第三話

 魁偉なる馬の鼻先が、丘陵に囲まれたその牧野の一角にずらりと並んでいた。


「始め!」

 二隊、前後、そして敵味方に分かれた討竜馬隊に向けて大鼓を打ち鳴らした網草英悟は、その後自分も東に配した一派に加わり、指揮を執った。


 対するのは副将、弥平の率いる同数の分隊だ。

 猛然と、だが隙のない堅実な攻め気を見せる彼の部隊と一度衝突したあと、勢いを殺さずその布陣突っ切った。


 敵部隊はその英悟隊の背を突くべく追った。

 だがその尾の切れ端にさえ、容易に触れることはかなわなかった。


 むしろ誘うがごとくに左右に揺れ動くそれを、一心に敵は追った。これは一見、不要な運動のように見える。そして士気も精度も同等となれば、疲労の度合いは彼らの間で勝敗を分ける重要な要素となるはずだった。


 だがむしろこの場合、予定行動のうちにあった英悟隊と、その一挙一動に揺さぶられて気を配らねばならなかった弥平隊とでは、むしろ走らされ、疲れさせられたのは後者であった。


 敵を散々に引きずり回したあとに土をまくりながら、英悟らは丘陵を駆け上がった。

 なおも追尾線とした弥平らだったが、その疲労は頂達していた。

 坂は登りきれず、塁壁のようなその堅陣に綻びが生じる。若き勇者の戦術眼は、それを見逃さなかった。


「反転!」


 号令一下、轡を転じた討竜馬は、追撃を諦め、道を折れた敵部隊の中腹へと鋭く、速く切り込んだ。


 勝負は一瞬だった。

 正面の核に敵大将の姿を認めた英悟は、自身の手にした竹竿でもって、自身の背に敵刃が届くよりも先にその脇腹を叩いた。


 ぎゃあという弥平の悲鳴と落馬をもって、両陣営ともに損害らしい損害もないままに、調練は終了した。


「くぅう〜!」


 たしかな手応え、女王より預けられた騎兵団が使えるモノになっているという実感。

 それは、英悟に疲れを忘れさせ、胸をじぃんと熱くさせた。


「いてて……士分になりゃあ野良仕事はしなくて済むと思ってたのに……なんで毎日毎日」


 部下に助け起こされながらぼやく弥平は、鵜飼うかいなる相応の家名を襲い正当に網草英悟の副将としての地位を与えられ、また読みも弥平ひさひらと改めていた。


「けどまぁ、いい感じなんじゃねぇの」


 弥平の言うとおり、全ては順風満帆。それこそ霜月公よろしく真竜さえ打倒してしまえそうな勢いが、熱が、自分たちの内に興っている。

 だが、


「まだまだだよ」

 下馬しながら少年は答えた。


「もっともっと鍛えないと。強くなって、あの人のために」

 袱紗に包んで懐に忍ばせた、簪に手をやる。

 それだけで、痛みとも疼きともとれる、甘い刺激と官能が、彼の心を占めた。


 対して弥平はやや一歩退いたような表情のまま、ネコのような目を怪訝そうに眇めていた。


 そのまなざしに気づいて「どうした?」と問いただすも、


「いや、おめぇ……なんか」


 と言葉を濁す。あるいはそれは彼の内においても言語化の難しい感情であったのかもしれなかった。

 だがそこを追及する前に、地平の先に騎影が見えた。

 此方に負けず劣らずの、人馬ともにしゃんと背を伸ばした、見事な乗りこなしでわかる。王都よりの使い番、それも上使だろう。


「……どうやら、火急の報せのようだね。行ってくるよ!」


 緊張の合間に、また彼女のために働けるという喜悦を隠せず、声を弾ませて栄悟は使者へと駆け寄った。

 いずれに優先順位をつけるようなことではないが、時間はまた用が済めば作ることができるだろうと、己に言い聞かせて。


 だが、女王直々の招聘によって都へと出立することが決まった彼はその日のうちに封地を発ち、帰ってきた後も結局それについて話を詰める暇はなかったのだった。

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