 指で、自身の居城をなぞり、山を抜け、東にある平地を示した。


「お前なら当然気づいていると思うけど、俺は今、海を取ることに執心している。海路による流通こそが奴らの生命線だからだ。で、お前これが海につながっているように見えるわけ?」


 比良坂と名付けられた地の近く、川筋に見立てたとおぼしき空堀がいくつも枝分かれしている。

 だが、海にたどり着く前にそれらはさらに分化し、細まっている。原寸大に戻しても、とうてい商船や軍艦が通過できそうになかった。


 その問いは、星舟にとっても考慮済みのことだった。


「はい。そこで第二の理由となるわけですが、ここが七尾より遠いからです。彼らが到着するまでに奪い取れる算段が高い」

「なるほど? 拾える勝ちだけ、拾いたいってことか」

「えぇ、サガラ様と同様に」


 サガラは少しだけ目を眇め、表面上は笑ってみせた。


「第三に、この碧納と南方領主ラグナグムス家の連携を密とするため。かの家はご当主が討死され混乱の真っ只中といえど、潮の流れを知る方々。海を鎮守するとなれば、その網は多きに越したことはないでしょう。……この碧納に居を構えたのは、それも理由だと思いましたが?」


 星舟はあえて正答をしなかった。

 そもそもサガラの思惑として、ラグナグムス家と手を取り合うためにここに移ったわけではない。むしろ混乱に乗じて、その技術力と権益を蚕食しようという肚であることは明確だった。


 とはいえ直接それを口にすることは、さすがにサガラの厚顔であっても出来かねるのだろう。


「まぁ、そうだね」


 と言ったきりだった。

 星舟もそれ以上は踏み込まず、自身の話を優先させた。


「第四に、その海路の圧迫」


 ほう? とサガラは目の色を改めた。


「そこは忘れていなかったわけか。で、陸を抑えることがどうして海を封鎖することにつながる?」


 興味と悪意が入り混じった調子で問いかける上司に、よどみなく星舟は指で街道筋を追いながら応じた。


「確かに物は海によって輸出され、異国にそれを売ることで富を得ています。しかしながら、輸出されるべき銀や良質の鉄は鉱山より採掘され、絹にしても多くは山郷からです」

「まぁ、銀や絹が貝から出てきたって話は聞かないしな」


 サガラの笑えもしない諧謔は、聞かなかったことにして流した。


「主だった経路はふたつ。我々も身をもって知っている、対尾以西のあの隘路。そしてこの比良坂。そして主に用いられるのは後者です。そこを抑えれば、港はあろうと売り物はなくなる。兵の動員にも遅滞が生じる。七尾にも独自の山道が存在すると聞きますが、あくまで風聞の域ですし、七尾に血管を握られることをあの女王は良しとしないでしょう」


 ふぅむ。へぇ。なるほどねぇ……などと。

 星舟が熱弁をふるう合間にもサガラは実態のない愛想笑いを浮かべて首肯を反復させるばかりだった。


 そして聞き終えて、星舟の息が整うのを待って、それからようやく意見を発した。


「ていうかそれ、ただの嫌がらせじゃない?」


 ――すさまじく、雑にまとめられた。


「いやだって、そうでしょ? 士気にせよ七尾にせよ、連携にせよ輸送路にせよ。要するにそういうことだよね。どの観点から見ても決定的だとか大打撃ってわけでもないし」

「そ、それを言われてはそもそも身も蓋もありませんが……せめて遅滞行動とか妨害作戦とか言ってもらえませんか」


 まさか手柄が立てたいから半ば無理を承知で献策しましたとは言うわけにもいかず、星舟は答えに窮した。

 だが次の瞬間、


「それで? いつから始める? まぁどのみち時間がない。編成を今から練るぞ」


 サガラは腰を持ち上げ、座席の背後の資料を漁り始めた。

 え、と星舟は意外の念に駆られた。直前まで、迂遠に断る兆候しかそこに見受けられなかったではないか。


「なんだよ、まさか取り下げるとでも思ってたのか? だったらグルルガンでも寄越せば済む話でしょ?」

 まるで背後に目がついているかのように星舟の顔色を読み取り、サガラは肩をすくめた。

「意外に思われるかもしれないんだけどね」

 顧みる。

 棚から一冊の目録を抜き出すと、その角で星舟の胸板を小突いた。


「俺はね、そういう益体もない嫌がらせが嫌いじゃない」


 ――いや、知ってるから。

 表向きは愛想笑いで、裏では苦笑い。二種の笑みを使い分けるのに苦労しながら、星舟は不得要領的に頷いて見せたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る