狐の毛皮は何色か(後編)

「というわけで、おたくの貞操がキケンなんスけど。どうしたらいいんでしょう、隊長」

「それを当人オレに言う」


 姉の野心を表明されて後日。

 単身ひそかに夏山邸を訪って、クララボンは相談を持ちかけていた。未だ床に就く夏山星舟自身に。


「いや、だって掘られそうな本人に言っとかなきゃいかんっしょ、とりあえず」

「え、オレが受け止める方なの?」

「あ、攻める方がお好みなんスか。実は隠してたけどそういう欲求があったとか?」

「いや、今はお前を全力で殴り飛ばしたい欲求に駆られているけどな」


 愛すべき第二連隊長の面立ちに、困惑こそあれ動揺は見られない。

「別に良いんじゃねぇの」

 器量を見せるがごとく、大振りに焼いた茶碗に例の薬液を注ぎつつ、それを不味そうに飲んでいた。

 不調が長引いているのはそれが原因なんじゃないのか、とクララボンは指摘したかったが、本人がそれを是と見ているのであればあえて不粋は言うまい。


「やることやってりゃあ、オレは何も言わんよ。趣味や嗜好に首を突っ込む気もない。だからお前たちにも目を瞑ってやってるだろ」

「……なんか引っかかる言い方」

「で、逆にお前はオレにどうすべきだと?」

「姉の除名、追放。シェン君の状態によっては処断も止むなしかと」

「ええ……」


 数日間とりあえず考えたうえでの結論を披瀝すると、軽く引かれた。実に心外である。


「いやだって、あんな綺麗な目で衆道がどうとか言い出されたらララの家名と引き換えにしてでも止めようとか思いますって」

「阿呆らし。そもそも慕情云々にしても、キララが勝手に舞い上がってお前がうろたえてるだけじゃねぇのか。当事者の口から聞いたわけでもなしに」

「じゃあもし本当に告白されたらどうするんスか」

「どうもしねぇよ。お互いの感情の置き処さえしっかり固まってりゃあ、外からああだこうだ言われても惑うことなんてありゃしない。シェントゥだってその辺りの分別はつくだろ」

「おれがどうかしたんですか?」

「うひゃあぅお!?」


 大人物然と振舞っていた直後、会話にそのシェントゥが割って入った。割烹着姿で。

 星舟は慌てて跳ね退き、床の間に手を突いた。そんな彼の過剰な反応に狐少年もまた大仰に驚き、危うく手に持つ盆を落としかけた。


「ど、どうかしましたか?」

「い、いや? お前こそどうした?」

「昼餉の用意をしてきました。……ってあれ? クララさん」

「ど、どーもー」


 数歩間合いを置いて、クララボンはぎこちなく笑みを向けた。


「ちょうど良かった。今、うどんを作ったんです。クララさんもどうですか?」

「わ、わー。嬉しいなー」


 訝られないのが逆に不自然なぐらいギクシャクと喜びを表現してみせる。

 ただ、それは星舟も同じだった。相手の顔色を窺うように、愛想笑いをひきつらせていた。


「どうぞ」と差し出された小ぶりのどんぶりを受け取ると、

「弱った身体には、こういうのがありがたい」

 と、まるで自分に暗示でもかけるかのようにひとりごと。星舟は箸で一気にすすった。

 その隻眼が、軽く見開かれた。


「ほう、良い麺だ」

 と、自身も料理を手掛ける程には味の探究者たる星舟が、シェントゥのうどんを褒めた。

 高評価に、安堵と喜悦の表情を浮かべながら、シェントゥは「良かったぁ」と声を弾ませた。


「踏んで作った甲斐がありました」

 と続けた。


 麺を手繰る手が、止まった。

「……なんだってぇ?」

 問い返すその声は、他者からすれば彼らしからぬ、情けない響きだった。


「えぇ。タネをですね。足でこねてそこから作ったんです。ふみふみ、こねこね、ふみふみ、こねこね……」


 赤子のような幼さを残す素足が蠢く様子を、星舟はなんとも言えない目つきで見下ろしていた。おそらくはクララボン自身もまた、同様の視線で彼に追従していたことだろう。


 擬音を口ずさむ唇にその目線は持ち上がる。血色のいいそれはとても男のものとは思えない。だが箸を止めてじっと見入る星舟は心奪われたというよりも、ぞっとしないような心境であったことだろう。


「それじゃっ、クララさんの分も用意してきますね」


 だが褒められて舞い上がるシェントゥに、星舟の真情が伝わっているとは思えない。軽い足取りで台所へと向かっていく。ぱたぱたとせわしない足音が遠のくと、

「…………」

「…………」

 星舟とクララボンは何となしに互いを見つめた。


「おいどうしてくれんだよ……!? お前が妙なコト言い出すから変に意識しちまっただろうがッ!」

「はぁ!? こっちのせいにしないでくださいよ! っつかアンタついさっき自分でなんて言ったんスか!?」


 見つめ合いはいつのまにか言い合いに変わり、本人たちの自覚もないままに取っ組み合いに発展した。

「とにかくっ! 早々に対処をお願いしますね!」

 突き放すように隊長を押し返し、クララボンは最低限の声量で、それでも最大限の感情を込めて言って、立ち上がって踵を返した。


「おいお前は何してくれんだよ!?」

「やっぱなんかこれ以上首を突っ込むとめんどくさそうなんで、忘れて寝ることにするッス!」

「死ねッ!」


 隊長直々の悪態もどこ吹く風。

 即時撤退を決め込んだ次の瞬間には、クララボンの姿は屋敷から消えていた。



 そして取り残された夏山星舟は、

「シェントゥ、ねぇ……」

 と思案とともにひとりごち、やがて書棚から隊員名簿を引っ張り出した。


 ~~~


 その日、東方領直属第二連隊は、ようやく内々の整理も終わったことによって、対尾での大敗以来始めての大規模な合同演習を行うことになった。


 場所として選ばれたのは、六ッ矢北端にある古城の跡地。かつて人と竜とを分け隔てていた国境だった。

 そこには復帰した隊長、夏山星舟の姿もあり、周囲を湧かせた。


「オレが休んで間にどれだけ弛んだか見てやるよ」


 などと冗談を言って笑いを誘ったが、それに渋い顔を見せたのはリィミィだった。


「腑抜けてたお前よりかは皆よっぽど頑張っていた。あと、私の管理能力を疑われるのは心外だ」

「いや、そうは言っても……じゃ、アレはなんなんだ」


 あまりに辛辣な返しにたじろぎながらも、星舟は自分たちが対する側を指差した。


「ゔべばー、地面が回って見える……この世が球体に見える……」


 などと蒼白な表情で目を剥く第一連隊長の姿があった。

 開いた軍服の下に着ているにはどう見ても寝巻きで、言動のいずれを見ても深酒に祟られたとしか思えない。


 副官のポンプゥに引きずられるように現れたグエンギィを冷ややかに見ながらリィミィは、


「アレは……まぁ同じ組織においても治外法権や内政不干渉は存在する」


 と弁護なんだか非難なんだかよくわからない見解を示した。


「アレとか言われてますよ!? 良いんですか!?」


 ポンプゥは狸の尾飾りを振り乱しながら、怒りと羞恥と悔しさで顔を赤くしていた。

 小柄というより幼いと言った方が妥当な身体を使い切って引きずろうとしているが、もはやグエンギィは両足で立つことさえままならない。

 まったく視界に入れるだけで軍紀の乱れそうな同僚である。


「さて、いかに弛緩したとしてオレの部隊の中には、ああいう不届きなヤツ……」


 背後に整列する第二連隊を閲して回る星舟の目が、最前の少年兵へと留まった。

 シェントゥのその茶色の頭髪には、椿の油でも使っているのか、いつもより艶がかかっているような気がした。藤の花を模した髪飾りをそこに取り付けている。

 えへへ、とはにかみながらも、眼前で足を止めた星舟にまるでに見せつけるように。

 上目遣いで、顔色をうかがっていた。


 周囲の事情の知らない兵士はそんな彼を奇異な目で見ていた、次列に立つキララマグはキラキラと両の瞳をきらめかせ、その傍らのクララボンは拝み、すがるような目つきを眼鏡の奥底で形作っていた。

 リィミィはおおまかな事情をそれとなく知っていたのか冷ややかに彼らを観察し、面白そうな気配を本能的に感じ取ってのか、悪酔いから軽く復活したグエンギィがいつの間にか顔を認識できる程度近くまで来ていて、興味深げに両者を交互に見守っていた。


 つまり軍事演習そっちのけで、衆目は次の星舟の反応を待っていたといって良かった。


 星舟は、軽く溜息をこぼした。


「シェントゥ」

 と少年兵の名を呼び、

「はい!」

 と何かを期待するように上官を仰ぎ見た。


 その彼の頭部を、星舟は容赦なくひっぱたいた。


 ぱしん、と乾燥した音が、静まり返った古戦場に響き渡った。

 痛い、というより信じられないといった感じで、シェントゥの見開いた目が星舟に向けられた。


「お前、いい加減にしねぇと隊を追い出すぞ」

 そんな彼に、星舟は冷ややかに言い下した。


「そんな……困ります……!」

「……『困る』……?」

「ちょっと、叩くことないじゃないですか!」


 その時、隊伍からキララマグが飛び出した。

 獣竜の少年をかばうように自身の腕に抱え込むと、上官を怖じもせず睨み上げる。


「なんでですか!? このコは、隊長のために」

「いつ命じた。いつオレが、こいつにオンナの真似事をしろと」

「今まで世話になっておいて、なんて言いぐさ……」

「そりゃこいつが余計な罪の意識を感じてたからだ。けど、それも無駄な気遣いだったようだな」

「だいたい、オンナのマネゴトって、差別ですよ! リィミィ姉さんだって、私だって……それにアレだって、一応は女性です! 厳密に言えば!」


「アレって、一応って、厳密にって」

「グエンギィ隊長、言われてもしょうがないです」


「つまり、部隊に女性なんていくらでもいるじゃないですか! だったら真似事だとしても、せめて慕ってお世話をすることだっていいじゃないですか!」


 地獄の撤退戦においても異議を唱えなかった女鳥竜が、他者を押しのけてまで食ってかかった。

 その珍事をただ傍観するほかない一同を前に、星舟は彼女を睨み返した。


「じゃあ聞くが、今までオレがお前たちをオンナとして見たことがあったか。抱かせろだとか臥所を共にしろなんて誘ったか?」

「なっ……! そんなこと、言われてたら舌噛んで死にますよ!」

「……そんなに?」


 思いっきり罵倒を受けながら、星舟はもの悲しげに流した。


「けどお前が承知の通りだ。オレは一度も、お前らに女性であることを求めたことはない。リィミィは判断力、分析力に優れた副官だ。キララマグ、お前も偵察としての退き際の巧さ、そこから得た雑多な情報の取捨選択の能力には目を見張るものがある。そしてアレは……まぁ実戦は強いから」

「ねぇ、私の扱い悪くない?」

「つまり、オレは女性だからお前たちを抱えたり連んでるわけじゃない。お前たちがクセはあっても信じるに足る資質の持ち主だからだ。他の者も同様だ。というかな」


 ここで星舟は大きく深呼吸をした。

 そして声を限りなく大にして、隻眼の男は獣のように吼えた。


「お前ら、女性としてあまりにあんまり過ぎてとてもそんな気起きねぇんだよッッ!!」


 その論の確かさに聞き入っていた部下や同僚たちだったが、星舟、心からの叫びによって一転、掌を返したように非難を轟々と鳴らし始めた。


「最低」

「女の敵!」

「したり顔のクズ!」


 星舟は適当にそれらをあしらった。したり顔のクズ呼ばわりは酷すぎて泣きたくなった。


 そして改めて彼は、シェントゥを見た。

 この騒乱の元凶となった幼い獣竜は、改めて自分を顧みられて背を反らした。


「お前は何者だ? シェントゥ。媚びる男娼か、それとも兵士か」


 夏山星舟は問いをぶつける。シェントゥの瞳で感情の波が立った。

 言いよどんでいた少年は、やがて意を決して星舟を見返した。双眸に宿る輝きには、しっかりとあるべき場所に定まった重みがあった


「シェントゥは、貴方の兵士です。夏山星舟さん。今までもこれからも、貴方に報をもたらす」


 それは入隊以来、少年が初めて見せる、強い意思の表明だった。

 どうしようもない負け戦だったが、それでもこの気弱な彼にとって悟り得るものはあったらしい。


 他の者も、そうであったと思いたい。

 そして自分自身にとっても。


 ――そうさ、オレもまた、夏山星舟だ。あのとき星に伸ばし、この名を授かった時からずっと変わらない。たとえどんなに現実が自分を痛めつけようと、この信念だけは抂げちゃならないんだ。


 そう決意を新たに「よし」と星舟は頷き、少年兵の決意を受け容れた。


「そうと分かりゃ、そんなもん外しちまえ」

「あ、でもこれキララさんにつけてもらって……いてっ」

「あーあー、無理に外そうとするな。ほら、頭貸せ。オレがやるから」

「え!? で、でも」

「良いから、じっとしてろ」


 シェントゥは真っ赤になって頭を星舟へと差し出し、固まりながら彼にされるがままになっていた。そのやりとりを、嬉しさを隠しきれない少年の横顔を、キララマグは至近で、陶然と眺めていた。

 髪飾りをゆっくりと取り外した星舟は、軽く睨みながらそれをキララマグへと突き返した。


「今回は不問に処す。けど、もう余計なことするんじゃねぇぞ」

「ありがとうございます!!」

「お、おう……?」

「いや、多分別の意味でお礼言ってるっスよこの姉さん」


 〜〜〜


「いやー、どうなることかと思ったけど、意外にも正攻法で解決したっスね。我らが隊長殿にしては」


 もっとも、その後の模擬戦はそれが飛び火したかの如く苛烈なものとなったが。それでも姉の目論見は外れ、自分の危惧した最悪の展開は回避できた。

 円満ではないにせよ、これで良かったのだとクララボンば疲労困憊のおのれに言い聞かせた。


「姉さんも、これに懲りたら大人しくしててくださいね」

 共に帰途につく姉を顧みながら、クララはそう言った。だがキララは思案顔で口許に指をやろ、やがて真剣な語調で尋ねた。


「やっぱりあの主従、これ以上ないぐらい完璧な組み合わせだと思うのだけれど、どうしたら肉体関係にまでこぎつけられるのかしら」

「いや貴女がこの程度でめげない気丈な女性だということは重々承知していましたしそんな貴女を誇りに思いますが、この件に関しましては何卒ご自重頂けないでしょうか」


 思わず本来の自分をかなぐり捨てて丁重に懇願するクララボンであった。


 まぁあんなことがあった矢先、多感に揺れ動く少年の感情を知りながらも衆目の中であんな行動に出る星舟側にも問題はある。

 もし問題が再燃したらまた全部押し付けようと心に誓った。


 そんな風に算段を立てていた矢先、軽やかな足音が姉弟に近づいてきた。


 背後には、当のシェントゥが息を弾ませながら立っていた。


「シェン君、どした?」

「あの……今回の件、あんなことになっちゃいましたけど、色々と気を回してくれて、なのにお礼がまだ言ってなかったし……」

「いいのよそんなことは! それよりも、次の作戦を」

「こっちこそなんかごめんねー! この愚姉の言うことなんて綺麗さっぱり忘れて良いから! だから健全な性生活を送ってほしいんだけど」


 進み出ようとする姉をシェントゥから遠ざけ、クララボンは笑いかけた。


 もじもじと、指を絡ませながら言葉を詰まらせながら、それでも誠意と健気さに満ちた謝意を示す少年。いや、傍目からはやはり男には見えない。


「でも、キララさんには驚きました。っていうか、やっぱり女同士だとやっぱり見破られちゃいますよね」


 どこからどう見ても女……今、なんと言った?


「……え?」

「戦場だと色々苦労があるかって思って男のフリをしてたつもりだったんですけど、やっぱり細かい所で素が出ちゃうのかな」

「……え、え?」

「その点キララさんもリィミィさんとか、すごいです。ちゃんと女としていながら、戦場に出てて」


 クララボンは弾かれたように首を動かした。ただし問題発言をぶつけてきた彼……否彼女ではなく、姉へ。


 姉はこの事実に気づいていたのか。故にあえて隊長に当てがおうとしていたのか?


 いやそうではあるまい。知っていたら、男色がどうのだの口が裂けても宣うまい。

 その証左に、キララは今、目を見開いたまま硬直していた。柔らかみに欠けるその直立姿勢は、指で強く突けば今にも崩れ落ちそうだった。


「隊長には色々と気付いてもらえなかったみたいですけど、けど女の子らしい格好とか久々に出来て、嬉しかったです。ありがとうございました!」


 そう表情を華やがせるシェントゥに、徒労感をにじませた愛想を返す。

 一体今日に至るまでの気苦労はなんだったのかと誰にでも良いので問いたい心境だった。実際に解決したのは星舟本人だったものの。


 胸の内で溜息を深くついたクララボンの背後でキララマグは、死んだ魚の、いや死んだ鳥の目をしていた。


「しゅぅーりょぉー」

 と光の消えた目の焦点が定まらないままに繰り言のように呟き、

「おつぁれさぁでったー、あじゃじゃしたー」

  と、凄まじく雑な発音で勝手に締めくくり、踵を返して早足で去っていく。


「……本当にロクでもねぇなあの女……ちょっと待ってくださいよー、帰り道で美少年とか拉致しないでくださいねー」


 と制止をかけながら、クララボンは後を追った。




 彼らの影が足下から消えた後、シェントゥは笑みを引かせ、真顔になった。

 そして大儀そうに短く切った髪を撫でてなびかせながら、夕闇へ身を沈ませた。


 そして他愛ない日常は思い思いに終わり、新たな戦いの火蓋は切られ、引き金に指がかけられた。

 そして今日、戯れに興じていた彼ら第二連隊を震撼させる事件が、すぐ後に控えていたことなど、誰にも予期しえぬことであった。

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