第四話
「暑い!」
赤国流花は私室へと続く廊下を歩きながら、もはやおのれの正装と化した軍服に手をかけた。
「しつこいッ!」
紐解いた上着を剥ぎ取り、うろたえがちに後に従う侍女にぞんざいに投げ渡す。
「うっとうしいッッ!」
シャツのボタンのうち、上ふたつを外すと、豊かに盛り上がる胸が、一度大きく上下した。
そうして自身の部屋へと戻ってきた彼女に、カミンレイは影のようにぴったりと張り付いている。彼女の一瞥が、侍女を下がらせた。
「なんなのだあの男はッ!? まるで理解ができん! 人と竜、その形勢の逆転劇、その様を見ていたはずだ。なのに、何故竜のためにああも食い下がる!?」
「さぁ。わたくしとしてもそこを知りたいところでして。単純に盲従するようんな輩とも思えませんが」
「だから連れてきたのか?」
「さて、どうでしたか」
すっとぼけたように抑揚のない声で応じる楽師に対して流花が返したのは、鼻哂だった。
「見くびるな。貴様ならば、私に引き合わせるよりも前に煙に巻くことだってできたはずだ。それぐらいはわかる」
「おみそれしました」
自分の韜晦をあっさり認め、心のこもらぬ賛辞を平然と口にする。
そんなカミンレイの様に鼻白みながら、彼女は寝台に我が身を投げ出した。
「見るかぎりでは、多少は猿知恵のある程度。どうということのない小魚といったところか。あの程度、何ら障害ともなりえぬ」
「はい、ダローガたちもそう申しておりました」
カミンレイは机や床に散らばる書の類を拾い集めながら、部屋の片隅に一瞬視線を遣り、「ただ」と言葉を継いだ。
「そんな男がなぜ、彼よりも勁く、彼よりも器量のある剛将ブラジオを差し置いて生き延びたか。興味はありませんか」
「ふん、運に恵まれただけさ」
「かもしれませんね。ですけど、運や流れというのは時として才や器よりも恐ろしい。才あればこれぞという手段をとる。大器であれば万民が認める在りかたをする。しかしひたすらに運が良い非才小器というのは……どう転ぶか予測がつかない」
「……ではその運や流れを味方とするために、奴もろとも取り込んでみるか?」
試すように、あるいはおちょくるように、軽い気持ちで王は問いを投げかける。
だが、絶えず慎重に、まるで弦の張りを調えるかのように指を動かす楽師の所作には、よどみがない。
形ばかりの微笑を浮かべ、だが明確には返答をしない。だが、どんな追及にもふてぶてしく応じる彼女の沈黙こそ、明確な答えだった。
「おいおいおい!」
流花は吐き捨てるように気を発した。
「しっかりしてくれよ。そんな訳のわからん小物より、現実的な問題が山積しているじゃないか。まずはそちらを片づけてからだろう」
「そうですね。では、手始めにそこにいる彼のことなどいかがですか」
「彼?」
いわくありげなカミンレイの視線を、流花もまた追った。
その先、部屋の片隅には、ひとりの少年の姿があった。
「わー、ひゃー……!」
などと頓狂な声をあげて顔を真っ赤にしている。
手で目を覆い隠そうとしているが、好奇がそれに勝るらしく、わずかに開けた指の隙間より、女王の着衣から覗く素肌から目が離せないでいるようだった。
「あぁ、とんと忘れていた。すまんな。変な男に捕まっていた」
女王は取り乱しもしない。ただシャツの襟元を緩慢な手つきで閉じ直す。
他ならぬ、彼女自身がその少年、網草英悟を呼びつけたのだから。
「で、先の戦の話だが……改めて礼を言う。よくぞ身分の垣根を超えて守備軍を取りまとめ、耐え忍んでくれた」
「い、いえ! そのお言葉だけでも、十分に報われます!」
健気な言葉に、犬であれば尾を千切れんばかりに揺らしていたであろうその熱の入り様に、流花はほろ苦く笑い我が身を起き上がらせた。
「お前は良くとも、身を賭して働いた部下はそうはいくまい。おおかた、次男三男あたりの村のはねっ返りでも無理くり引っ張ってきたのであろう。よってそれぞれには働きに応じた金品を送り、また村自体には向こう五年の免税を施す。もっとも、これはあくまで内定であるからして、正式な公表までは他言無用だ」
「……はぁ」
英悟は現実のものとなりつつある成果に対しても、生返事。信じがたい、と思っているというよりは、興味自体がなさそうだった。
だが、彼の態度はは女王の不興とはなり得なかった。むしろその態度こそが、彼の自分を慕うことへの純粋さの証左とも言えるだろう。
「……ああ、それとな。望む者あれば士分に取り立てる。むろんお前もな。いや、むしろ来い」
「!」
少年の表情が変じた。
目を輝かせて顔を上げた彼に、流花は白い歯を見せた。
「お前のとこの家老の金泉が死んだことは既に知っていよう。だが彼の者にはあいにく子がおらんのでな。唯一継承権を持つ親類の子もまだ幼く病弱だ。そこで、彼が健康に長じるまでは、『一時的に』我らが共有できる預かることとなった。……話が見えてきたか?」
英悟は背を逸らし、膝を揃えた。
「英悟。お前が余の、いや私の名代として、その地と兵を治めよ。お前ほどの有能な士を遊ばせておくなどということはせぬ。まだまだ働いてもらうゆえ、精進せよ」
「はいッ!!」
切れるような快諾とともに、涙をにじませ少年は頭を地につけた。
〜〜〜
網草英悟の勇み足が、部屋の向こう側へと消えていく。
氷の国で生まれた冷ややかな目は、その足音と気配が消えるまで慎重に見守っていた。
「『私』と『余』は使い分けたほうが良さそうだな。公的な場では後者を、私的な場や親しい者……と相手にそう思わせたい時などには前者を、という具合にな」
はにかんだ女王の意見は無視して、軍師は愁眉を彼女に向けた。
「……少々、気前が良すぎるのでは?」
流花は、自身の腕を枕に、ふたたび寝台に横たわった。
「良すぎるからこそ意味があるのだ。門地も家名も持たぬ無官の者が、ただ武功によって躍進する。前線で胡座をかいていた連中の尻にも、これでようやく火がつこう」
「それでも、程度や順序というものがございます。いかにすぐれた音調も奇策も、そこに至るまでの順当な積み重ねあってこそのものです」
「わかっている」
少しわずらわしげに、流花は手を振った。
「だが、誰でも良かったというわけでもないぞ」
「陛下とは旧知のように見えましたが」
「まぁ、多少縁があってな。それで甘やかしてしまった……おい、冗談だよ。そんな顔をするな」
少女然としたカミンレイの面貌に、わずかに差した陰影の意味するところを、女王は汲み取った。
「奴の築陣能力は見事なものだ。それは貴様も認めるところであろう」
「それは、たしかに」
「そしてこれからはカビの生えた城や屋形の取り合いではなく、野戦で多くの勝敗が決することとなろう。その点において、奴の資質は得難いものだ」
流花は寝台に散乱していた図面を広げ、言った。
「まず英悟が竜どもに先んじて要所を確保し地固めをする。そうして一種の膠着状態を作ったのちに七尾や討竜馬隊に遊撃させ、側背を突かせるもよし、他の戦線を押し上げるもよし。そういう図を描きたい」
「その構想は、理解できます」
「加えて言うなれば、各藩に突きつけた匕首でもある。裏切る者があれば、その凶刃が我らに届く前に手首から切り落とそう」
そこで、とそういう玩具のように、前後に大きく揺れ動いて流花は言った。
「貴様の連れてきた討竜馬のうち、百体ほどあいつに預けないか。幸い、金泉の領地は牧にも山にも恵まれている。養うにも向いているはずだ」
まるで詐欺まがいの商談のごとくそう持ちかける女王は、畳み掛けるように言った。
「お前たちにばかり苦労をかけるのは、心苦しいのだ」
それは、冗談の意味合いを込めた懇願だった。だが、得てして隠した感情とはそういう部分にこそ発露する。
――狙いは、それか。
カミンレイは女王の真意を氷の心眼で見定めた。
だが表向きに浮かべたのは、十年の知己のような、しょうがなさげに苦りながらも、それを受け入れる柔らかい笑みだった。
「拒もうにも、無理やりにでも持っていくのでしょう? 陛下は」
流花は笑いながら楽師を手招きし、頰や痩躯を気軽く叩いた。
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