番外編

狐の毛皮は何色か(前編)

 冬の気配が例年にも増して長かった頃合いも、そろそろ終わりを迎えようとしていた。

 あたたかな気が流れ込む六ツ矢の一区画、その武家屋敷を、鳥竜の姉弟が訪れていた。


「どうもー。母上から頼まれて見舞いの蜜柑を届けに……ってあれ?」

 キララマグの前に出て門戸を叩いたクララボンを出迎えたのは、茶髪の小柄な少年だった。


「あれ? お前さんは……」

「シェンちゃん」


 とっさに名前の出なかった弟に代わり、前に出た姉がその名を呼んだ。

 ともに死線を超えた新兵は、はにかみながらペコリと頭を垂れた。


「おタキさんは?」

「産休だそうです」

「あっちゃー……隊長、孕ませちゃった?」


 姉に向う脛を蹴り飛ばされて、クララボンは悶絶した。


「それで代わりに、おれが身の回りの世話を」

「そう、それは……とても良いことね!」

「つか、いつの間にそんなに仲良くなったんスか? そもそも、なんでお前さんが世話してんの」


 彼女らの会話に妙な親しみを感じたクララボンは、脚を抱えるようにして跳ね回りながら、両者の顔を覗きみるようにして問うた。


 痛みが治まった頃合いを見計らって、その新米、シェントゥは姉弟を招き入れた。廊下へ案内しつつも、その横顔に陰を差し込ませた。


「隊長がケガしたの、おれのせいだし……他にもいつも色々お世話してくれるし。何かお詫びできることないかなって、思ってたらキララさんが相談に乗ってくれて」


 ふぅん、とクララボンは相槌を打った。

 たしかに、隊長ことこの屋敷の主である夏山星舟は、とくにこの少年を目にかけている。まだ年端もいかない子どもであるゆえというのもあるだろうが、明敏な感覚を買っているようだった。

 本竜が気にかけている臆病と大人しいと言う気質についても、


「物見、使い番なんぞそれぐらいがちょうど良い。何より、オレを裏切ることがないというその気弱さが、良い」


 と、例のあくどい顔で述べていたが、はたしてどこまでが本心なのやら。

 とにもかくにもそんな寵を受けたこの獣竜の少年は、星舟の言い分は知らず、ますます上司への敬慕を深めていったのだ。


 ――それにしても、だ。

 この純朴な少年はそれで良いにしても、姉が他者を気にかけるとは意外だった。

 冷淡というほどではないが、誰に対しても均等な距離をとるのがこの姉ではないのか。


「なによ」

 と、自分に似た目鼻立ちが疑念を向けてきた。


「いやぁ、自分は姉さんにそんな風に親身に相手されたことって、ないかなって」

 こういう時の姉には隠し事はできない。

 それを知っているクララボンは、率直に答えた。


「たとえば?」

「姉さんの友達の好みとか、マトモに答えてくれたことないじゃねっスか」

「あれはあんたがあの娘にコナかけようとしたからでしょう」


 姉の態度はそっけない。だが、隙間もなくすぐに記憶を呼び起こせるあたりに、姉弟としてのつながりを感じさせた。


「クララさんが、おれが隊長の身の回りの世話をするときに、いろいろ教えてくれたんです。お茶をお出しする時機とか、料理の味付けの好みとか、どうすれば、喜んでくれるのか、とか、自分の気持ちの整理、とか……」


 土産を両手に抱えたシェントゥが、姉をかばうように言った。だが、消え入るような彼の言葉尻に、違和感を覚える。

 首筋まで紅潮させた白い首筋が、同性から見ても妙に艶っぽい。並の女の比ではない。


 その物言いや感情に対する追及をしようとするクララの前に、小柄な影が立ちはだかった。副官リィミィが、白い上衣を引きずるようにしながら、相変わらず気難しい顔をしていた。


「両名とも悪いな。ララ家も大変な時だろうに」

「いやぁ、ウチはまだいいス。他の鳥竜の方がよっぽどか大変みたいで」

「そのようだな」


 ますますその表情に苦みを加え、その威に気圧されたシェントゥは、おずおずと蜜柑の入った包みを彼女へと差し出した。

 同類のよしみというやつか、わずかながらに表情をほころばせたリィミィは「自分で届けてきなさい」と命じた。少年はパァッと顔いっぱいに喜色を浮かばせ、主の待つ部屋へと入っていった。


「来たか」

 その部屋の奥から、声が聞こえた。


「そんなところに突っ立ってないで、こっち来て座れ」

 そう上司の声に勧められるままに、姉弟は座敷に辞儀とともに入った。


 ――座るっつったって、どこに?


 クララボンは胸中でそうぼやいた。

 布団に膝を潜らせた夏山星舟を中心に、八畳間には足の置き場もないほどに書簡の類が広がっていた。

 それに余さず読み込む星舟の右目には、わずかな雑念も感じられなかった。


「……なんか、思ったより具合良さそうっスね」

 と、クララボンはリィミィに耳打ちした。


 腿を斬られた時にはもしや失血死、あるいは脚の切断か、などと隊内で激震がはしったものだが、幸いにして重要な血管の損傷は免れた。毒素も入らずに済み、七日としないうちに杖を突いての歩行が出来るようになった。

 が、そんな身体を押して、時には雨に、時には悪意にさらされながらも戦後処理に奔走した彼の身体は、一区切りのついたふとした拍子に高熱を発してしまった。


 だがそれも乗り越えて、星舟の肉体は快方に向かいつつあるようだ。


「どうだかな」

 しかし彼のそばで良く見ているリィミィは、その見立てには懐疑的なようだった。


「聞こえてるぞ」

 帳面をめくりながら、その星舟が舌打ちした。


「だから少し体調を崩したぐらいで、元から大したことねぇっつの。明日葉に数種の野菜、果実を擦り入れたコイツを飲めば、どんな病もたちどころに治るっつーの」


 彼はそう自慢げに、グラスに入った橙色の手製薬酒を捧げ持った。


 ――なんで、頭のいい奴に限って医者の言うこと信じずにこういう根拠のない怪しげなモンに傾倒するんだろ……


 そう疑問に思わざるをえないクララボンだったが、彼に「それで?」と星舟は促した。


「周囲の状況は? 多少は落ち着いたのか」

「えぇ、まぁ」


 クララボンは畳の縁外に沿うように膝を揃えながら、言葉を暗く濁した。

 あの悪夢のような撤退戦から数月と経ち、事態は春の兆しとともにようやく落ち着きを取り戻していた。


 と言っても、好転はしていない。

 混乱に乗じて一斉に動き出した七尾、汐津ほか南方の諸藩が竜の版図の切り取りを開始。当主不在となった領地を占領。


 藩王軍の陸海よりの助勢を得る形で和浦周辺まで進出して完全に制圧していた。

 また竜帝国内においても、反竜の動きが活発化。どこからともなく湧いて出た旧権力者の残党主導による一揆が頻発していた。


 それに歯止めがかかったのがつい先日のこと。

 海路に通じる要地をサガラたちの親衛隊に抑えられ、補給が限界に達した。また、隣接する藩による領土や権益の問題が激化したため、ひとまず藩王側でもその収拾に回り始めていた。


「で、そのサガラ様は、機動戦を各地で展開。わずかにですが、次第に押し返し始めていますが」

「奪還した領地を返そうともしない。帝都の直轄領として、自分の部下に統治させてる、だろ?」

「……よくご存知で」


 クララボンはそう褒めたが、本人は嬉しくなさそうに鼻を鳴らした。


「オレが分捕ったトルバが、さぞかし役に立ってるんだろうな。……あーあ、接収されるってわかってりゃ、いっそあの場で全頭使い潰しておくんだった」

「でも、乗馬の心得があったのは一部の、士分の出の人間だけじゃなかったですか。それに乗りこなすにしても、実戦で使えたかどうか」


 キララマグがそう見解を述べた。だが、星舟はぐっと唇を噛み締めて首を振った。


「それでも空馬のケツ引っ叩いて、まとまった数を会見平原に飛び込ませてりゃ、なんとかなったかもしれねぇだろ。……そうすりゃきっとブラジ」

「星舟ッ!!」


 姉弟の傍らで徐々に顔を渋くさせていたリィミィが、突如として声を荒げた。

 平素の在り方とは違う彼女に驚く周囲をよそに、彼女は呼吸を整えた後、


「それ以上は、止めておけ」

 と上司を諌めた。


「……すまん」

 と正直に謝った星舟だったが、パチクリと目が瞬くその顔は、なぜ叱られているのか分からない子どものそれだった。


 あまりに無防備であどけないその様子を観察して、クララボンは得心の嘆息を吐いた。


 ――なるほど先生の言うとおり、たしかにまだお疲れだわな。


 そんな病人の前におずおずと、剥いた蜜柑が手渡された。

 傍らのシェントゥが差し出すそれを、星舟は右目で見ていた。

「あの」

 少年は、ごこちなく笑いかけ、敬愛する上司の口元にそれを近づけた。

「甘いもの食べたら、その……ちょっとは安らぐかと思います」


 自分で大胆なことをしているという自覚があるのか。シェントゥは伏せたまなこを彷徨わせ、真っ赤になっていた。

 対する星舟は固まっていた。このままされるがままに口にくわえるか、それとも手で取るか。その思考と選択の時間だったと思う。

 だが彼の両手や周囲は書面や帳簿でふさがっている。それを改めて見つめ直したい星舟は、後者を選んだ。


 首をやや伸ばして蜜柑の一切れを唇で挟む。それを見たシェントゥは少し安堵したような……それでいてかなり嬉しそうな表情で目を輝かせていた。


 その横顔を、ふと見遣ってしまいながらもクララボンは、なんだか見てはならないものを見てしまった心境だった。


 とは言えリィミィの一喝から生じた場の緊張は、表面上は微笑ましい絵面によって緩和された。

 当のリィミィもまた、先ほどのことはさっぱり忘れたように、星舟に報告書を近づけて談じていた。


「シェンちゃん、全員分の蜜柑も剥くから、あとお茶も淹れるから手伝って」

「あ、はい!」


 姉に手招きされて、シェントゥは座敷から退出した。


 はて、二名がかりで取り掛からねばならないほどの量を持って来ただろうか。

 素朴な疑問から、また純粋な興味から、クララボンは彼女らが向かった台所へと忍び寄った。


「……やった、食べてくれました! キララさん!」

「そうねっ、頑張ったわね、シェンちゃん!」


 と、ささめく声が漏れ聞こえたのは、三歩ほどの間合いでだった。


「でも、大丈夫だったんでしょうか……男にあんなことされて、気色悪いとか思われなかったでしょうか」

「大丈夫よ。そんなことにこだわる人じゃないし、状況でもない。むしろ、色々と傷ついてる今こそ好機なのよ。ここぞとばかりに押してきなさい。今度、私の服貸してあげるから、ちょっとばかり着飾っても良いと思うわ」

「で、でも本当にこれで喜んでくれるんですか?」

「心配しないの。貴方の恋……忠誠心は、きっと、伝わるって信じてる」


 もじもじと恥じらいながらも、キララマグの言うことに抵抗する気配はない。姉はそんな純粋な美少年を見て、今まで見たことない陶然とした表情でうなずいていた。


 そして彼女の弟は、あんぐりと顔を上げ、物陰で総身をわななかせていた。


 〜〜〜


「姉さんッ、アンタいたいけな少年になァにを吹き込んでんスか!?」


 上機嫌で小盆を抱えていったシェントゥをやり過ごし、クララボンは姉を改めて問い詰めた。


 だが、キララマグは泰然と立ったまま、悪びれもしていない。

 鳥竜にありながら飛行を不得手とするという、重大な欠陥を抱えたそ身体だが、この時ばかりは体幹に一切の揺らぎもない。その様はさながら、一個の戦女神の像だった。


「ねぇ、ボンちゃん」


 姉が姿勢を崩さず口だけ動かした。弟を愛称で呼ばわった。


「あんた、先の戦での大敗は、何が原因だと思う?」


 突拍子もない問いに、クララボンは面食らった。だが、彼女は真剣に問うてきていた。それを受けて、とりあえずは思考を切り替え、推察した。


「思い当たるフシは、山ほどあるっスね……」

「そう。でも、つまるところは全てはある一点につながると思う」

「と言うと?」

「人間への無関心、無知。ひいては、自分たち以外の価値観を認めていなかったこと。そしてそれは真竜だけに限った話じゃない。人々の持つ価値や歴史、知識や技術といったもの。獣竜や鳥竜たちもそれとあらためて向き合う時が来たと思うわ」

「……それは、そうかもしれませんね」


 まさか姉の口から竜種すべての今後を慮る言葉が、しかもこんな折と場所にて出てくるとは思わず、クララボンは面食らい、だからこそ虚心でその意見を受け入れていた。


「姉ちゃんもね、ずっとそのことについて考えてた。で、最近一つの結論を得たの」

「結論?」


 オウム返しに問う弟に、姉は思わせぶりな、だが透き通った笑みを称えてみせた。すらりとした指先が据え置かれた釜や鍋の縁をなぞる。その所作は、我が姉ながらに様になっていると思う。やはりこういうところで、同じ腹から生じた生命であったとしても、男女の差というものが出てくるのだろう。


 自身と比してやや肉感的な唇が花開き、彼女の言魂が、静まり返った台所に朗々と響いた。


「人たちの間で衆道、もしくは男色って文化があるのを知ってる?」

「おっとォ~? 竜種の命題にかこつけてとんでもない方向にハナシ転がし始めたぞこの女竜アマ~」


 一瞬でも呑まれかけた自分がバカだった。そう痛感しつつ、姉の愚かしさを青年鳥竜は嘆いた。だが弟の心姉知らずというべきか。キララマグはなおも力説しようと身をよじり、手を振りかざした。


「種族や性別の垣根を超えた融和こそ理想! そこには当然葛藤もあるでしょう。他者の軋轢や様々な障害もあるでしょう。しかし、それを乗り越えた先にこそ真実の愛が存在する! あなたはそれを低俗だと軽蔑するというの!?」

「趣味嗜好は個々の勝手でしょうがね。自分が低俗だと軽蔑してるのは、純朴な少年をたらしこんで敬意を恋愛感情と錯覚させて自分のそれを強要しようとして、あまつさえ上官をそれに巻き込もうとしているあんたにっスよ」


 実際に姉のやらんとしていることを口にしてみて、そのおぞましさに身の凍る心地だった。

 しかし、互いに相容れぬと理解しているのは、あちらも同じらしい。

 止めるように説得しようとしたクララボンの鼻先に「とにかく」と掌が突きつけられた。


「とにかく姉さんに任せておきなさい。悪いようにしないから」

「いや、悪化させてるのあんたなんスけど……てちょっとォ?」


 キララマグは足早に去っていく。飛ぶのはへたくそのくせに、妙に足には長けている姉であった。

 ひとり台所に取り残されたクララボンは、がりがりと後ろ髪をかき乱し、


「……これ、自分がどうにかしなくちゃダメな流れ?」

 などととりとめのない問いかけをひとりごちる。


 鳥竜種クララボン。

 女にだらしがなくその日常感は怠惰と逃避に満ちている。


 ただ、身内の恥に対する責任感はそれなりにあった。

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