第三話

 王都、秦桃。

 足を踏み入れたのは初めてだった。

 今のように任務でなければ来なかっただろう。竜の国の住人でも、そして人間として扱われてこなかった頃には、その門をくぐることなど夢想だにしなかった。

 人々が、戦乱とは無縁の生活を送っている。かの女王が流入させた技術、文化。それらによって急激に変化しようとしている日常に戸惑いと、順応し、むしろ積極的に取り入れようとする意欲とが同居している。


 区画としては、帝都にも似ている。

 帝都。名もなき都。名付ける必要もない、竜たちにとっての唯一無二のクニ。生命の始まりの地。


 だが文明の程度で言えば、この『偽りの都』の方が上だ。


 そしてこちらの方が自分としては受け入れやすい、と星舟は感じた。


 元々、帝都が長身の真竜種に合わせて家や物の背が高いというのもあるが、そんな理屈を飛び越えて本能的に、ここは居心地が良いと思った。

 交渉はここに来て一月にも及んでいたが、その間に彼の身はすっかり人都の風や食に馴染んでいた。


 もし今後、自分たちがこの都を陥とすことになれば、この生活は喪われるのだろうか。この街並みは、竜好みののっぽな建築物だらけになるのだろうか。


 星舟はそれ以上は考えず、ただ純粋な疑問のままで飲み込んだ。

 そして正奇を織り交ぜた根強い交渉のすえに人類側の宰相、カミンレイを引きずり出し、そして王との謁見にまでこぎつけた。


 〜〜〜


 星舟が呼び出された会見の間は、第一議堂と名付けられた一室だった。

 山桜の濃く若い芳香が室内を占め、その中に新政権の首脳陣が背をそらして列座していた。


 自領の運営がある藩主たちは出席していない。

 多くは、名も顔も知らぬような吏人ばかりであった。骨格も、武人のものではない。刀など、斬ったどころか抜いたこそさえないのではないか。


 だがその顔つきは馬鹿殿様たちのそれとは比べものにならない。


 彼らが通した議題を、藩主たちが判を捺すだけ、という形式になっているようだ。おそらくは内外の事情の急激な変化にともない忙殺される小領主たちの隙に、『それ』をねじ込んだ。そして制度の性急すぎるまでの刷新は、そして前線の、惰性な戦略構想を覆すような劇的な大勝は、それを意図したものでもあるだろう。


 今は雑多な問題に対しての議会だが、いずれはその段階を引き上げ範囲を広げ、藩主たちを、発言力を削っていく。

 議席そのものから蹴り出すための、布石。


「やぁ、長らく待たせてしまったな!」


 その構造を就任からわずか数月で作り上げた女ふたりは、最後に現れた。

 光沢の質感の中に熾火のきらめきを持つ長髪。かたや柔らかな髪に、氷の冷たさを秘めた女。いるだけで周囲の芳香をかき消すがごとき主従は、直立する星舟と相対する席へと腰かけた。


「どうだこの都は、今はなかなかに慌ただしいが、住み心地は良いだろう?」

 おのが胸中を突きえぐるがごとき問いかけを、星舟は薄く笑って、返答を避けて流した。


「それにしても、余に会えぬからと、まさかカミンを口説くとはな」

「口説くなどと滅相もない。ただ自分は、異国の音楽家なる女性がいかな御仁か興味があり、歓談したに過ぎません。その折、自分本来の用件を茶話程度にこぼしたまでのこと」


 女王は口を歪めて苦笑した。


 ここまでは多忙を理由に、女王は星舟と面会しようとはしなかった。大臣どころか、二等三等の外交官にさえ話を通せない始末だった。


 音楽教師カミンレイ・ソーリンクルがこの国の影の参謀であることなど、とうに知っている。だが彼女が表向きは、政戦ともに関わりのない一教師に過ぎない以上、求めれば必ず面会できると星舟は踏んだ。


 氷の帝国からやってきた宰相は、やや面食らったようだったが、音楽や芸事、異国の文化の教示を名目に現れた彼を快く……少なくとも表面上は、受け入れて四方山話に花を咲かせた。そして、王に会えない旨を極力自然な風に打ち明けると、


「では、自分の授業の時間を使って、会われますか」


 と、まるで鏡を合わせるかのように、自分が求めていたことを申し出、今に至る。

 一対一の面会ではなく、無様な晒し者にするがごとくこのような場を設けられているのは、不満ではあるものの。


「それはそうと、あらためまして新王即位おめでとうございます、赤国様。そして忙しい御身の貴重な時を私のような者のために割いていただき」

「貴重なればこそ、手短に済ませよう。前置き能書き一切無用」


 星舟の謝辞を遮ると、女王赤国流花は他称音楽教師の差し出した書簡を紐解き、目の前で読んで見せた。


「なになに……竜種の亡骸の消失、隠匿、回収の嫌疑、返還?」


 断片だけを拾い上げて読み上げる。本当に目を通しているのか疑いたくなるような速さで末尾までたぐると、流花は鼻で嗤いながらそれを楽師へ突き返した。


「知らんな。まったく見当もつかん」


 星舟は、薄笑いをぎしりときしませた。


「……ご存じない、ということはないでしょう。今もなお我々は干戈を交えて戦っている。なのに、骸を見ていないというのはおかしな話だ」

「いやぁ何しろ今まで我らは負け続き。真竜種の死に様など、お目にかかれたことなど一度もないのでな。てっきり、真竜種は死ぬと泡となって消えるのではと思っていたが、そうか死体は残るのか」


 本心か皮肉かよくわからない口ぶりでそう返すと、その細首をカミンレイへと振り向けた。


「カミン、お前知っていたか」

「いえ、戦とはまるで無縁のわたくしには、衝撃的な事実です」

「だそうだ。余も驚いた」


 一同が笑う。全ては、予定されていた流れのように。演劇のように。

 薄っぺらい茶番を見せられてもなお、星舟は食い下がった。


「ならば彼らはいずこへ消えたのですか」

「それはそちらが捜索すべきこと。我らは一切預かり知らぬ」

「……竜にも父母がおり、兄弟姉妹があります」

「ほうそうなのか」

「残された家族はすでに命のないものと覚悟しながら、彼らの帰りを待っております」

「それは可哀想に!」

「なにとぞそのご温情をもって、せめて心当たりなどあれば」

「心中お察しする! だが無い袖は振れん」


 女王の強弁が、使者の哀願を打ち砕く。

 怯みはしないが、内心で舌を打つ。


 知っている、もしくは持っているが返さぬというのであればまだ交渉の余地がある。情義を説き、道理を通す隙が生まれる。


 ――だがまさか、こうまで堂々とシラを切られるとはな。


 返事に窮する星舟をさらに追い立てるがごとく、流花は言い放った。


「そもそも藩王国と貴国とは不倶戴天の敵同士。よしんば死骸を回収したとして、侵略者に返す必要性や意義はないと思うがな」

「それでも戦には節度や礼節というものがございます。今までも、正式な国交などないにせよ、我が主アルジュナ・トゥーチは敵の亡骸を丁重に送り返していた前例があり、となればそちらがもし亡骸を隠匿し弄ぶがごとき真似をしていたとしたならば、藩王の御名を汚し」

「使者殿」


 指を絡み合わせて、女王は肘で机を突いた。


「余はな、知らぬと言った」


 そのわずかな所作で、その一言で、今まで彼女の周囲を覆っていたなごやかな気配は一変し、敵意が星舟を覆い包んだ。


「これはもはや真偽の問題ではない。王の言葉を覆すにはそれ相応の大義と覚悟が要るが……それらを今の貴殿が持っているのか」

「……」

「敵国とはいえ確たる証もなしに王の宣言を疑うのか。それこそ大いに礼を失する言動であろう?」


 ここぞとばかりに正論を持ち出し、それ以上の口答えを許さない。

 たしかに、星舟および東方領には、王国が死体や捕虜を隠しているということを暴くような物証は調査をしたが発見できなかった。


 それゆえにこそ星舟は道理でもって押し通そうと目論んだのだが、女王の面の皮の厚さはそれを跳ね除けた。


「良かろう! ならば納得ゆくまで精査しようではないか。カミン!」

「はい」

「貴様の祖国に藩王の名において調査団の派遣を依頼せよ。そのうえで他国の目より厳正にして公正な調査をしてもらうが良かろう」

「かしこまりました」

「ただし使者殿! もし貴殿の言うような推測がただの下衆の勘ぐりであった場合、その責任と醜聞は貴殿やアルジュナ殿のみならず龍帝にさえ及ぶが、それを承知であろうな!?」


 何が厳正にして公正な調査だ。星舟は心中で毒づいた。おおかた、証拠は残していないし、氷露の国とは通じているだろうに。それが故の強硬な姿勢だろうに。だが、その後ろ盾に抗しうる盟友を、竜は海の外に持ってはいない。


 ――ここまでが限界か。

 そう見切りをつけた星舟は、あらぬ方向へと持っていかれようとする流れに「けっこう」と制止をかけた。


「他所を巻き込んでまでの大ごとにする必要がありますまい。しかしながら、調査をするというのは賛同いたします」

「ほう? ではまさか、竜どもをこの国に招き入れようとでも言うのか?」

「そうではありません。王の金言、信じましょうとも。ただ、王国にもない。我が国にも戻ってこないとなると……残るは諸藩が王の御意に背いて隠匿している、と考えるのが妥当でしょう。そう例えば……真竜を討った七尾藩など」


 攻めの向きと方法を切り替えた星舟の言葉に、議場は先ほどとは質の違う緊張感が生まれた。

 耳語、目語がひしめく諸臣をよそに、


「図々しさ、見苦しさもここまでくると感心だな。……余に、功臣を疑えと?」


 と、流花は冷笑を浮かべた。

 そこからにじむ幽かな怒気を肩をすくめてかわしつつ、すっとぼけた口調で答えた。


「陛下が忠心を感じるのはご自由ですが、功臣が必ずしも忠臣とは言えますまい。現に私は、先の戦のみぎりに不穏ならざる言動をしていた敵将を知っております。あえて名指しでお伝えしても構いませんが」


 女王は声を出して笑った。

 だがその笑声の裏側で、怒りが静かに募っていくのを、その場にいた誰もが感じていたことであろう。まるで桶に水に溜まっていくように。


「そうか、貴様か。汐津を誑かした狼藉者は」


「……すべては死戦を生き残るための方便でございますれば、ご寛恕いただきたく」

 深々と頭を下げながら、星舟は彼女らの様子を盗み見た


 知っていたのか、と言いたげに女王は楽師に一瞥をくれた。素知らぬ顔でカミンレイは立っていて、流花を鼻白ませた。


「まぁ良かろう。で、余にどうせよと? 参戦した各藩に立ち入り調査をさせろと求めているのか?」

「いえいえ、これは要求でも依頼でもございません。あくまでご忠告申し上げているのです。陛下に背き竜種の秘密を探究している面従腹背の輩が国内にいればそれこそ貴国の一大事。そのような奴ばらを排除してこそ世に正しきを顕すこととなりましょう。またその姿勢をあまねく天下に知ろしめしてこそ、真の公正というものかと」


 頭を垂れたままに、星舟はよどみなく答弁する。その長広舌に辟易した様子で、炎の女王は「分かった分かった」と手を振った。


「よく回る舌を持つ男だ。件の家老も、そのように口説いたか」

「その長範様にも、似たようなことを言われました」


 星舟は顔を上げて苦笑した。


「分かった。あらためて内部にて監査するとしよう。その結果は貴様らにも追って沙汰する。それで良いか」

「陛下」


 そこまで必要最低限、求められた場面でしか発言をしなかったカミンレイが、自主的に進み出た。「構わん」と流花は彼女を遮った。


「この程度でこの小うるさいのを追い払えるなら安いものだ」

「感謝いたします」


 星舟にとってもはや罵声も皮肉も問題ではなかった。

 勝ったとまではいかないが、圧倒的に不利な状況から六対四程度のほぼ引き分けに持ち込んだという手ごたえはあった。


 あらためて誓紙を取り交わし、それを納めて退出しようとした星舟の足を、


「しかし解せんな」


 流花の、聞こえよがしな独語が留めた。


「貴様の悪辣さは、どう考えても側だ。この都の水は、さぞや合ったことだろう。なのに何故、今なお竜につく?」


 その問いについて、夏山星舟は思案する。

 答えそのものではない。それはすでに自分の中で結論が出ていて揺るがないものだ。

 逡巡したのは、言うか言うまいかということについてだ。


 必要最低限の取り決めは交わした。いかに見え透いた虚言であったとしても、王が翻意せぬと明言したのであればそれ以上の進展や改善は望むべくもない。


 国交は回復のしようもない。少なくとも、人の側が頭を下げて妥協しない限りは。少なくとも、自尊心の高いこの女が詫びを入れるまでは。よってそれもまた不可を意味する。


 あるいは、今から言うことを逆恨みされてこの帰途に襲撃される可能性も考えた。

 だが、みずからの狭量さを披露するがごときあからさまな暗殺を、女王が指示するとも思えない。よってその恐れも薄い。


 次に会うときがあるとすればおそらく、どちらかがどちらかの首を刎ねる時だけだ。


 ――つまり、もうぶちまけちまって良いってことだ。

 星舟は浅く呼吸する。そしてあらためて向き直った。


「たしかに、ここは居心地が良かった。おこがましいにも程はありましょうが、私と陛下の性質はよく似ている」


 負けを喫する前のオレとな。

 内心でそう付け足し、星舟は唇のみで笑ってみせた。


「なればこそ、貴方の覇道の一部に組み込まれるのはぜったいに御免こうむる。そして何もかもが揃った居心地が良い場所でふんぞり返るよりも、竜たちの側の方で働いている方がよほど生きている実感がある」


 おさらばです。真顔になった女王に向けてそう締めくくって、隻眼の人間は人の王に背を向ける。

 そして二度と顧みることなく、自分の故郷へと帰っていった。

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