第五話

 舞踏館の建設が、王宮東の郊外に進められていた。

 その監督役として視察に来たカミンレイ・ソーリンクルの背後には、まるで音楽とは縁遠いような巨漢たちが付き従っていた。


「……で、お譲りになられる、と」


 そのうちのひとり、老武官ダローガが、皮肉な笑みを口元に称えて答えた。


「仕方がないでしょう。我々は祖国からも疎まれた食客。赴任地でもそっぽを向かれれば、支援を失い立ち行かなくなるは必定」

「そういう足下を見られているようで、どうにも鼻もちなりませんな。あの任期付き女王陛下は」

「むしろそれぐらいでなければ、担ぎがいがない」


 かの女王には、自分の手に収まる駒というものがない。如何に強しといえど七緒は外様であり、自分たちに至っては外国からの客人だ。

 カミンレイに語った戦略構想以上に、陸地において自分にとって忠実で、善良な将器を欲したのだろう、と推察できた。

 純粋に流花を慕う良将、網草英悟はまさにうってつけと言えた。


「まぁ、純粋さと善良さは似て非なるものだと思いますがね」

「は?」

「何でもありませんよ」


 彼女は少年の浮かれ顔を思い浮かべた。だが、それ以上は何も言うことをしなかった。当事者のいないところでどう語ろうとも、無意味なことだった。


 しばし無言のうちに、建設現場を彼女らは巡った。

 裏方にある階段。そこを使って地下の回廊に出る。雇った人足のほとんどは、その存在さえ知らない。そのほとんど以外の誰かは、先月川で溺れて死んでいるのが見つかった。とても不幸なことだ。


 ヴェイチェル先導のもと、そこを下ると、迷路のような道順が待っている。核心部分に至るためには、知識と経験と、その門扉の前にいる衛士に頭を下げさせる権限が要る。


 門扉をくぐり抜けると、鉄錆びた臭いと音の洪水が彼女らの五感を襲った。当初はそれらの耐え難さに顔をしかめざるを得なかったものだが、慣れとは恐ろしいものだ。今では真顔で素通りできる。


 と言って、それらは建造による工程で発生したものではなかった。つんざくような騒音は槌を振るう音ではなく、生きた男たちの悲鳴や絶叫、断末魔と呼ばれるたぐいのものだ。そして異臭の音とは、彼らの血肉が生きたままに削ぎ落とされるために生じたものだ。

 視界においては血の混じらない箇所はなく、薬品こそ置いてあるが大病院や舞踏館の様相とは程遠く、いくつもの区画と房に分けられたその場所は、彼女の祖国の精神異常者や重大犯罪者を収容する監獄に似ていた。

 あえて言語化するならそれは、


 ――阿鼻叫喚。

 地獄アードと呼ぶさえためらわれるこのような状況を、この国では四文字で片付けられる。便利というか、そんな言葉が生まれるような過酷さを嗤うべきか。


「いやぁ、すごいですよ、元帥令嬢」


 赤黒く指紋のついた報告書を持ち込みながら、壮年の男が興奮気味に言った。カミンレイが連れてきた動物学者だった。


「例の三号棟の真竜種、水や食料を与えないまま二月になりますが、まだ生きています。さすがに反応は希薄になりましたが。まぁ常人の十倍に相当する弛緩剤を投与したので、その影響もあるかもしれません」


「そうですか」

 カミンレイは淡白に相槌を打った。


「採取した皮膚組織や解体した骨格は我々とさほど差があるように思えません。てっきり『鱗』というのはその体表が何らかの作用によって一時的に変質したものと思いましたが、その兆候も見られません」

「いや、だが獣竜や鳥竜はすごいぞ。彼らの持つ祭具のような金属片の放つ、特定の波長に反応して筋組織が変質し、周囲の空気の流れを歪ませる。それが滞空や超感覚、身体強化に繋がっていると思われる」


 獣竜の処置を担当していた若い知識層が、口を挟む。まるで玩具を買ってもらった子どものように目を光で満たしながら。


「まぁさすがに、それでも真竜の身体能力には遠く及ばず、上腕を切断して数時間後には出血多量で死にますし、銃弾を急所に撃ち込めばもって三発といった程度の耐久性です。あ、もちろんその検体は解剖班に回してあります。眼球や指先一つ、無駄にはいたしません」


 そうですか、とカミンレイは淡白にまた応じた。


「へ、へへへ」


 虚ろな笑いを浮かべた作業者が、虚ろな笑いを浮かべながら彼らの前に立ちはだかった。


「おい、次はどのクソ竜どもをバラせば良い?」

 そう尋ねる彼の右手には、刃が握られている。捕虜たちに筋骨は生半な刀剣では断てないので、主に肉切り包丁のような、切れ味よりも分厚さや頑丈さを優先したものが選ばれる。


「あいつらには親父も、爺さんも殺された。その仇を討たせてくれて、感謝するぜ」


 現地採用されたその屠殺者は、答えを待たずに表情同様、現実ばなれした足取りで、村歌を口ずさみながら次なる房へと向かっていった。

 カミンレイは半歩退がって、道を開けてやった。


「すごいですよ、彼も。もう三日三晩、眠りもせず仕事をしてくれています」

 頼もしげに、壮年の方の学者が言った。


 カミンレイは去っていった彼に休養を命じたくなった。だが、あぁいう状態になってはどうせ手遅れだ。仮に自分の士官にああいう手合いがいたとしたならば、敵中に放り出して、敵を存分に撃ち尽くさせたあと支援を絶って見殺しにしていただろう。


 ずいぶんと、自分の奏曲は血なまぐさいものとなったとカミンレイは思った。ため息をついた彼女の眼前に、さらなる来客があった。

 それは、あの『肉屋』と同様に地元で雇った医者だった。本草学にばかり固執する他の村医者とは違い、外科手術の重要性を説いて、そして実践をしてきた老人だった。


 だが何人の身体を開いた彼は、青白い顔で口許を押さえていた。

 やがて、カミンレイの足下にうずくまると、彼女のブーツを吐瀉物で汚した。


 すでに何回も吐いているのだろう。その内容物には、根菜の欠片さえも残っておらず、粘性の薄い薄黄色の液体が散らばっただけだった。


「キサマ」


 もし誰も、何も言わなければ、一秒後には老人の枯れた首はヴェイチェルによってねじ切られていただろう。


 だがいきり立つ巨人を、カミンレイは冷ややかな流し目で抑えた。


「……違う……こ、こんな、こんなことは……」


 繰り言のように呟く彼に、カミンレイは身を屈めて目線を合わせた。


「儂の妻は、戦火に焼かれて死んだ。せめて敵わずとも良い。せめて竜どもをひとりでも……そう思うたこともある」

「知っています」


 その復讐心ゆえに登用したのだと、カミンレイは暗に続けた。


「だが、これは……これは間違っている。こんなものを望んだわけではない……! こんな行為は……人間の所業ではないっ!!」


 学者たちは、嗚咽とともに溢れる老医師の言葉に、キョトンと目を丸くした。やがて、肩を竦めて笑い合った。


 だがカミンレイは笑わなかった。

「そうですね」

 ただ悠然と目を細め、震える老人の拳を自身の掌で包み、震えが止まるまで待っていた。


「けど、貴方の言うとおりなのですよ、ドクトル。彼らは強く、疾い。如何に銃器をもって到底敵わないでしょう」


 ですから、と楽師はすっと顔を、酸い残り香を持つ唇へと近づけ、そして囁いた。


「だったらせめて、我々も『人間』を捨てないと」


 老人は、声を裏返して女児のごとき悲鳴をあげた。


 〜〜〜


「『牙』のほうの研究は、まだ時間がかかりそうです」

「そうですか」


 『現場』の視察を終えた異邦人たちは、階段をくぐり抜けてふたたび建設作業場へと戻っていた。

 人の醜悪さを凝縮させたような世界から脱した彼女は、久々に太陽を拝んだような心地だった。


「何しろ、ぶっ叩こうと炉にブチ込もうと、分解どころか傷一つつきやしない。嬉々として竜をバラしてた先生方が、こいつに関しては頭抱えてますよ。ここから先は本国へ流してあちらさんの結果待ちですな」

「まぁ、あれを見れば連中の顔色も変わるでしょう」

「ただ、学者たちが妙なことを言ってましてね。あれは文字通りの身体の一部が変化した牙でもなけりゃ、大昔の武器でもない。もっと別の用途、体系で造られた、言うなれば機……」

「その所見は、後で資料にまとめるように。現物と添えて本国に送ります」

「……それと、学者先生たちから『鱗』を展開させた真竜種を連れてきて欲しい、と」

「死にますよ」


 用意させたものに靴を履き替えたカミンレイはその要求をにべもなく突っぱねた。


「しかし、その真竜種たちが薬の効力もあると言え、よく大人しくしていますな」


 戦場にてその荒ぶりようを知っているダローガが、呆れたような調子で言った。


「一番効いているのは、食事ですよ」

「食い物ですか。毒とか?」

「そんな直接的な真似をしていれば、死人が出ていましたよ」

 提示された直接的な手段に、カミンレイは苦笑を漏らした。

「獄に入れた当初はそれなりの礼儀を尽くし、捕虜を観察するに終始しました。いずれ捕虜交換が両国の間で執り行われるゆえ、どうかその間は大人しくしていてほしい、とね」


 もちろんそれは方便だった。

 だが彼らは疑うことなく、それに従った。


 へりくだるのであれば、それに従ってやろう。

 よもや自分たちに毒など盛るまい。

 その程度の小細工、どうとでもなると。

 こんな土牢など、いつでも破れると。


 そうタカをくくって。


 まぁもっとも、彼らの伝来の至宝たる『牙』が質として隔離されていたのだから、大人しくせざるを得なかったという面もあるのだろうが。


「注目するべき点があったのは、食事でした。彼ら塩気の強い食事を好む。そこで何となく見当がついたのですよ。彼らは常人よりも多くの塩分が活動に必要なのではないかと」

「で、食事から塩分を抜いた、と」

「やがて不満を言う気力もなくなりましたよ。そこでようやく、実験が開始できたわけです」


 眉ひとつ動かせずに、酸鼻きわまる空間を通過して、カミンレイは地下施設を出た。


「しかし、結局死人は出てますよ」

 ダローガが撫で肩を持ち上げた。

「徴用した医者や作業者、役人の自殺者は、今月に入って五名です。もうすぐ六人に増えるかもしれませんがね。驚きました。あいつら自殺の時本当に腹とか首とか切るんですなぁ。もっと楽な死に方があるもんでしょうに」


 ダローガはひとしきり笑ってから、カミンレイの冷視に気づいて表情と姿勢を正した。


「ですが、脱走者はその三倍です。施設の邦人が死に絶えるのが先か、竜たちがくたばるのが先か。賭けでもしますか」

「その彼らはどうしました?」

「国境を越える前に全員始末できたみたいですな。中には王に直訴に及ばんとしたものがいたようですが、親衛隊に射殺されました」

「知っていますよ。その時わたくしも同席していたので。……しかし無益なことを」


 カミンレイは毒づいた。

 そもそもあの殺戮場の主導者は、誰であろう藩王赤国流花だ。

 本人は外交使節相手にいっそ清々しいまでに大嘘をかましていたが、犠牲も虐待も黙認されている。むしろ、暗に推奨しているとも言って良い。


「時代を新たな段階へと推し進めるために、竜や皆には犠牲になってもらう」

 とは流花の弁だが、彼女の兄たちや実父は竜たちとの戦で亡くなっている。人質として預けられていた彼女は先王を養父として育ったわけだが、その彼も満足に眠ることさえ許されず奔走し、疲弊していく様を間近で見ていたことだろう。


 如何に飄々と大人物然と振舞っていたとしても、彼女の根底にあるものは竜に対する烈しい憎悪と執拗な嫌悪と言って良い。

 ゆえにこそ、彼女は竜を畜生と同列に扱い、その知性や人格を否定する。

 本人に自覚があるかは、ともかくとして。


 別にそれならそれでよい。

 網草英悟への性急すぎる厚遇にせよ、竜たちの虐殺にせよ、女王の情動や思惑がその責任を負って手を汚してくれるというのなら、その分自分たちが余計な気苦労を持たずに済むというものだ。


「惰弱な連中だ」

 巨人の嘲笑が、カミンレイの思考を打ち切った。

「我が国の軍人であれば、ウォッカを一瓶飲んで眠ればあの程度のこと、明日には忘れられる」


「やめなさい」

 カミンレイは冷ややかに一喝した。


「自殺にせよ、他殺にせよ。その結果がどうであれ。自身の魂魄を焼かれながら生命の冒涜に正否を問い続けた者たちです。もし骸を回収しているのであれば、親族に返還はできずとも、決して粗略に扱わぬよう」


 直訴しようとして目の前で撃たれた者の死相を、カミンレイは思い返した。

 腕も足も顔の肉もナイフで削りとったかのように細まっていたなか、ただ目の中で必死さだけがいつまでも残り続けていた。

 それは、あの夏山星舟の隻眼にも宿っていた焔と同じ種から生まれたものだ。


 矛盾だと思う。傲慢だとも、偽善だとも。自分のような人非人において、彼らの気高さを称賛する資格がないことも、承知している。

 それでも、ただ必死に、真実の生を求めて足掻く者の眼差し。たとえそれが無明の闇を儚く飛び回る蛍火のようなものであったとしても、貴ぶべきものだと思う。


 その半生を死んだように生きていた、自分のような者にとっては。


 人間としてさえ肉体、精神が欠落したようなあの青年を実像以上に見てしまうのは、そうした内面から来るところなのかもしれない。


「……話が変わって例の片目ですが」


 命じたきり再び黙りこくった令嬢を探るような目つきで、ダローガは問うた。


「どうします? 奴の体面のための埒もない言いがかりのために、諸藩の猜疑心を刺激するというのは」

「形式ばかりで良いでしょう。事前に内示を出したうえで、二、三項文書で詰問する。その程度で」

「で、奴自身は」

「……」

「まさか本当に味方に引き込むつもりじゃあるまいな」


 上司である自分を脅しつけるように、ヴェイチェルは骨格たくましいアゴを突き出した。

 ともすれば、今から自分がトルバにまたがりハルバードを手に敵領まで夏山を追いかけ、斬首してきそうな気概さえ見せている。


「すでに別の者に命じています。その者ならば、片手間で彼の命運を握れますよ」


 施設から離れると、草木の匂いが戻ってきた。

 その中で大きく深呼吸して肺腑の中身を入れ替えながら、感情を排した声で、女宰相は答えた。

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