第七話

 新しい車輪が、がらごろと音を立てながら進んでいく。馬側に座らされた星舟からは、その音も大きめに聴こえていたことだろう。

 車の内より、夏山星舟はそれとなく外を窺った。通行人の盛りも過ぎて、人の数はまばらとなっていたが、視線はその数に比して割合が多い。

 

 その視線は、いずれも好奇の色を孕んでいる。恐怖はない。この奇異なる乗り物が竜の勘気を被るのではないか、という恐怖が欠如してる。それを眺めていれば自分たちにも類が及ぶのではないか、という想像に到っていない。

 そのことに、星舟は危機感を抱いた。抱く側に回った、と言うべきか。


 車の内装は、ふだん奢侈を好む老人たちとは違い、簡素そのもので、むしろ座席には腰への労りが欲しいぐらいだ。


 尾てい骨に直接的な負荷がかかるその薄い席に、四人の男と一体の女竜が腰掛けている。


 案外揺れに弱いのだろう。戦場でさえ崩れたことのないリイミィのかんばせに、汗と苦悶が浮かんでいた。それでも学術的興味は尽きないらしく、必死に耐えていた。溺れる中、板切れに必死にしがみつく遭難者のように。


 老人たちはどうか。

 ある程度の余白は確保されているとはいえ、成人男性が四人である。当然、互いの息がかかるほどの距離感にもなろうというもの。あるいはそこまで詰めていた方が揺れも少ないだろうか。

 あるいは新しく手に入った玩具を前に、我も我も無理やり乗り込んだ結果がこれなのか。大の大人が。


「懐かしいですなぁ」


 その老いた子どもが、外を見ながらおもむろに感慨を述べた。


「十年前、貴方はまだ幼かったゆえにあまり憶えておられぬやもしれぬが、この辺りには呉服屋や反物屋が立ち並んでおってな。それはもう店先に並ぶ紬や絣、縮緬が色とりどりでたいそう美しくてのう」

「この先は妓楼であったかな。それはもう灯火が夜毎鮮やかに闇を照らしておった」

「さよう、貴様なんぞは太夫に入れ込み、夜毎に通っておったのぅ」


 などと旧懐を目元に浮かばせた老人たちに、星舟は


「美しい思い出ですな」

 と相槌を打った。


 お前らの思い出だけは、美しい。

 内心ではそう言い換えた。


 鼻先を、腐った肉の臭いが掠めた。

 多分に皮肉を込めたはずのその感想は、自分たちに対する世辞と受け取られたらしい。


「……それも今となってはどうじゃ」


 潜む悪意に感づいた様子もなく、一転して暗澹たる面持ちで、陰鬱な嘆息を互いに吹きかける。


 角を曲がる。整備された区画のうち、外から見て二層目のあたりに、老人たちが偲ぶ場があった。

 彼らが語る繁華街の光景は、今となっては姿形もない。

 竜の支配と同時に所領の収支が見直された結果、呉服屋は不当な癒着が発覚。その談合の温床となっていたことで、妓楼の多くも芋づる式に撤退した。あとに残るのは、格子窓や欄干がかろうじてしがみついているような廃屋ばかりであった。


 当然、日が昇るうちに、人が過ぎる場所でもなかった。


「見よ、この有様を。かつての栄えが戻る様子もない」

「保護と言えば聞こえは良いが、言うなれば自由も楽しみもない支配ではないか」

「我々もせめて内側より物申し、人が人たる尊厳を確保せんと努力した。だが、領主様……いや旧領主様は、我らを遠ざけるばかりで聞く耳も持たなかった」

「いわんや、そのご子息は……」


 彼らの嘆きが愚痴に変わり、そして非難へと繋がっていく。その瞬間、絶不調だったリィミィの表情に、理性が戻っていった。星舟の最低限の愛想笑いは、底意地の悪さを露呈させた薄笑いへと変ずる。


「で、裏切ることにしたのか。今さら」


 車が、止まった。


 頬杖を突いた星舟の投げた問いに、彼らの批判は止んだ。愁眉も慨嘆も追慕も、老人たちの枯れ顔にはすでにない。


「何もかもが分かりやすい連中だ。今まで竜の下で惰眠を貪っておいて、いざ旗色悪しと見るや、被害者面。おのれらの正当性とやらを主張する。馬一頭と馬車一台を贈られれば、喜んで尻尾を振るか。そのうえで、ついでにオレを籠絡して来いとでも新しいご主人様に命ぜられたか?」


 老人たちの土色のシミが斑点のように混ざった顔に、さっと血色が混ざる。その反応も、星舟にとっては予想の範疇だった。


「……それを見越して乗ったとしたのならば、多少は話を聞く気があったと思ったのだがね」


 ある種の落胆とともに、星舟は三本の指を立てた。


「あんたらは、三つ勘違いしている。一つ、そもそもオレがこの馬車に乗ったのは、あんたらの思惑はともかくとして、裏で糸を引いているのが誰かを知るためだ。でなきゃリィミィを連れてくるものか」


 リィミィはみずからの袂に手を差し入れている。そのわずかな動きから注意をそらすように、あるいは時を刻むように、指を一本畳む。


「第二に、竜はたしかに先の戦で敗北した。だがあんたらが勝ったわけでもなけりゃあましてや強くなったわけでもない」


 指が、もう一本畳まれる。

 残る一本を額の前に立てて、星舟はあえて宣った。


「そこな女は腐っても獣竜だ。あんたらが袂に潜ませた拳銃を抜くより、速く」


 言葉の最中に、老人たちは一様に女竜の微動に気づいたようだった。だがすでに遅かった。

 人ならざる瞬発力でもって袖口から抜きはなった短刀は、彼らと彼女の空間を切り裂いた。魚骨にも鏃にも似た奇妙な刀身が、彼らのひとり、ピストルを抜こうとしたその腕に突き立った。


 悲鳴をあげる同胞に、残るふたりが狼狽する。


「こうすることは、余裕ってわけだ」


 彼らに向けて、今度は星舟が撃鉄を起こす番だった。


「途中でバラす奴があるか」

 横目で睨む副官に、

「途中まで気を引いといてやっただろ」

 謀反人たちに視線と銃を定めたままに、星舟が言う。


「それでも腐ってもというのは頂けない」

「言葉のアヤだよ」


 そのうえで「さて」と話題をあらためた。


「それじゃあ話してもらおうか。この馬車の出所と仲間の数と拠点……まぁ、大方見当はつくがな」


 あえてゆったりと、銃の口を左右に、引きつった老人たちの口元に往復させる。


 ゆっくりと、木音を鳴らして車の右戸が開いたのはその時だった。


「あ?」


 外に立っていたのは、深く編笠をかぶった、御者の男だった。


 当然、彼の存在を忘れていたわけではない。彼らの曲ごとを聞いてもなお手綱をとっていた以上、賛同者であることは自明の理だ。

 だが、こうしてその盟主を質にした以上、手出しはすまい。

 その、はずだった。


 だが……男は動いた。

 同胞を顧みない行動力と、彼が立っていたのが潰れた目の側の死角だったこと。それらが、星舟の一瞬の虚を生んだ。


 御者は、手にした直剣を鞘から払って、車内に踊り込んできた。一瞬で距離を詰めると、その刃の冷たさを星舟の首筋に押し当てた。


「星舟!?」


 リィミィが声をあげる。だが、彼女が立て直し、上司を救うよりも、男の所作は迷いがなく、素早かった。

 伸び上がった蹴りが第二の短刀を投げんとした彼女の腹を襲い、そのまま反対側の戸を破って車外へ押し出した。

 その過程で、編笠が落ちた。


「お前は……ッ!」

 あらわになった素顔は見覚えがあるものだった。


 だが、誰何する間も無く、馬は再出発した。御者に扮していた男は、ひらりと外を舞い、その操縦へと戻っていった。


 もはや、星舟に刃を突きつける必要はなかった。いかに老いぼれと言え、三方から銃器に取り囲まれれば、抗う術はなかった。


「……知っておるともさ。街中で馬車を走らせれば、その意図を竜どもが汲み取ると」

「だが、これは我らの決別の表明よ」

「小僧、つい先ほど放言しておったな。我らは、勝ち馬に乗っただけで強くなったわけではないと」


 怨嗟と報復心に満ちた声調とともに、元『相談役』のひとりは、こめかみに銃口を押し当てた。


「では貴様はどうなのだ? 虎ならぬ竜の威を借りる貴様が、今こうして単身となって何ができる?」

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